SSブログ

昭和51年関西電車観光(5) [関西電車旅1976年]

1976年(昭和51年)9月の4日~5日、関西電車見物の旅の第五回です。

■ 南海電気鉄道(その2) ■

新今宮駅の三本のホームを駆けまわり、電車観察は続きます。電車ばかりでなく、気動車だって来ました。

(1)特急『きにくに号』が来ました。和歌山市駅から、紀勢本線方面に乗り入れる観光列車でした。

勿論、南海の車両。国鉄キハ55同等のキハ5501形が先頭、次位は同じタイプながら、両運転台でトイレ無しのキハ5551形。『和歌山方面』行です。『きのくに』号は、南海線内は「特急」扱いでしたが、晩年は非冷房のため乗客から敬遠されていたとの事。岸和田競輪の開催時に、便利な時間帯だったせいか、「競輪電車」といわれたこともあったようです。南海の「南紀連絡」については、一時期、国鉄の特急電車を払い下げてもらって、継続すると言う話まであったようですが、いつのまにか消えてしまいました。・・・・・と、のり様から教わりました。

(2)モ7101系:難波行急行。いまの塗装より、ずっと良いなあ!と、私は思います。

(3)モ7001系、和歌山市発・なんば行の各停。

(4)客扱い中のモ7101系:急行淡路号多奈川行。

(5)又も電車に乗りこんで南へ走ります。高野線だけにしか無い、萩ノ茶屋駅では、特急こうや号デラックスズームカー20001系とすれ違いました。昔々大昔、昭和29年、やはりこの辺りで当時のこうや号とすれ違った事を思い出します。カメラの用意が出来ず、撮影に難波駅に戻らなかったのが、今、考えれば惜しかった。モ1251×2+ク1900だった気がする。電動車は3両だったかしら・・・。よく判りません。


天下茶屋駅で下車し、撮影後、今はもう無くなった天王寺線に乗り換え、たのですが、その写真は、次回で。


nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 3

アルファ

中古の485系を払い下げて貰って「きのくに」を存続させる話があったことは私も聞いたことがあります。結局立ち消えになってしまったようですが、南海の線上を疾走する485系というのも見てみたかった気もします。それにしても70年代の関西の私鉄は懐かしいですね。昨年南海ではこの写真にあるような旧塗装車を復活させて人気を博しましたが、懐かしい反面当時の車両とは細部が微妙に違うのでやはり当時と全く同じという訳にはいかないようです。
by アルファ (2006-07-03 09:53) 

のり

懐かしい南海電車の数々、いいですねぇ。
「-急-」の表示は、春木停車の急行です。おそらく、岸和田競輪開催の日だったのでしょう。
淡路連絡の多奈川行急行は、淡路航路の経路変更とともになくなりました。
デラックスズームカー「20001」のスタイルは、超個性的。
南海本線利用者から見て、赤い電車は憧れでした。
いつかは乗りたいと思っておりましたが、とうとう乗れず仕舞いでした。
じつは、「今宮戎」も「萩ノ茶屋」も古くは本線の駅。複々線は、緩行線急行線に使い分けられ、緩行線を行く「各停」と急行線を行く「普通」の二種類ありました。やがて、緩行線を高野線が独占し、線別複々線のような形態になりましたが、高野線が「各停」、本線が「普通」と名乗るのは、その名残でしょう。
by のり (2006-07-03 12:41) 

む〜さん

◆南海本線を国鉄の485が走ったら見物だったでしょうね・・・・惜しかった。
◆当時の南海カラー・・・・・一般車:緑の濃淡で、いまのカラーとは比べ物にならないくらい好きでした。
急行用:白っぽい薄緑にグリーンの帯。このカラーで、モ11001が登場し、難波で初対面した時は、ほんとに感激したものです。
◆『-急-』の表示、なるほど!芸が細かいですね~!
そして、『各停』と『普通』の区別。
◆『今宮戎』、『萩ノ茶屋』は本線の駅だったのですね。いまの本線は『あと付け』なのですね。そういえば、高野線は汐見橋が始発駅だった聞きました。汐見橋の、あの、昭和30年代に書かれたと聞く『観光案内地図』は健在なのでしょうか?少々、気になるこの頃です。
by む〜さん (2006-07-03 17:44) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。