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昭和51年関西電車観光(14) [関西電車旅1976年]

段々暑くなっていよいよ夏。昨夜で三日続けてエアコン掛けて寝た。タイマー2時間なので、停まって暑くなり目が醒めるのが少々悔しい。お金も掛かるし、身の為にならないと聞くので、やむを得ない。

・・・・で、昨日の続きの、昭和51年関西電車観光(14)です。

■ 京福電気鉄道叡山線鞍馬線(1) ■

昭和34年以来の叡電、17年ぶりの訪問でした。昭和34年の叡電は、こんな感じでした。私のホームページのこのページもついでにご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link134.html

さて、京都市電で元田中の電停で下車。交叉点で叡電を待つ。太陽が出たり薄雲に隠れたりしている。

(1)鞍馬行きのデナ124+122。この頃には既にデナ1は無く、昔の叡電の面影を残すのは、この形式くらいだったかもしれません。

それにしても、沢山のお客さんが乗っております。

(2)その後姿、デナ122。やっぱり古都にはポールが似合ったと思う。(江ノ電然り!)

(3)八瀬遊園から来たデオ202。

(4)同じくデオ202の後姿です。

電車左側の商店の屋根に出ている広告が気になりましたので・・・・・・。

・・・・・・部分を拡大してみました。

森永チョコフレーク・・・・・三人娘はキャンディーズじゃあないかと思うんですが、何方かお判りになりましたら教えてください。ファンだったら、この位判るだろう!なんておっしゃらないでね。(願)


話題、脱線で終わりましたが、明日も続きます。明日で、この旅もお終いとなります。
じつは、次ぎの企画が出来ていない!
『日々更新』の決意で始めたブログだけれど、息切れが激しくなりました。そんな訳で、ズレたのが出ても、お許し下さい。
そろそろ、隔日更新とか、週三回更新とか、真剣に考える時期かもしれません。多少、日常生活に影響出てますんで・・・・・・。


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コメント 7

quatre-l

昭和51年でもこんないい感じのポール電車が走っていたんですね。
知りませんでした。
自宅のみならずエアコン無しの夏の京都ならさぞや電車は大変だったことでしょう。一枚目の写真の窓の開け方が揃っていて面白いですね。

で、三人娘は見まごうことなきキャンディーズですね。昭和53年春に解散するまでの三年間、アイドルと言えば彼女らの時代でした。各CMに引っ張りだこで森永製菓にも登場していたんですね~。
by quatre-l (2006-07-12 12:37) 

む〜さん

叡電、カラーがたまりません。京都って土地柄に実に良く合ってます。いまの京阪系になった叡電は車両的には現代風で仕方が無いと思うけれどちょっと、色が・・・・・・。
地元の方たちは如何思ってるんでしょうね?

お~!やっぱりキャンディーズでしたか。す~ちゃんが良いですね。『NHKドラマ・ちゅらさん』のお母さん役が好きでした。
by む〜さん (2006-07-12 12:57) 

gop

元田中、市電と叡電のクロス、懐かしいですね。
鞍馬駅も京都の奥座敷らしい落ち着いた雰囲気で好きでした。
八瀬遊園には数年前に再訪しました。
http://blog.so-net.ne.jp/987/2005-07-30-1
しかし昭和34年の叡電の光景を見られたとは羨ましい限りです。
私など影も形も無い様な頃ですよ(^^

当時の嵐電も京都らしい雰囲気で、太秦や嵐山など良く行きました。
そのうちBlogで紹介させて頂きます。
by gop (2006-07-12 17:59) 

のり

その昔に鉄道雑誌で見た「叡電」に、「美しいなぁ」と見入ったものでした。
今見ても、「デオ1」は素敵ですね。たしかその雑誌の記事に、「デオ」「デナ」の「オ・ナ」は、客車の重量を示す記号ではなく、大型の「オ」・中型(なかがた)の「ナ」だと書いてあったように記憶しております。
京都市電最終日の夜、京都に一泊し、翌日に叡電を撮影しに行きました。ポール集電の終焉も迫っておりましたし。
そのフィルムが散逸して行方不明!・・・・・(悲)
いま、叡電は「EIDEN」とよばれ、「きらら」などというハイカラな展望電車が走っております。沿線住民にとっては、ノスタルジーなど二の次なのでしょうね。阪堺電車でも、夏のラッシュ時に現れる「161型」は、利用者から見れば、「冷房も無いボロ電車」と映るのでしょう。

むーさん様、ブログはゆっくり参りましょう。(連日では、相当たいへんな作業のはずですので)
by のり (2006-07-12 23:27) 

岸田法眼

当方もブログは月の半分以下も掲載しておらず、最近は鉄道の評論コーナーを設けようかと考えております。

さいわい、更新しなくとも1日100名様前後のお客様がお越し下さっておりますので、気ままにやっていただければと思います。

それにしても、画像は力作かつ貴重なものばかりですね。圧巻です!!
by 岸田法眼 (2006-07-13 00:45) 

M3Go

良いですね、叡電。
昭和51年頃はワタシもしょっちゅう通ってました。
3枚目の画像の右側に見える「白い家」の看板こそ、ワタシの親戚がやってた喫茶店です。
京都に行くとココを拠点に京都中の電車に乗り歩いて(市電も)ました。

デナ21型もこの頃から正面窓がHゴム化され始めましたよね。
ポールがスライダーシューに交換されたのはもう少し前の事でしたっけ・・・。
嵐電はパンタ化されるまでポールの先でホイールが廻ってたと思います。
嵐電は路面電車の風情ですが、叡電の郊外電車の雰囲気がとっても気に入ってました。

親戚の喫茶店も廃業してしまったので、ここ十年位行ってませんが、元田中の駅はどんなふうに変わっているんでしょうか??
終点の鞍馬や八瀬遊園のしっとり落ち着いたホームや駅舎はまだ健在なのでしょかね??
新型も一度は乗ってみたいし、などと考えてると久々に言ってみたくなりました。
by M3Go (2006-07-13 01:30) 

なかっちょ

Mu3さま、こんにちは。連続コメント失礼します。
昭和51年の叡電ですか。当時高校生の私は、毎日この交差点で電車を乗り換えて学校へ通ってました。角のお菓子屋の看板も見覚えがあります。
キャンディーズかぁ電車以上になつかしいなぁ。
by なかっちょ (2006-07-15 15:24) 

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