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浦和辺りの1973年(1) [国鉄1970年代]


 今日は朝起きたら雨、その後やんだけれど、べとべとの高湿度・・・・台風の所為なのでしょうが、気分がよくありません。
 前回の14日更新から二日空いてしまいました。公約違反だなあ・・・・済みません。今週中に、遅れを回復しましょう!

 さて、1973年(昭和48年)の早春の事です。三回前の『新宿駅特急あずさ』と同じフィルムに入っていた画像を、四回に分けてご覧頂きます。

 越谷に親戚が居りまして、家族四人で遊びに行きました。家内は叔父叔母とお話がしたいし、子供たちは退屈だし、二人の子供を連れて電車汽車を見に行きました。越谷から西へ・・・・どこをどう通って、どの辺に行ったのでしょう?
 まあ、南浦和を中心に、どこか、あの辺りなのは間違いないのですが、如何しても思い出せません。

今日は、特急電車です。

(1)特急『とき』、181系の上り列車です。颯爽としてますね、なんたって上越線のスターですもの。

(2)特急『やまばと』・・・・483系でしょうか?

(3)今となっては、記録もなく『なに号』かわかりません。月光型583系。当時は、乗りたいと憧れていたものです。クルマは愛車のSUBARU-REX。まだ2サイクルエンジン(オイル分離供給形)でしたが、水冷で、この前に乗っていた、SUBARU-R2が空冷だったので、静かで、暖房も聞いて快適でした。私は、昭和39年のSUBARU360の62年式以来のスバル教の信者でして、いまだにスバル。

(4)上の583とは違う列車だろうと思うけれど、早業で、位置を変え撮った可能性も無いではない。カメラはミノルタSR-1か、ミノルタX-700(昭和48年に買っていたかどうか不明)で、いずれにせよモータードライブではないので、不器用な私には少々、難しそうです。


今日は、ここまででお終いです。次回は、回復運転で明日!


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コメント 8

no

いつも楽しいエントリーで楽しみにしています。
浦和生まれ浦和育ちの私にはとても懐かしい風景です。いわゆる第4ガードそばだと思います。
この画像は、線路の反対側もう少し左手方向にある中学校に通っていた時代の写真ですね。懐かしい、いろいろな種類の列車を見ることができた好き時代でした。
私たちは地元びいきからか、「月光型」と言わず「はつかり型」と呼んでいましたっけ。
by no (2006-08-17 11:33) 

岸田法眼

この当時は583系全盛の時代でしたね。

この近辺の昼間は<はつかり>しか走っていなかったような記憶がありますが、朝だと<はくつる>の可能性がありますよね。また、短い期間ではありますが、<ひばり>に起用されていた時期もあります。
by 岸田法眼 (2006-08-18 01:43) 

M3Go

581系=月光型、583系=はつかり型
と呼んでいたような気がしますが??
どうなんでしょうかねぇ?? ←今日は調べる気力無し(苦笑)
by M3Go (2006-08-18 09:02) 

junya-k

mixi から来ました~♪
僕は北浦和の駅からバスで15分くらいのとこに住んでました^^

いや~ いつ見てもいいですね。。。
MU3 のブログは。。。

今回はSUBARUに惚れちゃいました!!
イイ写真ω
by junya-k (2006-08-18 16:31) 

む〜さん

成る程!!581=月光、583=はつかり、なんですね。この車輛にはよくよく縁が無く、ホームで窓を覗いた記憶もありません。
by む〜さん (2006-08-18 17:22) 

じろっち

予想した通りのREXでした。
けっこう乗ってる人、いましたよね。
私はフロンテクープ・ホンダZの方が好きでしたが・・・
by じろっち (2007-05-28 21:41) 

じろっち

フロンテクーペです。
2シーターもありました。

一般的にはかっこ悪かったフェンダーミラーですが、このクルマのは専用デザインだったので、無い方がかっこ悪いですね。


こだま系の山岳バージョンといえる「とき」は、他のボンネット特急とは風格が違いますね。
食堂車も付いてたし。
コレで10回くらい越後湯沢まで行きましたよ。
by じろっち (2007-05-28 21:53) 

服部光之

いやあ、懐かしい写真です。
私の青春時代、583にはどのくらいせわになったでしょう。
いつも、福島最終の上りは583のはつかりでした。
車内はちょっとベッドがたたみこまれていたりして窮屈なかんじがしましたけれども、足元が広くてゆったりと福島からの3時間を過ごしていました。時には食堂車にいって、ビールを飲んだり。
それから、ちょびひげの483、これも懐かしいですね。
短い編成のあいづ、当時、一番多い本数だったひばり、やまびこ、やまばと、いなほ、白山もそうでしたかねえ。
子供が小さいときには線路の傍で、1時間もいると、次から次へくる特急に時の経つのも忘れるくらいでした。
子供に、サボの図柄を教えて、遠くからわかるようにしたり、だいぶ、オヤジの趣味を押し付けていました。
今では、2人の子供は、それぞれ鉄道がすき、次男は鉄道員になってしまいました。
by 服部光之 (2007-05-28 22:27) 

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