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名鉄の1976年(2) [中京・中部地方の鉄道風景]

 前回に続き、名鉄の『国府駅付近』に居ます。このドライブの『目的』、パノラマカー7000。
 当時、ほぼ同時にデビューした小田急のロマンスカー3100に似た姿で、真っ赤で格好良かった。ヘッドマークを付けて居なかった頃の、『Phoenix』のエンブレムを付けた姿が良いのです。 もう、この1976年には、ヘッドマークがついていました。(デビュー後、一年ほどでヘッドマークがついたそうです)

 ・・・・・と、書いたのですが、友人HHさんからアドバイスがあり、訂正です。名鉄パノラマカーが、日本最初の前面客室、屋上運転台の電車で、デビューは1961年6月。そして、これに遅れること2年、1963年4月、小田急の3100形NSE車が誕生したのでした。
 HHさん、ご教示、有難う御座いました!(この部分は2006年8月25日追加)

 パノラマカーの初対面は1961年の夏の事だったと記憶します。鉄道大好きの友人たちと名鉄見物に行きました。私は豊橋まで夜行の寝台(急行大和か?)に乗って到着、友人達と合流。
 最初に行ったのが、たしか『伊奈駅』。ここに試運転中のパノラマカーが留置されていまして、じっくり、舐めるように鑑賞できました。
 その後、名古屋に行き、瀬戸線の堀川駅から、車庫のある大多喜まで乗ったり、お堀の中を走る電車を写したりしました。滅茶苦茶暑い日でした。

 さて、今回の写真は・・・・・・

(1) 

(2)

(3)

(4) このときで、一番気に入った写真はこれ。結局、正統派写真:電車のポートレートが好きなのかなあ、私は。

 パノラマカーには、このスカーレット塗装が実に似合います。美しい!しかし、吊り掛けのクルマまで、スカーレットに塗っちゃうってのは、暴挙だなあと思ったものです。同じような事は、他の私鉄でも沢山、実例はありますね。みんな、似合わないなあと思いますね。


 この写真を撮ったあと、ここまで行ったのに豊川のお稲荷さんをお参りするでもなく、東名高速を、帰ってきたのです。今考えれば、名鉄に会うだけで、豊橋まで東京から日帰りドライブ。付き合わされた家族は迷惑だったろなあと思ったりもします。

 では、また次回!!


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コメント 3

のり

私とパノラマカーとのはじめての出会いは、昭和54年の夏でした。
バイトで得た金で、流電最後の勇姿を求めて、飯田線を訪問した折です。大阪-名古屋はもちろん近鉄。名古屋-豊橋は名鉄で!あのミュージックホーンはとてもカッコよかった。ただ、時折トランジスターの関係か、高音が上がりきらずに、「短調」になっているものがあり、妙に感じたものです。また、先頭座席上部にデジタル速度計があるのですが、それが無く「成田山」のお守りがついているものがあり、がっかりした(ばちあたりですが)記憶があります。
その後、仕事の関係で、1年半ほど尾張一宮におりまして、その時はほぼ毎週名鉄を乗りまわしておりました。
by のり (2006-08-23 08:44) 

no

こんにちは。
私のパノラマカー初乗車はほんの数年前のことで、各務原線ローカルでした。空いていたので、当然先頭の展望席に座って1時間、出張合間の移動に利用とはいえ、至福の時間でした。
パノラマスーパーや空港特急など、ロゴも含めて名鉄カラーも変わりましたね。少し前までの、3400系や岐阜市内線までスカーレット塗装というセンスには共感できませんでした。
by no (2006-08-23 09:06) 

gop

名鉄旧型AL.HL車のスカーレット化は経費削減合理化目的で1975年頃から始まった様ですが、木製窓枠の車両にビビットな原色は全く似合いませんでしたね。スカーレット化された東急デハ3700(→名鉄3880)を初めて見た時は愕然としたものです。

1975年と言えば蒸気機関車が消え、鉄への情熱も冷めかけていた頃。身近に有った名鉄旧車のスカーレット化→廃車がそれに追い打ちを掛けた事は否めません。3400や510が無くなり7000系も風前の灯火となってしまいましたね。寂しい限りです。以下1974年のパノラマカー。
http://blog.so-net.ne.jp/987/2006-03-05-5
by gop (2006-08-23 12:12) 

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