SSブログ

南海電車:汐見橋ターミナル [2000年の旅]

 今日は2000年1月のことを書きます。超弱小個人的メルマガ『お出かけ通信・メール版(現在休刊状態:発行部数20数部)』の部分的再録です。写真は新しくリタッチしました。

 2000年1月23日、1999年春に退職して以来、初めての一泊二日・大阪電車観光に行き、かつては同じ会社に勤めていた事のある、Nさん、大阪在住の超鉄道愛好者の方の案内で京阪などを見物し、難波のホテル南海というビジネスホテルに宿泊。翌日、一人で南海・阪堺とかに、乗っている。

 1月24日、昨夜、早く寝たおかげで、朝の目覚めは好調でした。シャワーを浴びて、サッパリした気分でホテル1階(・・・・だったかなあ?)のミスタードナッツで、ドーナッツと珈琲の朝食です。食事をしながら今日の予定をどーしようかと考えたのですが、結局、南海電車の汐見橋駅に行く事にしました。昭和29年、初めて関西に電車に乗りに来て以来、行って見たいなーと思いつつ果たしていなかったのです。
 そのあとは、阪堺電気軌道に何処かから乗って、恵美須町ターミナルを見て、鶴橋で韓国料理でも食って、近鉄アーバンライナーで名古屋へ行き、そして締めは新幹線で新横浜、帰宅と言うスケジュールが出来ました。

 チェックアウト後、荷物を難波の近鉄の出札窓口近くのコインロッカーに預け身軽になって、出発です。

 退職した勤め先の大阪支店に一寸顔を出し、挨拶の後、地下鉄の桜川駅に近い、南海電車のターミナル、汐見橋駅まで行きました。
 交通量の多い大きな交叉点の、すぐ近くに、ひっそりと、まるで隠れているような駅があって、そこが『汐見橋駅』でした。
 昔は、賑わったのではないかとも思うが、如何なんだろう。たしか、高野山へ行くラインの始発駅だったはず。思い違いかもしれないが。

 汐見橋駅は、まるで昭和30年代の思わせる姿でした。改札口の上の壁には、昭和30年ごろの南海電車の沿線案内図が、まるで古寺の壁画みたいに古色蒼然とした古び方で架かっています。これは必見の物件です。

 駅はプラットフォーム1本のシンプルなもので、古びた駅本屋とともに、これが、本当に、あの高野山ゆき電車のターミナルだったのかと疑ってしまうような雰囲気です。

(1) 順序が滅茶苦茶ですが切り張り写真。左上が汐見橋駅の正面。高速道路がかぶる交叉点の脇にありました。

 何度見ても、この南海の新社標は、なじめません。やっぱり羽車が良かったなあと思うのは、まあ、歳の所為なんでしょう。

(2) ウイークデイの午前中、ホームに人影は無く、寂しい眺めでありました。
 改札口の上に沿線案内地図が掲げられていました。なにしろ130万画素のデジカメ、買った当時は最新式だったけれど、今見ると実に、ひどい画像です。

(3) 地図だけ拡大してみたのですが、何だかぼやけたモノになってしまいました。果たして今でもこの地図は在るのでしょうか? いまだに掲げられているのなら、これはもう、写しなおしに行かねばなりません。

(4) やってきたのは2連の2扉車です。ナンバーは2202ともう一両。この駅には昔風の濃緑色の車体、鉛丹ペイントの屋根、2扉17m車が似合うなあと思いつつ乗車。

(5) (4)のもう一両なのですが、残念ながらナンバーが良く写っていません。

(6) 電車車内。

 電車は出発し、東京で云えば東武の亀戸線を思わせる沿線風景を眺めながら、汐見橋~芦原町~木津川~津守~西天下茶屋~そして岸の里玉出駅までのんびり走ります。途中の木津川駅は何本かの貨物側線があり、昔は、例の南海タイプの凸型電機機関車が貨車を引いて出入していたのでは・・・と想像が膨らみました。

・・・・・・と、云うわけで岸の里玉出に着きました。南海本線と高野線のホー
ムは、かなり離れていてV字型に配置されています。

(7) 南海本線のホームから見た、私の乗って来た編成です。

 私は、その後、阪堺電車に乗るために駅から出る事にしました。駅員さんに道を聞いて阪堺電軌の天神ノ森まで歩きます。細い小路を何とか迷わずに天神ノ森の停留所に着けました。
 このとき訪問した阪堺電軌に付きましては、以前、このブログでご紹介しました。もしよろしかったら、下記のURLから、ご覧下さい。
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/2006-06-23


 では、また次回!!!!


nice!(0)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 9

よだば

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%90%E8%A6%8B%E6%A9%8B%E9%A7%85

地図まだあるようですね。
by よだば (2006-09-17 09:44) 

ヒロクン

汐見橋というなにか郷愁を誘う駅名ですね。大阪に住んでいたとき地図を見て行かなければと思いつつ大阪に居るからいつでもの気持ちで行かずじまいでした。とても風情があっていつまでも残して欲しいですね。電車も旧車のグリーンが断然マッチしますよ。mu3さまのおっしゃるとおり電車マークも羽根車がいいですね。同様に僕は阪急も創始時代のマークがいいと思うのですが
僕のブログも秋が来て一部更新しました。鉄道日記まだ写真はありませんが鉄道10の質問を設けて自身が答えていますが第三者的見方で見ると鉄ちゃん度がよくわかるものですね。お暇なときに遊びに来てください
by ヒロクン (2006-09-17 10:14) 

む〜さん

wikipedia見に行って来ました。地図は残っているらしいですね。こんど行ったときには、きっちり写してこようと思います。

電鉄会社の社章は、CIだか何だか判りませんが、どんどん変わって行きます。残念な事です。こう言うものは余り変えるべきではないと思うのですが、如何でしょう?
南海の羽車は、難波の高島屋玄関の頭上にありますが、一つしか残っていないとも聞きます。阪神電車の稲妻軌条、阪急の都市市章の組み合わせ、東急の羽根軌条、小田急の小の字マーク・・・・・残っていてもあまり表面に出なくなったみたいです。(阪神はまだついていたかな?)
by む〜さん (2006-09-17 10:45) 

のり

汐見橋駅の案内地図は、現存しているはずです。たしか(現物には)一番下の方に、「この案内地図は、昭和30年代のものです」という添え書きがあったと思います。南海電車が、紀勢線にまでつながっており、南紀直通華やかなりし頃を偲ばせています。淡路島にもちゃんと鉄道線路が書かれています。「淡路鉄道」は車輛の関係で、南海とも縁が深かったようです。
むーさん様のおっしゃる通り、汐見橋駅は、貨物列車が活躍していたようです。
私の子供の頃の記憶にも、汐見橋駅(現在のホーム)の直ぐ西側に、貨物列車が止まっていたシーンがあります。「木津川駅」も、木津川縁にあり、貨物の集散地だったのでしょう。その痕跡がありますね。
汐見橋線の車輛は、旧22000系、いわゆる通勤ズームカーです。2000系の登場により、山を降りて、支線区用に改造され、汐見橋・高師浜・加太の各線で余生を過ごしています。
汐見橋線は、デイタイム30分間隔と言う、大都会のウルトラローカル線!岸里玉出の一つ隣、「西天下茶屋」は、NHKのドラマ「ふたりっ子」の舞台になったところでした。
by のり (2006-09-17 11:35) 

no

こんにちは。このエントリーを見て、南海電鉄について調べてみました。今回の汐見橋線ばかりでなく、廃止された天王寺支線など、興味深い経緯があったのですね。長いこと大阪に本社がある会社に勤め、嫌になるほど大阪通いをし時間もそれなりにあったのに、このわずかな距離を縮めることができなかったのは残念でなりません。汐見橋駅、阪神西大阪線が延長されたらどうなるのでしょう。後悔しないように早いうちに訪問予定を作りたいものです。
by no (2006-09-17 14:12) 

岸田法眼

高野線の起点の汐見橋はさびしい限りですね。ほとんど複線という“すれ違わないローカル線”です。
この路線は大阪環状線の大正駅からテクテク歩いてたどり着いたことを思い出します。
by 岸田法眼 (2006-09-17 19:18) 

のり

今日、家族で難波へ出たついでに、南海難波駅の御堂筋側正面玄関を眺めてまいりました。
羽車の紋章は、正面2箇所に一つづつ、合計二つありました。鳩除けの針が痛々しく感じられますが、風雪に耐え美しく輝いておりました。まぎれもなく日本最古の私鉄「南海」の始発駅である証です。
難波駅前には、丸井が近日オープンします。「キタ」に押されっぱなしだったミナミの逆襲が始まろうとしているようです。
by のり (2006-09-18 22:05) 

む〜さん

おお、あのテラコッタ(たぶん)の紋章、2箇所にありましたか。よかった~!
鳩よけのトゲトゲが、みていて辛いですね。でも、仕方ないか・・・・。
南海電車の歴史を感じますね。
東京では、こういう記念物を意外とアッサリ取り外しちゃうところがあるので、困ったものだと思います。関西って、こう言うものを大事にする気風があるような気がしますが・・・・如何でしょうか?
by む〜さん (2006-09-18 23:33) 

のり

関西が古いものを大切にすると言う方程式は、正しいかどうかは分りません。
ただ、古くても使えるものはそのまま使うと言う考えはあるようです。いわゆる関西流の考え方でしょうか。しっかりしたものを作って、長持ちさせる・・・
ただ、方針が変わるとか、建替え・更新などで、そう言うものをあっさりと捨て去るのも関西かもしれません。阪急梅田駅の旧コンコースなどもその例でしょうか。南海でも、高架前の「天下茶屋駅」6番ホームは、明治の面影を残す素晴らしい上屋でした。高架に際して取り壊されましたが、しばらくは、高架工事の資材置き場に、移築状態で置いてありました。しかし、いつのまにか取り壊されてなくなってしまいました。とても残念です。浜寺公園駅も、世間の皆様は、本屋のみに注目しておられます。しかし、和歌山方面行きのホーム待合室は、すごい建物です。高架工事に際して、駅舎はともかく、この待合室はかなりの確率で取り壊される運命にあると思われます。
by のり (2006-09-21 00:11) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。