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近鉄あやめ池遊園地のデボ1保存車 [関西電車旅2001年]

 今日の話題は『近鉄モ200形』にしましょう。初対面は昭和30年の春の事でした。高校2~3年の春休みに合わせての修学旅行。往復貸切客車列車での京都奈良観光。
 3月30日でしたが奈良・西ノ京の『薬師寺』を見学しました。私は前を通る近鉄橿原線が気になって、勿体無い事に、ご本尊さまも拝むことなく、近鉄線路に貼り付きました。その時の主役がモ200形。なんという優美な姿でしょう!!しかも木造、一目で好きになりました。
 モ200形は大正3年(1914年)、大阪~奈良間の大阪電気軌道開業時に製造されたデボ1形の、近鉄となったのちの形式だそうです。

(1) モ219他のモ200形三連。丸い前面に五つ窓の木造車。

(2) 同じく、モ200形の三連。

(3) 少し後の大学生時代、昭和31年の7月、四国旅行の帰りに立ち寄った近鉄奈良線。上六駅で見かけたモ461は、モ200形とほぼ同形ながらすこし大型のデボ61(後のモ260形)の、鋼体化更新車。貫通タイプで私好みの車体でした。

・・・・・・が、このように鋼体化されず、木造のまま廃車となり消えて行った、モ200形が、製造時の姿に復元されて、近鉄あやめ池遊園地に展示保存されていると聞き、関西在住の鉄道愛好家の方のご案内で、見学に行ったのです。

 このときの旅は、2001年11月、2泊3日の旅として、関西の電車見物の旅でした。尼崎駅前の、HOP INNなるホテルを根城に、大阪・奈良を回りました。
 1日目は、OTSニュートラムに乗った後、友人Wさんと一緒に阪堺電車を全線乗り、鶴橋で焼肉と行きたかったのですが、おりしもBSE問題で、まあ、牛は止めて鶏にしようとタッカルビを食し、Wさんと別れて尼崎で一泊。翌日、JR東西線、環状線で天王寺まで行き、近鉄南大阪線の、あべの橋から、さくらライナーで橿原神宮。そこで、関西在住の鉄道愛好家のMさんと会って、近鉄橿原線・京都線・奈良線をご案内頂き、あやめ池遊園地までやってきました。 

(4) お目当てのモ200/デボ1保存車は、遊園地の奥の方に、きちんとした屋根の下に、大切に展示されておりました。(旧デボ14→モ212だそうです)

(5) お顔です。

(6) 救助網と螺旋式連結器。

(7) 台車。

(8) 大阪電気軌道・・・・大軌の社標の飾り文字。

(9) 解説板もきちんとしたものでした。

 15時少し前、今回の旅のビッグイベント、モ200との大感動のご対面を終わって、満たされた気持で、近鉄あやめ池遊園地を後にしました。親切に、ご案内頂いたMさんとお別れし、近鉄奈良線で大阪に向かったのです。 そのあと、また尼崎のホテルに泊り、旅を終えました。


 2004年6月、あやめ池遊園地は諸事情で閉園となりました。このデボ1形→モ200形の保存車の、その後を心配したのですが、2005年6月、五位堂にある『五位堂研修車庫』に保存されたのだそうで、ほっと致しました。


参考文献&HP:Wikipedia、鉄道ピクトリアルNo.569『臨時増刊:特集・近畿日本鉄道』を参考に致しました。

 このページの2001年の写真はすべてオリンパスのデジカメC-830L、130万画素機によるものです。480×360pixelくらいでしたらそこそこ実用になりますね。安心しました。

 今週は、いろいろと宿題も多く、ブログの更新も、少なめになりそうです。まあ、1日おきには更新しようとは、思っていますが・・・・・。遅れた時は、ご容赦下さい。

 では、次回!!!


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コメント 6

のり

近鉄の木造車3連、とても美しいですね。
正面5枚窓の同タイプの電車は、他の私鉄にもずいぶんあったようです。私の記憶にも、大阪環状線の車窓から、そのガード下を行く同タイプの電車を見た記憶があります。おそらく京橋駅付近だったと思うので、京阪だと思うのですが、1~2歳の時のころの記憶ですので、全く定かではありません。
近鉄の200型は、花園町での凄惨な事故(奈良発上本町行の急行電車が、生駒トンネルを走行中にブレーキが利かなくなり、猛スピードで生駒を下って、先行の普通電車に激突し、多数の死傷者を出した)をきっかけに、橿原線などの平坦線での運行が中心になったと聞きます。
大手私鉄の木造電車としては、長命だったそうです。
保存車体の写真を拝見するに、南海大阪軌道線の「モ101」が保存されていたらなぁ、と思ってしまいます。
by のり (2006-09-18 13:25) 

no

こんにちは。
モ200、きれいなスタイルですねえ。こういうデザインを観ると、人間の感性の底知れぬ可能性を感じます。コンピューターでは表現ではない「行間」ですね。
単に古いものが好きなだけかもしれませんけれど。
もともとはポールだったのですね。台車はブリルでしょうか。メカニカルな感じが好いですね。
橿原線時代の、前照灯がおでこに付いて、行き先表示(種別表示?)板がある姿、なかなか凛々しい感じがします。
by no (2006-09-18 18:24) 

む〜さん

モ200の台車はたしかボールドウィン社製でした。形式はちょっと思い出せませんが・・・・。
この電車、良い姿ですね。このような形の電車は京阪とか、阪神、南海にあったし、阪急にもありました。このいわゆる卵型電車は大正時代のトレンドだったんでしょうね。
by む〜さん (2006-09-18 18:50) 

gop

前面5窓の半流形、しかも窓上部にはコーナーR、叡山電鉄デハ20にも通ずる如何にも古都の情景に似合う車両ですね、薬師寺を見ずにこちらに張り付いたむ〜さんのお気持ちも判る様な気がします(^^  ちなみに私は薬師寺も好き、西ノ京には友人が住んでいるのですが、そう言う人に限って電車にもお寺にも興味無いんですよね。ある意味どちらも究極の木造建築と思うのですけど。今週は私もちょっと古い地方鉄道、載せようと思っております(む〜さんにはとても敵うものではありませんが)お暇な時にご笑覧下さいませ。
by gop (2006-09-19 01:03) 

quatre-l

なんと品のあるデザインでしょう!
昔のデザインには、現代のそれのように妙な「遊び」のない真摯な姿勢で設計された潔さがあると思います。
たたずまいが凛としているんですね。
素晴らしい!
by quatre-l (2006-09-19 06:08) 

む〜さん

■■♪♪ kazu様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2012-01-26 20:37) 

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