関西電車巡り1977年(3) [関西電車旅1977年]
■ 昭和52年、夏、約30年前、昔のスライドから、関西電車観光の旅をお届けしています。
■ 阪神電車で神戸 ■
約30年前・昭和52年の何月か忘れましたが小学校夏休み期間中の夏のある日、多分、土曜か日曜日。7歳の次男との日帰り関西旅行。
京阪電車京阪間ノンストップ特急3000で大阪・淀屋橋に到着。地下鉄御堂筋線でひと駅、梅田まで来ました。
(1) 今回は神戸に行きます。往路は阪神電車、復路は阪急電車に乗るのです。なんだか、今日は、ワクワクのしどうしです。
阪神の梅田駅。ここから特急に乗ります。いまの梅田駅って、雰囲気は当時とあまり変わっていませんね。1番線には普通電車の5210が居ます。
(2) 乗った特急は7850。
(3) この追いぬき施設のある駅はどこでしょう?地平だし、拡大すると先で左に曲がっており、赤胴車が停まっている。この感じですと西宮でしょうか・・・。梅田方面行きのホームには特急が入っております。
(4) ここは、間違い無く西宮でしょう。この複雑で左右対称形の線路配置、背後の山並み・・・・・。
(5) 神戸の高架区間に入りました。例に拠って何処の駅かは判りません。信号機が待避線を思わせます。と、すると住吉でしょうか?梅田行きの普通電車は5253。
(6) 三ノ宮に到着して下車します。須磨浦公園に向けて電車は出て行きます。当時、この車体の下端が丸まっているのが好きでしたね。
(7) 神戸・三ノ宮の地上に出ますと目前には『そごう』のビル。歴史を感じさせる建物です。現在はどうなっているのでしょうね。建てかえられちゃったのでしょうか・・・・・。百貨店の建物って意外と更新しないような気もします。東京日本橋の高島屋、三越など、昔のままです。
壁面に大きく書かれた『阪神電車』の文字に関西を感じます。『待たずに乗れる阪神電車』なんてフレーズを覚えています。阪神・阪急・国鉄の三つ巴の戦いを感じます。
■ そんなこんなで、神戸です。日帰りの旅なので、落着く暇も無く大阪に戻らねばなりません。大阪へは、阪急。それは、また次回!!!
(1)の写真は、わざわざホームの神戸寄りに行かれたのですね。御堂筋線側からは、反対側ですね。といっても、先頭車に乗られるのでしたら当然ですか・・・。現在1番線は、ラッシュ用で、普通車は通常4番線から発車しています。当時は、全く逆で、普通車は通常1番線でした。
(3)は、西宮駅で間違いないと思います。現在は、高架化され、風景が一変しています。
(5)は、直線の行き付く先が御影駅のカーブのようですので、間違いないと思います。
三宮のそごうは、阪神大震災により、甚大な被害を受けたので、外観はすっかり変わっていますが、交差点部分(写真の部分)のアールは形だけ面影を残しています。
阪神電車は、阪神大震災により、壊滅的な被害を受けましたので、とくに芦屋以西の風景が激変しています。豪華だった架線支柱も、上半分が切り取られ、かつての面影は全くありません。しかし、2年後の難波延長を控え、大きく変貌を遂げるようです。
by のり (2006-12-04 12:43)
昭和29年から33年の5年間阪急沿線の箕面・豊中に住んでいましたのでどの写真も懐かしいです。阪神電車で高減速・高加速のいわゆるジェットカーがこの頃導入された記憶がありますが、どうでしょうか。
阪神に何回も乗りましたが、つり革につかまっていても加速・減速すると身体が前に後ろに持っていかれそうになったことを覚えています。
阪神は阪急と違って駅間距離が短く身体がよろめきそうになる回数も多いです。結構スリルがあるっていうか、出張して仕事が終わると行きが阪神・帰りが阪急でなぜかmu3さまとまったく同感の気持ちでした。
最後の写真も大阪には二度住んでいたのですが、京都・宝塚・神戸行き阪急電車のりばという大きな看板に驚き、なんで東京で川崎・横浜・横須賀・浦賀
行き京浜急行電車のりばという看板建てないんだろうと考えたりしてました。
でも今でも各社の大きな看板見るとここは関西だなあと感慨を覚えますね。
by ヒロクン (2006-12-04 14:29)
こんにちは。
西宮駅の線路配置にはそそられました。地型や運用の都合による必然なのでしょうが、こうあってほしいと一ファンが夢見るような線形ですね。
それにしても、関西の私鉄ターミナルは立派ですね。私は残念ながら震災前の三ノ宮は知りませんが、一極集中の首都圏とは違う、都市の懐の深さを感じます。
by no (2006-12-04 15:01)
■ 実は、私、昭和30年代に入った頃までの阪神電車の車両が好きだったのです。勿論、他の電車も好きですけれど・・・・。
オール電動車5連で曲線をものともせず、警笛を吹鳴しながら高速で突っ走る、800番台の電車たち。好きでしたね~。
中央運転台のバンドマン電車・・・玉子形前面の801、後に叡電に行った831。
硝子面積の広い、2枚折り戸貫通路の、喫茶店とか言われた851、861、881など、今でもそのイメージを思い出す事が出来ます。
by む〜さん (2006-12-04 23:50)
「曲線をものともせず、警笛を吹聴しながら高速で・・・」素晴らしい表現ですね。まさに、阪神!
電車は変わっても、この頃はまだそんな走りっぷりでしたね。尼崎センタープール前辺りの高架工事の際も、仮線で、100キロを出すものすごさ!
「プップー、プップーーーー」独特の鳴らし方が印象に残っております。
by のり (2006-12-05 08:37)
■ 昭和29年初見参の阪神。踏切の多さは物凄いもので、小さな踏切でも『音だけの警報機』がついていました。踏切警手のいる踏切は閉めたときには警手が昼間は旗を振る(夜は電灯を)のです。前頭部で見ていると、直線部など、遠く向こうまで白旗が並んで振られました。
電車の警笛は押し方で音の高さが異なる構造のようで、面白い音でしたね。警笛はペダルでなく、コントローラーとブレーキ弁のあいだに床からバーが伸び、先頭にノブが付いて居りました。そこを、運転士さんが手で押しさげました。
昭和29年の初めての関西電車旅のときは、今津の線路から離れたところに居た、兄の下宿に泊まっていたので、阪神の今津駅に行くとき、当時残っていた田圃の中を歩くのですが、向こうの家の影から、この汽笛が聞こえるのです。もう、走った行きたいくらいの嬉しさ。そんな、電車少年む~さんでありました。
そんな日も、50年以上の彼方になりました。
by む〜さん (2006-12-05 09:31)
5200ですか、そろそろ廃車も近い頃ですね。
7850、7800のラストナンバーで2000に改造されて健在ですが、来年の乗り入れに伴う1000の投入で廃車になるんですか?
1000のオレンジに黒、「敵」のイメージカラーで好きになれません。8000の更新車のオレンジでも違和感があるのですが。
by なにわ (2008-10-09 21:30)
■ なにわ様: たしか、2001年以来、阪神電車はご無沙汰です。近鉄との相互乗り入れに際して、乗りに行きたいものと画策中です。
オレンジに黒なんて『利敵行為』は、如何なる理由があろうとも許せませんね。(笑)
by む〜さん (2008-10-09 21:57)