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東急池上線御嶽山駅 [お出かけ通信  1~ 50]

■■ お出かけ通信(35) ■■

 2006年12月11日・月曜日、いいお天気なるとの予報に、ついでの用件もあり、私の育った辺りを走る、東急池上線の御嶽山駅辺りを歩いてきました。
 生まれて23歳で結婚するまで住んでいたところなので、45年前のものが沢山ではありませんが残って居るのに遭遇すると、非常に懐かしかったです。

 13時半過ぎに、小学生時代の私の定番遊び場の池上線踏切あたりから歩き出し、御嶽山駅(ここも、遊び場)、周辺の商店街、新幹線になってしまった貨物線・品鶴線の先の方まで行ってしまいました。ひたすら、懐かしく、幼い日、若かった日を想って懐かしさにセンチメンタルになってしまう私でありました。
 途中、。休息のコーヒーブレークを挟んで、16時半ごろ迄、ふらふらしておりました。

(1) 池上線と言えば、この門形の高圧線鉄塔。電車は1000系の1322。

(2) 御嶽山駅前にはスーパーのJUSCOもかなり前に出来ていました。7700系の7908です。

(3) 7700系の7710・・・・東横線の地下鉄乗り入れ車7000としてデビューした当時から何年になるでしょう。いまだに矍鑠として頑張っています。

(4) 昭和30年代とほぼ同じ形で健闘中の御嶽山駅本屋。たしか昭和20年代の建造と記憶しますが・・・・・ひょっとすると昭和30年ごろだったかもしれません。

(5) 五反田行きのホームの構造物も懐かしい木造。これまた本屋と同じ頃のものです。

(6) 御嶽山の駅名は駅から2分くらいかな・・・・御嶽神社に由来します。

(7) ホームに入って若き日を想う。昭和30年代中ごろはデハ3100、3150、3200、3300、3400、3450・・・・等々、懐かしい居釣り掛け車が大活躍でした。
 写っている電車は1000系の1320。線路の鉄板張りのところは橋梁で、下は新幹線に、横須賀線、湘南新宿ライン、Nexが頻繁に行き来しています。

(8) 駅前商店街は、なかなかの賑わいです。電車は7700系。

(9) 夕暮れどきの御嶽神社。境内では幼い日の私が遊んでいてもおかしくない雰囲気が残っております。

(10) 薄暗くなった御嶽山駅。7700系7906が五反田に向けて発車します。

(11) 蒲田行きの1000系1014。

■ いろいろあって、帰宅は20時過ぎになり、かなり疲れましたが、考えてみると、途中で珈琲ブレイクを挟んで、約3時間、歩き回っていたのです。たったこれだけで疲れを感じる歳になりました。考えてみるまでも無く、70歳が見えているんですから無理もありません。


■ 次回は、再び『関東鉄道常総線2005年』の続きです。では!!


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コメント 7

ヒロクン

これまた懐かしい東急池上線です。今はスマートな銀色が輝く1000系が走っていますが、実は会社の寮が品川区荏原にあって秋葉原の会社と寮の間を戸越銀座から五反田まで毎日お世話になったものです。
その頃の池上線は緑一色の3輌連結でした。当時の思い出は、今も昔の木造の駅舎、ホームの屋根に残っています。
五反田駅と言えば今でも川の上に設置されてる小さなホームを見上げることができますね。地下化の計画はないのでしょうか。
by ヒロクン (2006-12-12 13:10) 

む〜さん

■ 池上線は私の若かった頃から3両編成のブルーとオレンジの黄色のツートンカラーの電車が、のんびりお客さんを運び、のどかな雰囲気に溢れておりました。沿線も開発され尽くした感じで乗客の変化もあまり無いのでしょう。
五反田の高架は山手線を越え都心に向かう計画の為だったと聞いた事があります。
by む〜さん (2006-12-13 00:02) 

I.Z.

初めまして。I.Z.(イーズィー)と申します。
今まで以前のサイトのころから何年も訪問して読ませていただいておりました。
遅ればせながら、blogの開設、おめでとうございます。

私は毎日多摩川線の武蔵新田の駅を利用しています。
ですから、今回むーさんさん(?)がカメラに収められていた車両にもよく乗る機会があります。鉄道誌では“都市型ローカル線”などと書かれることもある池上線&多摩川線ですが、案外ハイテクに固められた路線でもあったりするので、駅舎やホームの屋根が木造であったりする駅構造物との待避がなかなか面白いと思っています。

池上線には残念ながらあまり縁がないのですが、御嶽山駅から蒲田方面を望んだ最後の写真の情景は、乗り慣れた武蔵新田駅から蒲田駅方向を眺めた時と印象が似ていますね。
そんな武蔵新田駅とも、来年上半期の会社の引っ越しに伴ってお別れしなければなりません。
それまでの間、充分に堪能したいと思います。
by I.Z. (2006-12-13 00:15) 

’80XE PA96E

>70歳が見えているんですから無理もありません。
私の親父殿と同い年?でしたね。でも3時間歩き回れるのはまだまだ体力ある方では。私の親父もまだ仕事して、原付ですがバイクで通勤しております。まだまだ元気してますね。私のほうが負けそうです。
by ’80XE PA96E (2006-12-13 00:16) 

む〜さん

■ I.Z.様: 未だに多摩川線ってネーミングが実感できずに居ます。目蒲線のころ、昭和30年代の中ごろ、下丸子駅のそばに鉄道模型店があり家から自転車で通いました。
武蔵新田は、子供の頃、新田神社に一回、行ったことがあります。
■ '80XE_PA96E様: あと1ヶ月少々で69歳です。50を過ぎたら、なんだか自分的には歳をとって行く気分がしなくなりました。鏡を見るとがっくりですがね。あとは私の仕事、社交ダンスの踊れる時間が、時とともに短くなってきています。数字で現れるってのは、具体的なので・・・・・。歩き回れるうちに、国内外の色々な鉄道を見たいものと思っています・・・・・が、先立つものの大問題が!!
by む〜さん (2006-12-13 00:47) 

京葉帝都

池上線の7700系頑張っていますね。5月に乗った北陸鉄道石川線も同系列の東急車がベースで2両ワンマン運転でした。池上線はとても魅力的で開業時からの施設や落ち着いた住宅地の風景と共に何か癒されるものがあります。歌手の祝友子さんの「池上線」など多くのミュージシャンに歌われてきました。石川台駅、池上駅などの木造駅施設は味わいがあります。また構内踏切は乗降しやすくなっています。高圧線を兼ねた立派な架線柱は鉄道と電力供給が一体となっていて合理的です。中間に普通の架線柱があるため架線は普通のタイプでしょう。これに対して京阪の複々線区間の高い架線柱間のスパンは長いためか、架線はコンパウンドカテナリーであったと記憶しています。大崎広小路〜五反田の駅や高架施設はNY地下鉄の高架駅を感じさせます。
by 京葉帝都 (2006-12-13 03:02) 

む〜さん

■ 京葉帝都様: 池上線の門形高圧線鉄柱は昔のママを改修して使用中です。以前は、一本おきに立っていた架線柱は鉄製アングル組みたての柱でしたが、現在は無粋なコンクリート。仕方ないと言えば、その通りですが・・・・。
五反田駅の高架構造は鋼鉄製で、確かに日本ばなれしておりますね。子供の頃、あの高さは、ちょっと怖かったです。とくに島式ホームの先端から見下ろす目黒川は怖かった。
五反田駅は『駅ビル、駅百貨店』で、のちに東急になる白木屋が入ってました。昭和20年代は、その4階(3階?)がキャバレーで、名づけてカサブランカ、砂漠の不夜城と書いてあったのを思い出します。キャバレーの何たるかを知らなかった私でした。もっとも、そっちの方は今でも???なんですが。
by む〜さん (2006-12-13 09:03) 

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