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薄口_関西電車の旅2002(1) [2002年の旅]

■ 今からもう5年前になってしまいました。あの日韓ワールドカップの年、2002年の夏、8月5日~6日の二日間、当時30代前半だった次男が関西への旅に誘ってくれました。息子が小学生、中学生時代には、度々、一緒に電車を乗り歩いたものです。そんな頃から、何年経ったことでしょう。本当に久し振り、一泊二日の二人旅でした。このとき彼の興味の対象は鉄道からすでに離れており、歴史的物件へと移っておりましたが、私はそっちの方も好きなのです。

■ コースは、東京~新幹線~米原~レンタカーで、彦根城・近江八幡、大津市坂本を回り京都まで~京都で一泊~近鉄~奈良県橿原市今井町~近鉄~京都~新幹線~東京のコースで、オプションもありましたが、赤文字がメインの御馳走。

・・・・・・と、言うことで、電車は現場到達の為の手段って訳で、今回のシリーズは、申し訳無いのですが、電車は、それほど出てきません(少しは出ますが)。まことに、済まんことです。

 彦根城~近江八幡~大津(坂本)~京都 

(1) 早朝に家を出て東京駅までやってきました。乗る列車は思いっきり早い6時33分発の、新幹線ひかり141号。
 当然、アサメシは未だなので東京駅の駅弁になります。『深川めし』w/ミネラルウオーター。穴子に鯊、浅蜊(かな?)が乗っています。

(2) ひかり号は普通に走って米原で下車します。昔の米原駅と違って近江鉄道の米原駅は少し離れた駅前広場の向こう側にありました。逆にJR駅が後退したのかもしれません。

(3) 駅前の小さなお店がJRレンタカーの代理店らしく、車を受け取る。マツダの・・・車種は忘れましたが何でしょう?デミオでしょうか?ファミリアでしょうか?

(4) 最初は彦根城。天主にも登り近くの庭園、たぶん玄宮園とか、博物館も見物しました。

 彦根の町を一寸出て、旧・中仙道の宿場町『鳥居本』の古い街並みも眺めてきました。

(4) お次は近江八幡。古い家の残る落着いた町でした。下の写真は・・・・。
・ (左上) 白雲館。明治10年の学校建築。
・ (右上) ヴォーリズ記念館: 教師、宗教家で建築家だそうで、メンソレータムの近江兄弟社を立ち上げた人らしい。
・ (左下) 何だか判らない由緒のありそうな古い家。
・ (右下) 古い街並みが綺麗に整備された一角もあった。

 琵琶湖につながった水路ではTV?の時代劇のロケをやっておりました。コンビニでお握りを買い、公園で食す。

(6) 近江八幡を出て、琵琶湖大橋を渡り、堅田・雄琴から大津市坂本の、名は忘れましたが、お寺の庭園を拝観。『鶴喜蕎麦』というお蕎麦屋さんで蕎麦を食べました。4年も経つと味のほうは忘れています。

 たしか、この蕎麦屋さんの近所に京阪電車石山坂本線の終点、坂本駅がある筈なのですが、立ち寄っていません。これでは、電車ファンの名が泣きますね!

(7) 坂本から下鴨大津線を走り田ノ谷峠を越えて京都の街に入り、何処を如何走ったか、上加茂神社まで行きました。神社付近のお屋敷街を散策。
 京都駅近くに来て京都国立博物館のライトアップされた建物だけ眺めました。これで、今日のドライブはおしまいです。宿近くのレンタカー業者に車を返却し、宿に入りました。

(8) 右が泊まった宿、APA HOTEL 京都駅前店。駅近くだし、宿賃も忘れたけれど、安かった筈です。息子と連れ立って食事に出て、京都駅八条口のさるお店でお好み焼きとかで夕食を済ませてしまいました。


■ これで、宿に戻り寝てしまいました。続きは明日か明後日になりますが、またも、電車味の薄いルポになる筈です・・・・・一寸は出ますけど。


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コメント 7

のり

坂本の蕎麦は、関西では知る人ぞ知る逸品です。足で踏んで捏ねるので、腰が、少々違います。写真の店だったかどうかは定かではありませんが、30年ほど前に父と食べた味が忘れられません。具は湯葉の上に土生姜のすったものを載せただけの、いたってシンプルなものでした。
by のり (2007-01-20 11:53) 

Muta

米原駅はJRの貨物用のスペースが駅前広場になった為、
離れたように見えるだけです。
が、今はJRの傍へ移転工事をしています。

レンタカーは初代デミオですね。
by Muta (2007-01-20 18:28) 

no

米原駅は変わってしまいましたねえ。東側本屋から地下道をくぐっていく立派な下りホーム、あの階段を囲うホームの木の柵や洗面台が好きでした。
昔は、その無くなった1番線から階段を使わずに行けた近江鉄道も近づいてくるようですね。

彦根や米原の湖東地区は、傾斜の緩い瓦葺の立派な家が並んでいます。
切妻の棟のすぐ下に、家紋を書いた、喚起窓を塞いでいる板が必ず打ち付けてあり、独特の風情があって、近江だなあ、と思いました。
by no (2007-01-20 21:33) 

京葉帝都

坂本は穴太衆積みの石垣が魅力的な街並みだと聞いています。湯豆腐屋さんもありそうなので訪れたいところです。江若鉄道が廃止される直前の京阪坂本駅では国鉄の連絡切符が発売されていて東京行の切符もありました。比叡山観光の東のポイントだったのでしょう。私もかつて米原駅でレンタカーを借りたことがあります。近江鉄道の米原駅の写真を見ているとかつて(一部は現在も)北陸本線のそこそこの駅に寄り添うように繋がっていた私鉄線が思い浮かんできます。
by 京葉帝都 (2007-01-21 02:06) 

Tango

むーさん始めまして

米原駅は10年ほど前に始めて乗換えのために降りました。
東海道線のホームは少年時代に鉄道ジャーナルで見たE10がいた頃の雰囲気そのままの印象でした。

一昨年、昨年と乗換えで再度ホームに降り立ちましたが何故かここだけ新幹線が高架でなく地上駅なんですね。
1時間に「ひかり」「こだま」それぞれ1本づつしか止まらず待ち時間つぶしに駅の様子を観察してしまいました。
by Tango (2007-01-21 12:46) 

ヒロクン

近江鉄道は西武グループなのでしょうか。以前6回ほど仕事で乗りました。
新幹線の工事で景観が損なわれるということで国鉄が賠償金払った有名な話がありますね。夏の暑い日、日野町から米原まで乗ったらたった二人で、急に雷がなって大雨になって2輌の全部の窓が開いていて、二人で走って窓を閉めた経験がありました。そんな思い出のある鉄道です。
沿線光景は僕はいいと思いました。
by ヒロクン (2007-01-21 15:57) 

む〜さん

■ 米原駅って街が小さいのに駅が大きい、不思議な駅だなあと、子供心に思っておりました。東京よりのトラス跨線橋はまだあるのでしょうか?
子供の頃から近江鉄道を眺めるのが楽しみでしたが、今日に至るも、未だ乗っていないのです。

確か、近江鉄道は西武系だった筈です。電車の色とか、バスの色が如何にも西武。確証は無いのですが。
by む〜さん (2007-01-21 21:40) 

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