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70年代:関西電車-Ⅱ(11) [1970年代の関西電車]

■ 1976年+数年(0~2くらいかな?)のある日、たぶん6月。十三駅で暫く行き来する阪急の電車たちを眺めたのち、京都は河原町行き特急電車にのって京都に向いました。そこからが、今日のお話。

■■ 阪急電車・特急に乗って ■■

 たった三枚の運転室前方の風景なのですが、阪急の沿線風景は殆ど判らない私なので、沿線を表現する文章も書けません。仕方が無いので、二枚はクイズ仕立て・・・・です。

(1) 対向車は大阪市営地下鉄、60系って云うのでしょうか・・・・6003です。ホームの時計は10時25分。方向幕の文字は、ぼやけておりますが、『動物園前』と、読めないでもありません。1976年、地下鉄堺筋線、天下茶屋まで行ってなかったのでしょうか・・・・。
 ・・・・・ここで、「第一問」、ここは「なに駅」でしょう?

(2) 梅田行きの特急6300系の6351です。「第二問」は、「ここはどの辺り」でしょうか?です。2000年頃に買ったアルプス社のプロアトラスで、調べてみたのですが、1970年代から2000年までの30年、道路の状態も変わったことでしょうから・・・・・。右カーブ、平行する広めの道路、向こうの山の姿あたりが、ヒントでしょうか・・・・・。

(3) これは、私でも判りますので、クイズになりませんね。「桂駅」です。嵐山線の電車が居ました。710系714を先頭に4両編成。かつての京阪間の特急として、丸い特急マークを左右にふたつ付けて疾走した710も、この頃には支線での運転を受け持っておりました。

■ フィルムの次ぎの駒は、河原町交叉点での京都市電と変わっています。それは、また明日!!


■ ・・・・・・と云う事に致しまして、今日はちょっとタイムマシンの日付設定を20年ほど遡らせてみました。時は1956年・昭和31年・7月・・・・・・えっ!俺、18歳だ。鉄道少年だったんだね~、こんな写真。

(4) (3)の嵐山線で働く710系714と同じ形式。彼等の栄光の時代だったのでしょうか・・・・762+XXの2連、赤地に白い文字(だったでしょうか・・・・記憶、怪しい)の『大阪・特急・京都』の標識を前面に二つ並べた晴れ姿です。
 撮影場所は、梅田を出て直ぐだったと思われます。こっちの電車は神戸線の三宮行き特急。

 この頃は、梅田~十三間は複々線で、宝塚線と京都線は共用しておりました。

(5) 十三です。京都線の梅田行きホームには、デイ100一党の急行が入っております。

(6) 私の乗った特急三宮行は、勿論、西宮北口を通ります。平面クロス、写真、撮ってありました。車内からのいい加減なものですが・・・・・・。

 今津線のホームには、今津・宝塚の標識で500形500が居ました。左のホームには、みのお・宝塚・仁川方面のりば、右のホームには、今津・阪神国道方面のりば、とあります。従業員用の踏切が斜めになっているところが面白いですね。

  この、三枚の写真は、私のホームページ『む~さんの鉄道風景』にある「1956年7月:京阪神電車めぐり~東海地方の私鉄をちょっとだけ」に収録されておりますので、お時間がありましたら覗いてください。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link1193.html


■ では、また明日!!!!!


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コメント 13

ヒロクン

こんにちは、阪急の懐かしい写真は、今は貴重ですよ。
西宮の立体交差はこの間VRMでお送りしたものとずいぶん違ってましたね。
平面交差は2回ほど出かけてみたのですがレイアウトを忘れて記憶のみで作成しました。
神戸線から宝塚線への渡り線は人家を隔てて向こうにあるとは知りませんでした。この写真特に今は廃止されたのですごい貴重です。
ありがとうございました。
by ヒロクン (2007-03-11 12:22) 

ヒロクン

すいません、いい遅れました。阪急神戸線の700系フォルム見てこれぞ阪急という感じですね。僕がいた当時は神戸線700系全盛でした。
京都線は鎧武者のような大型デイ100系(新しい形式忘れました)がこれがまた涙が出るほど嬉しかったです。
わが宝塚線は小ぶりの顔が縦長の500系と路線3線皆異なっていて個性が光っていた時代でした。
そして極めつけは、独特な女性アナウンスの抑揚のない棒読みの個性的な「お待たせしました、3号線宝塚行き急行ただいま発車いたします」という声でした。
by ヒロクン (2007-03-11 12:33) 

たーサン

 第一問は上新庄駅でしょう。
第二問はちよっと判りません。昭和31年に撮影された711系二連特急の標識の色は赤地に白文字です。神戸線特急も同じでした。
 むーさん様は920系に始まる旧阪急タイプがお好きなんですね。私も同様ですので嬉しく拝見しています。
by たーサン (2007-03-11 15:37) 

昭和阪急神戸線

管理人様> はじめまして。 西北平面交差の写真を 涙ぐみつつ見ています。 ああ、なつかしや! 音まで聞こえてきそうです。 6号線に停車中の宝塚行き電車は 500系でしょうか。 この平面交差を16番のレイアウトに再現する夢を持っています。 時代設定は 昭和30年から40年においています(このころ 西北を通って通学しておりましたので)。 本当に良い参考になります。 良いものを拝見しました。 ありがとうございました。
by 昭和阪急神戸線 (2007-03-11 17:33) 

’80XE PA96E

(4)以降のの写真は生まれてないのでさっぱりわかりません。でも昭和のよき頃の景色が、今の雑然とした風景より魅かれますね。
(6)の写真の駅は、嵐電の駅舎に似た感じの所があったような気がしましたね。
by ’80XE PA96E (2007-03-12 01:14) 

のり

昨日(3月11日)、所用で京都線を利用して河原町まで出かけたとこなのに・・・。もっと気合をいれて見ておけば良かった。
(1)は、私も上新庄だと思います。消去法で行っても上新庄しか残らないと思うのですが・・・
(2)は、よくわからないのですが、京都府下へ入ってからの風景だと思います。長岡天神・西向日・東向日・桂・・・このあたりかと・・・おそらく桂駅の手前付近ではないでしょうか。間違っていたらごめんなさい。
by のり (2007-03-12 08:52) 

服部光之

もう20年以上前ですか。大阪鶴見緑地で花博がありましたときに、息子2人をつれて、大阪へ行きました。
花博は申し訳で、弁天町の交通科学館、海遊館、梅小路蒸気機関車館のほうがメインでした。大阪から、京都への移動に阪急京都線に乗りました。
特急で、通勤時間明けの時間帯で、途中淡路と十三、京都に入って西京極、四条大宮しか止まらなかったような、快適な乗り心地で、好いているものですから、次男はBOXシートに大の字になって寝ていきました。
そんなことを思い出しました。
40年以上前に、阪急神戸線に乗って、三宮から梅田へ向かうときに、西宮北口の平面交差を見て驚きまし。写真では出ていませんが、神戸線から見ると電力線の高い鉄塔が象徴的に見えたものでした。そして、神戸線の前をゆっくりと交差線を渡っていく電車、通過を待つ神戸線と今思い出しても懐かしいです。あの交差はなくなってしまったのですか。それも、時代の流れなんでしょうね。
懐かしい思い出をありがとうございました。
by 服部光之 (2007-03-12 10:04) 

ハウ

むーさん、こんにちは。
(4)京都線の線増以前の写真てすごいですね。
(6)昭和31年ですと、私生まれてません。記憶にある平面交差とはずいぶん雰囲気が昔風ですね。これは走行中の車内から撮ったものですよね!?むーさんの撮影技術のすごさが出てますね。
平面交差は昭和59年に解消されましたが、よくもまあ大規模なクロスで大事故が起こらなかったのが不思議なくらいです。
by ハウ (2007-03-12 10:10) 

む〜さん

■ ヒロクン様: 西宮北口駅の平面交叉、中々のいかめしさでしょう?鉄柱に囲まれた四角い空間に、賑やかな架線と供に、異次元的な雰囲気を感じました。宝塚線と神戸線をつなぐ渡り線は、大きくカーブを描いたホームとともに、郊外電車と、市内電車の両雰囲気を持っていました。この人家みたいな屋根は、連絡地下道の入り口の屋根です。
 梅田駅の女声のアナウンスはキングレコードの17センチLP、鉄道シリーズ『阪急』に入ってますね。聴いていると、気分は、もう梅田駅です。
■ たーサン様: 矢張り上新庄駅ですか・・・・以前、このブログで出しましたが、この駅で降りて、電車撮影をした事があります。でも、この写真を見て、上新庄と断言できない、ややボケっぽい私です(笑)。
 900、920、810、710、500・・・・・こんな昔の阪急タイプが凄く好きなんですよ。あまり話題に出ませんが『戸袋窓のすりガラス』なんて、素敵でしたね。
■ 昭和阪急神戸線様: 写っている電車は500形のNo.500です。神戸線の920みたいな、小型の2ドア阪急タイプで、こじんまりとまとまった、素敵な電車でした。
■ '80XE_PA96E様: 西宮北口駅、輻輳する電車、賑やかな駅でしたが、なにかのんびりした感じもしたものです。なるほど、嵐電ですか、どの辺りでしょう?帷子ノ辻から北のへ行く線も良い雰囲気でしたね。
■ のり様: 所用で、河原町ですか。阪急に乗るのが日常的なあたりにお住まいの方が羨ましいです。
 (1)はやはり上新庄なんですね。走行中の電車から撮った写真。なかなか場所が思い出せないものです。その点、ムービー(ビデオ)は、長時間記録の為、あとで、わかりやすいですね。
■ 服部光之様: 花博・・・・ありましたね。私は、花博はおろか、『あの万博』も、見ていないのです。鶴見緑地は、リニア地下鉄が出来た頃、乗りに行きました。駅から出ませんでしたが。
 こうして、ブログを書いていると、ますます、関西電車への憧れのキモチが高ぶってきます。
■ ハウ様: 京都線はもとが、新京阪で、天神橋が始点でした。その後、阪急となり、梅田駅に乗り入れたようですが。詳しい事は判りません。その辺りは研究書もあるようですので・・・・・。
 北口の平面交叉は、たしかに、大事故は無かったようですね。考えてみると、関西には平面交叉が、方々にありました。阪急、京阪、等々、郊外電車と市電の交叉が多かったですが・・・・。
by む〜さん (2007-03-12 21:10) 

昭和阪急神戸線

ハウ様: S34からS40まで 西宮北口のダイヤモンドクロスを渡って通学していました。たしかS35だったかと思いますが、朝の通学時に、1本前(神戸線神戸行き、各駅停車、2号線)の電車が停車せずに ダイヤモンドクロスをオーバランしました。幸い今津線電車が来ていませんでしたので どてっ腹にぶつかることは無かったのです。 しかし、クロス手前の脱線ポイントで脱線し、そのままクロスを通り過ぎ、対向する3号線停車中の梅田行き各駅停車(普通列車 800系)に擦り寄って右に傾いてとまりました。 おかげで800系の屋根が剥けて 木製であることが確認できました。 小生は一本後ろの電車で直後に現場に来て、そのあとは2駅あるいて登校しました。 一本前に乗車していた旧友は軽症でした。当日の夕刊に出ましたので古い新聞を捜せば出てくると思われます。それ以前にも平面交差で脱線事故はあったように聞いたことがあります。 とにかく西北のダイヤモンドクロスわきの信号場の職場は 毎日神経をすり減らして仕事をされていたこと、想像に難くありません。 平面交差がなくなったのは さびしい限りですが 安全度が向上したことは事実かと思われます。
by 昭和阪急神戸線 (2007-03-13 10:43) 

む〜さん

■ 昭和阪急神戸線様、ハウ様: 昭和35年にそんな事があったのですね。私が社会人になった年ですね。その頃は、関西地区の事故情報は、遠く離れた東京辺りの新聞紙上に大きく出る事はあまりありませんでした。何たって特急こだま号の時代で、新幹線は無かった。東京の新聞に出れば、それは大事故。
 現在では、ニュースの伝わり方も滅茶苦茶早くなりました。受け手側も、TV、ラジオ、新聞、NET・・・・それだけ、日本全国が一体化してきたのでしょう。

 上の(6)の写真にも写っておりますが、『申し訳』みたいな脱線転轍機が踏切を渡る職員さんの足元に見えています。

 京阪には多数の平面クロスがありましたが、一番気になったのは、伏見の京都市電との平面クロスで、他は特急停車駅近辺が多かったのに、ここだけは通過駅。一回、下車してじっくり見てみたかったのに、何時の間にか消えてしまいました。
by む〜さん (2007-03-13 12:41) 

ヒロクン

この掲示板阪急ファンが沢山コメント書いておられてとても楽しいです。
む~さんから阪急西宮北口の写真見せていただきこれを参考に鉄道模型VRMで阪急電車が梅田中津ー十三間で淀川橋梁を渡る3複線の電車と西ノ宮駅の平面交差を再現してみましたのでよろしければど~ぞ。
なおWINDOW-VISTAにアップグレードしたら音が出ない、解像度が下がりやむなくXPに戻しましたがパスワード忘れて新しく上記のURLに変更しました。
by ヒロクン (2007-03-13 20:43) 

む〜さん

■ ヒロクン様: 電車関係のシミュレーションソフトは私はやった事がないのですが、こういうソフトを操るヒロクン様は凄いと思います。
 VISTAにアップしたら音が出ない・・・・これは、以前、XPをSP2にしたら音が出なくなりました。メーカーのサイトから対策済みのサウンドドライバをダウンロードして組みこんで解決した事が有ります。解像度の問題は良く判りませんが、やはり、PCメーカーさんのサイトに解決のヒントがあると思いますが如何でしょうか?
by む〜さん (2007-03-14 00:34) 

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