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少しだけ阪堺南海近鉄1986年 [1980年代の関西電車]

■ ひとつ企画があるのですが準備不足で、まだ製作できて居ないので、今日は『小間切れ写真』でいきます。なんだか、やっつけ仕事みたいな気がしないでもない。ま、ご勘弁下さい。

 なにか、良いネタが無いかと透明プラスチックコンテナに入れてある(叩き込んであると行った方が適切かも・・・・)昔のネガフォルダーを引っ掻き回していたら、こんなのが出てきました。
 関西旅行の写真なのですが、如何見ても最終日の帰り道、その前の分が有るのでしょうが、これが行方不明。皆さん!フィルムの整理整頓管理は抜かり無く致しましょうね。若いうちなら覚えていても、70歳も近くなると完全に忘れますよ。

 阪堺・南海・近鉄特急 

 次男と一緒に関西を旅していたようで、その最終ステージのようです。まず、撮影年月がわからない。例によって、写りこんでいる次男の写真をプリントして、我が家の年齢鑑定士・・・・家内だね・・・・に鑑定してもらった。着衣も含めて出た結論は、1981年の3月か4月

(1) どうやってここまで来たのでしょう。阪堺電軌の住吉公園駅です・・・・たぶん。小林庄三氏の『阪堺電軌・和歌山軌道線』によれば、電車はモ301形304で、モ161からの改造車とのことです。

(2) ・・・と、なりますと、ここは『南海電車の住吉大社駅』でしょうか・・・・更に、1981年には駅名が『住吉公園』から『住吉大社』になって居たかも未検証。ごめんなさい。ホームの時計は13時59分。
 難波・浜寺公園の方向板をつけた電車は、何形でしょう?1501?7001?7101?判る方には簡単な問題でしょうが、私には???です。これから、難波に向うところです。

(3) 南海電車の大ターミナル、難波駅に来ました。今にも発車しそうな電車は、特急四国号、只今の時刻は14時09分。電車の形式は・・・・・・・。

(4) 14時15分発の急行和歌山市行き。しかし、この頃の南海カラーって素敵ですね~。

(5) (4)の写真の後、フィルムには近鉄難波駅の雑踏写真の駒があって、すぐビスタカー30000系の車内。次男の写真を撮っていたら、向こうにも記念写真を撮る人が居た。この頃って、皆さん、ビスタカーの2階に乗るって、嬉しかったのですね・・・・きっと。私もはしゃいでました。

(6) 名張駅のホームには特急通過退避中の電車が居た。こういう写真ってリタッチが凄く難しいんですね。向こうの日の当たっている風景、電車のこっち側の車体の色、駅事務室の壁、ホームの屋根。ちょっとやってうまく行かないので投げてしまった私って、根性無しだなあと思いますね。(笑)。

(7) 名古屋につきました。ビスタカーの二階に乗ったことが余程嬉しかったのでしょう。次男に撮影させてます。20年前の自分の写真を見て、うわ~っ、若いねえと感心してしまいます。なんたって、まだ、50歳前だもんね。

 このときのカメラは、フィルムを良く見るとセコニックのセレン受光素子の露出計が写りこんでいます。たしかセコニックオートルミL86・・・・かな?。
 ・・・・・・・と、言うことは、カメラは露出計内臓でない、ミノルタSR-1です。当時はASA(当時、もうISOになってましたっけ)400のネガカラーに、F4-35ミリレンズ、フラッシュ無しで、出かけたものです。

(8) 近鉄名古屋(近畿日本?名古屋?)ホームで、ここまで乗ってきたビスタカーです。始めて乗ったとき、お顔は気に入らないけれど、仕上げの良い造りだなあと思ったものです。

■ この駒でお終いになっています。まあ、新幹線で帰ってきたのでしょうが・・・・。

では、また次回!!!


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なにわ

(1)の阪堺301は161を連結可能にしたのではなかったのでしょうか。
誰か突っ込みを入れてください。
(2)は冷房改造前の7001です。
(3)は冷房改造されている1001です。撮りに行くようになったころは引退していました。
(4)は7101です。阪急がマルーンを維持したことで、企業イメージを守ったのですが、こちらはステンレス車体に合わせた妙な塗り分けが・・・。
(5)~(8)の近鉄特急、14時30分の乙特急か15時00分の甲特急でしょうか。退避電車に立ち客までいるようなので、宇治山田ゆきの急行、ということは14時30分の乙特急でしょうか。
名古屋17時前に到着して、そこから新幹線だったのでしょう。
by なにわ (2007-03-24 12:10) 

’80XE PA96E

ダブルデッカーは2階席が人気がありますね。京阪で淀屋橋から帰る時たいがいは2階席の方が早く埋まってるような感じがします。私は気分次第でどちらにするか決めてますが。
by ’80XE PA96E (2007-03-24 12:14) 

NO NAME

む~さん様、こんにちは。
(2)は非冷房の7001系で専ら普通車として運用されていました。
方向板が懐かしいです。
(3)の電気部品は、現在サザンの10000系に流用されています。
お写真の1000系は1500V昇圧時に、7101系と同じ電機機器に取り替えられました。
by NO NAME (2007-03-24 12:35) 

住吉人

NO NAME (2007-03-24 12:35) の記載は「住吉人」でした。
大変失礼いたしました。
by 住吉人 (2007-03-24 12:37) 

ヒロクン

なつかしの南海なんばターミナル、堂々としていて阪急ターミナルと同様にいいですね。関西にいる人の特権です。
東京ではこういうターミナル探そうとしてもありません。
しいて言えば小田急新宿駅といってもホーム数が少ないし、皆こじんまりとしています。深緑と淡い緑の2カラー、南海の特徴が出ていたのですが。
by ヒロクン (2007-03-24 13:44) 

ハウ

南海電車の緑色はなつかしいです。現在の塗装になったときは面くらったのですが、最近の1000系を見るとこれもいいなあと思っています。
by ハウ (2007-03-24 14:15) 

まぢ3号

毎度ど〜も。(^。^)
1)モ304は、平野線の混雑緩和対策のためにモ161から重連総括制御化されました。
しかし、連結運転はすぐに止めてます。なにか問題があったものと思いますが、不勉強ながら知りません。(^^ゞ
301〜305の五両改造されているはずです。

2)『南海電車の住吉大社駅』
ピンポ〜ン! 正解です。
住吉公園駅は、高架化と同時に住吉大社駅になりました。
また、同時に大阪軌道線は、本体の南海電気鉄道から分離して阪堺電気軌道になってます。
普通電車は、7001系です。
天下茶屋工場で聞いた話ですが、この頃までは車体が冷房ユニットの重さに耐えられないので、冷房化はムリって言ってました・・・。(^^)
この電車は。結局冷房化されて元気に走ってますよね。

3)の特急は、1001系。
元の11001系後期型。1500V昇圧時に電気品をリニューアル?して1001系と改められました。住吉人さんの書かれた通りだと思います。

4)〜 ビスタカー
インテリアが新製時のままですね。懐かしい写真です。
3000系がデビューした時、試乗会に行きました。

6)の画像から、名張に停車しているようなので、名阪乙特急なんでしょうね。きっと。(汗


7)。。。
お若いです。って言うか、今のワタシと同年代です。(w


追記;
先日の浜寺公園の保存車ですが、旧こうや号はみさき公園に保存されてたんですね・・・。
ワタシの思い違いでした。
NAMさん、ありがとうございました。

でわまた。。。
by まぢ3号 (2007-03-24 15:22) 

manamana

関西私鉄は、どぎつい色合いが多い様な気がしていましたが、南海は、結構渋い色合いでしたね。
それと、ビスタカーの車内、あの色合い、覚えがあります。今でもたまに2Fに乗ると、わくわくします。
ちなみに、私も写真のむ〜さんと同じくらいの年です。
by manamana (2007-03-24 20:55) 

のり

161形は、平野線連結運転用として16両製造され、製造当初から連結器を備え、総括運転が出来たと記憶しております。戦災復旧なのでしょうか、戦後一部が、制御装置を自動加速に替えて301形に改番されたり、151形からの編入などで、161形は15両になりました。青雲塗装は、現在モ351形に受け継がれています。小林庄三氏の『阪堺電軌・和歌山軌道線』によれば、「304」は、旧「176」だそうです。
(2)は、住吉大社駅です。正月3ヶ日は、2・4番線の柵を外して、特急・急行が停車します(通常は普通しかとまりません)。
(3)は、1001系。11001系の流線型タイプを、昇圧時更新したもので、皆様のおっしゃるとおりです。私の大好きな電車でした。グリーンのラインの太さがちょうど良く、20m車に流れるような美しい印象を与えています。
2階電車は、いいですね。通常とは違う視界が楽しさを倍化させると思うのです。
by のり (2007-03-24 21:55) 

岸田法眼

阪堺電軌の画像は好きですね。夏をイメージしたさわやかさが気に入ります。

南海のカラーはなつかしいですよ。南海ホークスもこういう系統のユニホームでしたからね。大阪球場は“カケラ”だけが残っています。
by 岸田法眼 (2007-03-24 22:51) 

まぢ3号

のりさんの書き込みを見て、軌道線のモ151、モ161、モ301型について調べてみました。
ワタシの先の書き込みの内容は、高校時代に仲間から聞き齧った情報を元に書いてしまったので、色々間違った事が解りました。
話をややこしくしてしまったようで申し訳ないです。m(__)m

鉄道ピクトリアルNo.457 1985年12月号
<特集>南海電気鉄道
に鉄道、軌道線各車輌の解説がありました。
以下、その中からの要約です(詳細は本誌をご覧ください)
151型 在籍:151〜154の4両(製造は10両)
161型 在籍:161〜175の15両(製造は16両)
モ151型は単行運転用として製造。
モ161型は間接総括制御の連結運転用で、151型とは用途と番号の違いだけ。小型のトムリンソン式密着自連を装備。
151、161、301は形態が類似。
301型 在籍:301〜307の7両(改造は7両)
151、161型の一部からS24〜27年に改造された。
制御器を東芝製の多段コントローラーとしたもの。

なお、連結運転については「自動車の増加と地下鉄御堂筋線の延長に伴ない、昭和35年以降連結運転は中止となってしまい、密連も撤去された。」との記述があります。

以上、長々とすいませんでした。
by まぢ3号 (2007-03-24 23:39) 

no

こんにちは。
81年時点では、まだ四国号の「ヒゲ新」でしたっけ、走っていたのですね。
万博の頃賑わった列車だったように記憶していたのですが…、といっても、そうか25年前ですものねえ。
by no (2007-03-25 01:43) 

skywave1493

初めまして。自分の生まれた時期がこの頃なんですが、この時期の南海と近鉄はこんな感じだったんですね。駅自体は今と基本的に変わっていない所も多いですが、車両やカラーは時代を感じさせますね。ビスタカーは中学の頃、今のように内外装が更新される直前に乗った事があるので懐かしいです。
by skywave1493 (2007-03-30 13:34) 

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