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関西電車巡り1980年(1) [1980年代の関西電車]

■ 1980年・昭和55年の8月26日~27日の二日間、当時10歳の次男を連れて「関西電車巡りの旅」をしました。その時のアルバムを見つけたのですが、フィルムがどうしても出て来ないのです。捨ててはいない筈なので、フィルムは押入れの中の何処かにある筈ですが、ま、それはそれとして、アルバムから直接、スキャンしてしまうという『暴挙』に出ました。粘着紙の上にプリントを並べ、ビニールシートでカバーするっていう構造のアルバムなので、はがすのが大変なのです。色も、シャープさも、いま一つなんですが、フォトショップで頑張ってみました。

 今日から、14回にわたって、断続しながら、ご覧頂こうと思っております。

 取りあえず滋賀県 

 今回は、ともかく滋賀県までのコースです。電車に乗る旅なので、変わったコースを使いました。 多分何時もの通り、小田急の各停で小田原まで行きました。超早朝出発なので急行電車が無いので、まどろっこしいが仕方が無いのです。小田原からは、その頃、常習的だったコース、東海道の各停で熱海まで来ました。

(1) 熱海駅の東海道本線下りホームです。懐かしい形の洗面所です。洗面所なんて最近の駅ホームでは見かけませんね。私の影響でタイガース贔屓の次男です。10歳、遅生まれですから4年生ですか・・・・・。左のお弁当屋さんは開いてますね。朝食を買ったかどうかまでは覚えている訳もありません。

(2) 熱海からは新幹線。小田急~小田原・熱海の在来線コースを使ったので大人・子供で1,500円は浮いたと思われます。(笑)。名古屋まで新幹線のこだま号、新名古屋から名鉄特急・・・・当時は高速という名だったかどうかは、わかりませんが。そして新岐阜です。(豊橋から通しで来た筈は無かろうかと・・・・)

(3) 国鉄の岐阜駅は近いので、わざわざ名鉄岐阜市内線に乗ったということは無かったでしょう。国鉄岐阜駅のホームに居ます。洗面所です。鏡がついてタイル張りの本格的『駅洗面所』。
 左の柱の大阪方面の文字が、次ぎの(4)に写っているのと同じ書体です。バックは貨物列車だし、たぶん岐阜駅なのでしょう。鏡に映った40代に入ったばかりの私の背後に、隣のホームの気動車が写っています。岐阜駅だとすると、左の鏡中の、次ぎの駅名は『きそがわ』かもしれません。

(4) 国鉄、岐阜駅5番線。時刻は11時45分、165系の電車が入ってきます。これに乗ったのでしょうか・・・・。

(5) 持っているのは『鱒寿し』です。多分、米原で乗り継ぎの時に買ったのでしょう。フィルムをルーペで見れば、お弁当屋さんの名前とお値段くらいは読みとれると思われますが、プリントからのスキャンでは、とてもダメでした。この113系各停に乗って、車窓を流れる近江の地を眺めつつ、賞味したのでしょう。

■ そして、石山まで行き、下車。いよいよ関西圏の私鉄と御対面ですが、それは、次回と言う事で、今日はお終いです。


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HIRO

みなのんびりとした古き良き時代の写真ですが、この中の岐阜駅、沼津駅の洗面所を見て思い出しました。僕は大阪に住んでいたとき京都の友達と夜行急行「月光」「銀河」で上京すると沼津あたりで夜が明けてホームの洗面所で顔を洗ったものです。越後湯沢ではお湯が出ていましたね。

名鉄特急、日本で始めてのパノラマ特急です。運転室が2階でワイドな展望窓はなにもさえぎるものはなく新岐阜ー豊橋までスピードのある迫力満点でした。本線をかっこよく走っていたこのパノラマカーも今では支線の急行、普通に格下げされているようですね。
最近のパノラマ特急同なんでしょうか。

そのあと関東でも小田急特急、近鉄ビスタカーが出てきたような気がします。
蛇足ですが「鉄道ファン」の創刊号が名鉄パノラマカーで雑誌見て鉄道も新しい時代の到来だと思ったものです。
1980年の頃はまだこんなにのんびりしていたんですね。
by HIRO (2007-04-16 10:55) 

服部光之

名鉄パノラマカーのいいところは、特急料金を取られないことでした。
一番前には座ったことないですけれども、風景が横にながれるのではなく、風景を切り開いていく感じにうっとりとしました。
by 服部光之 (2007-04-16 14:42) 

no

こんにちは。
熱海駅、スカ色は伊東線ですか。湘南色ではなかったのですね。
懐かしい岐阜駅ですねえ。特急も停まった駅の割には静かで、それでいて広くて、とてものんびりした感じの駅だったですねえ。
ワフですか。
国鉄のにおいがするようです。
by no (2007-04-16 15:19) 

なにわ

もう、この頃でも世知辛い時代だと思っていたのですが、のどかさを感じますね。
伊東線は、旧型国電の頃からスカ色だったというのは、湘南電車との誤乗防止だったのかもしれません。

洗面所、次々と消えてゆきましたねえ。10年ぐらい前までは米原に残っていましたが、駅前再開発で消えてしまいました。
鏡に高山線用のキハ55?が写っていますね。
高架前の岐阜駅ホームはこうだだっ広い感じでした。今は駅弁屋もありません。

鱒寿司は米原の井筒屋のものですね。この翌年に買って食べています。ここのマスは醒ヶ井ので養殖されたことを公言しています。ただ、今は1100円もするんですよね。
113系で米原-京都をダラダラゆくのが苦痛でしたが、いまなら贅沢といわれるのでしょう。
それよりも、ガラス越しに見えているのは471系の「くずりゅう」でしょうか。
by なにわ (2007-04-16 18:34) 

む〜さん

■ HIRO様: 夜行列車は寝台車は少なく座席が多かった。かなり砕けた格好でグッスリとは眠れない夜を明かした老若男女。朝の大駅は停車時間が長めで、みんなホームに降りて洗面。これまた、当時の旅の思い出です。昭和36年夏、名古屋方面に名鉄探査の旅。何処に何が居るなんて情報も無かった時代で、それも、楽しみの一つ。夜行急行大和の3等寝台を張り込んで早朝の豊橋で下車しました。名鉄の伊那駅だったかで、試運転の7000パノラマカーに遭遇。あれは、大感激でしたね。
■ 服部光之様: 名鉄パノラマカー、約一年遅れた小田急ロマンスカー3100、前頭部に席は取れずとも、立ち見で両側に流れ去る風景を楽しんだものです。小田急の7000や10000、そして50000、元気ですよ。運がよければ指定席も取れないでもありません。一度、新宿~箱根湯本に、お出かけ下さい。
■ no様: この頃の大きな駅って何処でも、何というか風格がありましたね。新橋だって、品川だって、遠くに旅する空気が何時も流れておりました。
 岐阜駅の洗面所バックの貨車は、たぶんヨ5000でしょう。ヨ6000では無さそうです。
■ なにわ様: 1980年、まだまだ、探せば客車列車も乗れました。中央東線だって、EF64の引く客車列車があり、大月~八王子間、乗ったりしました。
 鱒寿しは井筒屋さんでしたか。醒ヶ井の水清き養魚場の鱒と言ってましたね。特殊寿しの走りでしたが、美味かったなあ。
 米原~京都間、夜行急行の座席車で目覚めた、ぼやけた目に、田圃の稲の中に立つ鷺の真っ白な姿が目に焼き付いております。
by む〜さん (2007-04-16 19:56) 

服部光之

今までにきし麺を色々食べたけれども、一番おいしかったのは、下りの銀河で名古屋に夜の暗闇が明けない早暁に食べたホームのきし麺でした。
確か、一番後ろ、東京方にあったと思うんですけれども。
by 服部光之 (2007-04-16 20:23) 

む〜さん

■ 服部光之様: きしめん・・・・美味いですね。ちゃんとしたお店で食うのが美味いんでしょうが、私は、やっぱり駅ホームでの立ち食いが美味しいですね。たしか、花かつをと、ほうれん草のの茹でたのが乗っかってた気がする。東海道在来線ホームの東京寄りにはいまでも、きしめんのお店が有ったような気がしますが・・・・。何方かご存知でしょうかしら・・・・・。
by む〜さん (2007-04-16 20:51) 

のり

なつかしいなぁ、あのホームのきしめん屋さん、まだ健在でしょうか。たしかに今まで食べたきしめんの中で、私も一番美味しかったように思います。
といっても今から25年以上も前の話ですが・・・。駅とほうれん草だけに、きっと「鉄分」たっぷりだったのでしょうね(笑)
洗面所といえば、神戸駅にも、上りホーム上にとても立派な洗面所があったのを記憶しております。今でもあるのかどうかわかりませんが。
名鉄パノラマカーは、たしかもうすぐお別れのはずです。思いではたくさんあります。本当に素晴らしい特急電車でした。
by のり (2007-04-16 22:59) 

じろっち

ハトヤのCMに、スカ色伊東線が登場したことがありますねえ。
30年くらい前かなあ。

ホームの水飲み場って、JR東では絶滅の感がありますね。
キオスクと組んだのがその理由とか。
そのキオスクが労使問題で求人難だそうです。
客が多い時間帯でも閉まっているのは、従業員が確保出来ないからだそうです。
(スイカ導入にあたり職人芸(暗算)が不要になるため、時給ダウンや報奨金?カットをやったらしい。)
by じろっち (2007-04-16 23:04) 

じろっち

形式によって車体デザインがばらばらな相鉄が、横浜開港150周年を機に、新デザインに統一するそうです。
確かに、バスは統一されてるのに電車は・・・って感がありますね。

しかし、公営でもないし臨港部にも縁の無い相鉄が、なにゆえに開港150周年を機に、なんだろうか?
by じろっち (2007-04-16 23:10) 

む〜さん

■ のり様: パノラマカーのスカーレット塗装での登場は素晴らしかったですね。特急などのヘッドマークは無く、真中にPHOENIXのエンブレム。実に格好よかった。しかし、スカーレットが良いとは言っても、釣り掛け車にスカーレットは無いだろうと思ったものです。わたし的には旧型車はグリーンが似合いました。
■ じろっち様: たしかに先日、横浜駅京浜東北のホームで飴玉を買おうと思ったら閉まってましたっけ。
 相鉄の新デザインって車体の色を統一するんでしょうか?多少は楽しみですね。開港150年か・・・昭和30年代中ごろ2年ほど住んだ横浜ですが、未だに、ふるさと感があります。良い街でした。以前、相鉄には柳原良平さんの船のイラスト電車もありましたね。
by む〜さん (2007-04-16 23:26) 

服部光之

なんだか食べるものの話ばかりですみません。
ホームの洗面所がなくなってきたと同時にこんなものも見なくなったような気がします。
ホームでのお茶の差し替えやさんです。
窓が開かなくなったので時間も短いし、商いとして成り立たないということなんでしょうか。
列車が駅に着くと、大きな湯気の立っている台車に、駅によっては蒸気が笛になっていたり、そして、特大のやかんをもって、お茶ー、お茶ーという声が聞こえたものですけれども。
黒磯駅では、夏は麦茶、冬はなめこ汁というのもありました。
by 服部光之 (2007-04-17 11:45) 

む〜さん

■ 服部光之様: そうですね、『お茶の入替え』ありました。ちょうど『お弁当屋さん』『お茶屋さん』『洗面所』、三横綱の揃い踏みみたいなシーンがあります。だいぶ以前にアップした私のホームページから・・・・。
時は昭和37年の10月。場所は東海道本線静岡駅。新幹線はまだ走ってません。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link807shunkan.html
こんなホームの風景も、今は見られ無いと思いますが、如何でしょうか。
by む〜さん (2007-04-17 12:42) 

hajime

熱海駅の洗面所がすごい!
洗面所って、今あまり無いんですよね。
門司港駅しか覚えてないなあ。
by hajime (2007-04-17 22:07) 

じろっち

相模鉄道サイト内にある開港150周年のバナーをクリックすると、デザイン統一の記事があります。
JR製車両と同じにするみたいです。
by じろっち (2007-04-17 23:12) 

む〜さん

■ hajime様: だいたい、ホームに降りたって洗面する習慣が無くなっちゃいましたものね。存在理由が消滅・・・・洗面所も消えました。なんだか、思い出が消えちゃうみたいで、寂しい想いです。
■ じろっち様: 相鉄のHP、見てみます。有難う御座いました。
by む〜さん (2007-04-17 23:32) 

manamana

113系に冷房がないのと、パノラマカーの連結器周りがすっきりしているのと、洗面の向こうの貨車(ヨでしょうか)と、すべて懐かしいですね。
洗面所は米原に最近までありましたが、今はどうでしょうか。
by manamana (2007-04-18 20:46) 

む〜さん

■ manamana様: パノラマカーはデビュー当時は、ヘッドマークは無く、フロントアイも無く、じつにすっきりしていました。いろいろ着飾って、判り易くはなりましたが、賑やか過ぎて・・・・。
あの貨車は多分、車掌車ヨ5000形だと思います。このあと車掌車は、ヨ6000、ヨ8000と、段々、安っぽくなりました。
by む〜さん (2007-04-18 20:59) 

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