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関西電車巡り1980年(4) [1980年代の関西電車]

■ 1980年・昭和55年の8月26日(土曜日)~27日(日曜日)、10歳の次男と共に関西電車の旅。京阪の京津線で京都は鴨川べりの三条駅に到着。今回は、ここから南へ向います。編集の都合で、図版が超少ない、ご免なさい。「関西電車巡り1980年」8月26日(土曜日)のお話です。

 京阪電車に乗って南へ 

 これから、奈良へ行くのですが、京阪電車の三条駅から南へ。コースは、京阪の三条~伏見稲荷~国鉄・稲荷駅~国鉄奈良線~奈良・・・・で奈良へ向かったのです。

(1) 何が何でも京阪特急に乗りたかったのでしょう。七条で下車して次ぎの各停を待っています。三条行きの特急、おなじみの3000系最後尾は3004が目の前を通って行きました。向こうの鴨川に掛かる橋は正面橋。こんな素敵な景観の駅も、地下に潜って消えちゃいましたね。

(2) たぶん、これに乗ったのでしょう。宇治行き普通電車スーパーカー2000系の2016、後続の形式2200、2400と比較して、なんと言っても、この大目玉がチャーミング。

■ これに乗って二つ目の伏見稲荷駅で下車、国鉄奈良線の稲荷駅に向かいます。400mほど歩けば着いちゃいます。


 編集の都合で、今日の『関西電車巡り』はこれで、お終いなんですが、それでは、あまりにもあっけないので、オマケです。昨日、2007年4月22日のお話・・・・・。

■ JR東・横浜線に成瀬という駅があります。快速も停まりませんが、私の住んでいる、よく神奈川県と間違えられてしまう、『東京都町田市』のありまして、駅近くに市立の総合体育館がある。そこで、私の関係している、市のアマチュア社交ダンス団体のイベントがありまして、そこに参加してきたのです。まあ、それはそれとして、駐車場の関係で、おっそろしく早く行きました。車を置いて、付近を歩き回る。

 以前から気になって居た、市立のこじんまりとした公園があるのです。そこを探険してきました。

(A) 名前は『堂之坂公苑』、入場無料。小さい樹木沢山の公園です。ペット禁制で静か。木々に隠されて、回りの建築物も見えません。良い季節に、文庫本でも持ってベンチで過ごしてみたいですね。

(B) 多少の凹凸もあり変化に富んでいます。小鳥も沢山、鳴いておりました。

(C) ハルジョオンとか、竹の子とか・・・・。

 まあ、そんなこんなで、20分もあれば、園の中は完全制覇。近くを走っている横浜線の間近に行きます。

(D) やっと、電車が出てきましたね。横浜線・桜木町行き各停の205系。線路の反対側が小高くなっており、道もあるらしいので、そっちの方が光線状態が良いのですが、時間の関係で次の機会に。

(E) (D)と同じ電車の後ろ姿・・・・・。

(F) 電車写真はこれでお終いです。このあと、色々有りまして、昼食は友人と和食系ファミレス『夢庵』で済ませた訳です。食したものは天丼。税込み720円なんですが、『てんや』との差は、落ち着き料&雰囲気料かな・・・・・。

■ では、また次回!!!


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コメント 8

HIRO

鴨川沿いの京阪電車、特急に乗って川が見えてくると、「ああ、京都だ」と京都らしい風情を楽しみながら降りる支度をしたものです。
今は地下化されて京福電鉄叡山線の出町柳まで延長されていい面もあるのですが、昔の情緒は今いずこですね。
相鉄、小田急探訪ブログに掲載しました。写真も大きくしています。
by HIRO (2007-04-23 11:23) 

no

こんにちは。
あきらかに鴨川を見ながらの京阪電車と、真っ暗な京阪電車では、後者の方が乗車機会が何倍も多いはずなのに、目に浮かぶのは鴨川です。
好い絵柄でしたねえ。
by no (2007-04-23 11:41) 

なにわ

朝、三条に向かう電車からは朝もやの中の木屋町が見えました。
この電車のうしろにも五条楽園という色街なんですが。
この2000、まだ2600に更新されていなかったですね。2200以降の電車と異なり徹底的に更新されていないので、そろそろ危ないでしょう。
by なにわ (2007-04-23 18:16) 

’80XE PA96E

こんばんは。この土日は少し車で長距離ツーリングしてました。(広島まで出かけてました)
そのため、今日は身体を考え休みを取ってました。ただ歯医者の予約があったので、北浜まで8000系での往復をしましたが。時間があったので、10000系にも乗ってきましたが、携帯電話がこの4日前に故障したため、写真を撮れませんでした。ついてないもんですね~。
by ’80XE PA96E (2007-04-23 19:57) 

む〜さん

■ HIRO様: 京阪電車の第一の景観は矢張り鴨川べりの電車風景・・・・それが無くなっちゃったんですから寂しいですね。まあ、大都会のなかを走る高速電軌鉄道に都大路が平面クロスするってのは絵にはなりますが、実際のところは、利便性、安全性、どっちを取ってもダメですもんね。なんて言いながら、桜の季節もよし、柳の風情も良し。手前に鴨川、その向こうを、赤と黄色の特急、緑の濃淡の急行・普通が通りすぎる!忘れることのできない姿です。
■ no様: 地下に潜って仕舞えば何処でも同じですものね。三条の駅のあの、雑然としたところも好きでしたね。足元を疎水が流れて、怖い感じでもありました。
■ なにわ様: 2000系は1959年に製造が始まったんですね。1964年に2200にバトンタッチするまで、何台作られたのか判りませんが、かなりの数だったと思います。そろそろ、引退の時期なんでしょうね。43年か・・・・感慨!!
■ '80XE_PA96E様: おお、今日も特急、乗られたんですか。羨ましいなあ。550kmという隔たりの大きさを痛感しますね。行きたいなあ。
by む〜さん (2007-04-23 20:24) 

京葉帝都

鴨川べりを走る3000系の写真、鳥肌が立つような素晴らしい写真です。五条を通過する列車は相当飛ばしていました。密着自連で貫通幌付の頃の3000系は華やいだ豊かな表情をしていました。奥に見えるシーサスクロッシング、出番は工事の時くらいだったのでしょうか。2000系は加減速性能からして普通や区間急行を中心に運用されていましたが、7連の急行の時は2+2+3で6ケ所の運転室となり6基のパンタから火花を散らしながら豪快な走りをしていました。また一時は夕方に多分淀屋橋発の2000系4連による新聞輸送専用列車が運転されていました。本線の大阪側に新聞社が集まっていたのと道路事情が悪かったからなのでしょう。地上時代の枚方市駅1番線で堂々と荷おろしをやっていました。
by 京葉帝都 (2007-04-24 01:49) 

manamana

中学高校くらいのとき、鴨川沿いの3000系の写真に、
どんなにあこがれたことか。
いまでも、全く古くない、完成された魅力があります。
by manamana (2007-04-24 07:18) 

む〜さん

■ 京葉帝都様: 2000は前パンタなので、勇壮な感じがしますね。昔は後パンの法が格好良く感じましたが、いまでは、前パンも良いなあと思うのです。
 現在では、鴨川も、橋の上から、『等間隔』に並んだカップルさんと、川面、そしてバックの山々をぼ~っと眺めるだけになりました。
■ manamana様: 富山地方鉄道に嫁入りした3000、カラーは草色と黄色になってますが、元気で頑張っているようですよ。
 私の『京阪、お好み風景』は、京橋~守口市の複々線(昭和29年、初体験区間)、八幡~淀の築堤・宇治川越え、京都の深草~七条の区間、そして鴨川べりなんです。
by む〜さん (2007-04-24 13:01) 

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