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近鉄初代ビスタカーに会いに行く [昔写真関西]

暑いです・・・・普通ならなんでしょうが、私は駄目だから・・・・・。

 50年も昔のお話をしましょう。もっとも、ホームページ『む~さんの鉄道風景』に収録した写真なのでご覧になった方もいらっしゃるでしょう。特に話題の無い今日は、安易に既製品流用に逃げてしまった。ごめんなさい!(もっとも、スキャナでBMPデータにしたものを、ブログ用に加工し直してますので、完全な流用って訳じゃあありません・・・・・と、言い訳を・・・・)

 出来たばかりの近鉄・初代ビスタカーに会いに行く 

 昔々、50年も前、1958年(昭和33年)8月、私は都内の某大学の3年でありまして、四国は土佐・高知の親戚の家に遊びに行き、バスで松山まで日帰り往復をしたりしたのですが、鉄道写真は少なく、その帰り道、関西私鉄も乗ってきたのですが写真はほんの少し。
 と、言うのは、一時、旅で写真を撮ると、撮影そのものに気合が入って肝心の旅を味わうことは出来ない。基本的に写真を撮るのは旅の趣旨から外れる!・・・・なんて思っていた時期がある。40~50年も経てば殆ど忘れてしまうんだということは、最近判った・・・・・気がつくのが遅すぎました。その、少しだけ写した写真から・・・・・・・。

 東京へ帰ることになり、8月26日朝、高知の親戚の家を出て、高知県交通のバスセンターへ。室戸岬経由で牟岐へゆくバスがあり、それに乗りました。牟岐からは国鉄牟岐線で徳島。そして鳴門まで行きました。途中、徳島市外の何箇所かの工場の敷地内で阿波踊りの練習をやっているのが見えたりしました。夜の鳴門で名前は忘れたけれど、大きな旅館に泊まりました。泊り客は少なく、夜中に便所へ行くのが怖かった。翌27日、鳴門の渦潮観光、夕方の徳島市へ入りましたが、阿波踊りは一日早く、観光PR映画でも撮るのか一組の踊り手さんが、どこだったかの橋の上で踊ってました。まあ、運が良いと思うことにして、暫く眺めていました。高徳線で、高松。夜の宇高連絡線で本州に渡り、8月28日、関西地区入り。

 その頃、話題の電車といえば『近鉄のビスタカー』、ビスタカーの初代。ほんとにビスタドーム。何時ごろだったでしょうか、朝だったと思うのですが高安の駅にやってきました。

 居ました!!!車庫にビスタカーが停まっています。事前の電話確認なんてしないで、やって来たのに会えたのは、ただただ、ラッキーでした。許可を取って車庫構内で何枚か撮影させていただきました。もう、感動感動。お顔は少々、好みではなかったけれど、車体の塗りも高級感があって、いい電車でした。乗りたいとは思いましたが、まだ、運行前の試運転中だった記憶がありますが、如何だったのでしょう・・・・・・結局乗ったのは翌1959年のことになりました。

(1) モ10007・・・・先頭車です。何となく髑髏顔なのが気になりますが、全体として『お蚕さん』。四枚折り戸の客室ドア、大きな窓、特急マーク、車体の仕上げも上々、言うところ無いのですが、お顔が惜しい。

(2) ク10005・・・・これがビスタドーム車。3車体の連接車です。たしか、世界初のビスタドーム電車だったという、記憶があります。

(3) モ10007のお顔です。

 運行開始は何時からだったでしょうか、『JTBキャンブックスの:近鉄特急』に拠れば運行開始は6月となっていますので、試運転中だというのは私の記憶違いの可能性が高いです。 

 この他に何枚かの写真が下記URLクリックでご覧いただけます。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link811shunkan.html

 では、また次回!!!! 


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コメント 13

のり

ビスタカーⅠ世は、少々濃いお顔ですね。ドームカーの内部は、こちらのほうがⅡ世よりも凝っているように感じます。
いずれにしても「近鉄=二階電車」のイメージを決定付けた功労者でしょう。
戦後の特急車「2250」が、「2200」の系譜を受け継いだのは、既に社内で、本格的特急車(ビスタカーのことです)の構想が進んでいたためだと聞いたことがあります。冷房装置など、新型特急の試作的意味合いもあったのでしょうか。
まさか、こんな斬新な特急電車が現れるとは夢にも思わなかったことでしょう。ただ、私個人的には、Ⅱ世の丸い流線型のほうが好きです。
by のり (2007-08-10 12:36) 

manamana

耳を垂らすと、わんちゃんかも。
正面の硝子が、大きな平らなものなのは、
当時の技術の限界なのでしょう。
編成も変則的なものでしたが、どんな運用をしていたのでしょうか。
by manamana (2007-08-10 12:59) 

ぽんた

残暑お見舞い申し上げます。
わ~カワイイですね~。『お蚕さん』! なるほど!
私は0系新幹線とかこのタイプは『モスラの幼虫』と呼んでヒイキにしてます。なんとなく昔のロマンスカー(3000形)に似ているように見えるんですが、それは私が旧塗装ロマンスカーの事ばかり考えているからでしょうか(笑)
by ぽんた (2007-08-10 14:10) 

たーサン

 昭和33年夏、登場したビスタカーに乗りました。もちろん二階部部の指定席で名古屋まで行ってきました。
上本町六丁目ターミナル、9番線 (だったかな) ブルーとオレンジの車体、冷房付きの七連が据付けられていて、茶色一色の阪急を見慣れた私には夢のような車両でした。
 髑髏顔、濃いお顔、耳の垂れたワンちゃん、お蚕さん、、、(ごめんなさい)、なんてとても当時は考えもしませんでした。ただただ驚きでした。
 しかし、名古屋について帰路はどうしたのか、まったく記憶がありません。もう50年も前のことなんですね。
by たーサン (2007-08-10 19:38) 

なにわ

誰が呼んだか「モスラ」とは言いえて妙です。もっとも、「モスラ」公開は二代目ビスタカー登場後なのですけれど。

ある意味、試作電車でありました。本来なら、中間車も連接でなく、20m車で設計したほうが便利だったのでしょうが、二代目ビスタカー設計の試作としたのでしょう。

運用も限定運用を組み、朝、上本町を出て(すずか)、宇治山田で昼前に折り返して(かつらぎ)、上本町を午後に出て(あつた)、夕方宇治山田で折り返し夜上本町に到着する(なにわ)ものでした。
それぞれの何番目かは忘れてしまいました。
予備車?2,6号車の制御車に向かい合わせになっているところには、回送運転台があって、切り離し可能だったのです。
21000系(アーバンライナー)のデビュー時の編成もよく似ていることにお気づきになられる方もおられると思います。

今は9番線ですが、当時は8番線ではなかったでしょうか。何分生まれてませんので。
by なにわ (2007-08-10 21:00) 

じろっち

ビスタカーは乗ったこと無いなあ。
名古屋から鳥羽(賢島?)行きの特急には乗ったことあるけど。

近鉄は欧風デザインが好きなんですかね?
by じろっち (2007-08-10 21:08) 

たーサン

 なにわ様、8番線でしたか。それと、私の撮影したフイルムを見ますと特急のサインボードの左下あたりに「あつた」とありました。
 そうすると上本町を午後に発車するものだったのですね。
それと私は昭和33年夏、名古屋まで乗ったと書きましたが、当時は改軌前で名古屋直通ではなかったのですね。そうすると、何時だったのか、怪しくなってきました。でも、まあ50年も前のことですからお許し下さい。
by たーサン (2007-08-10 21:23) 

HIRO

昭和33年、僕は学校を出て会社に就職した年でした。
そのとき買った「鉄道ピクトリアルの最初を飾ったのが近鉄初代ビスタカーでした。
その独特な風貌と二階建て車両に驚いて「なんじゃこれはすごい」と思わずうめき声出しました。
鉄道ピクトリアルもその当時薄かったですが、近鉄の写真と記事を開いては閉じ、何回も見たのを覚えています。
by HIRO (2007-08-10 23:32) 

岸田法眼

(2)の写真、初めて見ましたが、衝撃的ですね。フェイスが阪神の車両っぽいですが。
by 岸田法眼 (2007-08-11 00:46) 

’80XE PA96E

大阪に住んでるのに、ビスタカーは乗ったことがありません。伊勢志摩などもバスや車で出かけてましたから。まあ関西私鉄もいっぱいあるので、乗ってない車両はいっぱいありますが。
確かに「モスラ」の幼虫に似た感じですね。とてもユーモラスな形です。
今度の名古屋の帰りで近鉄を利用する手もありますが、飲んで帰る時間によりますね。
by ’80XE PA96E (2007-08-11 08:27) 

む〜さん

■ コメント頂いた皆様: あっというまの11件のコメントと、二つのniceマーク。有難う御座います。
 近鉄ビスタカーはそれだけお客さん、ファンにインパクトが有った電車だったのですね。私も1955年(?)に乗ったんですが、勿論、ビスタドーム。興奮しちゃったのか、ろくな写真を撮ってません。フィルムを探して、出てきたら、このブログに出しましょうね。  阪神顔ってコメントも頂きましたが言われてみると確かに、小型車から大型車に変わった頃の阪神電車ですね。車体の裾の丸っこい処理も、似てますね。
 モスラの幼生にも似ています。かあ、蛾の幼生だから似てるわけですが、南の島(インファント島でしたっけ?)からザ・ピーナッツを慕って海上を泳いでくる辺りの雰囲気かな・・・・。
by む〜さん (2007-08-11 09:19) 

はーさん

初代ビスターカーの営業初日は1958年(昭和33年)7月11日です。この営業初日に友人と乗りに行きました。名古屋から入り、中川ー上本町間の乗車でした。
その時の模様は小生のホームページ「初代ビスターカーが走った頃」をご覧下さい。
by はーさん (2007-08-15 18:09) 

む〜さん

■ はーさん様: ビスタカーの営業初日、お教えくださって感謝です。昭和33年7月11日が営業初日ということになると、この写真を撮った日は、すでに営業中だったのですね。成る程!私の思い違いだということが、確認できました。
 はーさん様のHPでビスタカーの運用がわかりました。上六発の最初が、8時40分の『すずか1号』、以下、宇治山田まで2往復。
 結論は、早朝、宇野から248列車で大阪着~鶴橋~高安着。ビスタカー撮影後、大阪駅に戻り、特急ツバメに乗ったと、アルバムに記入してあります。ほぼ間違い無さそうです。若かったし、そのくらいのパワーがあったのでしょう。いまは、不可能(笑)
 上六で写せば良いのに、わざわざ高安まで行ったのは、この日、車輌故障で運休だったのかもしれません。編成が解かれ、ばらばらになってますものね。50年も経ちますと、記憶は、ほぼゼロですね。
by む〜さん (2007-08-15 22:00) 

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