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第98回:多摩ニュータウン(2終) [お出かけ通信 51~100]

 2007年・平成19年8月10日・金曜日、多摩ニュータウンの南大沢駅辺りに来ています。

 お出かけ通信(98) 

 多摩ニュータウン散歩(2終)公園編 

 昨日書いた、京王帝都電鉄南大沢駅に行く前に、駅から少し離れた場所、八王子市別所2丁目にある、「長池見附橋」を見に行ったのです。私としては2度目です。周辺の団地マンション戸建住宅群が建設途上だったころでしたから、何年前だったでしょう。当時、税金の無駄遣いで、ろくでもないものを作ったと、コテンパンに酷評していた週刊誌もありました。わが国は、土木産業遺産の保存に冷たいみたいですから、ここまでやるのは、大変な関係者の努力があったと思います。こんなことを書きますのは、岩波新書284『伊東 孝著:東京再発見~土木遺産は語る~』に影響されているのかもしれません。

 昔からあった、農業用溜池、地形を利用した公園がありまして、そこに、国鉄四ッ谷駅中央線を跨いでいた四谷見附橋を架け替えたときに、要らなくなった橋の部材を持ってきて、復元建設されました。
 大正2年に建設された橋なので、中央区と新宿区を結ぶ、甲州街道の交通量を捌き切れなくなったとの事です。

 場所は、八王子市のホームページにあった記述の丸写しですが・・・・・『京王線南大沢駅から「見附橋経由京王堀之内駅」行きバス、または京王線京王堀之内駅より「見附橋経由南大沢駅」「見附橋循環」バスで「見附橋」下車。』との事。私は車だったので、うまく説明出来ないんです。
 Google Mapで『八王子市別所二丁目 長池見附橋』(二丁目と長池の間はスペースを必ず入れる)と入力、衛星写真検索、真ん中の下あたりに、池を中心にした特徴的な形が見えます。そこを拡大すると、地形とか周囲の様子など、わかります。。

 四谷見附橋は、私の勤務先の近所でもあったので、この橋が現役だった頃は、しばしば利用していましたので、懐かしさもあって見に行ったという訳。

(1) 長池見附橋の南東のたもとから・・・・・。

(2) 欄干と灯火(親柱と言えばいいのでしょうか?)

(3) 橋の南の方向から・・・・・。

(4) 橋の、ほぼ西から・・・・・・橋を望む。

(5) (4)の場所からパノラマ撮影してみました。5枚合成です。この画像から巾1,024pixelの大型画像のページにリンクしました。下の画像をクリックすると、別ウインドウが開いて、ご覧になれます。(6)の石碑にある、この橋の由来も読めます。

(6) (5)の写真の左のほう、橋のたもとの、クレーンの下辺りに小さく見える『長池見附橋の碑』と、橋の欄干に付けられた『四谷見附橋/よつやみつけはし/YOTSUYAMITSUKE_BASHIのプレート』が、下の写真。

 右下、右書きの銘板には大正2年9月とあります。


 前回でも書きましたが、当日は滅茶苦茶暑くて、オマケに帽子を忘れてゆきましたので、長居は出来ません。15分ほどで引き上げてきました。いい季節に、ここを散歩など、してみたいですね。

 この辺り、今から30年ほど前、森の丘陵と田園風景が広がっており。当時、小学生だった子供を連れて、鮒釣りやザリガニ獲りに通ったところです。現在は、田畑は無くなり、森も減り、丘陵は崩され、マンション団地戸建住宅が密集し、何が何だか判らなくなっています。

 今回は、鉄道のお話でありませんでしたが、たまには、こんなことも書きます。
 ・・・・・では、また次回にお目にかかりましょう!!


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コメント 9

quatre-l

昔の四谷の写真などで見たことがあるような、、、。
一枚目の写真の欄干の感じとか、まるで四谷そのものですね。
背景が開放的ですけど。

こういう歴史的遺産は、残せるものなら残したいですね。
飯田橋富士見界隈の「昭和」的建物はどんどん消えていってます。
by quatre-l (2007-08-12 09:56) 

takemovies

異国の雰囲気で行ってみたい場所ですね。
by takemovies (2007-08-12 10:50) 

服部光之

首都圏にもこのような場所があるとは驚きです。
何年か前に行った、ハウステンボスの光景を見ているようです。
レンガ造りというのは、手間隙が掛かっているぶん、気持ちを落ち着かせてくれますね。
かって、鉄道には多くのレンガ造りがあったものです。
今はなき、神田須田町の交通博物館、上野から始まる浜松町までの高架線のレンガ建造物。歴史をかんじるなかにも、この工事をし田人たちの心意気を感じます。
すばらしい町の紹介ありがとうございました。
機会があったら行ってみたいと思います。
by 服部光之 (2007-08-12 11:27) 

manamana

10年以上前多摩ニュータウンに住んでいましたが、
こんな素敵な橋が出来ていたのですね。
知りませんでした。
2枚目の写真など、ヨーロッパの新興住宅地といった風情です。
by manamana (2007-08-12 12:25) 

のり

たしかに日本は、明治以降の近代文化遺産(特に大正から昭和初期のもの)には、冷たいように感じますね。当時の構造物が、現代の実情にそぐわなくなっているのも事実ですが、壊してしまえば、それでお終いです。大阪・中之島の大阪市庁舎は、改築されてしまい、本当に残念です。構造物の一部だけでも復元流用して、新築するのは、とても素敵なことだと思います。(技術的には、とても大変だと思いますが・・・)
by のり (2007-08-12 12:43) 

じろっち

日本は過去の工業製品に冷たいんですよね。
維持しようとすると、課税対象になる。
だから、新幹線の速度試験車も役目が終わると解体されちゃったんです。

さいきん文化庁が、ヒストリックカーを路上運転可能日を休日に限定するかわりに自動車税を非課税とする案を出そうとしているそうですが・・・
by じろっち (2007-08-12 21:21) 

じろっち

大井工場に、型式は分からないけど、東海色のクモユニがありました。
これも鉄道博物館行きなんですかね?
by じろっち (2007-08-12 21:34) 

no

こんにちは。
四谷見附の橋は、私も麹町事務所時代によく渡りました。
もっとも、仕事の最中に渡るのではなくて、仕事帰りにしんみち通りのアルコールのにおいに釣られてふらふらと、ということの方が多かったようですが(笑)。
このような、人間が頭で考えて造った構造物の美しさは、コンピューター支援の作品とは風合いが明らかに違うように思います。
その違いを、多くの人に感じてもらえるならば、こういう保存企画というのは価値がありますでしょうね。
by no (2007-08-12 22:51) 

む〜さん

■ quatre-l様、takemovies様、服部光之様、manamana様、のり様、じろっち様、no様: 早速のコメント有難う御座います。

 こういう素晴らしい土木・建設遺産は出来うる限り残して欲しいものです。日本の場合、もともと木と紙の建築方式ですので、壊れて当たり前、壊して新しくする、という考え方が普通でした。
 明治になって西洋の『長寿命建築』が入ってきたわけですが、これまた、ちょっと古くなると壊して作り変えるという、日本古来の思想を引き継いでしまっているようです。
 たとえば丸の内。昭和30年代には山ほどあった明治の古い建築が、ほぼ全滅。今ごろになって三菱村の赤レンガ建築を復活するなんていってます。そんなら、壊すな!と思います。もっと、古いものでも大事に使うという方式になって欲しいものです。
 昔の建築物が、宗教がらみでしか残っていないというのは、寂しいことです。

 この『長池見附橋』は時間をかけて見に行く価値ありと思われます。京王帝都電鉄相模原線乗車撮影を兼ねてお出掛けください。相模原線は多摩川を渡って、京王よみうりランド、稲城あたりから、高速で、ぐんぐん急勾配を駆け上がり、車庫のある若葉台を通り、永山、多摩センター、京王堀の内から南大沢に至ります。堀の内の駅前の景観も面白いです。南大沢駅からは、タクシー利用でも、たいした金額はかからないと思われます。お帰りには、小田急ルートも利用できます。
by む〜さん (2007-08-12 23:02) 

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