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新幹線1962年(1) [昔写真国鉄]

 お早う御座います。台風も北へ去って普通の日が戻ってきました。今日は晴天、暑くなるらしい。家のそばの銀杏の木に、雀が昨日の夕方から多数集まって大騒ぎをしている。こんな現象は以前もあったし、雀さんの業界では常識的なお話らしいけれど、よく判りません。雀の学校・・・・まあ、何となく、こころが和む。

・・・・・さて、今日は、このブログのコンセプト、『1970年代以降の鉄道のお話』から外れるけれど、1962年、昭和37年7月のお話です。そっちは、ホームページの方に出すのが本来なんです。
 今回は、そのホームページへアップロードする準備運動というか、小手調べと言うか、ま、どっちでもいいのですが、皆様に早めにお眼に掛けようと言うわけで、今回から4回の連載です。

 新幹線1962年(1) 

 新幹線開業はトウキョウオリンピックの年、1964年・昭和39年の10月1日と言うのは、まあ常識ではありますね。・・・・って事は、つまり新幹線の建設途上、ウオームアップ、テスト走行・・・・あの鴨宮から東京方面に向けて建設された「モデル線区」でのお話です。この「鴨宮基地」を見に行ったと言うわけです。テスト走行が始まったのが6月だったそうですから、試験電車が、まだ時速100キロそこそこしか出していなかった1962年・昭和37年7月のある日、当時は横浜に住んでおりましたので、横浜駅から東海道本線の普通電車に乗りまして、鴨宮駅までやって来ました。世紀の大事業(大愚行なんて言ったヤツも居ますが)の立ち上がりを目撃するチャンスなんて、そうはありませんので、この日は、あんまり鉄道に興味は無い家内と一緒でありました。
 私たちが鴨宮駅のホームに降り立ったそのとき・・・・・・。

(1) 小田原方面から、電気機関車牽引の列車がやって来ました。通過列車のようで、例によってEF58が引っ張っています。

(2) 急行列車のようで、牽機はEF5878です。機関車の次がスハフ42(この頃にはオハフになって居たかもしれませんが)、その後にはナハ11が並ぶ・・・・・。九州から来た夜行急行列車でしょうが、名前はわかりません・・・・・調べようはあるとは思いますが、まあ、今のところはいい事にします。

(3) カメラはセミ判スプリングカメラ、ミノルタ-セミP、フィルムは富士のネオパンFでした。感度はASA(いまのISO)32だったかな・・・・。このカメラは裏蓋の赤窓の数字を見ながら巻き上げるタイプですから、速写向きではないのですが、当時の私、頑張った様です。いま、私の愛器キャノンのコンパクトディジタルカメラIXY320なんて、CFカードの性能かどうかわかりませんが、列車通過はふた駒しか撮れません。それにしても(1)と(2)は、幾らなんでも間隔が短すぎますね。列車は徐行していたのかもしれません。
 二等寝台車が並びます。一番手前は一等寝台車マイネ40形コンパートメントつきですね。でも、この頃には二等級制となって居たので、マロネ40か・・・・。白帯でなく青帯が付いています。


 追加の画像 

■ 列車名と客車形式についてのコメントを頂き、画像見直しのため部分拡大してみました。コメントと併せてご覧下さい。

(2 の部分拡大)

(3 の部分拡大)


 いきなり、こんな列車を見てしまったんで興奮してしまった!駅を出て、基地があるらしい方向に歩いてゆくと、田圃に出ました。

(4) 田圃を越しに見えてきたのは、新幹線モデル線区の車両基地。試験車も見えている。
 わ~っ!新幹線だあ!

 ・・・・・そういうわけで、基地が近づいてきたところで、今回はお仕舞いに致します。
 続きはまた次回!!!

( 次号以降の新幹線試験車両のナンバーなどWikipediaを参考にしました )


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Fuzzy

こんなモデル線区があったなんて全く存じませんでした。

ところで、セミ判スプリングカメラで(1)と(2)の連写は信じがたいですね。徐行運転としても僅かな時間しかないと思いますよ。
裏窓を見ながらのフイルムの巻上げとシャッターチャージそして、静かにレリーズ。これだけの作業が必要ですから。
by Fuzzy (2007-09-08 07:16) 

gop

台風一過の晴天ですね、また暑くなりそうで二日酔いの身には辛い一日になりそうですが(^^ 今日は私もカメラネタで。
セミP、ミノルタのサイトにも載っていました。
http://ca.konicaminolta.jp/oldnew/minolta/1950/1951.html

どうも私の祖父が使っていたこれがルーツの様ですね。
http://blog.so-net.ne.jp/987/2006-05-09-1
ダイアル巻き上げで連射とは流石む〜さんさんですが、この頃のカメラって、何回巻けば撮影OKと操作を身体が覚えていた様に思います。それで上手く成功すると独りニンマリしたりして(^^ 最近はカメラに振り回されてそんな気持ちになる事も少なくなりましたね。

新幹線、楽しみにしております。
by gop (2007-09-08 08:08) 

む〜さん

■ ファジー様: そうなんですよ、こんな線区があったのです。鴨宮~神奈川県綾瀬付近の32キロ。トンネルも多く、テスト走行もここで行われました。耳ツンなど予測しなかったトラブルも発見解決されたとの事。
 このふた駒のネガを詳しく見ていましたが、やはり同じ列車のようです。何しろ新幹線を見に行きたいので、そうは長い時間、ホームには居なかったはずで、別列車のメは無さそうです。きっと、徐行していたのでしょう。
■ gop様: ミノルタセミPは、格安で昭和30年代初頭、定価で1万円一寸でした。レンズはF4.5だし、シャターは200分の1までと、高性能とはいえませんが、使いやすかったです。
 赤窓の中の数字を見ながら手巻きするのは、面倒でしたが楽しいものでした。じつは、このときの2本のブローニーフィルムに、一枚だけ二重露出がありました・・・・失敗失敗(笑)。

■ む~さんから ■
 話は変わりますが、こんな本があります。最近、新星出版社から『カラー版・徹底図解: 新幹線のしくみ』税抜き1,400円、という本が出ました。ビギナー、鉄道少年少女向けの写真、図版大盛りの解説書なんですが、中味は、ベテラン鉄道ファンが見ても、中々充実で、よろしいようです。そんな本などに、この『モデル線区』の事も出ております。
by む〜さん (2007-09-08 08:25) 

quatre-l

私もまったく知りませんでした。試運転を考えれば必要なんですね。
耳ツンは、試運転してみなけりゃわからなかったんですね。

友人が中国でリニアに乗ってきましたが、列車同士の「すれ違い」が一大イヴェントなんだそうです。ほんの一瞬「ツンッ!」ですれ違うらしい。これも乗車してみない気づかないことですよね。

P.S.今朝、フジTVで阪堺電車がでてました。
by quatre-l (2007-09-08 08:54) 

む〜さん

■ quatre-l様: 耳ツンとか、トイレでナニが逆流するとか色々あって、改良され、今日がある・・・・そんなみたいです。新しいシステムの始まり何事によらず大変なようですね。
 私が実際に『特急こだま号』に乗るのは1965年になってからでした。まだ、超特急ひかり号で4時間所要、特急こだま号で5時間・・・・だったかな?でした。
 阪堺電車・・・・フジTVでやってましたか、残念!モ161出てましたか?あの時間帯は、NHK-TV&朝食の頃、惜しかったなあ。
by む〜さん (2007-09-08 09:30) 

のり

黎明期の新幹線のお話、楽しみにしております。
当時の東海道の主力列車と、将来必ずそれに取って代わるであろう最新鋭の試験電車。素晴らしい対比です。
小学校低学年の頃に持っていた本に(事典のようなものだったかな・・・)、「将来の新東海道線を走る列車と貨物用列車」という絵が出ていました。
「夢の超特急」なんて言葉も、死語になってしまいましたね。
by のり (2007-09-08 10:59) 

なにわ

東京よりの1両だけが二等座席車、あとは全て寝台車、これは「彗星」でしょうか。ノロノロ運転は、詰め込みでの平行ダイヤが原因か、路面が濡れているので、雨(梅雨末期の集中豪雨?)が理由かもしれません。
1962年ですから、淡青色ではなく、一等の淡緑色の帯(グリーン車の帯です)ではないでしょうか。

で、新幹線には何も触れない私。
by なにわ (2007-09-08 12:40) 

む〜さん

■ のり様: 朝早くから夫婦で新幹線見物、二人とも若かったですね。まだ、20代前半か・・・・昔の話だなあ。EF58牽引の客車列車なんて日常風景でしたものね。たしかに電車化もすすんで、111系とか153系とか、でっかい目玉で活躍していましたから・・・・。
■ なにわ様: アドバイス有難う御座います。
 『本文中に列車の拡大写真』を組み込みました。ブログはこういう事は、やり易いです。読者さんとキャッチボールできるのは、『ホームページ+掲示板』では少々面倒ですから。

 (2の部分拡大)・・・・確かに、仰るとおり、寝台急行ですね。スハフ42(オハフになっていたかも)の後ろは二等寝台(ナハネ11・・・・オハネだったかも)ですね。

 (3の部分拡大)・・・・上級客車の帯の色も、青だと白黒写真では、こうは出ないかもしれません。薄い緑がかった白だった気もします。一等寝台が3両あって、2等寝台との間に、一等の座席車があるようです。
 それにしても、朝ですね~!洗面所の排水が派手ですね!
by む〜さん (2007-09-08 13:52) 

’80XE PA96E

新幹線の話題なので、私の誕生年の1964年からの話題からかな~って勝手に思っておりました。新幹線も世に出るまでに色んな課題をクリアしてきたから、今までの倍の速度での移動手段になったんですね。
寝台列車は今までに1度しか乗ってません。個室寝台に乗ってみたいです。
by ’80XE PA96E (2007-09-08 21:26) 

サットン

♪びゅわーんびゅわーん走る 青い光のボンネット 時速250キロ夢のようだな走る♪ いきなりすみません。子供のころNHKで毎日のように聴いていました。
夢の超特急に乗れる日を夢見ながら。
by サットン (2007-09-08 22:37) 

む〜さん

■ '80XE_PA96E様: おお、東京オリンピックの年のお生まれですか・・・・。昭和39年開業の新幹線も、後日談ならぬ前日談があったんですよ。昭和40年に初乗りでしたが、なんたって『夢の超特急』、東京駅に着いたとき、もう乗る前から興奮状態でした。
 スバル360が不調で仕方なく手放し、そのお金で、一眼レフと新幹線の切符代が出ました。まあ、半分冗談ですが、半分はホント(笑)。
■ サットン様: うん、そういう歌、ありましたね。真理ヨシコさんじゃあなかったでしょうか?いや、違うか・・・・まあ、いいですけれど。うちの子がレコード掛けて歌ってましたっけ。そんな子供も、40代に・・・・。
by む〜さん (2007-09-08 22:57) 

manamana

夢の超特急も今はサラリーマンを当たり前のように詰め込んで5分間隔で走っています。
自分が1歳のころの試験線ですね。貴重な写真です。
手前の水田との対比が印象的です。
ところで初めて乗った新幹線の記憶がはっきりしません。
当然0系でしたけれど。
by manamana (2007-09-08 23:24) 

む〜さん

■ manamana様: そうですね、新幹線も国電並み、次から次へとやってきます。しかも16両編成の大量輸送、開業時の近寄り難い雰囲気は無くなりました。まあ、結構な事ではありますが。
 この日、試験線での走行は見ておりません。日曜日は試験運行は、お休みだったのかもしれません。
by む〜さん (2007-09-08 23:39) 

mymeな大家

こんばんは。
新幹線、中学生くらいまでどうも好きになれなかったのですが、色々とわかってくるようになって、好きになりました。
中学生の時、母の好意で鉄道ファンの4号から100号までを買ってもらい、その後2~3号を自分で購入、新幹線の記事を読んでいましたが、今回のむーさんの写真は初めて見ます。楽しみにしています。よろしくお願いします。
by mymeな大家 (2007-09-09 02:26) 

む〜さん

■ mymeな大家様: 私は、新幹線は、比較の問題ですが趣味的にはあまり好きではありません。いうなればクラス一の優等生、容貌、成績ともに・・・・ですもの。所要4時間台くらいまでなら、確かに輸送システムとしては素晴らしいものと思います。初期の頃は、形式も一つしかないし、趣味的には興味をもてませんでした。
 しかし、乗ってみると快適、便利、利用しないテはありませんでした。上手に利用すると旅が効率的になり、行動範囲が広がりました。乗るのを楽しむというよりも、その先の楽しみを増やすという方向ですね。
by む〜さん (2007-09-09 05:17) 

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