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本日休業( 6)赤坂見附1953 [ネタ切れ写真展]

 済みません!!また、更新準備が不完全で、今朝は『北海道一寸旅(9)』がアップロード出来ませんでした。昨日も色々と雑用・仕事・ヤル気とか、障害がありまして画像選定まではやったんですが、画像の加工までは出来ませんでした。明日には、なんとかお話を続けられるよう、頑張ります。

 で、落ちたときには、「本日休業:写真館」に逃げてしまう私・・・・・・。ホームページにも出してありますし、某SNSにも出した事のある画像ですが・・・・・。

 本日休業( 6)赤坂見附交差点1953年 

 昭和28年・1953年9月赤坂見附交差点です。今では、高速道路は出来るわ、立体交差になるわ、大きなビル林立で、まるっきり違う場所みたいになっていますが、当時は、こんな風景でありました。一枚の写真をもとに、部分拡大などで、4枚になっていますが、赤坂見附から平河町二丁目への坂からの撮影です。

(1) 向こう:渋谷、右:四谷、そして左:虎ノ門です。ビルらしいビルは無く、平べったい街。クルマが外車ばっかり。

(2) 都電は10系統の須田町行き、6000形でしょうか・・・・・。三宅坂から、半蔵門、と線路は続いて、英国大使館前はお堀側に線路が片寄せてありました。公園風に作られた大使館側とあいまって、なんだか外国の街路みたいでした。(残念な事に写していないのです)
 交差点真ん中には、地上から生えた信号機。大きな映画の看板は『楽園に帰る』1953年11月公開だそうで、主演はG.クーパーだったそうな。

(3) 都電の四谷方面行きの安全地帯が写っています。この左の方に、伊藤忠の自動車の販売部門があって、欧州車が並んでおりました。ヒルマン、サンビーム、ハンバーなんて名前があったような記憶がありますが、ヒルマン以外は曖昧。伊藤忠といえば、私の最初の車が伊藤忠の中野の中古車部で買った、スバル360の62年式で、24万円だった事、手形を何枚も書かされたことなどを覚えています。
 左端のバスは何処のバスかしら・・・・都バスはこういう塗り分けじゃあなかった気がするし、ここを通っていた私鉄系は、関東バス、京王帝都だったので・・・・よく分かりません。

(4) (1)の写真の手前の路面を拡大しました。路面は拳骨ほどの石のブロックを青海波状に埋め込んだ石畳。なかなか、趣がありますが、自動車を運転する立場から見ると如何だったのでしょう。勿論、都電の軌道も石畳です。


 一枚のネガから色々と思い出を並べました。明日は、なんとか北海道のお話に戻りたいと考えています。


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Fuzzy

こうしてよく観ていると、今流行の鉄道模型のレイアウトみたいですね。
家々が模型のように見えます。
by Fuzzy (2007-10-11 11:53) 

no

こんにちは。
ああ、昔の舗装は石畳だったのですか。しかも滑らないようにこんな手の込んだ配列にして…。
これはもう、足元からして今とは全く違う景観だったのですねえ。

内堀通りの英国大使館前がお濠端に軌道があったということは、いまの濠端の緑地帯の辺りがそうだったのですか?
なるほど…。

なんだか、昔のサザエさんの背景が低い家並みのアウトラインで書かれている訳が、よく判るような気がします。
赤坂見附でこうなのですものねえ。
by no (2007-10-11 13:13) 

quatre-l

またまた大好きな「昔の東京」ですね。
この写真は以前にも拝見しておりました。赤坂見附とは思えないサッパリとした光景に何度見てもただただ唖然とするばかりです。

真ん中の岩澤医院。調べたら、ちゃ~んとありますね、今でも。
場所は若干の移動があったようですが、この場所の変貌ぶりを考えれば当然でしょうね。http://www.minatokuishikai.or.jp/jmap/a1/map05.htm
こういうのを発見するとうれしくなってしまいます。
古い日活映画を観ながら背景の看板を探し出し同じようなことをやってます。ヘンな趣味です、、、。
by quatre-l (2007-10-11 13:28) 

じろっち

今の日本の舗装道路の大半はアスファルトですが、舗装が始まった頃は石畳やコンクリートもありました。

クルマ造り(特に2輪)は、その国の道路事情が出ます。
日本のスクーターのホイールが小径なのは、路面が平滑だから。
それに対して、写真のような路面が今でも現役なヨーロッパでは凹凸路面でも直進性を保つべく大径です。
乗る人の体格も違いますからねえ。
by じろっち (2007-10-11 21:23) 

む〜さん

■ ファジー様: 戦後8年、この辺りは空襲で丸焼けになったようで、当時、空襲で焼けたビルの残骸なんてのも残っていました。その焼け野原に立てられた建物が多かったのです。現在、赤坂見附付近、ビルだらけで空もろくに見えませんね。
■ no様: たしか、お堀寄りの高速道路の排気施設のあるあたりでしょうか。大使館の前、桜のある公園風の場所は、当時のままみたいですね。石畳は雰囲気はありますが、バスなどでは、振動が多かった記憶があります。見た雰囲気はいいのですが。
■ quatre-l様: たしか耳鼻咽喉科と読めますが、現在も同じですね。お子さんが代を継いだのかしら・・・・。あの辺りの会社に居ましたので、昭和40年代に一度、耳を診て貰ったことを思いだしました。老舗だったんですね。
赤坂見附の衆参議長公邸のところは、米軍のハウスがありました。ジェファーソンハイツだったかな?ラテンクオーターなんてクラブもあったりしました。
■ じろっち様: 歩道などは木製の小さなブロックを並べたところもありました。保守が悪く、凸凹だったですが・・・・。
富士重工の作っていたスクーター、ラビットは戦闘機の尾輪利用だったと聞いた事がありますね。本当だったかどうかは分かりません。
by む〜さん (2007-10-11 22:04) 

manamana

石畳の道路、ほんと、ヨーロッパみたいですね。
これならスピード出し過ぎることもなく安全な気がします。
by manamana (2007-10-11 22:09) 

む〜さん

■ manamana様: 戦前の舗装だったのでしょう。当時の街を作る技師たちの、新しい待ちを作るんだ!という気迫を感じますね。
by む〜さん (2007-10-11 22:17) 

大番鉄道

戦闘機の尾輪でスクーターを作ったと言う話は私も聞いたことがあります。そう言えばラビットの富士重工(中島航空機)、シルバーピジョンの三菱と、両方とも航空機メーカーでしたね。当時のホンダのバイク、カブ号も燃料タンクが湯たんぽの流用だったとか。まだ十分な資材が無かった時代のやりくりの一つだったのでしょう。航空機用のジュラルミンでモハ63を作ったなんて事もありました。
by 大番鉄道 (2007-10-11 22:58) 

quatre-l

ニュー・ラテンクォーターといえば、力道山が刺された店ですね。ラテンクォーターはその前でしょうか。Wikipediaで調べたら'56年に火事にあっているようですね。その後にホテルニュージャパンの火事にもあってる。因縁を感じます。

石原裕次郎について、ニュー・ラテンクォーターの用心棒でもあった百瀬博教氏の連載を毎週楽しみに読んだ「週刊文春」を思い出します。百瀬氏は相当ヤクザな人だと思うんですが、この時代の事を明確に記憶していて文章化しています。むーさんの写真と同じようにこの時代の香りを感じられる体験でした。
by quatre-l (2007-10-12 01:20) 

む〜さん

■ 大番鉄道様: 懐かしいですね、スクーターのラビットとシルバーピジョン。乗った事は、二子玉川園でお金払ってコース一巡しただけですが、街では日常的に見ておりました。
ホンダのカブは赤いエンジンと白く丸いタンクだった気がしますが、あの頃は種々の自転車に後付するエンジンを売ってましたね。タイヤに圧着するドライブ方式のものもありました。
ジュラルミンの63は、新聞で見たとか雑誌に載ってたとかの程度しか知らないのです。一度、実物を見てみたかったなあと、思ったりします。
■ quater-l様: 赤坂界隈には進駐軍関係のお店が目に付きました。外車のディーラーも多かったですね・・・・というか、内車は少なかった時代でしたから。殆ど覚えていないラテンクオーターですが、噴水があって、大きなネオンサインがあった気がします。弁慶橋とお堀のボートハウスは、いまも健在かしら・・・・なんて、当時を懐かしんだりします。
by む〜さん (2007-10-12 07:58) 

quatre-l

弁慶橋のところのボートハウスは、今年の春先に通った時にありました。たぶん、現役です。
by quatre-l (2007-10-12 09:54) 

む〜さん

■ quatre-l様: 都心のボートも減りましたね。中央線の南側では、赤坂弁慶橋、千鳥ヶ淵あたりが現役でしょうか・・・・・。外堀の市谷は、Googleの衛星写真では船影がありません。飯田橋にはボートが写っています、営業しているんでしょうか・・・?
遊びの趣向も変わって行きますから・・・・。デートというと、喫茶店で珈琲飲んで、ボートって感じの時代があったようですね。
by む〜さん (2007-10-12 10:45) 

HIRO

昭和28年時代の赤坂見附、想像もつきませんね。
東京は昭和30年代全般まではこんな感じでしたが、やはり東京オリンピックを契機に都市の様相もがらりと変わり、それで近代化が一気に進みいい面もあったがまた残しておきたいものが消えて悪い面も少しはあるようです。
ぼくは品川駅ー泉岳寺ー赤羽橋?-赤坂見付ー四谷方面を走る単車のようなグリーンとイエローの都電が走っていましたが、あの単車は形式番号は何番だったでしょうか。
2番目のバスのボンネットに時代を感じます。
あの頃は車掌がドアの入り口にいて「発車オーライ」といってました。
む~さまの写真からこんなにいろいろの忘れていた思い出が鎖のようにつながるって本当に楽しみで素晴らしいと思っています。
by HIRO (2007-10-12 12:49) 

む〜さん

■ HIRO様: 都電の品川~四谷方面のルートは

(1) 『3』: 品川駅前~札の辻~虎ノ門~赤坂見附~四谷見附~市谷見附~飯田橋(三田車庫担当)
(2) 『7』: 品川駅前~泉岳寺前~古川橋~天現寺橋~霞町~青山一丁目~四谷三丁目(広尾車庫担当)

・・・・ですね。『3系統』には700形という小型・半流の可愛らしい車両が集中的に使われていました。『7』系統の車両形式は分かりません。

『3』系統は若葉町あたりの専用軌道が懐かしいですね。いまでも、軌道跡の痕跡を見る事が出来ます。
『7』系統では、信濃町の専用橋梁、当時は寂しかった青山墓地脇、魚籃坂下の急坂が印象に残っています。
by む〜さん (2007-10-12 13:16) 

なにわ

昨夜、コメントを書こうと地図で確認したところ、御濠側から撮られているのですね。

三宅坂に陸軍省があったので、無差別爆撃の割りに、このあたりに派手に爆弾を落としたのでしょうか。一方、赤坂、麻布あたりは大使館が多かったせいか、焼けていません。
戦後、各国大使館が多かったので、西新橋や芝には自動車部品店やディーラーが多かったそうです。「三丁目の夕日」の舞台が自動車修理工場というのは、当を得た話です。

>HIROさん
同感です。東京オリンピックに伴う都市改造が全てを変えていったと思います。

品川駅-札の辻-赤羽橋-虎ノ門-赤坂見附-飯田橋を走っていたのは3系統で、1942年製の700型という小型車が主に走っていました。「三丁目の夕日」では3系統にも6000型が走っていましたが、実際は1966年に700型が廃車になったあとに主力として走っていたようです。
この700型、5000型以来12年ぶりの新車で、400型という単車ばかりの広尾と目黒に配属されたのですが、目黒所属車はすぐに錦糸堀に移動し、戦災で10両中8両が焼けました。3両は戦後復旧し、都合15両が戦後三田に集結して、3系統を中心に走っていましたが、1965~66年に老朽化で廃車になりました。
by なにわ (2007-10-12 13:26) 

む〜さん

■ なにわ様: 撮影地点は赤坂見附の交差点、弁慶橋のたもとから、平河町方面に坂を上がり始めた辺りからです。左側はお堀の終端部。
700形は、ホントに可愛い電車でした。この写真の頃には既にビューゲル化が済んでいました。ポールで走行する姿を見てみたかったです。
by む〜さん (2007-10-12 20:35) 

緑の恵比寿

東京オリンピックを2016年に誘致と石原さんが頑張っています。
誘致成功にしろ不成功にしろ、その時には、先のオリンピックで
失われた江戸のシンボル、日本橋に光を取り戻して欲しいと思い
ます。 いまの状態は「にほん・ばし」の濁点位置が、右に移項した「にほん・はじ」。上を走る首都高の別線は、首都高を使用したとしても、江戸っ子の意地で絶対に通らない事を貫いております。石原さんは、政策は興味ないですが、日本橋を取り戻すただ一点はとても評価しています。 だけど築地市場の豊洲への移転、土壌汚染でかなり厳しいですね。 本題に戻り、オリンピックの1964年は、とても暑い夏で東京は水不足だった記憶があります、淀橋浄水場が干上がったようでした。都電の石畳、祖父の自転車のうしろに乗ってお尻が浮くような感触を思い出しました。  
こうした昭和の貴重な記録、いろいろなことが喚起されます。
by 緑の恵比寿 (2007-10-12 23:49) 

む〜さん

■ 緑の恵比寿様: 日本橋問題は『後悔先に立たず』の見本ですね。あの頃は、旧来のものをぶっ壊し、新しいものを作るのは世間の流れでした。本当に、お金の勿体無い使い方をしてしまった。同様の問題は山のようにありますね。路面電車も同様ですね。
by む〜さん (2007-10-13 08:11) 

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