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長めの旅をしたいと思う事が-Ⅳ [国鉄1960年代]

 今日は1960年代突入の、昭和35年のお話を致しましょう。

 1960年・昭和35年1月、35ミリハーフサイズカメラ・オリンパスペンを持って、旅の雰囲気を楽しもうと東京駅に出かけてゆきました。7月23日~9月15日~9月23日に続く、第4回で、これがこのシリーズの最終回です。千秋楽というか、大団円というか、フィナーレというか・・・・「特急はと」で締めましょう。

 長めの旅をしたいと思う事が-Ⅳ 

(1) 12時少し前、いよいよ、牽機EF5863がSGの蒸気を吹き上げながら、「特急はと」を回送してきました。右端の人物は、9月15日号で、列車を待つ異人さんのグループの画像がありましたが、そのなかの一人。多少は機関車が気になるのでしょうか・・・・・・。

(2) 異人さんたちは展望台からの乗り込みです。回送の機関車を外す作業が行われています。

(3) 作業終了!!

(4) EF5863が離れてゆく。展望室の硝子にヘッドマークつきの機関車の顔が映っています。

(5) 展望車の前部ドアには、さっきの異人さんたちの手荷物が積み込まれました。う~ん、横浜ではこのドア、如何するんでしょう。展望車に手荷物室ってあったかしら・・・・・。

(6) いきなり、「特急はと」の一号車に来ました。スハニ35に機関車が連結されます。

(7) 「特急はと」は、12時30分の発車ですから、あと15分もあります。展望車のデッキで記念写真を撮る人たち。まるで演出されたような写真になりましたが、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんにお孫さんでしょうか・・・・なんだか、幸せそうです。




 4回にわたって、断続的にお送りしてきた、「昭和35年一月の東京駅」は、今回でお仕舞いです。また、次回に・・・!!!

 


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じろっち

品鶴線は、展望車付き編成の展望車を最後尾側にするために設置されたとも言われていますが、東京で客を降ろした編成を五反田あたりまで引っぱり、西大井の先あたりまで行き、東京に戻したんですかね?(又は車庫行き?)

むーさんは鉄博に行きますか?
200円のミニトレイン(自分が乗務し、運転!)がありますよ。
なんと、所属が「鉄ハク」です。
by じろっち (2007-10-26 21:29) 

のり

「展望車」、憧れますね。いいですね。写真のような展望車ではありませんが、2度、タッチの差で乗る機会を逸しました。
一度目は、昭和40年代初頭。大阪から特急「うずしお」です。「先頭のパーラーカーは取れなかった」という父に、乗せてもらったのは、2両目の一等車。(当時は、グリーン車に名称変更する直前でした)
二度目は、新婚旅行に利用した「トワイライトエキスプレス」。最後尾の「スイート」を狙っていたのですが、獲得できずに、その隣の「ロイヤル」。展望車にはよほど縁がないようです。
by のり (2007-10-26 21:29) 

じろっち

展望車じゃないけど、デッキ付きの機関車が普通だった時代、進行方向後方側のデッキは、鉄な人の指定席だったそうですね。
昭和50年代くらいまでは、特に立ち入り制限してなかったみたいですね。
私も上野駅で停車中のDC急行「いいで」の中間運転席に勝手に入ったことがありますよ。
(施錠されてなかった)
座る時に警笛を鳴らしちゃいました!
今なら、乗務員は始末書ものかな?
by じろっち (2007-10-26 21:45) 

む〜さん

■ じろっち様: 品鶴線の建設は新鶴見の大操車場を通して東海道と、帝都東京の左右(汐留、山手貨物船)に東海道の貨物列車を通す目的だったと思います。品川~大崎~蛇窪(信)が三角線となり、たまたま目的に合致したのでしょう。
鉄道博物館は、もう行かれたんですね。羨ましいなあ。私は、11月の平日を狙っています。雨降りだったら、お客さんも少なそうでベストだろうと思っていますが、如何なんでしょう。
大混雑の時代は、電気機関車の連結面デッキの乗車は普通の事でした。もっとひどい時・・・・買出し列車・・・・蒸気機関車の最前部にも乗客が居ました。流石に私は乗ったことがありませんが、窓からの乗車も普通だったし。
時代が落ち着いてくると、蒸気機関車には人が乗らなくなりましたが、東海道の通勤列車など、電気機関車の後部デッキにはお客さんが乗ってました。
展望車といえば、客車列車の最後部ですね。左右のドアは全開、後部の貫通路にドアはないし、快適でしたね。夏の日、電化完成の山陽本線の最後部で、のんびりと走り去るレールを眺めた日のことを未だにはっきりと覚えております。
■ のり様: あおうなんですよ!展望車は憧れです。あの展望デッキに乗って、走り去る景色を眺めたいと思いましたが、当時は、二等だって、乗ることすら考えませんでした。まして、一等など・・・・・。でも、一回だけ、5分ほど、展望室に入れてもらったことがあるんです。
このURLの頁の一番下に展望室車内の写真が二枚あります。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link811shunkan.html
50年も昔のお話です。
by む〜さん (2007-10-26 21:59) 

no

こんにちは。
この写真、ホームページで一番心に残る写真でした。
阿房列車の影響ですね、この時代の「はと」を見ると、嬉しくて楽しくて、そして自分がこの列車に間に合わなかったことがとても悲しくなります。
本当に素敵な写真です。
by no (2007-10-27 00:20) 

む〜さん

■ no様: はい、私のホームページ『む~さんの鉄道風景』に乗せてあります。とい、いうかネタにつまってHPだけでなく、ブログの読者さんにもお目に掛けたかったのです。そのくらい、気に入った写真集でもあります。駅の空気に浸りに行き、その中で『旅』と『客車列車』を楽しみました。
そして、このあと、急速に電車化が進み、4年後には新幹線の開業となり、高速道路の発達、空路の一般化で、鉄道雄守備範囲が狭まってゆくのでした。そんな、流れを見ることが出来た私は鉄道愛好家として、じつに良い時代を生きています。
なんたって、明治の車両の現役時代を見たんですから・・・・。
しかし、これから先を楽しめるわけですから、決して『間に合わなかった』という事は無いと思います。これから先、鉄道、旅が如何変化してゆくかも、結構楽しめると思うのです。
そろそろ、阿房列車の第一~第三を読み直したくなりました。そして、『贋作・猫』も・・・・・。
by む〜さん (2007-10-27 00:31) 

HIRO

昭和35年の特急はと、今となってはむ~さまのこの最後尾展望車の光景、すごい歴史価値があります。
特急列車もEF58のぐりーんとともに後には客車もグリーンに塗装されて走っていましたね。
この展望車に立って手を振ると、不思議なことに高貴なイメージに変身する不思議さがあります
by HIRO (2007-10-27 00:33) 

じろっち

はとは終戦後の日本が平和になることを願って登場させたと聞いています。
平和・あさかぜ・さちかぜも同時期ですよね。

嫌な事件が多い昨今、はと・きぼうといった名前の列車を登場させた方が良いかもしれませんね。
日本列島を長躯している北斗星かトワイライトの一部を改名させるのが良いかな。
by じろっち (2007-10-27 04:12) 

む〜さん

■ HIRO様: この頃の特急列車、一つだけ好きになれなかったのは、まあ、好みですけれど、『車体の色』だったのです。私の中で。特急は、茶色、チョコレート色では表現できない『客車色』、そして、一等車の白帯、二等車の青帯、さすがに三等車の赤帯は無かったけれど、三本の縦線記号。その最後尾の一等車に乗るなんて、もう夢のまた夢、大体、あたしゃあ、そんな階級じゃあないと思っていました。お金があるから乗るってえモノではなかったのです。
■ じろっち様: 『特急へいわ』は新聞や出版物で見ただけで、実物は見ませんでした。幼かった私は、地元の汽車電車で充分満足していました。その平和が、「つばめ・はと」になるのに、どの位かかったでしょう。子供心に、進駐軍がつけた愛称?と思えました。
「きぼう」といいますと「修学旅行」ですね。「ひので」ってのもありました。153のバリエーションでしたが、座席が狭く、頭上の網棚で、車内の眺めが珍しかった。大学時代だったか、試乗会で品川から平塚辺りまで行きましたっけ。
なにぶん50年も経っていると、全ての記憶がぼやけています。
by む〜さん (2007-10-27 08:50) 

’80XE  PA96E

おはようございます。今日長旅の列車待ちをしています。博多に行くので500系に乗ろうとしてますが、指定は満席なので、自由席の先頭待ちです。
やっぱり500系は人気が高いですね。
昔だったらいよいよ今からなら夕方になるのに昼前には着いてしまいます。早いものですね。
by ’80XE PA96E (2007-10-27 09:16) 

む〜さん

■ '80XE_PA96E様: 500系のぞみで博多ですか。今日は土曜日ですから、お仕事では無さそうですね。九州も一昨年のクレ以来ご無沙汰です。市内電車では長崎が未体験なので、チャンスをうかがってますが・・・。
by む〜さん (2007-10-27 09:39) 

mymeな大家

こんにちは、お久しぶりです。
青大将の展望車、本物を見ておきたかったです。
あと十年早く生まれていれば見られたかも知れません。
EF58の10ヶの車輪と3軸台車の連続ジョイント音どんな感じだった
のでしょうか。勿論回送時にしか聞けなかったと思いますけれど。
むーさんのコメント、
「お金があるから乗るってえモノではなかったのです。」
なんだか気に入ってしまいました。昨今では、金があっても
品がない、と言うような感じがして仕方ありません。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2007-10-27 10:47) 

じろっち

修学旅行専用電車で日光に行きました。
今から32年前の話ですが、その時点で老朽化していましたよ。
当日は大雨だったんですが、硬化してしまった窓のゴム枠から雨が浸みてきました。
新製時はあったそうな机や音声教材も無くなっていました。

修学旅行専用電車での修学旅行は私が最後の世代みたいです。

きょうは東海道線に乗ったんですが、妙に遅かったです。
大雨警戒走行だったのかな?
by じろっち (2007-10-27 16:48) 

Fuzzy

青大将の現物は、本当に見てみたかったですね。
展望車の手摺の高さは、これでなくっちゃ。

たしか、「はと」の行灯テールマークの現物は、大阪の交通科学博物館で大切に保存されていています。(それだけは、実際にこの目で見たことがあります。)
by Fuzzy (2007-10-27 16:58) 

む〜さん

■ mymeな大家様: 三軸台車のレールを刻むサウンドは非常に魅力的なものでした。御殿場線から東京へ直通する列車に良く付いていたマハ29(?・・寝台車改?)に乗り合わせると、なんだかうっとりする感じでした。
確かに今の時代の人々の行動には節度とか、気品とか、いう言葉はなくなりましたね。会社でも、米国式なのでしょうか、上司や、社員教育担当者は、ただ、ひたすら勝つ事を求めました。本屋さんにある書物も同様。そんな世間でしたから、こうなったのは理の当然。
■ じろっち様: 修学旅行電車で日光へ行かれたんですか・・・・。いい経験をされましたね。私は、もうあの電車にお世話になる世代ではありませんでしたから・・・・。私の修学旅行は、EF58(名古屋からC62)の引くスハ32でした。
今日、小田急に乗りましたが、こっちも信号機故障だとかで遅れてました。
■ ファジー様: そうですね。昔の手すりは低かったですね。落ちた方が悪い時代でした。いまは、身を乗り出して落ちたら、手すりが低かったといわれます。どっちが良いのか考えると分からなくなってきます。
大阪の交通科学博物館は2000年に駅から眺めただけでした。惜しかったなあと思っています。
by む〜さん (2007-10-27 21:13) 

manamana

異人さんの荷物の多さにびっくりします。
特急自体が羨望の的であった時代に、
展望車に乗る人たちはひときわ別世界だったのでしょう。
なんだか、空気が違いますね。
by manamana (2007-10-28 09:00) 

なにわ

昔の客船の写真を見ていると、コレぐらいの大荷物は当たり前だったようです。かのタイタニックでもご覧になれば判ります。でもストーリーは無視しておりますが、スタッフは綿密に調べております。もともと同級船オリンピックの2番船ですし、クルーも異動したりしています。
閑話休題、荷物は給仕室にでも積み込まれたのではないでしょうか。
それにしても、大荷物といい、この外人さんにはまだ敗戦国の匂いが漂うのです。
そして、祖父母と父親(カメラを構えているのが母親でしょう)に囲まれて撮られている少年の一家、いまでいうセレブリティかそれとも、展望台に入らせてもらっているヤラセだったのか。
すでにこの時期、「こだま」が12両で走っています。悠然とした時代は流れ去ってゆこうとしています。
by なにわ (2007-10-28 11:42) 

服部光之

修学旅行電車ひのでに乗りました。中学校の関西修学旅行でした。関西を朝出る関西の学校用はきぼうでした。
品川始発で、朝8時半ごろでて、京都へ夕方3時半ごろでしたか。約7時間ですから、当時としては結構早かったと思います。
6人掛けと4人掛けのボックスシートで通路を挟んで並んでいました。テーブルが窓に跳ね上げられていて、荷物台はそれぞれの背もたれの上にあって、狭い空間を精一杯使っている車両でした。
冬季、修学旅行シーズン外には、上越スキー号になっていたりしました。
社会人になってから、スキー号で再会したときには、懐かしさがいっぱいでした。
by 服部光之 (2007-10-28 18:13) 

む〜さん

■ manamana様: 昭和35年といえば、まだ異人さんは、皆、『アメリカ人』で『裕福』というイメージがありました。展望車は、本当に別の世界みたいに見えました。しかし、クロ151、パーラーカーだったら、無理して乗っておけば良かったと思ったりするのです。矢張り、客車列車というものに、そんなチカラがあったのかもしれません。
■ なにわ様: この展望車デッキの記念撮影家族が、どういう経緯だったか記憶がありません。おそらく、二等か三等のお客さんだったと思われますが、展望車のお客さんを見送りに来た、孫一家として置いた方が夢があっていいですね。
■ 服部光之様: 修学旅行用電車は、試乗会で一回だけ乗ったんですが、かなり利用率は高かったらしいですね。九州方面だったか修学旅行気動車があった記憶があるんですが・・・。
by む〜さん (2007-10-28 20:46) 

緑の恵比寿

あこがれの特急はと。夢と希望を運ぶつばめ号とはと号はまさに
日本の王道、東海道のエースとして君臨していたのでしょう。
弁天町の交通科学博物館は、今夏に子供のポケモンスタンプラリー(関東は全て制覇した、よくやった)番外編で、近畿地区のスタンプラリーも制覇したごほうびが、ここの無料入場券でしたので、前から行きたかった(子供をだしにするのはレールおやじのよくある手段)ものでした。「はと」と同じ図柄HMの「へいわ」や、保育社小学館・講談社の「昔持っていた鉄道絵本」には、参りました。
さて、東海道本線、修学旅行団体専用列車、わが母校の府中市立某中学校(最寄り駅現・多磨、昔の墓地前中学)も、「ひので」号でした、湘南電車でもうれしかったのに、同級生と6人掛けの
シートですよ、行きは夕刻着、帰りは夜行、もう完全徹夜でしたね
本当に最後に近いひので号に乗れて、今も生涯の旅行の最高ランクです、お寺のことなどなにも覚えてない(大仙院の高田好胤大僧正でしたか、あれだけは覚えていますが)のにね。
今日はいい天気なのに仕事、まあ近くにモスバーガーがあるので
おすすめのロースカツバーガー、ソースと細かいキャベツ、なによりけっこう厚いカツで大満足でした。そのうち自分もブログを作りたいと思った一日でした。
by 緑の恵比寿 (2007-10-28 22:18) 

む〜さん

■ 緑の恵比寿様: 『つばめ』と『はと』、本当に憧れの列車でした。それもグリーンになる前の姿です。写真は無いのですが・・・・私は何をやってたんでしょう。バカですね。(笑)

 修学旅行は昭和30年3月でしたが、そのころは『ひので』も『きぼう』も無く、スハ32などの貸切客車列車。行きは朝東京を出て夕方、京都着。帰路は夕方京都を出て、東京朝着で、一睡もせず騒いでました。
 お寺も見ましたが、薬師寺はお寺の前で近鉄橿原線見てました。そのときの写真。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link10971-kintetsu.html

 モスのロースカツバーガー、美味いでしょう?
 ブログの立ち上げお待ちいたしております。
by む〜さん (2007-10-28 22:30) 

Capitano

> 品鶴線は、展望車付き編成の展望車を最後尾側にするために設置されたとも言われていますが、東京で客を降ろした編成を五反田あたりまで引っぱり、西大井の先あたりまで行き、東京に戻したんですかね?(又は車庫行き?)

客車の方転は、まず大崎へ引き上げ、品鶴線を推進で蛇窪へ行き、牽引により蛇窪から品川まで引き上げます。
戦前のつばめは東京駅で漂泊させていた様です。
by Capitano (2007-10-28 22:52) 

む〜さん

■ Capitano様: 特急列車の転向はそのように行われて居りました。私も学校帰りに大崎駅で目撃した事もありましたっけ。
 東京駅といえば、八重洲口側の地平に留置線があり、有楽町側から線路が下っておりましたね。腕木式の入れ替え信号機が、幾つかありました。昭和20年代前半の思い出話です。
by む〜さん (2007-10-28 23:07) 

Capitano

特急はとが一時列車名が消滅する直前の貴重な写真ですね。
青大将の現役時代を目の当たりにされておられるとは羨ましい限りです。
大窓のEF58はやはりカッコ良いです。

> 東京駅といえば、八重洲口側の地平に留置線があり、有楽町側から線路が下っておりましたね。腕木式の入れ替え信号機が、幾つかありました。昭和20年代前半の思い出話です。

東海道新幹線開業後の東京駅しか知らない私にとっては、想像がつかない世界であります。
by Capitano (2007-10-29 23:39) 

Capitano

> 鉄道博物館は、もう行かれたんですね。羨ましいなあ。私は、11月の平日を狙っています。雨降りだったら、お客さんも少なそうでベストだろうと思っていますが、如何なんでしょう。

鉄道博物館は、開館初日を含め2回行きました。
まだまだ平日でも混んでいて、館内の売店などは平日でも入場制限が掛かっている様です。
月曜日はこの時期小学校の振替休日になる場合が多いので、避けられた方が良いと思います。
鉄道博物館は火曜日が休館日ですが、年内は12/28まで無休で開館する事を知らない人も居るみたいですので、平日行くなら火曜日が狙い目かと思います。
by Capitano (2007-10-29 23:57) 

む〜さん

■ Capitano様: 国鉄特急の華『つばめ』『はと』『かもめ』など、見られたってのは、ラッキーだったと思っています。皆様よりは多少早かったお陰で、客車特急の復活、電車特急、気動車特急、新幹線と見ること、乗る事が出来ました。でも、お先に失礼せねばならないんですから、どっちが良いか分かりませんね。
前にも書きましたが、青くなる前の色の方が、こころに焼きつき、青列車は、なんとかの厚化粧に見えてしまいます。昔のカラーで『オトナの魅力』を見せ続けて欲しかったです。
大宮の博物館は11月中旬狙いです。お昼ごはんはコンビニでお握りでも買ってゆきましょう。
by む〜さん (2007-10-30 00:12) 

昭ちゃん

58の後ろに写っているのは、大丸なんでしょうね。大丸も新ビルに移転して跡地はガラス張りの建物になるので、まだまだ八重洲口の景色が変わりますね。まあ、既にこの場所は新幹線ホームですが。
by 昭ちゃん (2007-11-03 12:03) 

む〜さん

■ 昭ちゃん様: (1)のEF58の後方に写っているのが、大丸の入っている鉄道会館です。(2)のバックは、国際観光会館と思われます。(第二鉄鋼ビルではないと思いますが)
一階に近畿日本ツーリストが店子で入っていて、近鉄ビスタカー(Ⅱ)の、絵葉書とか、CMソング・・・・楠トシエさん唄・・・・のソノシートを貰いました。ソノシートは残っていますが、絵葉書は使ってしまいました。
鉄道会館は解体されデッキ状のエントランスになると聞きました。
by む〜さん (2007-11-03 20:29) 

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