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本日休業11:1958年DF50 [ネタ切れ写真展]

 話題が有りませんので例によって『本日休業写真館』に逃げます(笑)。そして、これまたホームページからの再録です。サイズはいじりましたけれど。

 先日、『本日休業』の第10回で土佐電鉄の単車をお目に掛けましたが、その旅の一枚です。もちろん日付は違いますが・・・・。
 1958年・昭和33年の8月のある日、高知駅前から、大栃ゆきの国鉄バスに乗り、東に走ります。後免駅のかなり手前、国鉄土讃線と国道が並行する辺り、土讃線の上り列車と競争になりました。DF50形ディーゼル機関車牽引の各停・客車列車。いいレースになり、バスの方が少し早く、後免駅に到着、ホームに入って写したのがこの写真。

 本日休業(11)国鉄DF50形ディーゼル機関車1958年8月 

(1) 三菱重工/Sulzerの『0番台65両』のうちの一両、DF5017。この頃は未だチョコレート色で、じつにスマート。後のオレンジ+グレーとは比較にならないくらい格好よかった。次位のダブルルーフの荷物車もいいですね。左のホームには、オート三輪がはいって荷台におじさんが腰掛けてます。のどかなものです。右端のワムに何か積みこんなのでしょうか・・・・・。

(2) 出発信号機の腕木が下りて、出発してゆきます。右側のホームに一寸写っている待合室に乗客の姿があるのは、この先、土佐山田で交換してやってくる下り列車でもあるのでしょうか・・・・それとも、このホームの右側が土佐電鉄の鉄道線なので、そっちのお客さんでしょうか・・・・。
 DF50にダブルルームの荷物車、案外、似合っていると思います。


 今日は、こんなところでお仕舞いです。  又ね!!
 


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コメント 7

HIRO

DF50当時一番スマートなDLで鉄道ピクトリアルでその雄姿を見た記憶があります。
土讃線に配置されたのは、四国山脈の山越えでしょうか。
ほかにたしか山陰本線にも配置されたと思うのですが
当時はチョコレート一色で非常にいい感じでした。
貨物輸送としてDH10がありましたっけ。2連のDLでたしか北陸線に配置されたと記憶しています
by HIRO (2007-11-01 08:53) 

む〜さん

■ HIRO様: DF50はデザイン性能ともに当時としては一級品だと思いました。そのまえ、北陸線で使っていたDD50は、出力が少なかったためか、最初から重連運転を予定して片運で製造されたようです。いずれも電気式でした。このあと色々と曲折があって、DD51の時代に移って行きましたが、デザイン的には後退したなあと思ったものです。
 現在JR貨物の北海道に居るDF200はわたし的には気に入ってますが、間近で見たことはありません。DF200は又も電気式に戻りましたが、制御はインバータだそうです。
by む〜さん (2007-11-01 09:13) 

はーさん

DF50は確かに印象に残る機関車でした。
しかし、非力で、出力は600kWとのことで、近鉄モ2200、1台分しかないのですね。これで、良く、長い列車を牽けたものです。
北海道で、活躍しているJR貨物の電気式インバータ駆動のDF200の出力は1920kWあるのですね。インバータ駆動の3相誘導電動機は高速回転に出来るので、高出力に出来るのですね。これで、ディーゼル機関車も一人前の機関車になりましたね。
by はーさん (2007-11-01 14:15) 

のり

私もDF50のスタイルは、好きです。
(1)の写真、長閑ですね。右方で、積荷を眺めているおじさんが気になってしまいます。
土佐電鉄鉄道線は、今から約40年前に、たった一度だけ乗りました。後免駅から、(2)の写真の場所で、乗り換えです。架線支柱も見えていますね。懐かしく思い出しました。
by のり (2007-11-01 15:06) 

む〜さん

■ はーさん様: 今、振り返ってみると、100kw×6軸はいかにも少ないですね。直流電機ED16でも900kw、EF15になると1,900kwです。軸あたりの出力で、近いのが、英国電気製のEF50で1,230kw。
 土讃線は20ペーミルを越す、急勾配が多く、土佐山田から吉野川の流域への上り勾配なんか、ゆっくりゆっくり登っていました。トンネルでの煤煙が無いメリットはありましたが・・・・。
 現在のキハ2000の振り子特急なんか、80kmくらいでぐんぐん登りますものね。
■ のり様: 土佐電鉄の鉄道線・・・安芸線は私も一往復だけしか乗っておりません。終点まで行って、バスで、その先の奈半利まで行き森林鉄道を見学しました。総和30年代前半、昔の事です。安芸線には阪神から行った車両が居りました。トレーラーは気動車からの改造でした。
by む〜さん (2007-11-01 19:04) 

no

こんにちは。
DF50は『早すぎた機関車』なのかもしれませんね。
アメリカの潮流なのでしたっけ、電気式って。
大型で路盤の強いアメリカなら大型大出力ディーゼル発電機もよかったでしょうが、日本では無理があったのでしょうねえ。
いまみたいな半導体技術があると、もはや機関車でトルコンなど考えられなくなっていますのにねえ。
私の田舎秋田でもDF50が早期導入されていたようですが、実際に記憶に残っているのは中学の卒業旅行の四国は予讃本線でした。
もちろんオレンジの塗装でしたが、イカシテましたねえ。
by no (2007-11-01 23:24) 

む〜さん

■ no様: 当時の技術水準の中で精一杯頑張ったんでしょう。0番台=65両、500番台=73両、合計138両が生産され、北海道を除く全国で、特急から貨物列車まで牽引。液体式のDD51の量産で、引退に向かったいったと、「Wikipedia」にはありました。
 メカをカバーしただけの造りの凸形DD51よりはデザイン的にも好きでありました。この車体に現代の技術を詰め込んだら、いいものになりそうですが、それはもう模型の世界になってしまいますね。
by む〜さん (2007-11-02 07:56) 

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