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本日休業12:特急はと1960年 [ネタ切れ写真展]

 昨日に引き続き、新ネタがありません。やむを得ず、と言うか、ホームページ『む~さんの鉄道風景』で公開済みの写真で間に合わせてしまいます。いい加減なヤツです。私は・・・・・。すでに、ご覧になった方には申し訳ないのですが、ご寛容の程を。

 本日休業(12)特急はと1960年4月 

1960年は私が大学を出て、某商社に入社した年です。サラリーマン。一応、小遣いも多少は使える。・・・・で、カラーフィルムを買いまして、考えようによってはセコいカメラ、オリンパスペンに入れて、撮り歩く。フィルムは、フジカラーASA10のリバーサル。このときの色は、もともと悪かった。フォトショップで悪戦苦闘。私の技量では無理。ご容赦ください。

(1) 1960年・昭和35年45圧24日・日曜日、横浜にやって来ました。たしか、ここは平沼橋。特急はとが横浜を出て、やって来ました。相模鉄道の電車は2000でしょうか・・・・知ったかぶりです。他の形式かもしれません。
 高いビルが無く、平べったい地平線、たなびく工場の煙、まさに昭和30年代の風景です。そういえば、左端に見える東横線のトラス橋も無くなりました。


 日付は変わって、1960年・昭和35年4月29日・金曜日・天皇誕生日、こんどは、品川です。特急はとが通過してゆきます。

(2) 10番線ホームでしたか・・・特急を待ちました。グリーンの列車がやってくる。これは、これで素晴らしいものでしたが、心の底では、茶色一色の時代を懐かしんでおりました。でも、嫌いではありません。それだけに、青大将と呼ばれたりするのは、可哀想だなあと思うのです。

(3) EF58~スハニ35~スハ44×2~頭の白いのは何でしょうか?調べれば分かるのでしょうがパスして(まさかこんな前の方に食堂車は無いだろうし・・・・スキャンした原画像を拡大したら、どうもスハ44の頭が単に白いだけみたいでもありますが・・・)~スハ44×3~ナロ10・・・・・・・・かな???このあたりの知識は全く無い私でありました。

(4) 展望車の展望デッキには、女性のお客さんが立っておりました。この日は、なんと展望車の前に更に一等車がついていました。調べてみたら「マイ38」だそうです。後に、久里浜の側線で見かけましたっけ。

 今日は、ここまでです。では、又、お目にかかりましょう!!


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HIRO

えっ、これが平沼橋付近ですか、信じらんな~いという感じです
その当時の特急はと、東京駅では何回か見たことがあります
たしかに、ELのカラー、グリーンに下部が黄色で急行を引くELとはっきり分けていましたね。
その当時はフイルムの感度が低かったんですね、でもそれが時代を感じさせるいい仕上がりになってると思います。
でも、35年、社会人になって2年目、横浜がこんなだったのなぜ知らなかったのだろうと思いました。
by HIRO (2007-11-02 10:49) 

Fuzzy

特急「はと」のカラー写真だ!!
すばらしい。
この時代のカラー写真はほとんどないので、こうして拝見させていただくととても有難いです。
高度成長を突き進む日本にふさわしい明るい色合いですね。
見ているだけで元気を分けてもらっている気がします。

機関車のトレインマークと展望車の行燈とは、デザインは同じでも色目が違うのがはっきり分かりますね。

当時のフォトニュースに同じものがありました。
http://blog.so-net.ne.jp/onkochishin/2006-11-17
by Fuzzy (2007-11-02 11:26) 

のり

「青大将」のカラーは、小学校低学年のころに見た、図鑑でしか知りませんでした。美しいですね。
展望車の女性の方は、どんな心地でおられたのでしょう。
そういえば、「ツバメガール・ハトガール」や、「鉄路の友情」のお話も、思い出されます。
by のり (2007-11-02 12:31) 

京葉帝都

EF58の腰の部分の黄色い塗装は警戒色の意味もあるのでしょうが、編成全体を引き締めていますね。現在は車体の仕上が金属+ラインカラーや白地+ラインカラーのパターンが多くなってきましたが、モノトーン一色で決めているのは今見てもかなりインパクトがあります。実際に見たかったです。もしこの編成が茶色で優等車両が白のラインのままだったら、連合軍専用列車の印象がしていたかもしれません。グリーン色は明るい時代が訪れた証でもあるのでしょう。
by 京葉帝都 (2007-11-02 13:35) 

たーサン

 昭和35年4月というと電車化直前ですね。
私はこの年の5月某日、勤務先の役員の上京日程が変更となり、
切符の払い戻しに行かされました。
 見てみると当日の「はと」でした。これを逃してはもはや乗る機会は無いであろうと、腹をくくって京都まで無断出張を敢行しました。
 途中、減速したと思ったら療養所の患者さん、看護婦さんたちとの交歓風景もあり、興奮の35分でした。懐かしい思い出です。
 本日休業写真館歓迎、昔写真大歓迎です。
by たーサン (2007-11-02 14:03) 

HIRO

む~さま、
はとの客車を見ますと、スハの古い車両の中にナハ10らしい客車が混合編成されていますね。
この当時特急は、つばめ、はと、それに平和の象徴のへいわの三本だったでしょうか

今日も地下鉄・小田急へのブログができました。
何よりも横浜地下鉄の開港150周年記念ラッピング電車です
写真を特大型にして特に座席まで横浜開港の絵を描いているのが見ものです。どうか関心を持ってる方は一見ください。
by HIRO (2007-11-02 14:36) 

no

こんにちは。
とても素敵です。
先日の東京駅と同様、HPでたいへん感激した写真でした。
青大将とはよくぞ言ったものですね。
大先輩たちが、この塗装はいただけない、という意味を込めて名付けたのがそもそもらしいですが、なかなかどうして。
私も模型では、旧塗装と青大将と、都合フルで3編成持って悦に入っています。しまったままになっていますが。

大宮の鉄博に至る道路には、青大将のEF58のカットモデルが展示してありますが、ヘッドマークが『つばめ』なのですよ。
いくら国鉄のシンボルとはいえ、やはり東京仕立ての『はと』にしてほしかったなあと思います。
鉄博には展望車がぶどう色塗装で展示されていますが、あれは桃山式デコレーションだから『つばめ』用だと思いますので(富士のテールサインが付いていますが)なおさら『はと』が良いのに、と、駄々をこねたくなりました。
by no (2007-11-02 16:39) 

じろっち

1960年というと、戦争が終わって15年した経っていないから、まだ戦後とは言えない時代だったんでしょうね。
日本が復興したと言えるのは、東京オリンピック開催が決定した翌年じゃないでしょうか。
もしかしたら、東海道線に電車特急を走らせると決めたのは、オリンピックに新幹線が間に合わなくても「努力はした」と認めてもらうためじゃないでしょうか。
by じろっち (2007-11-02 16:59) 

じろっち

忘れていました。
バンダイのBトレインショーティーの既製品に青大将セットがありますよ。
(商品の性質上、フル編成ではありません)
もう店頭で普通に買うのは難しいと思いますが・・・
列車名は「はと」「つばめ」選択式です。
当時話題になった女性の乗務員さんも同梱されてます。
(車両とは別スケールです)
by じろっち (2007-11-02 17:06) 

Capitano

> EF58~スハニ35~スハ44×2~頭の白いのは何でしょうか?調べれば分かるのでしょうがパスして(まさかこんな前の方に食堂車は無いだろうし・・・・スキャンした原画像を拡大したら、どうもスハ44の頭が単に白いだけみたいでもありますが・・・)~スハ44×3~ナロ10・・・・・・・・かな???

また素晴らしい写真の登場ですね。
頭の白いのはスハ44で間違いないと思います。
当時の「はと」の編成は、

EF58 スハニ35 スハ44x4 ナロ10x2 オシ17 ナロ10x3 マイテ58

です。
必要に応じスハ44が1両増結されたり、後ろのナロ10に更にナロ10が2両増結される事もあります。
多客時には写真の様にスイ38が増結される事もありました。
by Capitano (2007-11-02 21:12) 

quatre-l

映画「三丁目の夕日」を観ながら、ホンモノの昭和35年の写真を感慨深く眺めています。
毎日、上野駅で降りて御徒町駅まで歩いているのですが、基本的に昭和のまま。「青大将」が活躍していた頃ともそれほど変わっていないように思います。

それにしても淡い緑色のEF58+旧型客車。今あったら、なんとオシャレな列車でしょう。それより昔の茶色時代を懐かしめるなんて羨ましいです。デザインやカラーリングなどすべてに対して真剣に取り組んでいた時代。その時代がどうにも懐かしく愛おしく感じられてなりません。
by quatre-l (2007-11-02 22:31) 

む〜さん

■ HIRO様: フジカラーのASA10リバーサルフィルムは感度が低く使いにくかったですが、色の持ちはよく今でもなんとか見られます。ハーフサイズで撮ったので大きくするとシャープさが不足です。
横浜の風景だけでなく、東京でも、ビルの背が低く、街路に居ても、圧迫感が無かったですね。
■ ファジー様: この緑色は私にはちょっと付いてゆけませんでした。もう少しピュアな色だと良かったのですが、ちょっと濁った感じでした。それでも、ウインドウシル、ヘッダつきの車体には似合うとは思えませんでした。つまり、ナロ10、オシ17には似合うけれど、スハ44はちょと・・・・って思いました。まして、展望車は、わたし的には賛成できませんでした。
スハ44の全部前方を向いたシートと、ニス塗りの車内は厳かでいい雰囲気でした。
■ のり様: 『友情』の話って京阪かにあった病院だか療養所の患者さんと機関士さんのお話でしたっけ?岩波写真文庫の『汽車の窓から』の最後の方に、列車に手を振る人たちの写真がありますね。
■ 京葉帝都様: EF58の色は葡萄色のほか、この草色、緑の濃淡、紺色にオレンジの裾ってのもありました。私が撮影を始めた昭和28年ごろには、有ったかもしれませんが、すでに進駐軍の列車は目立った存在ではありませんでした。
■ たーサン様: エライ!!Great!!京阪間をご乗車になったんですね。当時は特急に乗るなんて、余程の事がないと乗りませんでしたからね。いい35分間を過ごされましたね。
■ no様: 博物館への道にEF58が「いらっしゃる」んですか・・・・11月19日に見学に行く予定なので、楽しみです。大宮駅では日頃あえない電気機関車にも逢えそうですし・・・・。
■ じろっち様: 東海道を電車と急が走るようになったのは、オリンピックと云うよりも、矢張りスピードは時代の要求だったのでしょう。『もはや戦後ではない』時代だったのでしょう。
■ Capitano様: 特急はとの客車編成。有難う御座いました。
■ quatre-l様: さっきTVでやってましたね。CGとセットであそこまで表現できたのは評価できますね。じつは、私は葡萄色の特急を、あまり撮ってません。昭和31年に小野田駅で特急かもめを撮ったのは割りとマトモですが・・・・。(こんど、ブログに出しましょうね)
葡萄色の特急は、兄が何枚か撮っていて、私のホームページに出してあります。下記URLです。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link814shunkan.html
by む〜さん (2007-11-03 00:32) 

緑の恵比寿

祖父がよく三等車と言っていた時代の特急「はと」、その一等車に展望車以外のマイ38があるということを教えていただきました。
ところで、昨日うちの子供の学校が創立記念日で休みだったので
妻の母と鉄道博物館に行ったようでして、出し抜かれたのです。
息子の言うことには、平日だけどえらい混雑で、食事は一時間半
待ちだったとか。 まあ、出し抜きの罰として空腹の刑は当然か。
奴はhpから勉強(学校の勉強は親と同じでほとんどやらない)
し、館内案内を覚えたそうですが、余りに広く、混雑していたの
で混乱したそうです。入館前に軽く腹ごしらえ(私は、大宮駅構内
いわゆる駅ナカの「おにぎり」がお薦めです)。
今日あたり、町田に用があるのでTeaCup訪ねてみます。
by 緑の恵比寿 (2007-11-03 01:38) 

mymeな大家

こんばんは。
やっぱりEF58の牽引する特急は、本当に特急という感じがして
いいですね。一等車はお金持ちの品のいい方専用。
展望車はもう作られることはないのかな・・・。
それでは、失礼します。
by mymeな大家 (2007-11-03 03:11) 

む〜さん

■ 緑の恵比寿様: うわっ!やられましたね。でも、いいお祖母ちゃまですね~。孫の居る私、お祖母様の気持ち判ります。
19日に行きますが、お昼御飯は見学前か見学後の外でとるか、お握りでも持ち込んだ方がいいですね。
Tea Cupで小田急を見物される由、VSEかオリジナル塗装のLSEが通るといいですね。
■ mymeな大家様: 展望車の室内ってオトナの雰囲気ですよね。桃山式でなくてもそうでした。
展望車の室内には二度しか入ってませんが、こんな風になっておりました。
(1)マイテ58の室内
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link142.html
(2)マイテ391の室内
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link811shunkan.html
一等車って入るだけでも緊張しましたっけ・・・・。
『はと、つばめ』の客車は三等車のスハ44だって、気のせいか荘厳な感じさえしました。ニス塗りの所為かもしれません。
二等車はたしか特別二等車・・・特ロあたりから軽い感じになった気がしますが、思い込みかもしれません。
一度はオープン展望デッキに立って見たかったです。
三等展望車は日常でしたが・・・・ちょっと危険だったけど少年む~さんはご愛用でした(笑)
by む〜さん (2007-11-03 06:33) 

のり

「鉄路の友情」ではなく「線路の友情」だったかも知れません。
大阪・京都の境、山崎付近にあった結核療養所で、特急列車に手を振り続ける青年に、乗務員が手を振り返したことから始まったお話だそうです。結核で療養中の人々にとって、颯爽と行く憧れの特急列車は、生きる希望の象徴だったのでしょう。
by のり (2007-11-03 10:59) 

なにわ

青大将といえば、田中国衛、ではなく(富良野へ行ってしまいましたね)、この緑色、京阪の薄緑ではなく、最近KATOが発売した抹茶のような色みたいですね。一般の客車がぶどう色1号からぶどう色2号になって明るくなっただけに余計に評判が悪かったのですね。
当時の三等車はスハ44(モハ151、モハシ150、クハ151、サハ150)、二等車はナロ10(モロ151、モロ150、サロ151)です。( )内は「こだま」の使用車です。客車は一等車、食堂車以外は非冷房、151系は全車冷房車でした。「つばめ」「はと」の人気が下落していたのではないでしょうか。
一方、他の客車特急は「あさかぜ」「さくら」、こちらは20系になっていましたが、「はやぶさ」「かもめ」は在来車輌を使っていました。
マイ38、もとは供奉車の改造車でした。外国人団体でもあったのかもしれません。
    
by なにわ (2007-11-03 18:24) 

む〜さん

■ のり様: このお話は『つばめを動かすひとびと』に出てきましたっけ?本だけでなく、映像で見た記憶もあるのです。
■ なにわ様: そうですね、『つばめ、はと』のグリーンは、輝きの無い、よく言えばしっとりした白っぽい草色、抹茶色と言うのは当たってますね。確かに、特急こだまがエアコン付きなんですから、差は大きいですね。
by む〜さん (2007-11-03 20:37) 

緑の恵比寿

Tea Cup、良かったです。昨日、野津田公園の祭事から抜け出す時間帯がお昼でしたので、希望の場所が取れるか心配でしたが、左3番目をキープ、5000、hiSE、RSE、EXE、VSE系の撮影成功です。しかし1000、2000、3000系ステンレスカーばかり、優等車両に5000は、粋なはからいですね。しかし、ここで写真撮っても店に何も言われないのも粋です。パスタランチセットを注文し
サラダ・ナポリタン(茹で加減もよく美味)ブレンドコーヒー(香りがよくとても美味)デザート(ムースのブルーベリーソース)まで付いて千円以内には驚きです。店の隣が久美堂書店、百貨店指定いちや駐車場(質屋なのにいち屋)からまた野津田に戻り、今度は
市民病院と、完全に町田三昧でした、車ですが。
by 緑の恵比寿 (2007-11-04 22:08) 

む〜さん

■ 緑の恵比寿様: Tea Cup!!良かったでしょう!!まさに、鉄道ファンの為のシートが、八つくらいは有るでしょうか・・・・。時々、『鉄道の効き目が切れてきて禁断症状になった時』に、珈琲休みで寄りますが、こころが安らぎます。
 いちのや駐車場はよく利用しますよ。経営者の質屋さん、ちょっと前まで、クラシックな蔵がありましたが、いまは新しいビルになりました。でも、ちゃんと質屋業は、やっています。市民病院は、1963年、私が移住してきた頃は、ここから先は、田園風景でした。いまは、ず~~と先まで家並みが続きます。病院だって木造平屋で、松ノ木があって『田舎の療養所』の雰囲気でした。
by む〜さん (2007-11-05 08:30) 

manamana

どうも、この時代の写真を見ていると
ゴジラが現れて、町をめちゃめちゃに壊してしまいそうな気がします。
展望車、あこがれます。
by manamana (2007-11-05 21:53) 

む〜さん

■ manamana様: ゴジラは映画館で見ていないのです。TVで見ただけ。平田昭彦さんの科学者が印象に残っています。オキシジェン・デストロイヤーでしたっけ?
by む〜さん (2007-11-05 22:43) 

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