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本日休業13:スカ線のモハ43 [ネタ切れ写真展]

 今週の月曜日、2007年11月12日に訪問した湘南モノレール、いろいろありまして、間に合いませんでした。こんな時のために、兼ねてより準備の画像を出して、誤魔化す悪いヤツ、む~さんです。

 本日休業(13)スカ線のモハ43 

 横須賀線といえば私が高校に行ってた頃、既にモハ70、クハ76の時代になっておりました。それでも、関西から来た、モハ52流電のサハとか、このモハ43が混じって走っていたのです。
 20mの車体の両端よりに付けられた二つのドアの間に、ずらりと小窓が並び、何とも言えぬカッコ良さ。今、思い出しても、ゾクゾクします。そんな、モハ43です。

(1) 1958年・昭和33年10月、大学の3年生の秋です。愛器、オリンパス35-Ⅳを持って、田町の電車区を訪問。モハ53005・・・・確か、モハ43の出力増強型だったと思うのですが・・・。前面の貫通幌も素敵。当時の私、貫通幌は最前部に取り付けられていると、何故か関西の電車みたい!と思ったのです。

(2) 社会人一年生の1960年・昭和35年春、ハーフサイズカメラ、オリンパスペンに詰めていったのは、フジカラーフィルム。ASA感度は10で、使いにくかったけれど、色の保存性は良い様で、いまだに見られる色を残しています。
 場所は、先だって、このブログにだした『特急はと』の撮影をした、横浜駅のちょい先の平沼橋。モハ43が先頭に立ち、次位がサハ48、グロベンは惜しいけれど、実に素晴らしいお姿。向こう側は、153系の湘南電車。

 そういう事で、今日はこれにてオシマイという事に・・・・・・。


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コメント 13

モハメイドペーパー楠居

 モハ43の次は一次流電のサハ48029ですね。これでサロが戦前型の
45ならいうことなし。この組合わせはいずれ模型での再現を目論んで
います。
by モハメイドペーパー楠居 (2007-11-16 15:41) 

む〜さん

■ モハメイドペーパー楠居様: このサハ48は一次流電の車体更新後の姿なのですね。知りませんでした。私が高校生時代ですから昭和28~9年、田町を通ると屋根のサイドに鎧戸風のベンチレータの並んだ張り上げ屋根のサハが居ました。異色の車体なのでよく覚えています。
サロ45は、昭和20年代末頃は、未だ現役で、当時の私は、『サロ46の方がいいな!』と思っていました。サロ15だったか、形式番号は忘れましたが、18mのサロもいました。
by む〜さん (2007-11-16 16:07) 

Fuzzy

こういうシーンは、昔飯田線で見たような・・。
関西では東海道の茶色か片町・阪和のオレンジバーミリオンだったので、ツートンカラーのスカ色は、とても洗練されお洒落に見えましたね。
by Fuzzy (2007-11-16 17:20) 

HIRO

平沼橋付近おスカ線電車、2ドアだったんですね。
33年なのに、はっきり記憶になく、鉄道ファンを子供の頃からと辞任しているのに自分が情けないです。
平沼橋というと、今の相鉄ですが、その頃の相鉄は横浜駅はどの変だったのでしょうか。
モハ43形が美しく、模型で机の上に置いて眺めたい感じさえします
by HIRO (2007-11-16 17:23) 

HIRO

すいません、おスカ線は、のスカ線、辞任でなく自認、どの変はどの辺です。
お詫びします。このところ間違いだらけの字が出るので対策を考えています。
小説も書くので間違いないようにしているのですが。
by HIRO (2007-11-16 17:27) 

む〜さん

■ ファジー様: モハ43とその仲間たちを葡萄色の編成で見てみたかったです。私の知っているのはスカ線のブルーとクリームの二色塗りだけなのです。当時は既に旧型扱いでしたが私は、70系電車よりもずっとずっと好きでした。
■ HIRO様: モハ43とその一族は1933年・昭和8年ごろからの電車で、私の生まれる前から活躍していたそうです。堅実で格好良いスタイルだと思います。ずらりと並んだ小窓が素晴らしい。そして、これから派生した半流線型で大窓のタイプもあって、これは更に洗練されていました。
相鉄の横浜駅は丁度、東横線の鉄橋を見上げる感じの地平にありました。基本的には現在とそんなに違わないはずです。
キーインと変換の誤りにつきましては、あまりお気になさらないで下さい。文を作成した後、ミスを修正した後、送信すれば問題ありません。MS-IMEの学習機能は不完全なので、事後の修正は必須です。
by む〜さん (2007-11-16 18:56) 

manamana

すごい、かっこいいい。
こういう電車に乗って鎌倉へ行くと、
ちょっと遠くへお出かけといった感じがします。
by manamana (2007-11-16 23:37) 

なにわ

明朝回しにしましょうかと思っていましたが、「おおう」な車なので(最近の車にほぼ興味が無いこと丸出しです)、今夜じゅうに書いておきます。
53005がどちら向きかはすぐにいえませんが、奇数向きのジャンパ栓がまだ残っていますね。この5年後、通勤対策で3ドア化されて、50006となり、直後に悲劇が待っていることは神のみぞ知るところです。
43や53を3ドアにするのなら、飯田線に送り、大阪か宇野線の51と交換してやればよかったのですが。
by なにわ (2007-11-16 23:50) 

む〜さん

■ manamana様: カッコいいでしょう?!この系列の車の時代は・・・・・。小窓、リベット、車内はクロスシートですが、緑のモケッと張りで、低い背ずりには真鍮の握りがついていました。登場時、前照灯はオデコだったらしいのですが私は見た事が無いのです。
■ なにわ様: この53005は向こう(車庫側)が東京、手前が横浜だったと記憶します。5年後の3扉化したのは、もう社会人になったあたり、通勤時に???って感じで眺めていました。たしか、モハ30XXXだったと覚えています。まさか、モハ53の改造車とは思いませんでした。スカ線の編成の中ほどに居たように覚えてます。
追加のコメント、期待です!!
by む〜さん (2007-11-17 00:08) 

じろっち

さいきん休日限定で、スカ色113系?が横須賀線を走ってますよ。
近くで見ていないので所属は分かりませんが、大船センターで見たことは無いので、どこかから来ているようです。
パンタが流行の形状のに変えられていますが、屋根上はあんまり見ないので、マニアでない乗客は懐かしがっているようです。

でも、老朽車ってどうなんでしょ?
安全性に問題があるだろうし、サービスも現役車並みは期待できません。
あんまり旧いのは展示のみ・体験乗車に限った方が良いんじゃないでしょうか。
by じろっち (2007-11-17 06:40) 

のり

スカ色の旧国は、昭和53年の夏に飯田線で出会いました。ずらりと並んだ小窓は豪快でした。そんな中で、流電は、たった一度の出会いでしたが、感激したのを覚えております(来訪目的が流電でしたので・・・)。二次車の、向かい合わせのボックス席一つ分の大きな窓は、当時非常に斬新だったのでしょう。
現在、一次車の先頭車が、吹田工場に、デビュー当時の姿で保存されているそうで、二次車先頭車も飯田線沿線に保存されているそうです。
by のり (2007-11-17 07:42) 

こんな「旧国」見られるなんて思ってもいませんでした。
子供のころ東京でかすかに見た記憶しかありません。
「誤魔化す」・・おかげで楽しませていただいています♪~♪。
by (2007-11-17 08:28) 

む〜さん

■ じろっち様: 113がスカ線にはいるんですか・・・・なにかのイベントでしょうか。まあ、古い車でも整備さえちゃんとやって検査に通っていれば、安心だと思います。そうは言っても111、113、115、好きなほうではありませんが。
■ のり様: 飯田線の本長篠だったかに並べてあると聞いたことがあります。じつは、私は飯田線に乗ったことがありません。中央線~飯田線~新幹線の「ツアーを計画しては中止してます(笑)。
少年時代は大窓の車が好きで、『スハ32』より『オハ35』の方が好きでした。半流線型のモハ43に憧れmモハ52の二次車に憧れましたっけ。まあ、大昔のお話です。
■ HUDSON様: 昭和20年代後半~30年代、もっとい撮っておけばよかったんですが、後悔先に立たず。嗚呼!!
by む〜さん (2007-11-17 12:09) 

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