#146:またまた東急世田谷線へ [お出かけ通信136~150]
1964年9月20日の東海道本線を書いている最中なんですが、昨日、2007年11月26日・月曜日、時間があったんで、ふらりと東急世田谷線に乗ってきました。9月以来、ご無沙汰でしたので、ちょっと『気持ちをほぐしに』出掛けたという訳です。ついでに、昼飯も三軒茶屋でカレーライスでも食べようなんて考えて居りました。
■ お出かけ通信(146) ■
■ またまた東急・世田谷線へ ■
小田急の町田駅のホームに上がりましたら、丁度、快速急行が入ってきましたので、3000ですが一応、乗る。快速急行は新百合ヶ丘から下北沢まで停まらないので、次の新百合ヶ丘で多摩線から来る多摩急行(営団7000でした)に乗り換え、さらに成城学園前でとなりのホームに停まっていた、これまた3000の各停に乗り換え。スムーズに豪徳寺まで来ました。下りの通過線を多摩急行運用の4000が駆け抜け、カメラを取り出す余裕もありませんでした。
(1) 玉電山下とついつい口走ってしまう世田谷線山下駅でカメラの撮影習熟トレーニング。長いレンズ、このカメラの露出計算の癖も知っておかねばなりません。
ホームの三軒茶屋向きの端から、小田急の高架の下を通して世田谷線を何枚か写してみます。下高井戸行きの307が来ました。やっぱり、架線が飛んでしまいました。難しいものです。快晴でなく空の白いお天気が難しいようです。
(2) 307のヘッド部分、東急のマークが・・・・・・。
(3) 4分後には、次の下高井戸行きが来る。301の玉電デハ200塗装。
(4) 三軒茶屋行きの304ですが、丁度、小田急湯の高架下。向こう側がぶっ飛んじゃいましたが、この辺りは、効果としては面白そうです。そういえば、MS=IMEでは「SANGENJAYA」では、三軒茶屋と変換できず、「SANGENDYAYA」で変換かけないと駄目なようですね。日本語とヘボン式ローマ字との関係は如何なっているか知りませんが、東急さんはヘボン式なのでしょうから・・・・。どっちが、正式ヘボン式ローマ字なのでしょうか、私には解らなくなっています。
暫く、山下駅で撮影しておりましたが、そろそろ12時も半分回りました。そろそろ移動の時刻です。やってきた307にのりまして、三軒茶屋終点の一つ手前、西太子堂駅で下車いたしました。これからお昼御飯です。
(5) 西太子堂の駅から500m足らず、世田谷通りに面したカレー専門店の「チャナ」まで、のんびり歩きます。注文したのは、チャナカレー(辛口)980円と茹で卵50円。でっかい、柔らかい豚がたっぷり入ったカレーは、何時たべても美味いなあ、もう一度来たいなあと思ってしまいます。ご馳走様と外へ出ました。再び、のんびり歩いて、細めの道の両側の民家などを眺めながら、西太子堂の駅まで戻って来ました。
・・・・・・西太子堂駅に戻る。13時20分あたり・・・・。
(6) 西太子堂の駅で何枚か世田谷線を撮影する。下高井戸へ向かう301の玉電デハ200イメージ塗装。
(7) 何となく阪堺電車を思わせる風景の中を302がやって来ます。
(8) 三軒茶屋行きの302が停車中のところへ、下高井戸行の305がやって来ました。この305に乗り込みました。バックの超高層ビル、キャロットタワーの無料展望室は、レイアウトみたいに世田谷線がよく見えます。
(9) 305に乗って山下駅まで来ました。小田急に乗り換えようとして、100mも離れていない豪徳寺駅へ。駅前で振り返り世田谷線の踏切を眺めていると、さっき西太子堂で見た302が山下駅に入って来るところでした。
(10) 小田急の下りホームの新宿よりの端っこで10分ほど、小田急の電車を眺めていました。8556以下8000系が快速急行藤沢行で中線を走り過ぎてゆきました。
その後、各停電車で経堂、そして急行に乗り換えて、帰って来ました。
・・・・と、言う事で16時、無事に御帰宅。
次回は、また1964年の東海道本線に、お話を戻しましょう。
おはようございます。
『玉電の』と言ってしまうところは、さすがに先輩ですねえ。
私などは『せたせん』なんていう言葉が口をついてしまいます。
上町のベトナム料理店をご存知ですか?電車沿いの、電車からも良く見える店です。一度行きたいと思っているのですが、なかなか機会が無くて。井の頭線永福町の杉並区立郷土博物館で「レンズの記憶 あの時あの場所」をやっているそうで、鉄道関係のビデオ放映もしているらしく、それを見るついでに上町に足を伸ばしてベトナム料理を食し、ついでに宮の阪でデハ80を見るという壮大な計画を立てています(笑)。
ローマ字表記は、訓令式とヘボン式に大別されますが、ヘボン式がまたいくつにも分かれているようですね。
私も、川口の国道の『づ』の標記をduと書いてある国交省の看板を問題にしたら、国語教員の友人から、そういう表示表があるのだ、と指摘を受けました。たしかにありました。5種類ほどの表が並存しているようです。
MSがどの表に依拠しているか不明ですが、なんとなく『テキトー』な感じがしないでもありません。
私自身は訓令式を使うべきだと考えていますが、世間はそうは考えていないようです。
by no (2007-11-27 09:54)
ほんと沿線風景が、阪堺電車のようですね。
違いは、車両のお洒落具合ですかね。
それと、玉電塗装を再現しているところをみると、やはりあの車両は名車だったんだなあ。とつくづく思いますね。
by Fuzzy (2007-11-27 11:17)
■ no様: 玉電時代に脳ミソに刷り込まれちゃったのでしょう、いつまでも『玉電』になってしまいます。(笑)
三軒茶屋の次に『玉電中里』ってのもありましたっけ・・・・・。
上町のベトナム料理ですか、いや~、存じません。お店の名前、お教えください。ランチタイムもやってると、こんどの世田谷線ツアーのコースに入れたいと思うのです。
井の頭線も、小田急が各停に乗らなくてもいいので、かえって早く井の頭線に乗れますね。最近、とんとご無沙汰なのです。永福町の駅名を読んで、あの飛行機の格納庫みたいな建物を思い出します。そのころは、1700とか、1900とか居ましてね。濃緑色で走ってました。高校生の私には東急よりも、車両のランクが上に見えました。
ローマ字といえば、確定したシステムかと思いましたら、時代がたてば、変化してくるんですね。ヘプバーン先生も、首をひねっている事でしょうね(笑)。ヘップバーンよりもヘボンの方が音声の文字表記としては近い気がします。昔の人の方が妙な先入観がなかったのでしょう。
Bとか、Mの前のNはMと書くなんて守ってないのが結構ありますね。
宮の坂駅前の保存車両、ちゃんと中に入れてよろしいのですが、もう『玉電デハ80形』ではなく『江ノ電600』の姿になってるのが惜しいです。ステップは無いし・・・・。デハ80は保存に値する名車だと思うんですが。
■ ファジー様: 当時、他社に類の無い構造で、初めて二子玉川園駅構内で組立作業中のデハ200を見て仰天しました。可動式のステップとか、保守が大変だっただろうなあと思ったりします。デハ200は保存車があってよかったと思っています。
by む〜さん (2007-11-27 11:38)
こんにちは。
かわいいですね。
まだ乗ったことないので、今はむ~さん様の写真で我慢します。
あ~乗りに行きたいっっ!
カレーが美味しそうです。お野菜は煮込まれてトロトロなのでしょうか?
やはり小田急のアイボリーとブルーは落ち着きますね♪
by ぽんた (2007-11-27 14:39)
三軒茶屋 さんげんじゃや ではなく、
さんけんぢゃや と入力しないといけないようです。
ちなみに このATOKでも同じでした。
by manamana (2007-11-27 19:20)
■ ぽんた様: ホントに可愛いでしょ?!是非一度、乗りに行ってください。全線、往復乗ったって所要時間は知れております。結構、楽しいですよ。
チャナのカレーはホントに美味いです。野菜溶けちゃった風のとろりとしたカレー汁に、でっかい、柔らかなポークが幾つも入っておりました。
小田急の普通鋼の電車はどんどん減ってゆく傾向です。
■ manamana様: まあ、ローマ字っていうのは、難しいもので、方式も幾つもあって、それぞれ表示方式が異なり、それを、色々な国の人たちが、ちがった読み方をしているようです。言語というものは難しいものだなあと思いますね。
by む〜さん (2007-11-27 23:22)
僕が知ってる東急世田谷線は旧式車両のオンパレードでした。
そのうち高床式の電車は乗り降りがちょっと不自由だったような気がします。
一度だけ京王線の下高井戸から沿線を電車を追いかけてとうとう三軒茶屋まで歩いたことがありました。
管理が悪く、行方不明ですが、今となっては貴重です。
小田急今回随分乗りましたが、気がついたら5000までパンタグラフがシングルアームになっていましたが、シングルのほうがなにか効果があるのでしょうか。
JRも最近製造車は皆シングルアームですが。
by HIRO (2007-11-28 19:17)