新幹線開業前夜(中) [国鉄1960年代]
一昨日の続きです・・・・友人とともに、国鉄東海道本線の撮ろうと、保土ヶ谷~戸塚間に出かけてゆきました、当時は、未だできていなかった、今の東戸塚駅の辺りに行ったのです。御覧の通り、いかにも田舎風の風景が広がっていました。1964年・昭和39年9月20日・日曜日のことでありました。
■ 新幹線開業前夜・東海道本線1964年(中) ■
今回は、急行、準急、そしてスカ線で、たった三枚ですけど・・・・・・。
(1) 急行宮島です。153系も、約900kmうぃ走破していたのですね、
(2) 準急・湘南日光です。165系を使っています。先日、訪問した大宮の『鉄道博物館』に、この湘南日光のヘッドマークが展示されておりました。左の奥の方に貨物列車が写っています。一見、EH10なのですが、拡大すると、どうも違うようなのです。ひょっとすると、EF61かも知れません。
(3) 横須賀線です。20m2扉車の扉増設車です。モハ43→クモハ51200、またはモハ53→クモハ50000なのだそうですが、どっちかは判りません。先頭に立つと、この電車は実に格好いいと思います。三扉化も時代の要求なのでしょう。
次回は、このシリーズの最終回で、九州特急です。
こんばんは。
先日の151系といい、本当に美しい色が出ていますね。
43年前のフィルムとは思えないほど綺麗ですね。
小窓がずらりと並ぶ電車、私も好きです。東武の1700系、阪急のデイ100、思いついただけでも気持ちが高鳴ります。けれど実物は見たことがありません。むーさんは小窓連続電車はどれがお気に入りでしょうか。あまり好きではないでしょうか。
by mymeな大家 (2007-11-28 01:59)
■ mymeな大家様: カラーフィルムでも、フジのASA10のリバーサルフィルム、ネガカラーのASA64は、ウチみたいな劣悪な環境でも、色が割りと残っています。好んで使っていた昭和30年代のサクラのネガカラーは、ほぼ全滅(一本、ブローニーでいいのがあるけど)、ポジはモノクロに近くなりました。
小窓連続車両!大好きですとも!ガキの頃は、旅行のときなんか、大窓のオハ35にめぐり合わせた時の喜びといったらありませんでしたが、長ずるに及び、小窓ファンになりました。ですから、一番好きな客車が『スハ32のダブルルーフ車(丸屋根だって好き)』です。
電車も同様で、関東だったら東武の1700(初期の貫通タイプが好き・・・・1720DRCはお顔が犀みたいで少々?ですが)、5710もいいですね。小田急2300、京成1600開運。
名鉄にもぞろぞろ居ますね・・・代表選手は3400。
関西でしたら、近鉄2200、2250以下沢山。阪急100。京阪なら1810・・・・・と、止まらなくなりますので、この辺でSTOP。
・・・・と言うように、窓を一つ、独占できるのがいいですね。そんなわけで、国鉄の客車、オハ30とか、ナハ22000、みたいに、三枚窓でクロスシート二つのクルマは、中途半端で、子供心にも嫌でした。
でも、大窓だって好きですよ。(なんか、浮気っぽいですね、私は!)
by む〜さん (2007-11-28 07:51)
戸塚と東戸塚を、比べてみると、都市計画の重要性を、感じます。
by G20 (2007-11-28 09:19)
■ G20様: 『戸塚』は、宿場だったし、長い時間を掛けて住民が生活の場として育てて来た街であり、東戸塚は、枠を作って、そこに住民を送り込んだ街なのでしょうか・・・・よく判りませんが、そんな風に思いました。
このころ、東戸塚の駅の出来る場所なんて、何にも無かったのです。その後、ここを通り掛って、あまりの変わり様に呆然とした記憶があります。まさに、浦島太郎です・・・・・横浜には浦島伝説の地の一つがありますね。
by む〜さん (2007-11-28 14:40)
東戸塚ー保土ヶ谷間という説明を読み、カーブの模様とか地形の感じで読み取ることができますが、説明だけでは分からないほどの今は劇的変化です。
段差が高いところから右が東海道線、横須賀線、左は品鶴貨物線ですね。
横須賀線の二扉車は残念ながら記憶がありません。
電車急行全盛時代で、宮島は東京ー広島間なのでしょうね。
大阪、神戸までの昼間急行をこの写真見て思いだしました。
なにわ、せっつ、よど、六甲とか本数が多く、輸送需要を乗り切っていたのでしょう。
それに当時は修学旅行専用電車もあり、こまどり、わかくさなどの愛称で走っていました。
by HIRO (2007-11-28 19:04)
もしかして線路のど真ん中で撮影ですか。
恐くなかったですか?
by manamana (2007-11-28 19:29)
宮島、はじめて見ました。
東京から広島エリアまで急行なんて、昔の人は我慢強いですね。
まあ、今みたいに選択肢が無かったから仕方ないか・・・
仮に今、485系普通車クラス同等の車両を使用した急行が東京発であったら、どこら辺まで行けますかね?
私は都心から静岡あたりまで東海道新幹線の恩恵を受け難い駅に停まりながらなら、豊橋あたりまでは行けるかなと思いますよ。
新幹線では得られないサービスがあれば、東海道急行も有りだと思うんですがね。
by じろっち (2007-11-28 21:31)
もうだいぶ前ですが、東海道新幹線のリニューアル工事として、全線を止めて工事したことがありました。
あの時には、在来線にむかしみたことのある筋がいっぱいあって、代替輸送したのです。
確か、党名バスも大増発したと記憶しています。
あのリフレッシュ工事でずいぶん東海道新幹線は改良されたのですが、新幹線工事が五里霧中の中だったので、築堤部分が多くここから地盤の弱体化が始まり、その後の新幹線が土盛り路盤を採用しなくなったのですね。
それでも、東海道はとまることはなかったということですね。
by 服部光之 (2007-11-28 21:55)
■ HIRO様: 新幹線開業前の東海道は沢山の優等列車がはしり、もう飽和状態でしたね。客車は下降気味で、電車の全盛時代でした。このブログを書きながら、昔の思い出に浸ってしまいました。
■ manamana様: そういえば、東海道本線と貨物線の中間帯ですね。しゃがんでいたか様に思えますが、なにしろ40年以上も昔の事とて、記憶はありませんが、中間帯の幅はあったし、安全確認は習慣になってましたので、怖くは無かったはずです。踏み切りのところだったと思います。運転士さん、機関士さんに心配を掛けるような真似は、今なら絶対にしません。まあ、当時は、結構、アバウトな世の中でもあったのです。
■ じろっち様: 当時は、なにしろ汽車しかないのですから、九州だろうと、青森だろうと、汽車で行くしかなかったのです。飛行機なんて、考えもしませんでしたね。
東海道本線の急行電車があっても、利用するお客さんは少ないのではないかと思います。急行料金を、英国みたいに、ナシにしてしまったら、多少は、変わると思いますが・・・・・。
■ 服部光之様: 新幹線のリフレッシュ工事のことは覚えていないのです。そんな事があったんですか・・・・・。なるほど!
土盛り築堤は、苦労したところが多かったらしいですね。水抜きに砂を入れたり、いろいろな方式があったようです。
by む〜さん (2007-11-28 23:55)
この話題とは180度方向性が違う話です。
まだ登場して間もないE233系に東海道仕様が登場したんですね!
とりあえず2編成が国府津に所属とか・・・
そう遠くない将来に211系を駆逐するかたちにE231系と共に東京~沼津の顔になるんですかね?
小田原~静岡を普通で移動する人って多いんですよね。
可能ならば、E233系は休日だけでも静岡まで行くのを作ってほしいです。
by じろっち (2007-12-01 07:04)