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本日休業16:蒸気機関車2120形1954年 [ネタ切れ写真展]


 お早う御座います。やっぱり落ちてしまいました。昨日は、まあ、色々ありまして・・・・午後、ちょっと午睡をと思って横になり、気が付いたら3時間経過・・・・って訳でして、申し訳ありませんでした。
 1969年6月29日の横浜市電撮影会の画像、フィルム一本、30駒のスキャンだけは終了させる事は出来ましたので、このあと、分類、加工、一寸調べものをして、次回には何とかいたします・・・・と、言い訳です。

 
 で、今朝の画像は、こんな写真。国鉄の蒸気機関車2120形。『昭和31年6月15日鉄道図書刊行会発行、 臼井茂信著、国鉄蒸気機関車小史』によりますと、東海道全通のころ、1890年あたりから1900年代初頭に掛けて製造され、268両もあったのだそうで、蒸気機関車の発明者といわれる、R.トレビシックの孫、R.F.トレビシックの設計と推定されるとあります。

 本日休業(16)2120形2383・品川・1954年2月 

 昭和29年2月といえば高校1年生、学校帰りに品川駅で途中下車して寄り道。海側に広がっていた貨物ヤードの側線で休憩中の2120形2383を見かけて撮影しました。もっと、詳細に撮って置けばいいものを、たった二駒ですが・・・・。

 当時、新橋・・・汐留で貨車の入れ替えは、もっぱら、この2120が行っておりました。品川の貨車入れ替えもやっており、時々、貨物列車を品川から汐留まで引いてくる事もあり、重連・バック運転で田町から、東京港口のガードまでの上り勾配を煙を勇壮に吐き出しつつ走る姿を忘れる事が出来ません。その姿から、箱根越えでの活躍を想像したものです。

 入れ替え専門だった為か、前照灯がありませんね。動輪三つ、従輪一軸のC-1で、空気関係の部品を後付けしていますので、多少、眺めがうるさいのですが、それはそれで、良いなあと思ったものです。私の好きな蒸気機関車の一つです。


 そんなわけで、『横浜市電1969年』は、次回からと致します。


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コメント 11

Fuzzy

うわっ。B6だっ!!
さすがにこれが現役の頃は、全く知りません。
明治の機関車の中では、ピーコックとともに好きな機関車です。
大陸にも渡って活躍したとか、聞いています。ナンバープレートもTYPE入りのものならもっと素晴らしいと思います。
空気配管が少しうるさいですが、この時代まで現役であったとは、大切にされていたのでしょうね。
5音階や3音階の汽笛に混じって響くB6の汽笛・・・しみじみとした明治の響きがしたことでしょう。
関東のどこかの大学が動態保存しているそうですが、一度見てみたいものです。
by Fuzzy (2007-12-02 07:49) 

む〜さん

■ ファジー様: 良いでしょう!私の少年時代にはそこら中でB6が活躍していました。あの汽笛で重連時の絶気の合図なんかをするんですよ。堪りませんね~・・・・それも大昔のお話になりました。
 日本工業大学だと思われます。17両あった2100形のうちの一両、2109が保存されており、同大学のホームページに記事があります。
http://www.nit.ac.jp/center/museum/jyouki/jyou_top.html
 2100と2120は、性能的、形態的にもほぼ同一とのことです。
by む〜さん (2007-12-02 08:09) 

manamana

入れ替え専用とはいえ、前照灯も付いていないんですね。
でも、おとぼけの味のある顔つきですね。
かわいい、かわいい。
by manamana (2007-12-02 09:03) 

む〜さん

■ manamana様: かわいい・・・・でしょっ!!こんなヤツとしょっちゅう会えたんですよ、昭和30年より前には・・・・。
 私のホームページにこんなページもあって、上の写真とともに、廃車になったときの写真もあります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link117-b6.html
お暇な折に御覧下さい。
by む〜さん (2007-12-02 10:16) 

HIRO

大正から昭和にかけてのSLって何か手作りのようなぬくもりを感じます。
画一化されつつある今の鉄道車両に比べて、これでいいのかと考えてしまいます。
by HIRO (2007-12-02 14:01) 

no

こんにちは。
海側ということですが、この当時はまだ海が近かったのですか?

品川のような大駅での入れ替え作業は、きっと眺めていて飽きることのない時間だったのでしょうね。
小さいくせに、存在感がある機関車ですねえ。
ああ、本当に鉄道が躍動していた時代のエネルギーみたいなものが溢れているようです。

あ、それから。
末筆ながら、鹿島、優勝おめでとうございます。
来年は負けませんよ(笑)。
by no (2007-12-02 15:17) 

む〜さん

■ HIRO様: 2100の初登場は1890年だそうで、明治23年という事になります。私の父も生まれてなかったくらい大昔の話です。そんなオールドタイマーが、入れ替えとはいえ、日々、頑張っていたのです。
■ no様: 海はだいぶ先の方でした。海側、山側のつもりで書きました。もっとも、大正年間の東京市の地図を見ると、いきなり海ですが・・・・。まあ、『海の彼方に「臼」が住む』って、内田百閒先生も書いてますね。
当時、屠殺場といわれていた食肉処理場がありまして、豚積車が並んでいました。豚くんの姿もありましたが、写真は一枚もありません。どうしようもない、む~さんでした。

鹿嶋優勝、noさまの事を考えると、90パーセントの嬉しさです。有難う御座います。それにしても、浦和の快進撃は素敵でした。あの真っ赤なスタンドに立ってみたいと、何時も思っています。
by む〜さん (2007-12-02 21:34) 

昭ちゃん

最近「本日休業」の方が o(^o^)o ワクワク
by 昭ちゃん (2007-12-02 22:37) 

む〜さん

■ 昭ちゃん様: いやはや何とも、申し訳ない。今後も、いろいろと面白い画像を探しますね。どうぞ、今後ともご贔屓に・・・。
by む〜さん (2007-12-02 23:32) 

mymeな大家

こんばんは。
2120良いですよね。私は明治から大正にかけての英国の匂いがする蒸気が大好きです。大きいところでは8620なんかも好きです。東武の蒸気も好きです。高校時代、校内に静態保存されていましたが、近年他の場所へ移転したようです。高校の名前がばれてしまいますね(笑)
将来、英国の保存鉄道で本物を運転するのが夢ですね~。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2007-12-03 01:36) 

む〜さん

■ mymeな大家様: お!8620、お好きですか。8620の完成時の写真を見ると、実にすっきりした、英国風の外観。連結器はバッファ&スクリューだし、空気関係の機器も無く、これで、グリーンかなんかに塗られていたらイギリスですね。
蒸気機関車が置かれていたなんて、素晴らしい環境でしたね。羨ましいな!
by む〜さん (2007-12-03 06:40) 

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