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一寸お出掛け1959年9月(2終) [昔写真国鉄]


 昨日の続きです。1959年・昭和34年の9月のある日・・・・東急池上線で蒲田まで来ました。ちょっと大森駅方面に歩いて「呑川」の橋。ここで、東海道本線などを撮ろうと言う気持ちだったんでしょう。そう言えば、1958年・昭和33年に、ここで、特急こだま・・・・出来立てで、まだ8両編成・・・・を撮りましたっけ・・・・その翌年の事でした。

 一寸お出掛け1959年9月(2終) 

(1) お馴染み、省線電車、国電、下駄電、京浜東北の73系電車がクハ79・・・・何次車かは判りませんが、前面斜めHゴム、戸袋窓もHゴム、ウインドウシル・ヘッダ付きのものですが・・・・を先頭に桜木町行きがやって来ます。

 京浜東北の電車、編成が見えるように拡大したものを追加致しました。 
運行番号は、如何しても読み取れませんでしたが、パンタグラフ、乗務員扉、など、多少は見やすくなったかと思います。編成の構成同定の資料にはなるかと思います。

(2) 次は、上りの東海道本線普通列車EF58が牽く、スハフ32(ダブルルーフ車)~スハ32(丸屋根車)~・・・・・。今、見ても素敵なお姿であります。

(3) お次は、横須賀線の70系。クハ76を先頭にしての登場です。

 こんなところで蒲田駅に戻り、鶴見線の浅野駅へ向かいます。京浜東北で川崎へ行き、南武線尻手駅乗換えで浜川崎へ。(京浜蒲田から京浜急行で八丁畷乗換えの可能性は無くはありませんが・・・・)

(4) 途中、川崎新町駅で見かけたC11 32。休憩中でありました。この場所、川崎新町駅だと言い切る自信がありませんでしたが、有り難い事に友人KKさんが昨日、現地踏査をしてくださいまして、川崎新町と確認できました。有難う御座いました。ここで、御礼申し上げます。

 先日の、12月7日付の記事に出てきた、横浜線原町田駅でのC58177には付いていなかった防煙装置『クルクルパァ』が付いて居ります。

(5) 今日の目的地、鶴見線の浅野駅です。海芝浦方面へのホーム、なにやら大袈裟な装置が付いています。カーブにある駅のホームで安全に乗降できる装置の試作品なのです。これが目的だったにもかかわらず、下車もしないで、新芝浦だったか、海芝浦だったかまで行った帰りの電車の窓からの撮影なのでしょう、乗っている電車のサイドが写っています。こういう、中途半端で目的を貫ききれないのが、私の欠点なんで・・・・・・。

 かなり後まで、この装置の残骸は残っておりましたが、現在は、まさか、残っては居ないと思うのですが・・・。

 これで、帰って来ちゃったようですね。フィルム上には、この後は、家での家族の写真になっていて、電車カンケイの画像はありません。何だか、良く判らないお出掛けになりました。


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HIRO

出ました。73系電車、この電車は戦時規格型電車として4つ扉、20メートルの電車として63系が生産されて、京浜東北線桜木町
火災事故で窓が3段固定で外に出られぬ乗客が閉じ込められ尊い命を失ったことから、急遽乗客安全対策が講じられて73系として登場したもので特に思い入れの強い電車です。
正面窓も幾分傾斜になり、すでに101系を思わせますが全鋼鉄製電車として随分活躍しましたね。当時中央線沿線国立に住んでいて学生生活を送っていましたが、欠点は今のようなスピードは出ず、学校に行く時はイライラしたものです。
横須賀線が迫ってくるこの写真迫力がありますね。
こんな写真撮りたいと思いながら、線路の側に行くのに恐怖を感じて実現しない私ではあります。
いつも歴史的回顧の貴重な写真ありがとうございます。
by HIRO (2007-12-12 19:21) 

manamana

(3)のド迫力に圧倒されます。
C11の姿がかわいらしいのと、
浅野駅の実験が興味深いです。
by manamana (2007-12-12 21:30) 

quatre-l

小学生の頃、上越線・高崎~井野間で毎日遊んでおりました。
ちょうど、こんな感じの小さな鉄橋があって、トンでもない話ですが枕木と枕木の間から橋げたに降りられたのです。
井野駅方向から来る列車が遠くに見えると、急いでそこにもぐり込む。
数分後に頭上数十センチのところを列車が通過するのを耳をふさいで耐える遊び。まことに楽しかったんです。
ある日、一年生になったばかりの子分を連れて行きました。耳をふさいで目もつぶっている彼の顔のすぐ横に「ビッシャ~!」って「汚物」が、、、。
対岸から見ていた自分は、おかしくておかしくて、大笑い。
昭和40年代の前半の頃のお話です。
む~さんのお写真のアングルを拝見して「禁じられた遊び」を思い出してしまいました。
by quatre-l (2007-12-12 21:57) 

たーサン

 京浜東北73系、大阪近辺では半流の51系などの5、6両編成でしたが、これは10両以上(?)の編成ですし同系列ですから整然としており、量的にも圧倒されます。
 それにアングルも良いですね。若き日のむーさんの情熱が溢れてますよ。
 それからスハ32系。この頃、土曜日の午後、友人と神戸に遊びに(飲みに?)行くのに大阪駅の5、6番線の電車ホームではなく3、4番線から山陽線列車によく乗りました。普通列車の広島、門司、糸崎行きなんてのがつぎつぎに入ってきて、ガラガラのダブルルーフの32系に乗車、各停との接戦を楽しんだ思い出が甦ります。
by たーサン (2007-12-12 22:33) 

む〜さん

■ HIRO様: モハ73の一党は、それほど好きになれなかった電車でありました。ノーシルノーヘッダ、二段窓の車体まで進化しましたが、やはり63形のイメージが邪魔をして好きになれなかったのでしょう。
■ manamana様: 浅野駅の実験は結局は採用されなかったようで、未だに渋谷とか、危険な感じですね。実際には、頻繁に電車が出入りするのに、いちいちホームを動かしていたら、お客さんもホームに居るし、大変なメカになりそうです。
■ quatre-l様: 大昔の子供たちは、こんな遊びをしたようですね。小説にもあった気がします。
 この呑川の鉄橋は、御覧の通り、安全な場所だったのですが、当時は、ウ○○、オシ○○の事は思っても見ませんでしたね。当時はタンク式トイレは殆どありませんでした。こだま号、あさかぜ号は如何でしたっけ?ともかく、今だったら、私は多少でも危険な場所だったら近づきませんね。
■ ターサン様: モハ51といいますと、クハ68でしたっけ?私の時代には東京では見られませんでした。ずいぶん憧れたものです。昭和29年に初めて見たときには感激したました。
 スハ32は、好きだったですね~。幼い頃は、大窓のオハ35が好きでしたが、大きくなるにつれて、一座席一窓のスハ32が好きになりました。当時の東海道の普通列車は、スハ32とオハ35が混ざっていましたね。
by む〜さん (2007-12-12 22:52) 

モハメイドペーパー楠居

 この頃の京浜東北線は基本5両(下り方)、付属3両の8連で、昼間は蒲田以南が基本のみの5連で走る列車もありました。

 M車比率が多く、弱め界磁も生かしていたので、区間スピードは横須賀線より速いこともありました。
by モハメイドペーパー楠居 (2007-12-12 23:39) 

む〜さん

■ モハメイドペーパー楠居様: この編成はスキャンした原データを見ますと、たしかに8両編成です。5M3Tだったようで、パンタが5個見え、桜木町方からTc-M-M-T-M-Tc・Tc-M-Mcのように見える気がしますが、実際は如何だったのでしょう?
by む〜さん (2007-12-13 00:27) 

mymeな大家

こんばんは。
先日の東急3000系のご紹介ありがとうございました。
私が育った時代は既にライトグリーンになっていましたが、
車両の雰囲気がとても懐かしかったです。
釣り掛け車が好きな私は、今回の写真をとても楽しくす見せていただきました。70系は母の実家に帰るときに乗った新潟色のものしか記憶が無いんです。東海道上を飛ばしていたんでしょうね。
ところで、呑川の鉄橋も含めまして、あのあたりの橋はかなり線路に近づくことができましたね。今はどうなっているのでしょう。
失礼します。
by mymeな大家 (2007-12-13 02:12) 

服部光之

京浜東北の5+3編成は北方では、東十条で当時は下十条といいましたが、ここで切り離しをしていました。運悪くこれに乗ってしまうとえらい混雑で困ったものでした。
その後、南浦和が出来て、東十条から南浦和へこの分割、併合は移りましたが、103系の導入でこれはなくなりました。でも、103系の編成は7+3の分割、併合可能の編成になっていました。
南浦和まで行って分割していたのでは、乗客に不評を買いますよ。後4駅で大宮ですからね。
by 服部光之 (2007-12-13 04:53) 

モハメイドペーパー楠居

 京浜東北線の編成ですが、下り方からTcMMTMc+TcMMcが標準的で、付属はMcMTc、McTMcもありました。

 旧型の末期には8両貫通もあったし、モハの1両を電気的にカットして4M4T試験としている編成も見たことがあります。
by モハメイドペーパー楠居 (2007-12-13 12:18) 

なにわ

7+3は下十条の検査線が8両対応だったところからです。浦和の10両貫通は下十条に夜間留置しない様になっていました。1986年に京浜東北線の電車はすべて浦和に集結して、分割編成(1981年に6+4になっています)は不要になったのですが、需給関係で完全に置き換わる前年の1997年になってもまだ残っていたそうです。

ところでこの編成、運行窓がはっきり読み取れないので、どこの所属かわかりませんが、
先頭車はクハ79の昭和31年度車、以下72-78-72-73、付属編成は73-72-79のように見えます。
虎の子の全金車は79-72-72-72-79と組んでいたようです。
末期の8両貫通は、全金車で揃えたのでしょう。サハの全金車が78900しかないので、6M2Tの強力編成になってしまいます。
by なにわ (2007-12-13 18:12) 

む〜さん

■ mymeな大家様: 3000番台の東急電車たち、私にとっても青春の想い出です。私の時代はブルーとオレンジの黄でありました。
JR東、東海道の呑川橋梁の現在の姿は見ていないのです。ビルに埋まった、コンクリートの高い護岸の先にあるのでしょう・・・・な~んて思っていますが・・・・。
■ 服部光之様: 下十条駅でしたね。電車区が東モセ。
■ モハメイドペーパー楠居様: いや、ミスりました。9両編成になってました。
■ なにわ様: 詳細な情報、感謝。件のネガをルーペでよくよく見たのですが、カメラぶれ、カメラの性能、被写体ブレもあって、読み取れませんでした。行先の桜木町も『判読』のレベルでした。
by む〜さん (2007-12-13 20:55) 

モハメイドペーパー楠居

 なにわさま、写真の編成、基本は79-72-72-78-73のようですね。3両目の72は偶数向きです。

 全金車は山手線からの転属(元を辿れば中央線ですが)で、オール全金は組めなかったし、6M2Tも出現しませんでした。そのかわり、72の850番代が紛れ込んでいましたね。
by モハメイドペーパー楠居 (2007-12-13 23:08) 

む〜さん

■ モハメイドペーパー楠居様、なにわ様、服部光之様: (1)の国電、京浜東北の編成構成についてののお話、非常に興味深いです。ご参考になればと、同画像を部分拡大して追加いたしました。多少は見易くなったと思います。
by む〜さん (2007-12-14 09:27) 

なにわ

>モハメイドペーパー楠居さん
3両目、モハ72-0台の偶数車ですね。4両目はサロハ66改造車のように見えます。
蒲田に
72937~941,79932,933,935
下十条に
72942~946,79934,937,939
と新製配置されています。
TcMMTcMMMT'cで入ってるのですね。実際は72500と79300を足して5両2本にして、少しでも本数を増やしたかったのでしょうか。
逆に関西の全金車はばらばらに組まれてしまうのですが。
by なにわ (2007-12-15 19:50) 

む〜さん

■ なにわ様: サロハ66改のサハ、そういえば見たような記憶もあります。73の中で異彩を放っておりましたが、写真を見ると、サイドの感じが違いますね。
by む〜さん (2007-12-15 21:45) 

モハメイドペーパー楠居

 なにわさま、

 確かに両数からみると8連が組めそうだけど、京浜東北のオール全金編成は見た記憶がないですね。山手はオール全金の7連が2本いましたが。
by モハメイドペーパー楠居 (2007-12-16 00:36) 

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