SSブログ

小仏の中央線列車1974年 [国鉄1970年代]


 一昨日、昨日と、中央線の八王子~甲府往復の小旅行のスナップを載せましたが、この旅行とは別の中央線の写真が、同じフィルムに入っていましたので、御覧頂きます。
 時は、1974年・昭和49年の1~3月ごろと思われます。

 小仏の中央線列車1974年 

 前回の甲府旅行の翌週ぐらいだったと思うのですが、当時の愛車、SUBARU REXに、子供を二人乗せて、中央線の電車を見に行きました。旧道を走るのが好きだった頃なので、小仏峠は、東京側から、どの辺りまで行けるかって興味もありました。国道20号、高尾の先、中央線をくぐった辺りから右折して、旧道に入ります。小仏の関所跡を見て更に入ってゆきます。結論から言えば、中央道の換気施設の見える辺りで、車はSTPO。引き返したのですが、その途中で、何枚か写しました。

(1) 中央線の小仏隧道の入口辺りだったと思うのですが、道路の左下(東京から見て)に中央線が並行しますが、下りの貨物列車が来ました。
 ED61の重連で、そのカッコいいこと!たしか、この右側、直ぐが、小仏隧道の入口だった気がします。

(2) 機関車を拡大してみました。ED6113、後ろの機関車のナンバーは読み取れません。

(3) 場所を移動して、すこし東京方向に戻り、東京から見て右へ、中央線を踏み切りで渡って、線路の上の方に上がった場所での撮影です。踏切を渡るときに小さなトンネルが見えた気もしますが、今となっては、地図上で撮影場所を同定するのは、困難です。行先は読めないのですが、東京行きなんでしょう。201系 101系の電車は数えると8両編成。

(4) 下りの急行電車165系

(5) (4)の先頭部分を拡大してみました。Tc-M-Mcと来て、四両目は、サハシ?っぽく見えます。

(6) スカ形の普通電車が来ました。

(7) (6)の電車の部分を拡大。クハ76-モハ71ときて、三両目にモハ72850番台が居ます。国鉄さんもいろいろと事情もあるのでしょうが、通勤用四扉車を混ぜたり、中央線は大事にされていない気がしました。現在のJR東日本、中距離各停の高尾発なんて、許せない気がします。沿線住民の方々の気持ちなんて考えてくれないようです。現在進行中の、複々線工事が計画通りに完成すれば、中距離各停の始発駅を、せめて新宿まで持ってきて欲しいですね。

 この時に撮影した電車関係は、ここまでで、この後の駒は、別の日らしい。

 今日は、ここまででお仕舞いです。では、またね!!! 

 


nice!(4)  コメント(14)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 4

コメント 14

モハメイドペーパー楠居

 (3)の101系、この頃だと4M3Tの7連のはずです。東京直通ではなく、休日に高尾~相模湖間を運転していた列車ではないかな。モハ100、クモハ100は低屋根の800番台です。

 165系の急行は恐らく身延線直通の「みのぶ」併結でしょう。この場合、甲府での分割併合作業のため、付属編成を東京寄りに連結していました。

 山ゲタの2両目は全金試作のモハ71001ですね。3扉と4扉の混結は、トイレ付きを編成に1両ずつとするための措置だそうです。
by モハメイドペーパー楠居 (2008-01-09 12:24) 

む〜さん

■ モハメイドペーパー楠居様: ご指摘、感謝です。今回は、きっちり数えたんだがなあ・・・・って、数えなおしたら、ご指摘の通りの7両でありました。こういうのを、耄碌って云うのかなあと、少々、凹みましたが、簡単に立ち直っちゃうのが、む~さんなんです。
相模湖が観光地としてメジャーだったんですね。私が小学生の頃、学校の遠足で行きました。地元の写真屋さんが撮った写真の、勿論、白黒ですが、これに彩色して、絵葉書として売って居りました。昭和20年代前半の話です。いまでも、釣りの客さんは行くようですが、『観光客』って相模湖に行くんでしょうか。
そうそう、『みのぶ』ってありましたね。身延線は甲府で逆方向になるので、この方が合理的なんでしょう。帰りの併結はどういう手順なんでしょうね。気になるところです。
モハ72・・・の混ぜ込みは、国鉄さんも苦労してたんでしょうが、一般の人にとっては、??って感じだったと思われます。以前、御殿場線沿線の方が、こぼして居りました。

今後とも、ご教示下さる様、御願い致します。
by む〜さん (2008-01-09 12:55) 

manamana

子供の頃、ハイキングと言えば高尾山でした。
京王線高尾山口から登って、相模湖まで降りて、
帰りはなかなかやってこない中央線に乗りました。
そうそう101系に、低屋根車って有りました。
パンタグラフの下が、通風口になっていて、
車内は、ファンでリアデリアだったような気がします。
なつかしいなぁ。
by manamana (2008-01-09 14:18) 

む〜さん

■ manamana様: 高尾山はうちから見えるのです。大晦日から三が日くらいは、薬王院っていうのでそうか、電灯の明かりが一杯見えます。私はケーブルカーも含めて、じつは行った事が無いのです。京王電車の高尾線開通の日に、超早起きして出社前に初乗りした事を思い出しました。
私が、最初に相模湖に行ったときは、電車は淺川(高尾)まででしたから、その先は、汽車です。牽引機がED17だった事を覚えています。相模湖ダムの発電所を見学し、発電機の軸の回転や、タコ入道形の水銀整流器のアークを、うっとり眺めた思い出です。帰りに、モハ63の『新車』に乗りました。あの悲劇の起こることも知らず、無邪気に新車を味わっていました。座席に立って、上の窓から外を眺めたりしました。あれは、小学校の高学年の頃だったでしょうか・・・・。
by む〜さん (2008-01-09 15:31) 

なにわ

(4) 4両目、サハシですか。「かわぐち」「かいじ」ではなく、基本付属逆転の「たてしな」「みのぶ」でしたか。あ~あ、やっちゃいました。
(1) 阪和線の雄ノ山峠みたいですね。そういえば、あそこもED61が走り、上を高速道路が走っています。
(3) 方向幕が真っ白で、車掌側の窓に何か出ているので、高尾-相模湖の折り返し電車でしょうか。
(6) 76と79の組み合わせは、編成内に1両はトイレ付車を入れる対策なのでしょう。76-76もあったようですが。
関西にいると詳細はわかりませんが、東京の通勤ラッシュでは中距離電車の新宿、ましてや東京発着は難しいでしょうね。
by なにわ (2008-01-09 16:31) 

モリタ

お話の撮影位置ですが、裏高尾町の旧甲州街道から小山神社付近の踏切を渡った箇所と思います。
見えたトンネルは湯の花(いのはな)トンネルだと思います。

ただ、写真の位置からするともう少し相模湖寄りの中央線レンガ橋をくぐってすぐに右に行く関場峠への登山道への分岐を入った上り坂付近(車両で入れる道です)と思われます。(以前この先でよくキャンプしていました)

蛇足ですが湯の花トンネルは昭和20年8月5日に新宿発長野行きの中央線下り419列車が空襲を受けトンネルに退避が間に合わずに銃撃を受けて犠牲者が出たところです。
今でも慰霊祭が行われていて踏み切り付近に慰霊碑もあるそうです。
by モリタ (2008-01-09 17:57) 

じろっち

さいきんは高尾も都市化しましたね。
N-EXの高尾行きがあります。
私はあずさが東京・千葉行きになったら良いと思います。
by じろっち (2008-01-09 21:21) 

む〜さん

■ なにわ様: 201の方向幕は何やら文字があるみたいですが、真っ白にも見えます。窓の中の板には、14と『読めそうな』数字が見えます。
中央線中距離列車は、新宿まで入れて欲しいです、相模湖以遠の方が、あまりに気の毒です。複々線工事が完成すれば、何とかなると思うのですが・・・・。
■ モリタ様: 撮影場所情報、ありがとうございました。右下に写っている、釣堀風の池は、今でもあるのでしょうか・・・。Googleの衛星写真では確認できないのです。
■ じろっち様: 東京から高尾まで、完全に市街地がつながりましたね。多摩川の河原を除いては・・・。この傾向は、どこまで伸びてゆくのでしょうか・・・・・。
by む〜さん (2008-01-10 00:06) 

no

こんにちは。
ED61の重連は初めて見ました。
短い車体で4パンタを上げて、長編成貨物列車を牽引する姿は、思いの外に重厚感があるものですね。

昔は、各線区ごとに、そこに行かなければ見ることができない貴重な種があって、正に種の多様性が体現されていましたねえ。
それゆえに、旅に出る楽しみも増幅したのでしょう。
とても素敵な写真を拝見して嬉しく思うとともに、現在の単純化が残念でなりません。
by no (2008-01-10 00:22) 

モリタ

浅川のマス釣り場ですね。
ここ何年かは行ってないのですが地図にはちゃんと載っていますね。
リンクのURLは撮影場所と思われる地図へのリンクです。
by モリタ (2008-01-10 02:45) 

モリタ

便利な世の中になったものです。
調べてたらなんだか楽しくなっちゃいました。
ちょっとダブりますが名前のリンクはGoogleの航空写真の池です。
森とまぎらわしいですが池がありますね。
by モリタ (2008-01-10 02:52) 

む〜さん

■ no様: 昭和20年代の末ごろから電車の写真を撮り始めましたが、当時は『目的地』の情報が殆ど無く、行き当たりばったりでした。意外な発見も数多く、旅の楽しさも多かったですね。いまは、情報が多く、現地に行っても、既視感のあるものばかりです。いい世の中なのでしょうが、感動は少々薄れました。
ED型交流機重連も、こんな感じですね。
■ モリタ様: 私のPCに入れてあるアルプス社『プロアトラスW(2000年版)』と『Google Map』に、国際鱒釣り場の表記は無く、判りませんでした。ちゃんとあるんですね。お陰様で疑問解消です。撮影場所も、記憶と全然違う場所。いい場所を探して、右往左往したんですね、私は。
Googleの航空写真で、判りませんでした。森と池が区別できませんでした。池の中の二つの白点は、島か酸素補給の噴水か何かでしょうか・・・・・。
有難う御座いました。
by む〜さん (2008-01-10 06:30) 

なにわ

中央線だけがゲタ電だけの運転でしたね。そういうこともあって河口湖まで通勤電車が走っているのでしょう。関東の201系もいよいよです。関西にはウグイスのリアル「ウソ電」が走っております。
というわけで(3)は101系ですね。クモハ100-800を後追いで撮られていますが、「高尾」とか紙で出しているのではないでしょうか。
by なにわ (2008-01-11 12:45) 

む〜さん

■ なにわ様: バカですね~!わたし!!201な訳、ないですもの。1981年量産車登場だそうですから、年代が違います。
本文、訂正いたしました。単純ケアレスミスだけれども、もっと注意深く書かねば・・・・・。

それが、ネガをルーペで見ても読み取れないのです。漢字ではない様な気がしますが、云われてみればそんな気がする縦長文字です。
by む〜さん (2008-01-11 13:45) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。