機械式入換信号機1959年 [ネタ切れ写真展]
今日は、まあ、雑用とか色々ありまして、お休みにしようと思いましたが、雑談をします。
■ メカの入換信号機 ■
入換信号機ってのがありますね。あの、駅でよく見かける、お結び形のものですね。私も真剣に研究していないので、入換標識との区別もよく判りません。さっき、Wikipediaで見てみたけれど、掴みきれなかったので、見切り発車してしまいます。まあ、入換信号機の解説書じゃあないから、いいか!と自分を納得させる。
・・・・・・さて、
(1) 1959年・昭和34年の8月の事です。四国の高知に帰る、高齢の伯母に付き添って送っていった事がありました。東京を朝の九州急行で出て、岡山で宇野線乗り換え、宇高連絡船で四国高松に渡ったら、夜になって居りました。これから、高知まで行くのですが、こんな時間に、準急なんてあったんだろうか・・・・・高齢者の旅ですから、東海道~山陽の寝台列車は避けたのでしょう。高松からは、まさか、各停夜行列車なんて事は無いでしょうし、夜遅く、高知に着く列車があったんだろうか?でも、あまり、深く考えない事にします。
1959年9月には、高松桟橋駅は、高松駅と統合して生まれ変わったとの事なので、その寸前の事だったのです。
ともかく、夜の高松桟橋駅。板張りの仮駅みたいな板張りホームに、ど~ん!!と機械式の入換信号機が立っていました。三脚を立ててしっかり写してしまいました。
(2) いいでしょう?!!この形。なんだか、人間的というか、カワイイ。首をかしげるところも、たまらなくチャーミング。既に信号機があって、ホーム延長で、こんな所にあるのでしょう。
(3) バックの灯りが気になって、よくよく見れば、どうやら国鉄の施設らしいけれど、よく判らない。1960年に火災で焼失した、高松駅本屋ってこともありそうですが・・・・・・。
・・・・・私にとっては、ちょっと懐かしい写真を御覧頂きました。
2008.01.13:追加画像
2000年の11月、英国鉄道見物の旅をしました。そのときに訪れた英都倫敦南方の保存鉄道ブルーベル鉄道、シェフィールドパーク駅で見かけた、機械式の入換信号機・・・と、思われるモノ。
足元で、可愛く首を傾げて居りました。カウンターウエイトつきの、きちんとした身なりでした。ポイントの、日本で言えば矢羽かも知れませんが、まあ、同じスタイルという事で・・・・・。
・・・・・お話は、がらりと変わって一寸、雑談です。
このお正月、家の近所で撮った写真。
(4) 何時も通る、町田市内の日向台の交差点近く、こんな看板に気が付いたのは、ちょっと前のことでした。一級河川・恩田川。町田市を流れる川で目立つのは三つ。東側の東京湾に至る鶴見川、西側の相模湾に至る境川、そして中央を流れ、横浜市に入って鶴見川に合流する、この恩田川です。私にはもっとも身近な川なんですが、その川が、ここでお仕舞いで、この先の流れは何なんだろう??っと持ったので写してきました。
橋というか、この道路の下で、恩田川はオシマイとの事。
(5) コンパスで描いたような痕跡は、トマソン的に言うと、植物ワイパー?でしょうか、それとも・・・と、想像をめぐらしました。
(6) 同地点から下流側を見ます。立派なフェンス。
(7) おなじく反対側の上流側です。こっちのフェンスは少々チープな感じ。
・・・・でも、よくよく考えると、東京都の管轄がここまでで、これから先は地元、町田市の管轄って事なのでしょうね。いきなり『無名の川』になって『ささやかな水路』になり、『住宅地に吸収されてゆく』って訳ではないのでしょう。市に問い合わせれば、一発で疑問解決なんでしょうが、何時ものように、有耶無耶で終わらせる、む~さんでありました。
後半、なんだか締りがなかったですね。ここまで読んでいただいて有難う御座いました。
今や瀬戸大橋も開通して、連絡船もあまり利用者がいないでしょうが、小学生時代はむ~さん同様連絡船で高松へ渡り、宇和島行の発車待ちをしてました。学生時代・社会人になってからはバイクで2.3度利用して渡った事もあります。
深夜に四国へ渡り、4時頃の松山行き発車まで2~3時間高松駅でうどんを食べ、車両で待ってたような記憶があります。
by ’80XE PA96E (2008-01-12 20:00)
高松~高松桟橋は短距離だったんでしょうか。
戦争中に海軍の要請で作られた相模金谷は衣笠まで1kmあるかないかという距離だったので、終戦とともに撤去されてしまいました。
民鉄なら、その程度の距離、珍しくないんですけどね。
by じろっち (2008-01-12 21:01)
■ '80XE_PA96E様: 四国はたまに高知へ行きますが、瀬戸大橋開通以来、一度も高松へ行ってません。琴電にも会いに行きたいとは思えども、果たせない私です。学生時代、しょっちゅう行ってたのに・・・・。
讃岐うどんは、連絡船で食べたのが最後。ほんとに、ご無沙汰しております。もっぱら、スーパーで買ってくる冷食で我慢。
■ じろっち様: 高松の駅を汽車が出て、機関車が高松桟橋駅ホームにかかっても、列車の最後部は高松駅に居ました。高松の構内扱いらしいのですが、法規上のことは判りませんが、乗客的に見れば、別の駅でしたね。
by む〜さん (2008-01-12 21:37)
高松桟橋の写真。これはカワイイです。
いかめしい(?)旧型の客車とのアンバランスな感じ。こんなシーンに出くわしたら、思わず三脚立てちゃいますね~。
恩田川の起源、、、そのうちに偶然解明されてしまうような気がします。トマソン大好きな私。植物のコンパスらしき「弧」のナゾはぜひ解明したいものですねぇ。
by quatre-l (2008-01-13 08:28)
■ quatre-l様: 二人で立ってるところが又、よろしい。2000年に、イギリスに行ったときに保存鉄道で見た、同様なスタイルの信号機の写真を追加しておきました。今、同地を訪れたとしたら、この信号機を前後左右斜めから何枚も写しちゃいますね。高松桟橋だって同様です。そういえば、大宮の博物館には無かったみたいですが。
quatre-l様も、トマソンお好きですか。私の住んでいる町田市に、あの教祖様、赤瀬川原平氏がいらっしゃいます。
追伸: これと同じ形の『こけし形信号機』が、三方向から撮ったのが下記のページにあります。(画質最悪!!)
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link809shunkan.html
by む〜さん (2008-01-13 08:58)
謎の「孤」ですが、看板の「級」と「河」の間の留め具に絡まったツル草が風にそよいで「ぶーらぶら」の跡ですね。線路際のコンクリート擁壁などでよく見ます。
by 昭ちゃん (2008-01-13 20:17)
河川管理者が、「一級河川」は国、「二級河川」は都道府県、と言う違いです。だから、この橋から下流は国が責任持って管理しているが、上流は東京都に責任があると言うことを表しているとも言えます。「洪水になったときどっちの責任?」ってときに効力を発揮するのかも・・・。
by 昭ちゃん (2008-01-13 20:39)
■ 昭ちゃん様: ご指摘の文字の場所にあるビスでなにか金属の物件が止められていて、それが風で・・・・と思ったのですが、物差しを画面に当ててみましたら、円弧の中心は、枠の上端ですね。葛かなにかの蔓のなせる業でしょう。こういうのを、トマソン人は、植物ワイパーと言うようです。
この『東京都』は、ここまででなく、ここからという標識なんですね。
このテの標識は、ここで見たのが最初なんです。どこの河川にもある筈なんですが、なかなか目に付かないものですね。
by む〜さん (2008-01-13 21:07)
東京の実家の周りは、昔は畑で、
用水がたくさん流れていたらしい。
都市化しても、わずかに残る水路をたどって
探検して、思わぬところに繋がっていることを発見した
子供の頃を思い出しました。
by manamana (2008-01-13 22:53)
■ manamana様: 私の若い頃までは、大田区、品川区にも、六郷用水とか、品川用水など、灌漑用水が一部残っていて、自転車でたどったりした事があります。三田用水なんてのもあって、都電の8系統、中目黒から坂を上がった辺りの上空を架橋で渡しており、水が漏れ落ちていた記憶があります。こっちは灌漑用というよりも、工業用水らしかったです。
by む〜さん (2008-01-17 05:48)
URLは参照写真用
41.jpg
旧(木造)高松駅海側にあった建物ですね
入換信号機で高松桟橋駅を出発して旧(木造)高松駅まで運転していた可能性がありますね
※門司港駅では出発信号機を越えて停車させていた列車を合図で出発させていたものの、昭和33年に出発信号機を移設して解消
むしろその右に白×された新しい信号機が目立ちます
by n/a (2020-06-11 14:59)