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初乗:東海道新幹線1965(4終) [国鉄1960年代]


 ・・・・・と、言う事で高速道路初体験は興奮のうちに終わりまして、何処かのインターチェンジで高速道路から降り、よく判らないまま、名古屋の終点に着きました。

 初乗:東海道新幹線1965(4終) 

 1965年・昭和40年7月18日・日曜日・・・・新幹線と名神高速バスの初乗りの日帰りコースの旅に出ています。今回は、そのシリーズ最終回です。

(1) ここが、名古屋の終点でした。なんだか殺風景な場所です。バスの方向幕は「急行・名古屋 笹島高速センター」、写真も右端に「笹島高・・・・」の赤文字の看板が見えますから、ここが高速センターなのでしょう。バックのビルには住友銀行、更に先のビルの屋上には『名』の字だけが見えています。現在の巨大なバスセンターが出来る前だったのでしょう。
 それにしても地面が舗装されておりませんね。『仮施設』だったのかもしれません。
 バスのサイドの文字は「日本急行バス・名古屋⇔京都・大阪・神戸」とあります。ガイドさんというか車掌さんも乗務していたのでしょうか、それらしき制服の女性が車内に居ます。今から見るとクラシックないでたちです。

(2) お昼御飯はどうしたのでしょう。名古屋に着いてからだと思われますが、今なら必ず撮る『お食事写真』がありません。まあ、良いんですが・・・・。
 帰りの新幹線の指定券は買っていませんでした。そこで、自由席なのですが、具合のいい事に、東京行・名古屋始発の臨時こだま号がありまして、それに乗る事にしました。多分、新横浜乗り換えの横浜線・原町田駅のコースにしたと思われます。
 新幹線のホームからは在来線が見えます湘南電車80系とキハ58が見えています。

(3) 自由席ですから並ばねばなりません。何分待ったか判りませんが、16時00分発の臨時便。表示板の時計は15時18分を指しております。列の先頭に居るのが私・・・・若い若い!今の私から見ると、まるで子供ですね。

(4) 豊橋・・・・おおおお!!名鉄パノラマカーだっ!!80系湘南電車もちょっとお顔が見えています。

(5) 浜名湖近辺のウナギ養殖池・・・・在来線当時から好きな眺めでした。こんな眺めを覚えているので、現在のこの辺りの風景は、非常に寂しく思えるのです。池には満々と水が入り、水車が勢いよく回って居りました。大井川河口の吉田にも、こういう施設が沢山ありましたが、いまは如何なったのでしょう。スーパーに並んでいるのは、殆どが輸入鰻なので・・・・。

(6) やはり浜名湖近辺。手前には蓮池、その先が鰻池、さらに左遠方には鋸の歯状の屋根を持った工場らしきものが見えます。昔の工場って、ギザギザ屋根が普通でしたので、いまこの写真を見ていると滅茶苦茶懐かしく感じます。

 20枚撮りのリバーサルカラーフィルムを二本、撮りきって、無事に帰宅・・・・したんだろうと思います。新大阪の駅前から高速バスに乗っちゃったので、大阪にどの位居たでしょうか、新幹線と高速道路の旅でありました。いまでも、こんな旅も良いかなあ!などと思う私です。

  そう言う事で、このシリーズは今回が最終回。明日から如何しましょう??!!な~にも、決めて居りません(笑)(笑)・・・・笑っていてはいけませんね。


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Fuzzy

けっこうな強行軍だったのではないでしょうか。
鉄道だけではなく途中に高速バスをはさんだところが、一味ちがってますね。
現在の高速バスとは随分仕様が異なると思われますが、乗り心地はいかがでしたでしょうか?
by Fuzzy (2008-02-04 14:17) 

HIRO

東名・名神高速道路は開通していても当時は大阪ー東京間の直通高速バスはなく名古屋バスターミナルで大阪ー名古屋、名古屋ー東京間と乗り継ぎだったと思います。

それにしてもこのバス、アメリカンスタイルの感じでプラ模型あれば組み立てて飾っておきたい感じですね。

浜名湖うなぎ養殖業、いずれも懐かしい光景です。
以前こだまに乗ったとき時速210キロのひかりの通過風景見て浜松駅のうなぎ弁当食べましたが滅茶苦茶おいしかったですね。
by HIRO (2008-02-04 15:08) 

G20

国鉄ハイウエイバスの、ドリーム号によく乗りました。
by G20 (2008-02-04 16:48) 

なにわ

(1)後に住友銀行が見えていますので、名駅に近い住友銀行は笹島交差点の北西側にありますので、その反対側、現在の名鉄レジャックのあたりではないでしょうか。
そういえば、名古屋市電の電停が見えてますね。

(2)の80系電車、6両目に薄緑の帯が見えていますから、高槻電車区の配置車です。大垣電車区は二等車しかいませんでした。

東京-大阪の直通夜行バスは東名開通と同時に誕生しましたが、既に新幹線があったせいか、昼行便は2001年にようやく誕生しました。
by なにわ (2008-02-04 19:26) 

む〜さん

■ ファジー様: それほど強行軍でもありませんでした。この後、十数年、小学生・中学生の息子達と、日帰り、一泊の汽車電車旅をしていました。中小企業に勤めてましたので、休暇などとれず、日曜だけしか使えません。条件が良くても土日。もちろん土曜は出勤日です。若かったんですね、私は。早朝から各停乗り継ぎで神戸まで行き、新幹線で帰宅なんて普通でした。
高速バスの乗り心地は、当時、すでにエアサスはありましたから、その所為でしょう、快適でありました。
■ HIRO様: 日本のバス車体は張殻構造が一般的でしたね。それで、こんな姿になります。欧州(独逸製?)のバスが輸入されスケルトン構造(用語:怪しいけど)のバスを見てあまりの美しさに驚きました。
浜松というと鰻弁当でしたね。横浜のシウマイ、横川の釜飯ですね。
■ G20様: ドリーム号は乗ったことがありません。私は、座席で寝るのが苦手で、若い頃の旅も、夜はろくに寝ませんでした。四国の親戚の家について、寝不足と疲労でひっくり返っちゃった事もありました。
■ なにわ様: 現代の地図を見ますと住友銀行は、今の名鉄セブンに変わるのですね。そして、あのスイス美人の『ナナちゃん』が立ち番をされていると、言う事ですね。
原版のフィルムをルーペで見てみました。左端の黒いワンピースの女性の頭と重なって、電停の看板が見えました。見抜いた、なにわ様は、慧眼だなあと思いました。笹島交差点で北を向いて、8時の方向がバスセンターだったんですね。変われば変わるものです。
町田駅前~大阪のJR西日本のバス、無くなっちゃう前に乗らねばなりませんね。疲れるんだろうなあ!!!ま、私には無理か???
by む〜さん (2008-02-04 20:20) 

じろっち

工場ののこぎり屋根、さいきんは見なくなりましたね。
米軍接収地から自衛隊に引き継がれた施設では、まだ残っていますが・・・
by じろっち (2008-02-04 21:09) 

む〜さん

■ じろっち様: あの鋸歯状の屋根は私の幼い頃の『工場のイメージ』でありました。天井にはモートルの動力を配分する軸が長く伸び、そこから工作機械にベルトが掛けて有りました。そのうちに、工作機械一台一台にモーターが付くようになりました。
幼い日に、覗き込んで何時間も粘っていた、近所の工場の思い出です。旋盤の削り屑は神秘的な光りを放っていました。
by む〜さん (2008-02-05 00:36) 

manamana

豊橋のパノラマカーの風情、
あまり変わりがないですね。
それ以外はかなり変貌を遂げているのでしょうね。
by manamana (2008-02-06 15:04) 

む〜さん

■ manamana様: 豊橋も、路面電車はあるし、渥美に行く電車もあるし、行かねばなりませんが、時間がありすぎると、逆に行かないものなんですね。
by む〜さん (2008-02-06 15:57) 

じろっち

渥美半島旅行は天浜線と併せて行くとお得かもしれません。
東京~静岡の元東海号は、帰路で使うと良いですよ。
(行きは混みます)
by じろっち (2008-02-09 04:51) 

む〜さん

■ じろっち様: 天竜浜名湖鉄道は、予定に入って居りました。袋井で静岡鉄道駿遠線を偲び、掛川から天竜浜名湖鉄道。豊橋で市内電車と、豊橋鉄道で三河田原ですね。新幹線利用でも日帰り大丈夫でしょうか。無理できない体になっちゃってますので(笑)
by む〜さん (2008-02-09 13:18) 

じろっち

天浜線と愛知県東部鉄道めぐり、楽しそうですね。
新幹線での往来は、いったん名古屋に行ってしまうのも一考かと思います。
名古屋~袋井で乗るかもしれない東海地区の東海道線は首都圏地区の東海道線とは違う車両を使用しているので、興味深いですよ。
女性運転士もいたりします。
乗務員室後部が大きなガラス張りなのも好感が持てます。
by じろっち (2008-02-09 21:31) 

む〜さん

■ じろっち様: 113がうじゃうじゃ居たJR東海の静岡地区も300番台の電車になったそうで、そっちも楽しみです。浜松では鰻を食したいと思っています。鰻産業も大変なようですけれど、調理技術は輸入品とは違うものがある筈だと思っています。
by む〜さん (2008-02-09 23:45) 

じろっち

浜名湖産の鰻を食べるなら、事前調査した方が良いですよ。
今では浜名湖周辺でも浜名湖産は少ないと聞いていますから。

時間に余裕があるなら、新井関に行ってみてください。
関東に住んでいると箱根関しか思い出しませんが、箱根と同じ規模の関が他にも有ったんだと分かりますよ。

嫌な事件が多い昨今、関の復活が必要かもしれませんね。
by じろっち (2008-02-10 05:08) 

む〜さん

■ じろっち様: 静岡県でウナギといえば、浜名湖と、大井川河口の吉田ですが、吉田の方も盛業中なのでしょうか・・・気になります。古くからの伝統の調理法は受け継がれて居るはずと思っています。埼玉県の浦和だって、いまではウナギは捕れる筈も無いのですが、美味しい鰻屋さんがあります。
新井関・・・復元展示されていると聞きました。ここを避けて浜名湖の北側を迂回する街道があったと聞きます。
by む〜さん (2008-02-10 07:52) 

じろっち

「姫街道」ですね。
姫君は関所での服の脱ぎ着に難儀するので、関所を避けて往来したそうです。
関所を通れば大名家関係者の手前、フリーパスというわけにはいかなかったんでしょうね。
天浜線は姫街道のそばを通りますよ。
by じろっち (2008-02-10 21:07) 

む〜さん

■ じろっち様: 浜名湖北岸の気賀というところの奥に奥山・方広寺という名高いお寺があり、浜松から鉄道が通じて居りました。762mm軌間の軽便で、遠州鉄道奥山線、その気賀口と言う駅まで、浜松から乗って往復した事があります。1958年でした。いまでは、その鉄道も廃止されています。あの可愛らしい気動車と電車を懐かしく思い返しています。
姫街道も、この気賀を通っていたと思います。もちろん、国鉄二俣線~天竜浜名湖鉄道も通っているわけです。
by む〜さん (2008-02-10 21:26) 

じろっち

誰もコメントしてませんが、バス後方の住友銀行、さっこん金融会社は合併や統合を繰り返し、わけがわからなくなりましたね。
割と評判の良かった「さくら銀行」の看板が「三井住友銀行」に変わった時は、街からさくらの看板が消えてしまったので、寂しかったです。
桜と共に日本の象徴である富士山(富士銀行)も「みずほ銀行」化で消えてしまいましたね。
by じろっち (2008-02-11 04:35) 

む〜さん

■ じろっち様: 確かに銀行の統合は、懐かしい名前が消えましたね。さくら銀行は、何回、社名変更があったことでしょう。仕事の関係で『日本相互銀行』に出入りしていた事があり、私の覚えているだけでも五つあります。日本相互の前は、『XX無盡』という名だったらしいけど。(懐かしさに脱線しました。)
その『富士』『さくら』も、列車名から、まず『さくら』が退場し、『富士』も風前の灯火!感慨ですね。
by む〜さん (2008-02-11 10:31) 

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