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伊豆箱根大雄山線1964年(4) [関東の私鉄と公営鉄道]


 近所の道を車で走っておりますと各所で梅の花。赤白とりまぜて賑やかになってきました。昨日、2008年2月11日・月曜日・建国記念の日、は良いお天気。午前中から夜まで、相模原、座間方面に出張して居りました。


 その、相模原・座間へ行く前に、先だって入れ替えた携帯電話の性能確認で、小田急見物の何時もの場所へ・・・・。
 今度の携帯電話は、200万画素のカメラ機能付きで、以前の機種が100万画素だったので少々期待。
 そして、・・・・・○| ̄|_・・・・・まあ、こんなもんか。
 ま、気持ちはデジカメつき携帯電話というよりも、電話つきカメラを望んでいるわけで・・・・。矢張り専用機だなあ!デジカメは現用の本務機キャノンG9と、補機IXY320があるので、増備計画は無いのです。

(A) 1024×768から480×360にリサイズ。近距離だと、いいみたい。

(B) 1280×960から480×360にリサイズ。半逆光には弱いのかなあ。そして遠景にも弱いみたい。だけど、カメラの距離設定は接写と近距離だけ・・・・そういう設計らしい。アジャストすることも出来そうなので、今後の検討課題。

 まあ、晴天時の数人対象の記念撮影用として、Lサイズプリントというところでしょうか。


 さて、本題です。
 1964年・昭和39年3月20日・金曜日・春分の日伊豆箱根鉄道大雄山線に来ました。大雄山駅構内で、留置中の電車を短時間で撮影し、これから、次駅、富士フィルム前に向けた歩き出す。

 伊豆箱根鉄道大雄山線1964年(4) 

(1) 右側のとんがった山が、あの金太郎伝説の金時山・1,231m・・・・だと、思う・・・・と、少々自信が無い。電車が右の大雄山駅を出て、左、小田原へ向かいます。お椀形のベンチレータをつけた、西武っぽいMc+Tc電車ですが、買収国電かもしれません。資料も無いし、あまり追求しません。(済みません!)

(2) (1)の電車の後姿ですね・・・・・。昨日、Googleの航空写真を眺めて居りましたが、このあたり、田畑は消え、すっかり住宅地。

(3) 富士フィルム前駅付近の元・国電らしき電車。左はモハ50~モハ11400っぽいですが、右は元国電では無さそうな気がします。この右の方に富士フィルム前駅がある筈です。

(4) 富士フィルム前から、電車に乗って、二つ目の塚原駅で下車しました。季節には鮎釣りも出来る狩川です。電車は、良く判りませんが、たぶん、モハ30かモハ20なのでしょう。

(5) すこし大雄山方面に歩き、小学校がありました。田圃が広がっています。電車はさっき富士フィルム前で写した電車らしく思われます。

(6) これまた、先ほど写した、(1)の西武っぽい電車が戻ってきました。

(7) 春分の日で国旗が出ています。箱根の山を背景に、のどかな小学校って感じですが、現在は如何なっているのでしょう。

(8) 左側が、(7)の小学校です。右方面は一面の田圃。遠い丹沢の山には白いものが見えています。3月20日ではありますが雪かもしれません。GoogleMap航空写真で見ると、この辺の田圃は残っているようです。電車はモハ33です。

(9) (8)の場所で、こんどは小田原行きのモハ21

(10) 塚原駅の筈ですが狩川の鉄橋と駅の位置が現在とは違っているようです。まあ、名違いは無いと思います。(8)のモハ33が大雄山から小田原行になって戻ってきました。

 この小田原行き電車に乗って、11時半ごろには、小田原駅に戻ってきました。これだけ撮り歩いて、3時間台、しかも東京から近い。私の住んでいる町田の駅からロマンスカーで、約40分、これは行かないわけには参りません。小田原で美味しいお昼ご飯も食べて、箱根湯本で温泉饅頭のデザート。ロマンスカーで帰ってくるなんて、コースを考えてしまいました。問題は、何時腰を上げるかなので・・・。


 ・・・・と、言う事で、今回の伊豆箱根鉄道大雄山線撮影回は終了。次回は、小田原駅と新宿に向かう小田急の写真を少々。
 では、また、次回にお目にかかりましょう。


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飛騨の忍者 ぼぼ影

毎度の事ながら味がある写真が一杯です。
by 飛騨の忍者 ぼぼ影 (2008-02-12 11:35) 

no

こんにちは。
この時代の、こういう景色の中の吊り掛け音は、どのように響いたのかなあ、なんてことを思いました。
開放空間ではあるけれど、土と水と植物だけ。
変な反響もなく、優しい音が近付いてきて、そして去っていったのでしょうか。
景色ももちろんですが、想像の音にノスタルジーを感じました。
by no (2008-02-12 18:41) 

モリタ

デジカメの写真はやはりコントラストがイマイチですよね、大きい建物などを撮るとボケますし、写真の縁ははっきりしないですしね。
いつも画素数だけ見て、つい期待してしまうんですけど、レンズが豆粒みたいですから仕方ないのでしょうね。

大雄山線、一昨年ひととおり乗り歩いてきました。
沿線や駅は相変わらず味のある風景ですが、私は現在の銀色にブルーの車両はイマイチ好きになれません。
昔の木造車は良いですね。
by モリタ (2008-02-12 19:24) 

なにわ

前々回から出てきていますが、(1)の電車、川崎製で戦前は2扉でした。3扉の同型は東急(3100)、阪急、長野にあります。
30型の木造国電、もしかしたらJRが保存している電車より古いのかもしれません。
モハ50と組んでいるクハは、元32008です。戦後すぐに事故を起こして、払い下げられ、3扉化されました。
by なにわ (2008-02-12 22:26) 

む〜さん

■ 飛騨の忍者 ぼぼ影様: この時は結構気合を入れて撮ってますが、画像を加工していて、画面構成が44年経った今でも似てるなあと思いました。何となくシャープさに欠けるのはすきゃなの所為も少しありそうです。
■ no様: そうですね、周囲のものからの反響が少ない分、硬さは無いかもしれませんね。今でこそ、吊り掛け車は貴重価値ですが、当時は、カルダンの方が少なかった。電車の音といえば、ぐわ~んって感じでした。コンプレッサは、ゴニョゴニョゴニョって感じだったし、カルダンの音から見ると、賑やかで楽しかったですね。乗り心地は別ですが。
■ モリタ様: デジカメも大型撮像素子のものなら、ピントのキレも良いと思いますが如何でしょうか?私のデジカメは、1/1.7インチなので、1200万画素でも何となくキレが悪いです。110カメラだと、超微粒子フィルムでも、なんとなくボケっぽく写るのに、似ています。そうかといって、一眼レフは高いし、重いし・・・・・。
■ なにわ様: あの電車、川崎製ですか・・・・。東急3150、3200とか、阪急600、奈良電デハボ1000とは、ちょっと雰囲気が違いますが、ドア増設時に改造があったのでしょうか。
鉄道博物館のナデ6110形(デハ6285形)よりは、このモハ20(デハ6280)、モハ30(デハ6270)の方が、2~3年古いようです。
モハ50の相棒は、あのスカ線の名車モハ32が前身ですか・・・・。モハ32は飯田線と富士急で見ただけですが、小型で、小窓の並んだ側面は素敵ですね。
by む〜さん (2008-02-13 00:50) 

manamana

風光明媚な中をのどかに走る様子、
それに、あまりかっこいいとは言えない武骨な3枚窓電車。
味があっていいなぁ。
by manamana (2008-02-13 08:59) 

む〜さん

■ manamana様: いいところですよね。湧水の多い箱根山の東側の斜面、鮎も泳ぐ清流、富士フィルムの製造に適した場所だと聞きました。かなり排水には気を使っているようでしたが、記憶では排水由来で鮎が死んじゃった事があって、新聞に出て居りましたね。
そんな風景の中を行く『大正の国電』、良い絵になるはずなのですが、問題は、写す私の腕が・・・・とほほ。カラーでも写しておけばよかったと思うのですが、昭和40年前後ごろは、資料映像は黒白が良いなんて思い込んで居りました。お陰で、電車の色を忘れて居ります。
by む〜さん (2008-02-13 13:17) 

湯山洋三

腕木式信号機が懐かしく感じられます。タブレットの受け渡しも旅情を駆り立てたものです。中途半端な集中制御で信楽鉄道の正面衝突事故のように、合理化を急ぐあまり担当者の基礎教育をおろそかにした結果ではないでしょうか。
by 湯山洋三 (2011-05-13 23:14) 

む〜さん

■■ 湯山洋三様:
 腕木式信号機+通票閉塞は、ついこの前までは、普通でしたが、自動化されてゆきましたね。あの閉塞機の釦を叩き、タブレットを受け渡しするたびに、安全確認の気合が入った事と思います。自動化は、ファイルセ-フに近づきますが完璧ではないわけで、その分、システムにもたれてしまうのは人間の習性ですものね。
by む〜さん (2011-05-15 09:13) 

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