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大阪の電車1976年(1) [1970年代の関西電車]


 昨日、2月15日、家人が新宿へ出まして、お土産。花園万頭の「さくら万頭」、おいしそう!!
 後で、ゆくりお茶の時間に頂こうと・・・・・春、さくらのおまんじゅうです。そういえば、以前、奈良で、お饅頭の神社の前を通りました。

 2月も半ばになり、来月下旬には桜の便り、春は直ぐそこまで来ている気分になりますね。


 さて、お饅頭のお話は、置いておいて、本題です。今回から4回に亘って「大阪の電車1976年」を書きます。大袈裟な題名の割には、北大阪急行と阪神電車しかありません。羊頭狗肉・・・・ゴメンナサイ!と最初に謝ってしまいます。
 予告編でも書きましたように、どういう状況で大阪に行ったのか、覚えていないのです。フィルムだって、探せば、この一本だけでなく、もっと有るかも知れないのですが、なにしろ、管理の下手な私、見つかりません。まあ、出てきたときには、それなりに発表いたしますが・・・・・期待は出来そうもありません。 
 ・・・・・では、行きます!!

 大阪の電車・1976年(1) 

 このフィルム、富士のネオパンSSの20枚撮りと、少々ケチっています。この心境がよく判りません。折角、大阪まで行ったんですから、愛用のコダックPlus-Xの36枚撮りと行きたいものですが・・・。ネガカバーには、現像してもらった、会社の近所の『キクヤ』の社名印刷がありますが、撮影場所、撮影年月日は書いてありません。困ったものです。途方に暮れていたら、最後の駒に、ご贔屓のプロ野球球団「阪神タイガースのポスター」が二枚写してありました・・・・・その一枚。

(1) このポスターが、このフィルムの最後の駒になっています。たぶん、阪神電車の福島駅ホームで撮ったらしく思われます。ところが、「年」が入っていません。掛布雅之選手・・・・活躍していたころ、飼っていた文鳥に『マサユキ』と名付けていたくらい、今でも、傘立て、靴・下駄箱やロッカーのナンバーはNo.31を探す私・・・・でも、ファンのくせに阪神在籍期間が判らずネットで調べました。1974年・阪神入団、そして引退・1988年だそうで、この期間に大阪に行ったのには間違いない。
 で、気が付いた。『あの日は何曜日』というHPで調べてみたわけです。掛布選手の在籍期間中、9月7日が火曜日と、ピタリと合致した年は、二回しかありませんでした。
 1976年・昭和51年と、1982年・昭和57年でありました。さらに、第四回に出てくる、ステンレスカーのジェットシルバー5201を、重ね合わせると、1976年・昭和51年の8月末から、9月のアタマだと言う事は、間違いないところでしょう。
 年月の同定に付きまして、2月21日付の、第四回に、多くの方々から、コメントでお教えいただきました。有難う御座いました。

 ・・・・で、そのフィルムの最初の5駒が、こんな街角写真でありました。電車と言えば大阪、私にとって、電車的に憧れの街。巨大な私鉄の広告看板はかなりのインパクトがあったのでしょう。今日は、こんな写真ばっかりで、電車の写真は無いのです。ご期待された方には申し訳ありません。ご勘弁ください。

(2) 淀屋橋です。淀屋橋の橋のたもとから写しています。近鉄の広告看板が凄い!!「近」の字を基にしたマークがカッコいい!!左側が土佐堀川、右の黒っぽい硝子のビルが日土地淀屋橋ビルでしょう。近鉄特急のこんな広告を見ながら、キーボードを叩いていると、頭の中で、楠トシエさんが歌い始めました・・・・『そら来た、二階ので~んしゃっ!・・・・』。

(3) (2)を、淀屋橋交差点から北を向いて、二時の方向です。地図を見ると、左にちらりと写っているのが大阪市役所のようです。TVの『日本昔ばなし』、子供たちが見ていたなあ・・・。

(4) 横断歩道を渡りながら、南を見ています。御堂筋。この頃、既に一方通行。

(5) (4)から右へカメラを振った角になります。京阪特急は当時は3000形全盛時代でした。

(6) 淀屋橋交差点から北を向いて、10時の方向。日銀の大阪支店阪急電車の大きな広告は掲げてあるビルと、鰻屋さんは、現在は道路整備で、ここには無いと、昨日、コメント書き込みをいただきました。道路も広くなり、景色もすっきりしたでしょうが、ちょっと想い出的には残念な気もしないでもありません。

 近鉄、京阪、阪急、揃い踏み絢爛豪華淀屋橋交差点でした。電車ファンとして、高校時代からの憧れの街、大阪。大感動の中、シャッターを押し続けた私だったのでしょう。


 今日は、ここまででお仕舞いに致しましょう。次回は、北大阪急行です。


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Fuzzy

おはようございます。
(2)(3)のビルは今はありません。綺麗なガラス張りのビルになっています。
しかし、(4)(5)は、ほとんど現在と変わりありませんね。
つい最近まで、建物の高さを100尺以下に制限されした条例があったために、生き残っていたのかもしれません。
歩いている人物の服装と自動車はすっかり変わってしまいましたが。
by Fuzzy (2008-02-16 10:08) 

quatre-l

私が愛車ルノーキャトルを購入したのが昭和56年でしたから、ほぼこの写真の頃ですね。自分もこの当時はモノクローム写真の方が多かったです。自宅に暗室を(風呂場でしたけど)作り、酢酸の臭いに母親からいや~な顔をされてました。

「まんが日本昔話」は後に自分の勤務先でビデオ化したんですが、その会社の大阪支社が堂島にありました。この写真の近くまで何度も行っていたのですねぇ。当時住んでいたのが福岡市で自分は福岡という街がよっぽど好きだったんでしょう、いつもとんぼ返りで大阪の町を歩く事がほとんどありませんでした。もったいなかったなぁ、、、。
by quatre-l (2008-02-16 10:56) 

京葉帝都

淀屋橋界隈はビジネス街なので用務客にアピールするための電鉄会社の屋外広告が多かったのですね。“京都まで○○分”などの所要時間や威勢のいいコピーがないのは、関西の私鉄が過渡期に入りつつあったのかと想像しています。京阪中之島線が開通すると、大江橋駅と地下鉄淀屋橋駅との間を日銀の前を通って歩く人がかなり出てくると予想しています。
by 京葉帝都 (2008-02-16 12:27) 

む〜さん

■ ファジー様: ’82年から26年、大きくは変わっていないとの事、何だかホッとするものがあります。
■ quatre-l様: この頃の私は、記録はB/Wと思い込んでいたようです。家族の写真もカラーで無いものが多くあります。
大阪の街、私も殆ど歩いていないのです。鉄道ばっかり追いかけて、何時も『駅前』から離れられませんでした。
■ 京葉帝都様: 京阪の延長、近鉄と阪神の相互乗り入れ、大阪の街の地下鉄道網もがらりと変わりますね。期待もしています。広告のコピーと言いますと、真っ先に思い浮かぶのが『待たずに乗れる阪神電車』です。
by む〜さん (2008-02-16 16:19) 

G20

大洋が、なつかしい  横浜の住人。
by G20 (2008-02-16 17:08) 

HIRO

以前大阪に住んでいた時、最初に大阪駅に着いたとき、阪急百貨店に屋上部分から1階くらいまでの大きさで立て看板で京都・神戸・宝塚・箕面方面阪急電車乗り場とか、ほかにも書いてあってびっくりしたものです。
同様に京阪・近鉄・南海・阪神にも見られて、関東では小田急・京急・東急ほかすべての私鉄にそんなPRの看板がなく珍しいと思ったものでした。
by HIRO (2008-02-16 17:40) 

む〜さん

■ G20様: 私の息子(いまは、いい親父ですが)が大洋のファンで十代の頃、一緒にヨコハマのスタジアムに行った事があります。ライト側の外野席。応援団の笛太鼓の真っ只中、耳鳴りが1週間止まりませんでした。でも、あの雰囲気は好きだなあ!勿論、神宮のレフト側に阪神の応援に行ったことも多いのですが、何故か私が行くと負けるのです(泣)。
■ HIRO様: 阪急デパートの垂れ幕?は凄いなあと思いましたっけ、昭和29年の事でした。全部は写ってませんが下記URLを御覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link10923-osakashi.html
by む〜さん (2008-02-16 18:51) 

なにわ

目的地をでかでかと表示していたのは戦前からのようです。
これに対抗して沿線にJRが看板を立てる、いや国鉄時代から駅には新快速のPRをでかでかと出している、
関西とはそういうところです。

前フリに出てきた神社、林神社ですね。近鉄奈良駅前にあるのですが、意外にも一度も行っていません。

ネタがないのでここまでです。
by なにわ (2008-02-17 10:49) 

’80XE  PA96E

地元記事にまたまた出遅れました。
懐かしいですが、この頃はほとんど淀屋橋までは出掛ける用事が無くて、行く事はありませんでしたね。看板に出てるあやめ池遊園地も無くなり、淀屋橋界隈も様変わりしてますね。
中之島線が開通したら人の流れがどう変わるか気になりますね。
by ’80XE PA96E (2008-02-17 13:22) 

む〜さん

■ なにわ様: 東京周辺は同一地点発~同一地点着が少なかったので、関西の私鉄vs国鉄が目立つのでしょう。なんたって、梅田~三宮間に三路線あるわけで・・・・競争意識も当然の成り行きだったのでしょうね。東京では、京浜間の品川~横浜間、に国鉄vs京浜急行がみえますが・・・・。
お饅頭の神社は、奈良の漢国(かんごう)神社内にある林(りん)神社でした。以前、このブログでも書きましたっけ・・・・。
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/2007-04-28
前で、神社前の道路で同行の息子の記念写真を撮っただけで、お参りはしませんでした。
■ '80XE_PA96E様: 最近は大阪に行っても、淀屋橋は、地上に出ることも無く、地下鉄・京阪の乗換えだけでした。日銀、中ノ島も含めて、こんど行ったときには、じっくり見てこようと思っています。
あやめ池は、閉園になる直前頃、行った事があります。平日でしたが、がら空きの園内に展示してあった、デボ1の復原車を見に行ったのです。
by む〜さん (2008-02-17 22:00) 

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