汽車の窓から:名鉄1955(1) [中京・中部地方の鉄道風景]
昨夜23時に布団に入り、即、熟睡。今朝の起床が5時15分くらいでしたから、随分寝たものです。こんなの、久しぶりで、お蔭さんでアタマはすっきりしているんだけれども、鼻が詰まっちゃっています。鼻水も出るし、花粉症が本格的になってきたようです。5月の連休明けまで掛かる訳で、あ~、ヤダヤダ!!!
■ 汽車の窓から:名鉄1955年(1) ■
あれは、昭和30年の春3月の下旬の事でした。高校の2年から3年に進級する辺りで、修学旅行がありました。東京駅から貸切の列車で、京都に着き、京都・奈良を体験すると言う、いまの高校生から見たら、な~んだ、それっぽっち?!って感じの修学旅行。
でもね、東京駅から京都駅まで、スハ32とかオハ35なんかの、いわば各停用の編成で急行並みの走りで、朝から夕刻までかかって走るんですから、鉄道大好き高校生としては、熱狂してしまいます。
そんなわけで、豊橋から岐阜までの名鉄並行エリアを、大いに楽しんだのです。名古屋で、機関車が電機から、蒸機に替わった時代のお話です。
(1) 蒲郡駅を出て、しばらく名鉄の蒲郡線・・・っていいましたっけ?・・・と並行します。地図を見ても、現在はこの位置に駅はありませんね。向こうに海が見えて、田圃のなかに小さな交換駅、通信線の姿も、まあ、なんと長閑な眺めでしょう。前身が気動車の制御車と、モ1000でしょうか木造ダブルルーフの電動車が発車したところでした。
(2) (1)と同じ電車です。静かな海に小島が浮かび、まるで夢のようなシーンですね。名鉄には、各種雑多な気動車由来の制御車、付随車が各線で見られました。
(3) 安城駅では、西尾線の南安城駅とを結ぶささやかな路線と接続しました。モ1031が発車を待って居りました。カメラの速写ケースの前蓋が写り込んでしまいました。
(4) いよいよ名古屋の熱田駅に近づきました。名鉄の神宮前駅の電留線には、ク2314+モ804(4は怪しい?)が居ました。右はク2600+モ3600でしょうか?左にちょっと見えているのは、モ3200でしょうか?名鉄は、私鉄の大合同で生まれた会社なので、沢山の形式が入り乱れていましたが、こんな風景も、まさにそんな事情の表れなのでしょう。
(5) 神宮眼駅のホームには、岐阜行特急のク2402以下、3400系の4連が居ました。オリジナルに近い、素晴らしい造形ですね。
■■■ 列車はやがて名古屋駅に着き、機関車を付け替え、京都に向かいました。残念ながら、何故か、名古屋駅のシーンは写しておりません。む~さん、怠慢だぞっ!!!!
・・・・・・では、また次回、お目にかかりましょう!!!!
どれもこれも興味津々で拝見いたしました。
昭和30年にはまだまだパラダイスが残っていたのですね。
5枚窓の木造ダブルルーフ電車・・・南海や近鉄にいてそうな電車ですね。つくづく、こういうのの走っている姿を見たかったと思います。
名鉄の流線型車両は、ほんとモハ52系の造形そのもののように感じました。
by ファジー (2008-03-03 18:44)
■ ファジー様: 貴方様宛てのレスを書きまして送信ボタンを押したら、何処かへ行っちゃいました。何時になったら、このブログサーバーはまともに動くようになるのでしょうね。
そんなわけで、書き直します。前例があるのですが、書き込み失敗で消えちゃったコメントが、後で出てくる可能性もあります。
南海、近鉄、京阪などに沢山居ましたね。阪急にも居たような気もする。あの玉子型の電車、関西に多かったですね。
名鉄のタマゴ電車は、小型のが多かったようです。上の写真も小さな車体に、大きなパンタが、似合ってないような感じです。
by む〜さん (2008-03-03 21:17)