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1959年・夏・関西~高知(5) [1950年代の旅]

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pencil-red.gif お早う御座います。今日は良いお天気になって暖かくなるという予報なんですが、まだ、そんな感じにはなっていません。最近の天気予報は当たる確率が大なので、きっとそうなるのでしょう。昨日に引き続き、1959年の旅のお話で、今日は、阪急電車

 1959年・昭和34年「7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の三日目、7月12日・日曜日のお話で、兵庫県神戸市長田区の長田、神戸市電と山陽電鉄を眺めた後、市営の急行バスで、阪急の三宮駅に向かったのです。

 1959年・夏・関西~高知(5) 

(1) 電車通りを湊川から三宮に向けて疾走するバスの中から市電の1000形。最高速でも200分の1では、ブレます。通りの右側の電柱が、妙に大袈裟。
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(2) さあ、三宮です。856をしんがりに梅田に向けて各停が出て行きます。ホーム先端から開口部まで、だいぶ遠かったらしく、セミ判で75mmでは、部分伸ばしが必要で、甘い画像になりました。
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(3) 三宮駅のホームです。800番台の4両編成の確定が居ますが、到着してそんなに時間が経っていないらしく、お客さんが出口に向かっています。天井の高い、柱の無い、ゆったりした駅です。長田の親戚の家を出たのが随分遅かったらしく、時計は11時25分を指しています。
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(4) (3)の右端、広告看板が気になって大伸ばししてみました。右から読み取れる範囲で、『劇場不明:「ジャン有馬の襲撃(市川雷蔵)」』、『三宮東宝:「大学の28人衆(佐藤 允)」「潜水艦イ-57降伏せず(池部 良、三橋達也)」』、ちょっと見えている左端は『宝塚大劇場:「月組・ダルレークの恋」』。映画の、このジャンルは見なかったらしく、見た記憶がない。
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(5) 何形か記録がありませんが、当然乗ったのは特急、最先端。春日野道駅から左折する辺り、三宮行特急とすれ違います。たしか、当時としては、一番新しかった(と、思われます)1010系の1029
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(6) (5)を拡大してみました。従来の阪急タイプを踏襲した高性能車。このタイプの車体の電車は、2000の出現まで、何種類も出てきました。当時の事ですから当然、エアコンはありませんが、送風式の通風方式でした。ラインデリアだったか、ファンデリアだったかは忘れました。
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(7) 十三に着きました。ここからは、宝塚線で能勢口駅まで行き、能勢電に乗るわけですが、阪急京都線の100を写さないわけには参りません。先ずは、梅田行急行132です。
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(8) お次は京都行急行・・・・当時は大宮まで・・・・131です。グロベンが少々、違和感がありますが、良い姿です。
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(9) 十三駅の側線には、こんな作業車がいました。サイドには、自動点検車 阪急 電路課とあります。大事に使っていたブローニーフィルム(16枚撮り)の一齣を使っているのは、余程、注目していたのでしょう。オート三輪を思わすボディが気に入ったのでしょうか・・・・・。
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pencil-blue.gif このあと十三から宝塚線で能勢口駅に向かったのです。


coffee.gif 続きは、また次回に・・・・・。


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ファジー

おお、デイ100の登場ですね。
以前は余り興味のなかった車両なんですが、こうして久しぶりに現役時代の写真を拝見すると、重厚さと端正さを兼ね備えた名車だなあと思います。
しかし、確かにグロベンはちょっと似合わないような感じがしますね。
でもハイカラ好きの阪急さんのすることですから・・・。
by ファジー (2008-04-11 11:37) 

む〜さん

■ ファジー様: デイ100、良い電車ですよね。1927年ってのが凄い。近鉄モ2200(参急デ2200・・・・こっちは1930年)とともに名車と言って良いでしょう。振り返って関東で1930年以前の長距離(デイ100には壮大な計画があったようで)電車というと東武デハ7(3210)が1928年、小田急のモハニ101(1200)が1927年だけど、関東者の私の贔屓目でも、負けてるって感じがします。やっぱり電車は関西ですね。
by む〜さん (2008-04-11 18:44) 

HIRO

阪急デイ100、ちょうど僕は大阪箕面・あとで豊中に住んでいた頃の話です。
阪急梅田ホームも地平ホームで高架線から急傾斜で国鉄のガードをくぐって梅田駅に入線していました。
デイ100は阪急京都線専用車で、宝塚線は小ぶりの500で真ん中に木造車の300、そして神戸線は700が主に使われていたのを覚えています。
京都・神戸線が直線区間が多く大型車、宝塚線はカーブが多いので小型車かと当時思っていましたが今は皆同じ長さの車輌ですね。
by HIRO (2008-04-11 18:44) 

そうこばん

昭和50年代中ごろ、2年間だけ大阪の豊中に住んでいました。
あのころの宝塚線には、非冷房の1100がまだ走っていましたっけ。
天井にはでっかいファンデリアがついてましたね。

鎧戸っていうんでしょうかね?あの日除け。あれと木目調のデコラ。
東京の電車しか知らない自分には、大きな衝撃でしたね。

数年前に所用で関西に出かけたときに、阪急に乗りましたが、
あの独特の雰囲気は当時と少しも変わっていませんでした。

またお邪魔いたします。
by そうこばん (2008-04-11 19:12) 

む〜さん

■ HIRO様: 箕面、豊中、見事に阪急圏ですね。羨ましい。500形は小型ですが阪急タイプそのものでした。
 宝塚線用の高性能車1100あたりから大型車が宝塚線に入るようになったみたいですね。
■ そうこばん様: よろい戸方式のシェードは良いですね。グリーンのシートとニス色木目印刷の車内、広告は少ない上にみんな阪急グループ。現在は如何なのでしょう。戸袋のすりガラスはなくなっちゃったようですが・・・・・。
 関西に行ったら、とりあえず、阪神~阪急~京阪~近鉄~南海は回りたい私ですが、何時行っても果たせないで居ます。
 この春に行く心積もりだったんですが、少々、怪しくなってきました。
by む〜さん (2008-04-11 19:54) 

のり

これはまた素晴らしい写真の数々・・・
阪急三宮駅は、基本的にはこの頃とほとんど変わっていないはずです。ただ、上にあった阪急三宮ビルは、阪神大震災で被災し、解体されてしまいました。
悲しい映画ですが、「火垂るの墓」は、この阪急三宮駅からお話が始まります。
豪快なデイ100もいいですね。
作業車、なんとも可愛くって微笑ましい存在です。むーさん様がカメラを向けられたのが良くわかります。
by のり (2008-04-11 21:00) 

阪急電車のよろい戸

デイ100、カッコいいなあ!でっぱった幌と標識燈がいやがうえにも精悍さを増していますね。僕が覚えているのは最晩年で、幌は取られ、標識燈は埋め込まれて少し「おじいさん顔」になっていましたが…。この頃のデイ100は働き盛りの魅力がぷんぷんします。千里線の延伸時にはこの重さを利用して路盤を固めるためにわざと投入されたという話がありますが、デイ100が固めてくれた線路でいまでも毎日通勤してると思うとそれだけで幸せです。
by 阪急電車のよろい戸 (2008-04-12 04:15) 

manamana

阪急は当時は抜きんでて、りっぱな鉄道だった感じがします。
いまでは、どこも同じようなレベルになっていますが。
最後の架線点検用車(?)、全面ガラスが凝ってますね。
息子に受けてました。
by manamana (2008-04-12 07:27) 

たーサン

 宝塚線の小型車に乗って十三までくれば、いつでもデイ100が見られました。
 梅田駅(旧地上ホーム)の5号線京都行急行専用ホームにいつもその姿がありました。
 でも、ほとんど撮っていないんですね。まったく何を考えていたのか、今悔やんでも仕方ないですが、、、。
 年少の頃は近くの材木置場で、短い柱の切れっ端を電車に見立てて遊びましたが、端面の出っ張りーホゾというでんしょうか、
あれを幌に見立ててデイ100のつもりでした。子供心にもあの幌の印象は強かったのですね。




by たーサン (2008-04-12 08:19) 

Cedar

阪急神戸線は江戸っ子電車少年の僕には特別な存在でした。
十三までの豪快な3複線、園田、武庫ノ荘あたりの高速運転、そして西宮北口の平面交差!芦屋川、御影といった高級住宅街を抜ける区間、三宮の高架線・・どこをとってもエグゼクティブインタアーバンって感じでした。
むーさんの写真にも写ってるコンパウンドカテナリーがいかにも高速電車って感じです。関東では国鉄しかなかったのに、関西では南海・京阪・阪神・近鉄と私鉄でも多用されてますね。
高校生の時始めて関西私鉄に乗りに行ってすっかり虜になった頃を思い出す写真でした。
ぜひもっと見せてくださいませ。
by Cedar (2008-04-12 08:21) 

む〜さん

■ のり様: 阪急の三宮は全面的に変わってしまったのかと思っていました。アーチ状の屋根はこのまま残っているのでしょうか?もう一度見てみたい気がします。こんど関西に行って時には、『必修科目』の『阪堺』に『梅田~阪神~三宮~阪急~梅田~梅田構内珈琲タイム』のコースを加えたいですね。
■ 阪急電車のよろい戸様: デイ100は重かったんですね!50tを越したらしく、今のJR東のE233の30数トンからみるとかなり重い。技術革新というのか、こんなに軽くて良いのか、よく解りませんが・・・・・。
■ manamana様: 昭和29年の初対面のとき、水準の高さに驚きました。他社も頑張ってるので、差は小さくなりましたが。
 この点検車、オート三輪のパーツの使用は間違い無さそうですね。
■ たーサン様: 毎日見ていると、明日、この次で、あっという間に数年経ち、気が付けばなくなってる。私も、何回、悔やんだ事でしょう!凸形のEF13なんか、一枚しか写していません。
■ Cedar様: 昭和29年の園田~武庫ノ荘~北口は、まさに田園地帯で、その中を920かなんかの特急がぶっ飛ばしていました。
 もう、関西での写真は底をつきそうです。もし、Cedar様が、私のホームページの関西写真をご覧になって居られなかったら、是非、下記のURLから『関西電車むかし噺』をご覧になってください。昭和29年と昭和30年の写真があります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link109-kansaimukashi.html
by む〜さん (2008-04-12 09:52) 

HIRO

伝統の阪急車輌が見れた頃写真一枚もなしとは情けない話
む~さまともっと小さい頃であっていたらこんな無様なことなかったと思うのですが。
小ぶりな500が宝塚線に走っていたのは三国ー庄内間、駅から
急角度で神崎川をカーブする区間があり車窓から前の車輌の席に座ってる人の顔が目の前にいるようで後ろもまた同じように顔が見えて超低速でぎーぎーと車輪音を鳴らして名物でした。
デイ100はかぶとをかぶった武士のようで貫禄充分で僕は暇を見ては梅田に出かけて京都線ホームに急勾配で下ってくる光景をわざわざ見にいってました。
宝塚線にはその後カルダン車の1000(二つドア)が投入されて
当時天井にあるファンでリアが珍しかったです。
後に1100になって今は3つドアになっちゃいましたが。
700はいかにもスマートなみなと神戸にふさわしい車輌でした。
当時は棒読みのあの名物女性発車案内がまた魅力的でした。
今は各線特徴のあるミュージックサイレンが鳴って発車案内は短いですね。

ところで6月には渋谷ー池袋地下鉄新線が開通、東京は私鉄はほとんど地下ターミナルになってしまいますね。
by HIRO (2008-04-14 22:54) 

む〜さん

■ HIRO様: 阪急沿線にいらっしゃったのに写真が無い。毎日見て居ると、明日明日で日が経って気が付いたら無くなっちゃってる・・・・は、何時もの事でした。今では、目の前にある電車はみんな写してしまいます。デジカメの恩恵ですね。
 渋谷に西武が来る、時代が変わってきたんだなあと思います。逆に東急が池袋に行くんでしょう?変わったものです。
by む〜さん (2008-04-17 22:22) 

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