1959年・夏・関西~高知(6) [1950年代の旅]
お早う御座います。昨夜、22時ごろから、花粉症の症状が出始め、今朝、目が覚めて好転していると思ったら、どっこい、そうは行かず、鼻は詰まるし、流出は停まってないし・・・・むしろひどくなってる。今日一日、憂鬱だなあ。花粉明けまで、あと一ヶ月なんだけど。
今日は、阪急と能勢電のお話・・・・・。
■■■ 1959年・昭和34年:「7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の三日目、7月12日・日曜日のお話で、三宮から阪急の特急に乗って、宝塚線乗換の十三駅までやって来ています。
■ 1959年・夏・関西~高知(6) ■
(1) 十三駅の宝塚方面行ホームで待っていると、池田発、梅田行の電車が、610系の619を先頭に入ってきました。この系列には、たしか、非貫通のモノもあった記憶があります。
(2) どんな電車の乗ったのかわかりませんが、無事に能勢口駅に着きました。側線に保線用のホッパ車がいました。何が気になったのか、写しています。可愛らしい車掌室?が気に入ったのかもしれません。
さあ、昭和20年代末、購読していた鉄道模型趣味誌に能勢電の紹介記事があり、ポールカーで、絹延橋なんて風流な駅名、鼓ヶ滝って素敵な名の駅近辺の砂利道併用軌道と橋梁が、ずっと気になって居たのでやって来たという訳なのです。
さあ、能勢電気軌道です。今日は何しろ、このあと、京都の叡電に乗り、夜までには神戸市長田区の親戚宅に戻り、一泊して早朝、山陽本線の下り列車に乗らねばなりません。 えらい事です。忙しいのですが、頑張るって訳で、事実上の始発駅、能勢口駅から、1.2km、次の絹延橋駅まで行きます。
(3) 能勢口駅の情景です。左は阪急から来たP4、10形28非貫通タイプ。右が50形の51です。のどかなものです。現在の川西能勢口駅は存じませんが、きっと、この痕跡も無い事と思います。
(4) 一つ乗って、次の絹延橋駅には車庫工場があります。下車して入らせて頂くと、いや、もう凄いの何のって、言葉もない宝の山。廃車車体も含めて、ブローニーフィルムですが、頑張って撮りまくりました・・・・と言っても10枚と一寸ですが。その中から10形の12です。貫通幌が素敵。
やって来た能勢口行の電車に乗って、能勢口駅に引き返します。あっという間の、能勢電の見学でありました。
こちらに、このときの能勢電軌のアルバムがありますのでご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link135.html
さあ、大阪へ戻り、京阪で京都入りするつもりです・・・・・・・。
(5) 能勢口駅で梅田行きを待っていると、宝塚行きの各停が来ました。これまた小型の、いかにも阪急ってスタイルの500形ほかの5連でした。
(6) 大阪に戻って・・・・ここは何処でしょう?丸っこいビルで甲子園のナイター、グランドホワイトセールの広告、阪神百貨店でしょうか?・・・・よく判りません。市電は1507です。
(7) (6)を拡大してみました。でっかいドラムブレーキのオートバイに、真ん中は観音開きのドアが懐かしいトヨペットクラウンでしょう。クラウンの後ろは地下街への入口かしら。
(8) (7)とほぼ同じ場所のようです。大阪市バス、バス窓の典型みたいなタイプで、なんだかサイドビューに違和感あるなあと思ったら、ドアが一つしかない。当時はこれが当たり前でしたが・・・・・。車掌さんの手が見えてます。
尾灯は当時の普通見られたタイプ。このバス、製造会社はわかりませんが、車高が高いし、日野のアンダーフロアかなあ?
これで、今日の更新はお仕舞いです。これから京阪の特急で京都へ向かいます。特急といっても写真も記録も無いのですが、当時の私は、京阪間の移動は、阪急でも、国鉄でもなく、専ら京阪特急1810でした。
では、次回・・・・・!!!
この当時の能勢電情報は私は持ってないのですが、
TMS,1954年4月号、
電車を訪ねて、 能勢電車、 なかお・ゆたか
があるようですね。
(2)写真が好きです。
住宅地に置きっぱなしの貨車に風情があります。
(7)のトヨペットクラウンの写真ですが
尾灯が小さく後ろ窓が3分割は最初期型かと。後ろフェンダーにクロームの羽根付き線、白タイヤはデラックス仕様。
フェンダーミラーが見えないが、当時はこれで良かったのでしょう。ドアミラー付き? 普通の人の年収の7倍程度かと。
オートバイの人がノーヘルですが、当時の尺度は
ノーヘルの人=真面目な仕事の人
ヘルメットの人=70km/hのキチガイ速度だしますよ、と格好自慢してる不良スレスレの人
でした。
(8)バスですが、
東京(と言っても東急中心の記憶ですが)にはツーマン時代にパワー式引き戸のバスは見かけなかったです。
全部手動式折り戸でした。
by 鈴木光太郎 (2008-04-13 04:37)
当時の能勢電の写真は貴重ですね。
実は私も近々昔の能勢電をアップしようと準備しているのですが、
平野車庫でP4や50系60系の廃車体を撮ったり、阪急320系、500系が能勢電で活躍していたり・・・とむ~さんの写真の14年後を表しているものとなっています。
by ファジー (2008-04-13 08:20)
ポール時代の能勢電は良いですねえ。
私が能勢電に初めて行ったのは昭和42年、阪急320型が入りだした頃でした。
10型はぎりぎり残っていましたが、走ると車体がぎしぎしきしんで、角の突合せ部分が歪むのが目で見えたものでした。
関東にも木造車は新京成と横浜市電にしか残っていなかった頃です。
むーさん様の写真には<時代の空気>がきちんと写っているのが素晴らしいですね。単なる車輌写真じゃないところが好きです。
すっかり感化されて、自分の写真も車輌より人の服装や町並みやクルマをチェックしてしまうようになりました(笑い)。
by Cedar (2008-04-13 09:38)
丸っこくて非常口が後ろに付いてるバスが、
妙に懐かしくて印象に残りました。
能勢電も味わい深いですね。
by manamana (2008-04-13 12:53)
すべてが超懐かしい貴重な写真です。
500ですがちょっと馬面のように縦長で車内は座席と座席の通路が狭く箕面に住んでいたころで箕面線は500+300+500と3輌編成でした。
朝夕のみこ600(500の改造といわれている)が準急箕面行きが大阪都心から大都市の香りを載せて我が家の庭のすぐ側を通っていました。
大阪駅前ですが当時はじゅず繋ぎに路面電車が来て夕暮れの大阪駅はいかにも大都会の一面を呈していました。
by HIRO (2008-04-14 23:05)
■ 鈴木光太郎様: じつは、高校時代に、そのTMSの記事を読みまして、ずっと気になっていました。大学4年にして、やっとそののぞみが叶えられたのです。
■ ファジー様: 能勢電に阪急の10形が入線する前の時代に行けなかったのは、実に惜しい事をしたものです。とは、言うものの、この頃でも、充分にローカル電車、ここが梅田から、僅かな時間で行けることが、不思議でした。絹延橋車庫で、ちょこちょこっと写しただけなのが、今にして悔やまれます。
■ Cedar様: 電車の背景の時代描写なんて、大袈裟には考えておりませんでした。ただ、背景に写りこんだ『時代』は電車の姿を引き立てますね。そして、思い出を蘇らせてくれますね。
■ manamana様: 仰るとおり、あの頃のバスって『丸かった』ですね。現在の一般バスは、『四角』ですね。ノンステップとか、低床とか、エアコンつきとか、便利にはなりましたが、車掌さんの居ない分、なんとなく寂しいのです。
■ HIRO様: 阪急宝塚線は小型車が比較的低速で走っていましたね。神戸線、京都線みたいな大型車の爆走シーンはありませんでしたが、なんだか、ゆったりした線区でありました。
by む〜さん (2008-04-17 22:16)
■■♪♪ hideta-o様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-09-15 08:49)
む〜さま
こちらこそいつも貴重な写真を公開いただき、感謝しております。写真の大阪市バスですが、リアエンジン車ならこの位置には非常扉を設けられませんので、ご推察の通り日野のセンターアンダーフロアエンジン車で間違いないと思います。少し窓配置は違いますが、良く似たバスがトミーテックのバスコレクションで発売されています。
by hideta-o (2011-10-14 21:49)
■■ hideta-o様:
今になってみると、この頃の曲線で構成されたバスのボディが懐かしく感じられますね。ボンネットタイプのバスが、キャブオーバー、リアエンジン、アンダーフロアエンジンと、バリエーションがありました。リアアンダーなんてのもありました。
高速道路用のバスが出来て350HPのエンジンなんてのを聞いて、キハ17気動車だって170馬力、キハ55で170HP×2なので、驚嘆したものです。もっとも、気動車のエンジンも、遥かにデカイものになりましたが・・・・・。
今後とも、よろしくお願い致します。
by む〜さん (2011-10-14 22:44)