1959年・夏・関西~高知(7) [1950年代の旅]
ちょっとお出かけのチャンスが多く、暫くお休みして居りましたが、4月12日以来の「1959年夏・関西~高知」の第7回目をお届けいたします。
4月ももう直ぐ終わって5月、連休・・・・そして花粉症明けがやってきます。2月以来、3ヶ月、薬を飲み、重症の日は少なかったのですが、副作用の「眠気」は、実に辛いものでありました。もうじき、その眠気から開放されます。ヤレヤレであります。
今日は、阪急・能勢口駅から能勢電で次の絹延橋まで乗り、車庫見学の後、直ぐに能勢口駅まで戻ったのです。これから、阪急で大阪へ出て、京阪電車で京都入りします。今回は「京福電気鉄道」・・・・叡電ですね・・・・のお話。
1959年・昭和34年:「7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の三日目、7月12日・日曜日、三宮~阪急神戸線~十三~阪急宝塚線~能勢口~能勢電軌~絹延橋~野瀬電軌~能勢口~阪急宝塚線~梅田と来まして、これから今日の第二の目的地、京都の京福電気鉄道の修学院前に向かいます。一日で、能勢電と叡電を回っちゃおうってぇんですから、無謀と言って良いのではなかろうかと・・・・・。
■ 1959年・夏・関西~高知(7) ■
そう言う訳で、1959年・昭和34年7月12日・日曜日です。
(1) 梅田から京阪の大阪のターミナル「天満橋」までは何に乗っていったのでしょうか・・・・多分、市電だったと思われます。写真は有りませんが、市電、京阪特急と乗り継いで、当時の京阪の京都側のターミナル「三条」です。宇治行各停の木造、ダブルルーフの200形の二連。近鉄のモ200的なスタイルの、実に良い姿!
(2) 京津線の急行の到着です。260形の266。木造の100形、200形からの機器利用車だそうですから、(1)の200形の兄弟かもしれないと思ったら、こっちは台車が全然違います。
(3) 京津線各停の到着。20形というのでしょうか・・・・24です。
(4) 京津線にそって東山三条まで歩いてゆく。東山三条の電停で三条行の各停、50形56に遭遇。
(5) 東山三条で、京都市電21系統の600形687です。ここから市電で京福に向かったのです。
市電を叡電前で降りて、平面クロスする、京福電気鉄道の電車に乗り換える。こっちの駅名は元田中。
(6) 修学院には、車庫がありました。ここで下車して、ホームで往来するポール電車を撮影し、車庫を見学。デナ120の124です。優美な形ですね~!!
(7) そして、私が一番好きだったのが、このデナ1形。前面のカーブ、ヘッダーの無い窓の上の丸み、ポール・・・・たまりませんね~!!!!
私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に「1959年の叡電」のページがあります。このときの写真が上の二枚のほか、何枚かが出ておりますので、ご覧下さい。
URLは下記です。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link134.html
次回の更新は、所用もあり、たぶん、明後日辺りになりそうです。では、また!
京津線は関東には無い魅力にあふれた電車でした。ポール集電なのに急行運転+連結運転。山越えの急勾配と併用軌道・・
変化にとんだ沿線は四季折々に飽きない魅力がありました。
(ました、と過去形なのは、今も魅力的な線ですが当時には及ばないからです)
急行用の260型は古典台車(MCBつきもありました)と近代的な車体のミスマッチで大好きでした、各停用の50型も戦前に回生制動や定速制御にトライした優秀車です。
京都に市電やポールカーがのびのび行き交っていた時代、懐かしいですね、背景の町屋の姿も趣がありますね。
by Cedar (2008-04-25 19:20)
この時代の電車は前面窓が普通に開いたんですねえ。
きのう江ノ電バスが運転席下のベンチレーターを開けて走っていました。
昔はベンチレーター越しに車内が見えたもんですが、さすがに今は異物侵入防止構造になっているんでしょうねえ。
by じろっち (2008-04-25 21:44)
■ Cedar様: 京津線の急行は魅力的でした。一番好きだったのは、30形という小さなボギー車の2連で、少々ゲテモノ趣味かもしれませんが、良かったなあ。あとは、60形『びわこ』も良かったのですが、見ただけです。
確かに京津線と同じような環境の電鉄は他では見られませんでしたね。
京都へ行けば必ず見たり乗ったりした割には写真が無いのです。旅のとき写真を撮る事は印象が薄くなるので止めようと言う記事を雑誌で読んでかぶれた時期があるのです。記憶は徐々に失われてゆくという重大なことを忘れて居りました。
■ じろっち様: 言われてみれば、その通り!このページの7枚の写真はみんな前面窓、開放ですね。エアコンなんて考えもしなかった頃の話です。一番印象に残っているのは、阪神電車。かの有名な『喫茶店』貫通ドア車の最前部の窓、開放で急行が全力疾走するとき、最前部に立った私は、風の圧力と涼しさ、速さを満喫したものです。そうのような事は、関東では京浜急行のデハ230でした味わえませんでした。
by む〜さん (2008-04-25 22:31)
む~さん、さま。ご無沙汰です。
うわぁ~~~懐かしい!!
半世紀ほど前の修学院駅ですね。この写真のとき、わたしはまだ赤ちゃん(笑)、両親に抱かれてこの年に登場したデオ300型を見ている写真が残ってます。
デナⅠ型もなつかしいです。幼稚園の年長組の頃に廃車になりました。一度か二度乗ったような記憶があります。
写真を取り出した中学生のころまで廃車体が車庫の物置になってました。
京阪本線には、木造の200型、京津線には50型も残っていたんですね。ドラえもんのタイムマシーンに乗って、この頃に戻って写真を取りまくりたいです。
by なかっちょ (2008-04-25 22:59)
大阪に住んでいたことがあったので京阪三条にはよく行きました。三条駅のホームと線路レイアウトが面白く京阪京津線と京阪線の電車が対照的で三条大橋も近くにあっていつまでも立ち止まって飽きもせず電車を眺めていました。
今でも鉄道模型レイアウトを作ってみたいと思っています。
その京阪線も鴨川沿いの光景が途中から地下になりましたね。
by HIRO (2008-04-25 23:24)
■ なかっちょ様: このときデオ300が最新式の電車で、修学院の車庫に行って見せてもらいました。たかが、大学生風情の私一人のために。係の方が親切に対応してくださいました。感動しました。いまだに覚えて居るのです。
レンタルのタイムマシーン、欲しいですね。最新式のディジタルカメラを持っていったら、怪しまれちゃいますね。ローライコードあたりで如何でしょうか?カードは使えないし、当時の最高額紙幣ってどんなのだったか忘れました。その用意も要りますね。
■ HIRO様: 京阪の三条駅は疎水が足の下を流れ、覗くと怖かったですね。あの、無秩序に増殖してしまったような配線が魅力的でした。
by む〜さん (2008-04-25 23:55)
タイムマシンが有ったら面白いですね。
クルマなら、最新Kターボで、初代GT-Rに勝てるそうですよ。
負けた方は、???でしょうね。
ニスモのイベントで新旧GT-Rが走りますが、初代は「こんなもんかい?」って、感じですよ。
戦争も止められるか、ミッドウェイの前で講和にできたかもしれません。
そうだったとしたら、今でも宮殿のような駅舎や県庁が多いかもしれませんね。
by じろっち (2008-04-26 05:16)
子供が運転席の後ろに鈴なりですね。
by manamana (2008-04-26 05:55)
■ じろっち様: 西風さんのマンガに普通のサニーで10年ほどタイムスリップする話がありました。(GTロマンではなかった気がする)
■ manamana様: 今の子供は意外と電車の前を見ませんね。大人は見てますけど・・・・。勿論、私もガキの頃から見続けてます。(笑)
by む〜さん (2008-04-26 08:05)