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1959年・夏・関西~高知(12) [1950年代の旅]

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関西~高知の旅」に戻って、今日は第12回です。「1959年・昭和34年7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅のお話ですが、今回は、高知から東へ50kmあまり、奈半利まで行くのです。総和30年代に、岩波書店から出ていた岩波写真文庫というシリーズがあり、その中の「高知県」に出ていた「森林鉄道」の写真に惹かれていました。海岸の町、奈半利から、30km余り、山の林業の中心地、魚梁瀬、そしてその奥まで森林軌道があるという。せめて、その入口の奈半利まで行こうと思った訳です。

 1959年・夏・関西~高知(12) 

 ・・・・・で、今日は1959年・昭和34年7月16日・木曜日です。高知の親戚の家から、土佐電鉄の電車に乗って、国鉄の高知駅。土讃線の上り列車で、土佐電鉄の鉄道線に連絡する「後免」駅までやって来ました。ここから、土佐電鉄に乗って、終点の安芸まで行き、そこからバスで奈半利まで行きます。

(1) 国鉄土讃線の後免駅。土佐電鉄は土讃線の高知方面行きホームの片側を使っていました。安芸行きの電車が居ます。モハ1000形の1005と同形式のモハ1000の二連のお尻に国鉄のワムが付いています。(混合列車でなく、たまたま、電車の向こうに留置されていたのではないと思うけれど・・・)
 この電車、京阪電車の100で8両の仲間とやってきたんだそうです。南海の台車に履き替え、ダブルルーフの屋根もシングル化されている。

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pencil-green.gif この1000形の電車で安芸まで乗りました。安芸駅は町の中心部ではなく、現在の安芸駅(市役所が近い)から、1.5kmひと駅手前の球場前駅(タイガースのキャンプ地!!!)辺りだったのだそうです。そこから、バスに乗り換えて、15kmの奈半利までやって来ました。営林署を探し当て、お願いして中を見せて頂きました。森林軌道蒸気機関車、ディーゼル機関車、客車に貨車と、写真を撮って、帰って来ました。列車の運転は無かったようで、写していません。バスの都合もあり、とんぼ返りしたのでしょう。

(2) 車庫の中には、ディーゼル機関車。楕円形ののナンバープレートの上には、Hinoのマークが付いています。
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(3) 2-Bの3号蒸気機関車はポーター製だそうですが、すでに引退。
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 ホームページ「む~さんの鉄道風景」に、この時の森林軌道の訪問記がありますのでご覧下さい。下のアイコンをクリックすると、別の窓が開いて、ご覧頂けます。

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pencil-blue.gif  バスで安芸まで戻り、土佐電鉄鉄道線の電車で、後免へ戻ります。

(4) 土佐電鉄鉄道線赤野駅です。交換待ちで、やって来た電車は、元・高知鉄道のガソリンカー、キハニからの改造車クハ2003とモハ1000
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(5) ここは、野市駅。後免町駅から乗り入れて来た、軌道線の200の二連と交換です。側線には600形が休んでいました。
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(6) 拡大してみましょう。200形は220+2XXで、方向幕は読めません。重連用の密着連結器、電気栓、エアホースで武装されています。600形は603で方向幕は鏡川橋。
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(7) 方向幕はフィルムをルーペで見ても良く判りません。「あき」かなあ・・・・?
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(8) 後免町まで来ました。電気機関車ED2001が貨車を牽いて、一休みして居ました。
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(9) 終点、国鉄連絡の後免駅で、高知方面行きの列車を待っていると、上下の貨物列車の交換です。上り列車の牽引機は、試作機関車DF40ではありませんか!後のDF91ですが、川崎製のCCの電気式ディーゼル機関車。左側の下り貨物列車の停まっている、下りホームの左側を土佐電鉄が使っています。
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(10) DF40を拡大しましょう。DF40 1。色の記憶って、形よりも残り難いとお思いになりませんか?この機関車の色も同様です。たしか・・・・・黒。ラインは何色だったでしょうか・・・・。なんだか、ぬ~っとして、何故か、母の昔話に出てきた、土佐の海坊主を思い出しました。
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■ 参考文献:JTBキャンブックス『土佐電鉄が走る街 今昔』、Wikipedia


coffee.gif 土讃線で、高知へ戻って、親戚宅で泊まりました。一日、ゆっくりして、7月17日土讃線夜行各停の列車で、高松桟橋駅・・・・宇高連絡船~宇野線~岡山~山陽本線で、神戸市の親戚宅に至り、一晩、ご厄介になりました。このとき、何故、西大寺鉄道に寄らなかったのでしょうか。今、考えると、まことに惜しい事をしたものです。

 では、また次回!!!


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コメント 7

Cedar

土佐の鉄道風景は魅力的ですね、トロリー好きとしては「とでん」に釘付けです。鉄道線に連結運転で乗り入れるなんて頭の固い会社はやらないですよね。土佐くろしお鉄道さえ出来なければ今でもこの光景は見られたのに~なんて思ってしまいます。
他にも<あき><ごめん><いの>と平仮名書きの方向板=高知では電車が謝りながら走ってる、って言うネタがラジオの深夜放送にありました=も面白いし、海外から電車を買い入れたりするアイデアとか、とでん、は経営陣が電車を愛してるって感じがします。

by Cedar (2008-05-07 14:53) 

む〜さん

■ Cedar様: 『とでん』は明治37年の開業ですから日本でも市街鉄道の草分けの一つだったと思います。私がガキのころは、二軸の電車を運転士さんが、ノッチの操作、ブレーキのハンドルをぐるぐる回し、ストパーを蹴飛ばしながら運転していました。ピッチングしながら走る姿を未だに覚えています。
『ごめん』と『い~の』のHMは、このページのトップにあります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link130.html
経営状態は苦しそうですが、頑張っています。停留所間隔が狭いので市内交通としては便利なのではないかと思うのです。
by む〜さん (2008-05-07 16:38) 

manamana

野市、懐かしい。
大学の巡検で行ったことがあります!
すでに廃線になっていましたが、
駅のあとを訪れたような想い出があります。
DF40、確かにぬーとした感じですね。
横の窓が丸窓なのも異色。
by manamana (2008-05-07 20:48) 

じろっち

今でこそ両運転台のディーゼル機関車がありますが、ほとんどがセンターキャブですね。
入れ替え機のように進行方向を頻繁に変える機関車は別として、幹線を長く走るタイプもセンターキャブばかりだったのはなぜでしょうね。
by じろっち (2008-05-07 21:11) 

む〜さん

■ manamana様: 野市町は現在の香南市になりますか・・・・。先年の合併で訳が分からなくなりました。(笑)
 DF40は確か真っ黒で気味が悪かったように覚えています。茶色では無かったと記憶しますが、例によって訳が分からなくなっています。丸窓と言えば、小田急の電気機関車ED1020でしたっけ?造船会社が作ったので『丸窓』なんて言われましたが。このDF40も川崎で、造船と関係なくもありません・・・・。
■ じろっち様: 確かに、凸形が多い時期がありましたね。私のディーゼル機関車初体験は、米軍持込の電気式DD12(凸形)でした。理由はわかりませんが、コスト削減に効果があるのかしら?
 電気機関車には、戦後は、あまり見かけませんね。ED30くらいでしょうか?
by む〜さん (2008-05-08 00:10) 

のりさん

土佐電鉄は、鉄道線を約40年前に乗っています。ただし、記憶がほとんど残っておりません。お恥ずかしい・・・

貴ブログを、RSS更新通知に入れさせていただきました。まだまだ訪問されるお客様の少ない当ブログですが、むーさん様のブログへご案内させていただきます。
by のりさん (2008-05-08 00:15) 

む〜さん

■ のりさん様: 土佐電鉄は高知市内の交通機関であり、市の東西地区(南国市後免と吾川郡いの町・・・・平仮名表記なんですね)を市内に結ぶ郊外電車の機能を併せ持っています。単線区間も多いのですが、ファン的に非常に興味深く楽しめる電鉄です。私ももう70、あと何回かは訪問したいと思っています。
 ご覧の通り、早速、私のブログのRSSにも、のりさん様のブログを登録いたしました。今後とも、よろしく御願い致します。
 
by む〜さん (2008-05-08 08:50) 

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