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1959年・夏・関西~高知(13終) [1950年代の旅]

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「1959・夏・関西~高知の旅」も、今回で13回・最終回です。これから先は、東京へ戻るのですが、少し前に、散発的にこのブログで公開済みなのです。・・・・・かと言って今回、省略って訳にも行かず、以前、一度ご覧頂いた画像が並びますが、ご容赦ください。

pencil-green.gif 「1959年・昭和34年7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅のお話も、今日でお終いです。今回は、高知から、土讃線~高松~宇高連絡船~宇野~大阪~近鉄特急初代ビスタカー~名古屋~東京のコースを、駆け足超特急で書きます。

 1959年・夏・関西~高知(13終) ■

 ・・・・・で、今日は1959年・昭和34年7月17日・金曜日です。高知の親戚の家から、土佐電鉄の路面電車を播磨屋橋で乗り継いで、国鉄の高知駅から、いよいよ最後の汽車の旅です。

(1) 国鉄の高知駅からDF50の牽く、夜行の高松桟橋行き各停・・・・勿論、客車列車・・・・で、朝の高津桟橋駅に着きました。この写真は夜中の大歩危駅での時間調整。三脚を立ててじっくり撮影。
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(2) 高松桟橋駅から、国鉄の連絡船で、朝の瀬戸内海を渡る。連絡船に8620が貨車を押し込んでいます。
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(3) 宇野駅から、如何やって大阪まで行ったのでしょう。宇野線は未だ電化されていませんでしたから、D51か何かの引く、客車列車・・・・長大編成が普通でした・・・・で、岡山へ。そこから、大阪までは、急行列車があったかもしれませんが、記憶の方が有りません。国鉄の宇野駅ホームに並んで、玉野市営電気鉄道の宇野駅がありました。モハ100形の102が居ました。
 この玉野市営電気鉄道は、ディーゼル化されたあと、1972年・昭和47年に廃止されています。
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(4) 宇野線茶屋町駅は、ケイベン電車の下津井電鉄に連絡する駅。貨車に荷物を積み込み中。手前の貨車は、ホカフ8。連結器にご注意ください。このケイベンも1990年・平成2年の廃止
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(5) 山陽本線で大阪へ・・・。西大寺駅で、これまたケイベン・・・・3フィートゲージ・・・・の西大寺鉄道キハ6と遭遇しました。この西大寺鉄道、1962年・昭和37年には廃止されています。
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(6) 大阪へ着きましたが、何処を如何通ったか判りませんが、ともかく、上本町駅。名古屋連絡の特急の切符を買ってホームに入れば、モ2200の如何にも近鉄という姿!もう16時も近い。
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(7) 乗った、名古屋連絡特急は初代のビスタカー。コレに乗っちゃったわけです。しかも、ビスタドーム席。
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(8) 二階のビスタドームは、こんな席なんです。
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(9) 当時の事ですから、名古屋へ行くには、伊勢中川での乗換が必須です。前面窓がHゴム支持。たぶん、モ6430のファミリーだった様です。もっとも、6420にもHゴム化したのが有ったらしいので、断言は出来ません。この駅は、近畿日本八田駅。国鉄関西本線を走行中の列車は、準急でしょうか、急行でしょうか・・・・。ともかく、レースになって、ちょっと興奮しました。こんな事は結構覚えていたりします。
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(10) 7月17日の夕方、近畿日本名古屋駅に到着。友人に会ったりしたあと、夜行普通列車で帰る事にしました。名古屋駅に入ると、準急比叡のヘッドマークをつけた153系が居ました。
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(11) 東京に朝着く各停の列車に乗った筈です。乗車前に、ホームの洗面所で、記念撮影。鏡に写っているのは、東京から来た153系の準急
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pencil-blue.gif まあ、そんなこんなで、無事に帰ってきました。目出度しメデタシ!!

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 1959年の夏の旅、関西電車見物と中国四国のナローゲージを訪ねる旅日記は、今回でお終いです。ご覧頂き有難う御座いました。


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 なお、今回の記事と重複する、2007年12月に四回に亘って連載した、「む~さんの昔噺・高知から東京(1~4)」は、下のアイコンをクリックして下されば、別の窓が開いて、連載の第一回が、ご覧頂けます

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 次回からまた、新しい企画でお送りいたします。


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ぽんた

JRもその他の私鉄も二階席って座ったことないんです。
わりと広いのか意外と狭いのか微妙さがたまりませんね。
地震は大丈夫でしたか?
気持ち悪い揺れ方でしたよねぇ、怖いですね。
by ぽんた (2008-05-08 22:00) 

じろっち

私の2階経験は横須賀・総武快速線のグリーン車と、湘南ライナー車両を使用した新宿発平塚行きですね。
当時は湘南新宿ラインが存在しませんでした。
たしかホリデー快速新宿だったな。

グリーン車は2階構造部分より平屋構造部分の方が快適だと思いますよ。
頭上の棚さえ無いからなあ。
2階席は横3人席の方が良いんじゃないかな。
by じろっち (2008-05-08 22:12) 

む〜さん

■ ぽんた様: 小田急のRSE20000の二階席に以前、沼津~町田間乗りました。あまり狭くは感じませんでしたが、御殿場線内は少々揺れました。
 この記事にある近鉄の初代ビスタカーは、世界最初の二階建て『電車』だったみたいです。屋根の上から、昔の戦闘機のコックピットみたいに飛び出したようになってましたから、なかは狭く、椅子も小ぶりなつくりでした。二階席は、初代~二代目~三代目と豪華になりました。しかし、初代の二階席は米国のビスタドームも、かくやと思わせる、当時としては素晴らしいものでした。
 今朝方の地震、揺れで目が覚めました。玄関のドアーを開けました。体験も無いのに異常に地震が怖い私です。
■ じろっち様: JRの二階席は、熱海~小田原間で乗りましたが、まだ、113の時代でした。でも、昔の湘南80系のサロ85の方が良いなあと思ったものです。
by む〜さん (2008-05-08 22:22) 

ファジー

続けて拝見させていただくと、つくづくユニークな小私鉄がたくさんあったんだなあ。と感じました。一つ一つ立ち寄ることも出来ないでしょうが、鉄道の旅か楽しい時代だったと思います。
最後のセルフポートレート、いいですね。タイルの洗面台と電灯とバックの列車にカメラ・・・当時の空気を閉じ込めたような写真ですね。
by ファジー (2008-05-08 23:05) 

manamana

近鉄と関西本線が真剣に競争していますね。
いまは、お互い無関心という感じで併走していますが。
by manamana (2008-05-08 23:37) 

サットン

大歩危駅の写真、素晴らしいです!

深夜、山峡の小駅、静寂の中響き渡るエンジン音。
想像力を掻き立てられるワンカットですね。今では決して味わうことはできないでしょうけど。

瀬戸大橋開通までは妙な時間に高松を発着する列車が存在しましたね。宿代りに重宝しました。

by サットン (2008-05-09 10:18) 

む〜さん

■ ファジー様: 昭和30年代には各地に小さな私鉄がありました。道路も整備されておらず、鉄道でしか物資人員の輸送が出来なかったんですね。
 私の通った静岡鉄道駿遠線も、そんな環境だったのです。道路が整備され、廃止に追い込まれました。輸送システムの改変向上と考えれば良いのでしょうが、ケイベン鉄道ファンとしては、辛いですね。
 タイルの洗面所は大きな駅のホームには必ずあって、朝など夜行列車が到着すると、乗客は停車時間(大きな駅では結構長かったんです)にホームに降り、いっせいに歯磨き、洗顔をしたものです。体操なんかもやったりしました。
■ manamana様: 不思議と、この時の気動車(25だったか55だったか判りませんが)の濃いクリームの車体と赤帯を覚えているんです。一生懸命、カメラを向けたんですが、良いタイミングが掴めませんでした。
■ サットン様: 乗降客も居ない山間の駅。三脚を立て、ちゃんとレリーズを付け撮影したようです。露出は何秒も掛けたと思われます。夜中の宇高連絡船も何回も乗りましたが、デッキから見る真っ黒な海と、遠い灯台、陸地の集落の少ない灯に旅を感じていました。
by む〜さん (2008-05-09 18:29) 

じろっち

昭和30年代前半の日本人は荒廃した国土を再建しようと躍起になっていたので、国がお神輿を上げてくれないなら、自分達で鉄道を作っちまおう!という気風だったそうですよ。
神奈川県内には、そうゆうフロンティアスピリッツ溢れる人が少なかったのか、普通ですがね・・・
江ノ電は逗子方面・茅ヶ崎方面への延伸を計画していたそうですよ。
by じろっち (2008-05-09 21:35) 

のりさん

約40年前に、大歩危峡谷を列車の窓から見たときは、その美しさに驚嘆しました(と言っても小学生でしたが)。深夜の列車交換の姿は、とてもいいですね。
 近鉄と言えばビスタカー!。ドームカーの背もたれが以外に低いのには驚きです。たしか、名鉄パノラマDXの展望席もこんな感じの椅子ではなかったかと記憶していますが・・・
 ○十年前のむーさん様の姿がみえますね。
 私も、スキャンした写真を加工しながら思うのですが、その時代にタイムスリップしてしまう様な感じで、時間を忘れてしまいますね。不思議です。
by のりさん (2008-05-09 23:24) 

む〜さん

■ じろっち様: 江ノ電の茅ヶ崎、逗子延長計画は知りませんでしたが、逗子方面は面白そうですね。
■ のりさん様: 吉野川、大歩危の渓谷は素晴らしいですよね。水は綺麗だし・・・・。私の子供の時代には、これに『蒸気機関車の煙』という『歓迎せざるオマケ』が付きました。シンダは目に入るし、蒸気機関車は、当時の乗客にとって、良い事は少なかったのです。しかし、蒸気機関車が消えて何十年、良い思い出しか残っていません。
by む〜さん (2008-05-12 23:09) 

no

ああ、なんとメモワールな写真群でしょうか。
高松桟橋駅…、DF50…、玉野市営…、2200…、初代ビスタドーム…、準急比叡…。
DF50以外は、どれも実物は知らないものばかりです。
夢の世界です、私にとっては。
ドキドキします、見ていて。
タイル張りのホーム洗面台にはどうにか間に合いました。
by no (2008-05-13 00:24) 

む〜さん

■ no様: 昭和34年・・・私には去年みたいな感じです・・・その割りに覚えてないってのは矛盾ですが。なにしろ、50年昔。それだけ私もお爺さんになっちゃった。あと20年は絶対にないんで、いろいろ見て、乗っておきたいんです。しかし、余暇時間はたっぷりあるし、体も未だ大丈夫。なのに、アレが無いんですな。世の中、うまく行かんもんです(笑)。
タイルの洗面台・・・・まさに旅を感じますね。背摺り板の上部に駅名を大書したホームのベンチも絶滅したようですね。あれも、『旅』でありました。
by む〜さん (2008-05-13 06:13) 

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