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京都といえば・・・・N電 [むかし噺(1)]

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前回は自分の記憶喪失をクイズに転化し、ご迷惑をお掛けしましたが、その結果につきましては、皆様のコメントをまとめて、一日~二日の後に、ページの下端に追加と、コメント欄に書き込みたいと思っています。

pencil-red.gif さて、二回ほど、京都ネタが続きましたが、『京都ついで』で、京都と言えば「N電」・・・・堀川線(北野線)が思い出されます。国鉄の京都駅前から、ダブルルーフのポール電車、狭軌1形が、北野までお客さんを運んで居ました。詳しいことは、Wikipediaとかで、お読み頂くとして、すでにホームページでは公開済みの画像をご覧頂こうと思いまして、以前スキャンしたデータを再加工し、並べてみます。

 京都市電堀川線:北野線:N電・1954年8月 ■

 私が高校の二年生のとき、10日以上に亘って、西宮に滞在して、関西の電車見物、ホームページにもアップしておりますが、そのときの画像の再加工品です。
 1954年・昭和29年8月中ごろ、阪急の京都線で、四条大宮の地下駅到着。四条堀川まで歩き、「N電」を写したり、乗ったりしながら、堀川丸太町。そして、何処を如何通ったか、三条の京阪駅まで行ったようです。

(1) (1)~(4)は、堀川端のN電ですが、場所の詳細は判りません。(6)の写真を見ると二条城前あたりかなあと思いますが・・・・・。この風景は、まだ残っているのでしょうか・・・・行きたいと思えども、手元不如意、嗚呼!往復電車賃だけでも30K円は必要だし。世の中、うまく出来ていませんね。
 電車は「N117」で、この頃には狭軌の「N」の字が入っています。標準軌の1形も居た様で、それと、区分の目的なのでしょうか・・・。
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(2) 如何にも京都!!!ってお店なので拡大してみましたら、文具店らしい。よそ者の私、こう云う風景に接し感動したんですね、きっと。
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(3) 「N117」。電停なのですが、場所は不明。右側の麦藁帽のおじさんは、市電関係者みたいですが、おじさんの手前の柵は多分、電停。もう少し右側も撮っておけばよかった。
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(4) (3)の「N117」の拡大。進行方向右側の安全チェーンを操作中の車掌さんは、何をしているのでしょう?麦藁帽のおじさんと関係ありそうです。
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(5) 如何にも京都って風景の中を「N54」が、やってきました。
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(6) 一番気に入ってる写真。右側は二条城だと思うんですが・・・・・・。電車は「N55」架線のセンターポールがたまりませんね。
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 ・・・・・かくして、む~さんは、堀川丸太町に至るのです。


(7) 「普通の市電」も撮ってありました。800形の831。2系統ですが、当時の写真アルバムに記入した「堀川丸太町」は、合ってるかどうかは判りません。Wikipediaのよると、ルートは「京都駅前-塩小路高倉-河原町今出川-銀閣寺道-錦林車庫前-天王町-円町-西大路九条」だそうですから、丸太町通りは、ルートに入ってはいます。
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(8) なにか発見があるかと思って、電車の右側を拡大してみましたが、別段、あっと驚くようなものは無さそうです。この場所が、堀川丸太町とすると、電車と小屋の間の柵状のものが写っていますが、堀川関連なのでしょうか????
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 少年む~さんは、N電、一応は乗って写してますが、あんまり追求していないようで・・・・若い頃は、新型車に憧れてましたので、若気の至り・・・って訳なんでしょう。ま、言い訳は、フィルム代の高さと、お小遣いの少なさ。高校生のバイトなんて、考えられない時代だったし・・・・・。

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 なお、この旅のことは、ホームページの下記URLでご覧になれます。いま、そのホームページの画像を見直してみますと、あんまり、綺麗ではない。ホームページ作成当時のフォトショップによる画像加工技術の問題かもしれませんし、しかも、画像も小さすぎます。ダイヤルアップ接続の時代だったし・・・・。
 これは、リニューアルの要アリと思いました。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link1093-kansai3rdday.html

pen-para.gif こんな辺りで本日はオシマイと致します。


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なにわ

80年代前半に押小路~四条を暗渠にして道路拡張を行ったので、沿道がガラッと変わってしまいました。

(1)左手奥は学校らしき建物ですので、堀川高校ではないでしょうか。ということは蛸薬師を下ったあたりではないですか。
(6)二条か押小路かどちらかな?二条城の前が広がっているのは、戦時中の建物疎開の跡、現在は観光バス駐車場になっているところです。松並木は健在です。
(7)この当時の2系統は四条烏丸-河原町今出川-銀閣寺道-東天王町-円町-西大路九条でした。京都駅前延長は翌年1月です。
(8)N電の乗り場だと思います。

このあたりは浪人時代を過ごしたところです。’80年代半ば面影の残っているところはありました。
by なにわ (2008-06-08 11:57) 

ぽんた

↓ のクイズはさっぱりわかりませんでした。
格子が京都らしくてステキですね。
N電と呼ぶのですか・・・映画のセットのようです、うっとり~♪
by ぽんた (2008-06-08 16:55) 

デトニ2300

800型のポール時代はせいぜい1,2年しかなかったと思いますが、とても貴重な写真ですね。私の記憶はピューゲル時代です。少し小型の600型が車体延長の上連結器をつけてワンマン2連運転化2600型となった頃を知っています。N電は堀川通りであまり用もないのによく乗りました。先日の三条京阪と言い今回の市電と言い懐かしく珍しい写真を見せていただきありがとうございました。
by デトニ2300 (2008-06-08 18:07) 

しおつ

映画のセットのようですが、これは本物の風景なんですね。
こんな時代に撮影した記録が残っているなんてすごいです。
by しおつ (2008-06-08 21:21) 

ファジー

自動車の姿がほとんど見えませんね。
古き良き日の京都です。モーター音だけが響いている気がします。
by ファジー (2008-06-08 23:31) 

no

こんにちは。
やっぱり京都ですねえ。
良い景色だなあと、しみじみと思います。
このあたりだと、夜は暗かったのでしょうね。
ずれますけれど、ビスコってずいぶん昔からあったのですねえ。
驚きました(笑)。
by no (2008-06-09 09:38) 

Cedar

N電堀川線がいま残っていたらすばらしい観光資源だったとおもわれますね。
京都もやっと町屋の保存やら景観保全を言い出したようですが、どんなアトラクションよりも<歴史>が観光客をひきつけるということにわれわれはもっと早く気がつくべきでしたね。

実はこの画像を知り合いのガイジン(日本在住)に見せたらすごく感激していましたので、そう思った次第です。

by Cedar (2008-06-09 16:43) 

む〜さん

■ なにわ様: 撮影場所の同定、有難う御座います。2系統は、まだ、京都駅前まで来てなかったんですね。(1)のおくのコンクリート建築が、堀川高校とすると、私が京都に着いた、四条大宮の阪急の京都駅から、ほんの僅かなところだったんですね。
堀川も暗渠化し、随分変わってしまったようですね。残っている堀川もすでに、琵琶湖からの水は来ていないと聞きますので、水量も僅かなものなのでしょうか?
■ ぽんた様: いかにも京都!!!っていう家並みでよね。高校生の、む~さんは夢中でシャッターを切ったようです。
■ デトニ2300様: もうこの頃にはビューゲルをつけていた車輌も見受けられ、過渡期だったんですね。二連の市電というのは、珍しいですね。
■ しおつ様: 古い家並みに路面電車、こういう風景は、全国各所で見受けられました。70歳になって若い方々は、良いなあと思いますけれど、鉄道ファンとして、いい時代を体験できたのは、シアワセだなあとも思います。
■ ファジー様: 昭和20年代末は、まだまだ、自動車は少なく、『渋滞』なんて言葉は聞きませんでした。だいたい、タクシーなんか『外車』だったんですから・・・・。阪神の国道線で西宮から野田まで乗って、全然、イラ付きませんでした。
■ no様: 空いた道、路面電車、普通の風景でしたが、町屋のながめは、やはり『京都』しておりますね。夜は暗かったのですが人も早寝早起きだったはずで、不便は無かったんでしょう、きっと。
ビスコ・・・・『おいしくてつよくなる』・・・・あったんですね。お子様向きのお菓子は、グリコさんお得意だったんですね。メーカーは違うのでしょうが、カルケットなんてのもありました。
■ Cedar様: その通りっ!!!と、思います。京都駅前から、四条通あたりまでだったと、思うのですが、狭い道を複線の線路があり、N電が商店の目前を通り過ぎる、高松吉太郎さんだったかの写した写真を見た事があります。あんな、風景は、もうお戻りません。いま、あったとしたら、これは立派な観光資源ですね。もっとも、住んでいる方々には、ご不便をお掛けしますが・・・・。現在、手ブレーキではちょっと無理かも知れませんが。
by む〜さん (2008-06-09 21:52) 

quatre-l

先日、昭和30年製作の東宝映画「ジャンケン娘」(美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ共演)を観ました。
導入部は京都への修学旅行から始まりますが、その際、旅館の窓から望む夕景の鴨川を挟んでアチラ側を電車が走っていくシーンが登場するのです。

ところが、これがどう見てもセットで、電車ももちろんニセモノ。
別に電車を走らせなくたって問題ないシーンなんですが、わざわざ登場させてるのです。
ということは、当時のこのあたりを語る上で、電車は必須の点景だったことが想像できます。

当時の市電でのロケは残念ながら登場しませんが、帰京後の後楽園と思われる遊園地のジェットコースター(昭和30年開業)が、なんとも怖いです。

映画の内容は、舞妓サンを水揚げするという現代のコギャルたちにはチンプンカンプンなお話で、悲観的でなく日本の歴史とか伝統とかいうものを考えさせられるものでした。

話は変わりますが、「伊香保電車」の写真集を購入しました。これが、涙が出るほど素晴らしいものです。こんな貴重な写真を撮ってくださった著者の田部井さんに心から感謝です。ぜひ、む~さんの写真集も欲しいと思っておりますが、出版のご予定はありますか?いろんな企画が出来そうでわくわくしますけれど、、、。
by quatre-l (2008-06-10 05:28) 

む〜さん

■ quatre-l様: ジャンケン娘は、先だってNHK-BS-TVでやってましたね。雪村いづみさんは、好きなんで見たかったけれど、見られなかったんですが・・・・。鴨川河畔のシーンがあったんですか。やっぱり鴨川べりの電車は京都ですね。
京都は不思議な街で、古いものと、新しいものが混ざり合っています。疎水関係の施設は、明治のものだし、発電所が街中に有ったりします。天子様が東に行かれて、工業化を目指していたフシも感じられます。
昭和40年代に、なにかのオマケで見た、スケバンなんとかって映画にも出てきたし、先だって朝のNHK-BSで再放送の、都の風(だったかな?)の初日にも、やっぱり鴨川の京阪が出ました。

田部井さんの写真集は良いらしいですね。神保町の書泉Gへ行けば立ち読みできそうですが、東京の田舎住まいで、行く機会がありません。

私の写真集出版は、何件かお話はありましたが、今迄に何度かブログで嘆いたと思いますが、ネガの保存状態不良、フィルムの材質、現像処理の問題で、使い物にならなくなったものが、山ほどあり、スキャンしてホームページに出した後、使えなくなった物も、沢山あります。また、出版はコマーシャルベースに乗る為には、売れ筋のネタが豊富でなければならないとの事。D51、C62、EF58、特急、新幹線、そして、現在は、昭和の風景でないと、売れないとも聞きます。

自費出版は、お金がありませんし、だいたい、画像選別、文章書き、編集の気力もありません。ぼちぼち出来る、ホームページやブログが私には最適なのです。1999年以来、気の向いた時にやっています。ネットで、発表の場が、安価に、手軽に出来る。いい時代になりました。

今後も、頑張りますので、よろしく御願い致します。
by む〜さん (2008-06-10 08:24) 

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