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東急池上線御嶽山駅1960年 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 今日は、東急電鉄・・・・正式社名は東京急行電鉄㈱のようですが・・・・の池上線「御嶽山(おんたけさん)駅」のお話です。JR山手線に接続する五反田駅から車庫のある雪が谷大塚駅を通りJR京浜東北線に至る10.9kmの路線なのですが、五反田から行くと、雪が谷大塚駅の次(6.4km)の駅が、御嶽山(おんたけさん)駅。初めての方には面白い駅名とお思いになる方もいらっしゃいましょう。
 今日は、その御嶽山駅を話題に致します。1960年(もう、50年近く経ってる・・・・感慨!)に、ハーフサイズのカメラ、オリンパスペンで写した写真を中心にご覧頂きます。最近のものはディジタルカメラでのものですが・・・・・。

 東急池上線御嶽山駅1960年 

(1) 駅名の由来は、駅の直ぐ近くに御嶽神社(おんたけじんじゃ)・・・幼い日、毎日のようにこの神社の境内で遊び、大人になるまで日常的に前の道を歩いていたにしては、詳しいことを知らないのですが、木曽の御嶽神社の分社らしく(紋も同じです)、江戸時代(1831年だそうです)に建てられた立派な本殿があります。駅からこの写真の場所まで僅か120mで、駅名にもなる訳です。(この写真の撮影は2006年12月
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(2) その御嶽山駅の1960年の4~5月ごろの姿です。戦後、1950年よりも前だったと思うけれど建てられた駅舎。いまでも使用されているものです。ご覧の通り、警報機は無く、警手の操作する遮断機があります。この駅舎は五反田行のホームの五反田方にあり、蒲田行ホームへは改札を入って、構内踏切で行くのです。
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(3) 1960年1月のある朝の蒲田行ホームの風景。電車はデハ3450でしょう・・・・。
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(4) (3)の直後ですね。蒲田行電車が来ました。デハ3200形で、たしか中間にサハ3100を二両のデハ3200で挟んで居たと思います。
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(5) これも上と同じ時かな?・・・・・・はっきりしませんが同じフィルムに入ってます。3450×2が、クハ3770を連れて五反田へ向かいます。
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(6) 蒲田行ホームから見下ろす、国鉄貨物線の品鶴線です。EF13だか、EF12だかが貨物列車を引いて下ってゆきます。現在は、複々線になっていて、片方を新幹線、片方を横須賀線、湘南新宿ラインが走っています。この写真から5年経たないうちに新幹線が走っちゃうんですから、驚異的な変貌です。
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(7) 蒲田行ホームの下は道路で、正面の牛乳屋さんの左が(2)の写真の踏切です。パン屋さんの向こうはお蕎麦屋さんで、このお蕎麦屋さんは現在でもあるはずです。
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(8) 駅の蒲田方に接して踏切がありまして、そこから五反田行を写しています。撮影は同じく1960年の4~5月。電車はデハ3400です。私の思い出の中では、この色が一番馴染みのある色です。
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 小学校に通っていた頃は、この駅の内外でしょっちゅう遊んでおりまして、まあ、『近所の公園』って感じでした。ホームで遊んでいても駅員さんに叱られるでもなく、まあ、昭和20年代前半ってのは、そんなのどかな時代でありました。五反田行ホームの屋根の大部分は昭和20年代のものと思われますが、いまでもこのホームに立つと、気持ちが幼い日に帰りますね。


(9) 御岳山駅から国鉄の品鶴線に沿って、多摩川の方向(西方)に道路距離で400mほどのところに、品鶴線の踏切がありました。そこも、私たちガキどもの『遊園地』でありまして、蒸気機関車や電気機関車に引かれた列車を眺めに通ったものです。子供たちに人気のあったのは、どっちかというと、蒸気機関車よりも電気機関車でしたね。
 その踏切の真ん中に立って、品川(東京)方面を見ています。陸橋には蒸気機関車の吐く煙の煤がついています。赤く見えているのが池上線の鉄橋です。現在は、ご存知の通り、横須賀線と新幹線で、この踏み切りも、線路下の通路となりました。
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pencil-blue.gif 現在の御岳山駅の写真も並べておきましょう。現在とは云っても撮影は2006年12月。 

(10) 右側が駅舎で、昔のままの姿です。向こうのマクドナルドが(7)の牛乳屋さん。
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(11) 五反田行ホームの蒲田方から眺めた蒲田行ホーム。屋根の真中から向こうは昭和20年代のものです。まあ、戦後の『普通の』屋根ですが、やはり懐かしく感じられます。
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coffee.gif ・・・・・・・・この辺で、今日はお終いです。また、次回!!


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コメント 16

服部光之 

池上線も、当時は3両編成だったのでしょうが、東京集中で沿線人口が増えて、車両増備で編成が長くなったのでしょう。おそらく当時の倍ぐらいの長いホームになったのではないでしょうか。
by 服部光之  (2008-06-13 10:27) 

鈴木光太郎

(1)首都圏以外の人で「御嶽山駅」を「おんたけさん」と読むのは大変で、大抵の人は「みたけさん」と読んでしまいます。

(2)左端の駐車禁止の道路標識のスタイルは東京オリンピックが近付いてから、
外国人にも解り易い国際共通標識(現在の形式)に変わりました。
[TKK 御嶽山駅]の照明式看板はなつかしく、当時東京急行の小駅は全部この形でした。
ただ、内部照明が蛍光灯に変わってからの事しか憶えていません。

(8)ホームの照明はまだ白熱電灯ですね。
左の車掌氏が立っているホームの金網の下は品鶴線です。

(11)品鶴線=横須賀線の線路交差部分(写真手前)は鉄板張りに変わってます。
48年後の撮影者は(8)の車掌氏の位置から撮影してるわけですね。
一番変わらないのは、線路を跨いで建つ高圧電線ですね。
当時は自転車で遠乗りして迷子になっても、家並みの向こうにそびえる高圧電線の列を見つければ、
簡単に家に帰る道を見つける事ができました。
by 鈴木光太郎 (2008-06-13 11:14) 

む〜さん

■ 服部光之様: 三両編成になったのは、私が中学生の頃(昭和20年代中頃)だったと思いますが、はっきりした記憶がありません。そのころ、ホーム延長工事をしたのです。品鶴線の手前で終わっていたホームを、品鶴線を跨ぐ構造にして3両分を確保しました。そして、現在も、新7000系が入ってきましたが、三両編成です。沿線の住民も飽和状態でしょうし・・・・・・。
■ 鈴木光太郎様: ・・・・・・
 (1) 駅名の読みの『おんたけさん』は、駅を始終利用していたので、なんとも思いませんでしたが、よく他の土地からの方に、『みたけ』じゃあないの?と、意外性を言われました。青梅線の『御岳』が有名なんですね。もっとも、木曽の御嶽山は全国区だと思いますが。
鈴木様にコメント頂いて、慌てて読み仮名をつけました。
 (2) 駐車禁止の標識。ある年代以上の方には、この標識は懐かしいものと思います。
TKKなど、アルファベットの社名略称は、さいきん使われなくなってきた気がします。昔は、かなりの社で使ってましたね。
私が小学生の頃だったと思うのですが『トテモ・コンデ・コマルの略』とか、もっと過激なコトバの略とか、云ってました。
 (8) 丸い白熱灯のグローブは、屋根の延長部分に付けられていたようです。なかなか、お洒落ですね。
 (11) 橋梁上の保護板・・・・高速列車の新幹線への異物落下を避けるためと思います。
門形の高圧線鉄塔は、私鉄郊外電車のシンボルでしたね。高いの、低いの、色々ありました。 
by む〜さん (2008-06-13 13:13) 

じろっち

関東の民鉄は、けっこう物持ち良いですね。
比較的新参ものの湘南モノレールも、駅舎を大改装したのは大船と湘南町屋だけだもんなあ。
何年かけるか知らないけど、他の駅も湘南町屋風になるそうです。
by じろっち (2008-06-13 21:41) 

住吉人

こんばんは。
ヤマザキパンの看板は、かつてはお写真の字体でしたのですか。
初めて知りました。
by 住吉人 (2008-06-13 21:56) 

む〜さん

■ じろっち様: 東急は目立ちますね。輸送量増大での駅改良、線路改良が無い線区に目立ちます。池上線で育った私なので、昔懐かしい池上線は好ましいのですが、住民さんにとっては、あまり歓迎できないと思います。多摩川線も同様です。
小田急はかなり改築が進んでいますが、これは、沿線住民の増大に伴って、列車の長大化で必要に迫られた所為でしょう。
湘南モノレールの『湘南町屋駅』は私が初めて見に行ったとき、な~んにも無いところなので吃驚しましたが、あとで直ぐ下に、生みの親の三菱電機があると聞かされました。(不勉強でした)
■ 住吉人様: 同社のホームページを見てみましたら、商標というかシンボルマークは、この当時は『山』なんですね。現在は『顔の太陽』になってました。フォントは同じみたいです。今度、食品店にあるのを見てみますね。街のこんな変化を見るのも楽しいですね。ときとして、え~っ!と驚くビックリモノがあります。
by む〜さん (2008-06-14 05:39) 

のりさん

ホームの球型照明は、大変おしゃれですね。とてもいい雰囲気です。人通りも、利用者も多く、賑やかな駅ですね。
私も、昔のフィルムをスキャンしていて感じるのですが、ふと出かければ、その場所は今でもスキャン中の写真の風景のような気がしますね。パソコンって「タイムマシン」なんだと感じてしまいます。
by のりさん (2008-06-14 10:26) 

む〜さん

■ のりさん様: 撮影した頃は、この球形グローブに気がついていませんでした。のちに古いフィルムを見ていて発見したのです。
この御嶽山駅以外の池上線の駅前も、こういう感じなんです。昭和初期の雰囲気を今に伝えている様に思えます。
最近になって、この歳になって、やっと、そんな事に思い当たりました。私って、鈍いなあと思います(笑)。
by む〜さん (2008-06-14 21:54) 

じろっち

東急は、路線拡大と車両更新が優先で、駅改修はお上から補助金が出る時だけ、ですかね?
踏み切りも多いもんなあ。

現行東横線渋谷駅は、東京メトロ副都心線連結時に廃駅となるそうです。
駅跡は、東急百貨店増床スペースでしょうね。
一部ホームと東横線を代表する先頭車1両くらいの保存を要望しましょうか?
by じろっち (2008-06-15 06:16) 

む〜さん

■ じろっち様: 池上線は確かに踏切が多いですね。地下化もだんだんやっては居りますが、いろいろと難しい面もあるのでしょう。駅の改良というか、対向式ホームのそれぞれに改札を設ける方式は、多摩川線でもやっており、上の写真にも写っている『構内踏切』も絶滅状態・・・・たしか池上駅だけらしい。
東横線の渋谷駅は幼い頃から馴染んだ駅ですので、寂しさを覚えますね。地下へ移るのは二千十何年でしたっけ?もう少しは味わえますね。
by む〜さん (2008-06-15 10:05) 

manamana

京王線や井の頭線にも通じる、
私鉄らしい風景ですね。
駅舎なども狭い敷地をめいっぱい使っています。
by manamana (2008-06-16 06:50) 

む〜さん

■ manamana様: 池上線に限らず他社でも駅前商店街は元気なところは多いですね。急行も止まらない小さな駅など、小さな商店が並び、活気にある通りをみると、なんだか、ほっとします。幼い日の記憶と重なる風景が見られたり致します。
by む〜さん (2008-06-16 22:02) 

Cedar

駅施設については、色々な意見がありますね。
私は何がなんでも建て替えればいいとは思わないのです、池上線の旗の台下りホームや、池上のホームに残っている木製の長~~いベンチなどは<巧みの技>を感じます、ぜひ残して欲しいものです。
近代的にリニューアルされた中にアレが残っていたら拍手喝采ですが、5000系(それも5001)をちょん切っちゃう会社だからなあ・・・

踏切にしても池上線や多摩川線は海外の雑誌ではLRTとして紹介されるくらいですから別に良いかと思います。

野口五郎の名曲『私鉄沿線』に出てきそうな駅前商店街にそのまま繋がっている、くつろいだような雰囲気は長く残してほしいものと思います。


by Cedar (2008-06-17 01:20) 

む〜さん

■ Cedar様: 長~い、ベンチ。池上線旗の台のが長かったですね。未だあるのでしょうか?木製で・・・・。
 デハ5001を切っちゃったのは、少々、疑問ですね。デハ5000の熱狂的ファンではありませんが、東急にとって、われわれファンとして、技術的、形状も、価値のある電車と思います。遠からず、消滅してしまいそうで、惜しい事です。
 だいぶ以前に、御嶽山駅の間近に大手スーパーが開店し、街の雰囲気も変わりましたが、まだ、昔の雰囲気があります。
by む〜さん (2008-06-17 13:17) 

営業係長

たまたま「御嶽山駅」というキーワードを検索したところ、こちらに辿り着きました。

写真を拝見させて頂きましたが・・・・いや懐かしい懐かしい。
通っていた学校が雪谷の清明学園で学校帰りに御嶽山に住んでいた祖父母の家に良く寄ってました。
祖父母は日常の買い物は御嶽商店街で行ってました。
パンはヤマザキ、肉はイセキ、果物は田ノ原屋、野菜は越後屋(?)、焼き鳥は鳥長、御嶽神社前のおもちゃ屋・・・・今でも祖母と一緒に買い物した時の情景が思い出せます。
週末家族・親戚が集まると、宝家のそばの出前を頼んでました。

昭和60年前後に上述の田ノ原屋がジャスコになってから、商店街の風景は一変しましたね。
古くからの個人商店は軒並み店を畳みました。
夕方になるとあちらこちらからあった各商店の威勢の良い客呼び込みの掛け声が無くなったのは、幼い時分でも寂しく感じました。

基本的には駅前風景は今も昔もあまり変わってませんね。
というか、池上線沿線全体あまり変わってないかも?

釣り掛けモーターを唸らせながら走る3450系に乗って、家族で蒲田の東急プラザへ行ったのも懐かしい思い出です。

昔の記事へのコメント、ご容赦願います。
実に良い記事でした。
by 営業係長 (2018-07-19 14:00) 

む〜さん

■■ 営業係長様:
 レスが遅くなって申し訳ありません。老人の時間経過は早すぎて、いつも迷惑をお掛けしています。
 清明学園に通っておられたとの事。場所はよく知っていますよ。ウチが御嶽山と雪谷大塚の中間あたりでしたから、あの辺りは自転車でよく行っておりました。あの下の方、呑川の右岸には私の少年時代には田圃・畑が多く、オタマジャクシ・エビガニ(ザリガニ)を捕りに行ったものです。
 母が病弱でしたので、買い物は魚以外は私が自転車で行くのです。魚は漁港出身の母の信頼に応えれなかったのでしょう。もっぱら雪ケ谷のマーケットで、毎日、買い物。友人や先生にも会いましたがTVドラマに出てくる少年みたいに恥ずかしがることは全くなかったですね。伊勢喜肉店はオジサン、小僧さん(親しみを込めてそう呼んだ時代です)とも仲良しになっていました。田の原屋さんも知っていますよ。若い女店員さんが沢山いましたね。蕎麦の宝屋さんはオジサンが蕎麦・饂飩を請負で打っていたころからお馴染みです。先年、ザル蕎麦を食べてきましたが、当然ながら、あの頃の綺麗なお姉さんはいらっしゃいませんでした。60年以上たっているので当然ですが(笑)。
 あ、そうそう、御嶽神社はお祭りが楽しみでした。近所の友人たちと行ったものです。
 御嶽山駅は池上線でも昔の名残のある駅周辺が素晴らしいといつも思うのです。いつも電車は他線のお下がりで、初めての新車7000が入ったときは、嬉しくて乗りに行ってしまいました。
 やっぱり、故郷なんですね!
by む〜さん (2018-08-14 06:18) 

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