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昔のバス&ホームページ更新 [雑談(1)]

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 前回の『お出かけ通信』が三日連載の大物になってしまったので、ネタに困って、今日は1960年・昭和35年の、街角で見かけたバスを二駒並べてみます。オリンパスペンに、感度ASA10のフジカラーフィルム・・・・リバーサルです・・・・を入れて持ち歩いていたようで、東京都中央区は室町三丁目から、新常盤橋への、都電31系統が走っていた通りの風景です。

(1) 都バスなんですが、バスには詳しくないので、これが一般的なものとは断言できませんけれど、妙に車体が短かく思えます。当時は、こんなものだったんだろうか・・・・・・?
 ニッサンのリアエンジン車でしょうか?・・・・・よくわかりませんが。
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(2) 左側のビルは近三ビルといったと思います。これは、東武のバスで、これも小ぶりだなあと思います。日野のアンダーフロアエンジン車ですね。左側に見えるのは、ダットサン1000と、軽三輪車・・・・ミゼットMPかしら?それとも・・・・・。
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  先だって、5月28日から6月3日、4回に亘って連載した、1965年・昭和40年の東京都電の画像に、更に追加と、大型化をはかり、ホームページとして公開致しました。お時間が御座いましたら、下記のURLからご覧頂きたく存じます。上巻と下巻の二頁構成に上巻が出ますので、下巻はそのページからリンクしてあります。

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http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link168-1.html

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coffee.gif 本日のブログは、この辺で失礼致します。また、次回!!!


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モリタ

今のバスに比べると昔はバスも短かったですね。
ボンネットだともっと短いです。
先日、海老名の小田急ファミリー鉄道展で神奈中の木炭車の中に乗りましたが、驚くほどの狭さです。
昔バスガイドをしていた近所のおばちゃんも「今のバスはホントに長いわね」と言っていました。
by モリタ (2008-06-23 10:25) 

HIRO

おはようございます
む~さまのイヒョウをついた作戦、バスが登場していてさすが話題の豊富なお方と感心しました。
僕もバスのことはよく分かりませんが当時を思い返すとリアエンジンの初期車ではないかと思うのですが。
バスメーカーは当時日野・トヨタ・川崎・帝国・いすずなどほかのメーカーもあり、車体艤装は別に日野車体工業、川重車体工業、
富士重工業。呉羽自動車工業、三菱ふそう、北村製作所ほかがあり、車体と車輌メーカーが提携してバスを生産していたようです。
この写真のバスですが、LB7BIのような記号でバス名鑑を調べれば出てくると思うのですが。
日産だとすると、車体は三菱ふそうになるとおもうのですが。
(参考:バス:Wikipedia)
形からして違いそうです。
それにしても当時のバスは車高が高く、当時の道路の悪さを示しているようです。

by HIRO (2008-06-23 11:36) 

む〜さん

■ モリタ様: 私が昭和20年、戦時の疎開で三ヶ月ほど田舎に住んだ事があります。その家の前はバス通りでした。大人になって、その道を乗用車で通りましたが、クラウンクラスでも幅一杯近くで、よこもこんな道をバスが・・・と思ったものです。木炭車でありました。
元バスガイドの方のお言葉は実感でしょうね。
■ HIRO様: 車掌さんの乗務していた頃のバスは運転席の横は、最前部までシートが伸びており、眺望絶佳の特等席でした。
民生なんてメーカーさんもありましたね。
現在のバスは床の高さも低く、場合によっては停車時に、さらに車高を下げる装置もあったりします。乗客にとって優しい構造になりました。
by む〜さん (2008-06-23 21:11) 

のりさん

ホムペ、拝見させていただきました。祝日とはいえ、驚くほど車が少ないですね。都心の道路にレールがあるのが、本当に自然です。路面電車が邪魔者扱いされるようになるとは、信じられない光景です。昭和40年といえば、大阪では、主要道路の市電が、次々と廃止されていった頃です。路面電車が、都市交通としての主役の座を降りていった頃ですね。往時の都電を偲ばせていただきました。
by のりさん (2008-06-23 21:39) 

調布のおじ

今晩は む~様、
ホームページも拝見させて頂きました。 
成人するまで池上いた私にはとても懐かしい池上線の車体、
家族で江ノ島に行った時に乗った江ノ電、
38系統の都電も幼少の頃を思い出します。
どれも いい写真ですね。


by 調布のおじ (2008-06-23 21:50) 

む〜さん

■ のりさん様: 霞ヶ関~桜田門間の道路に車が少ないのは、平日でも、この辺は渋滞はしませんでした。・・・・リタイアする10年ほど前までは・・・・。まして、文化の日です。がらがら・・・・。
法務省の建物を建て替えちゃったのは惜しいなあと思います。重文の法務省の赤煉瓦が残ったのは、まさに奇跡。あとは、国立近代美術館工芸館の旧・近衛連隊くらいでしょうか・・・・。ま、そういうお国柄です、日本は。ほんとに産業遺産に冷たい。寂しいお話になりました。
この撮影行は、路面電車の存続に影がさし、危機感から、鉄道ファン仲間で撮影に出かけたようです。
■ 調布のおじ様: ホームページ、ご覧下さって有難う御座います。池上にお住まいだったんですか・・・池上駅は、現在、池上線で構内踏切の残った唯一の駅です。その昔、昭和30年代半ばは、戸越銀座、荏原中延、旗の台、長原、石川台、御嶽山、久ケ原、池上、蓮沼と、大半の駅にありました。まあ、のんびりした時代だったんですね。現在でも、池上線は、その当時からの、長閑な雰囲気で走っています。
江ノ電は、昭和30年代になっても、線路歩行は日常的でしたが、30年代後半辺りから、その、アバウトさは無くなってゆきました。現在では、線路からでなくては入れない家は、絶滅寸前と思います。もう、殆ど、普通の郊外電車になっておりますね。・・・・良い事なんですが・・・・。
by む〜さん (2008-06-23 22:13) 

じろっち

昭和40年代までに、ほとんどの軽便鉄道が廃止またはバス転換しましたが、軽便1両とバス1台の定員は同じくらいなんですかね?

地方も渋滞する現在、軽便跡を狭軌に改軌して、復活させたら、なんて話も聞こえてきそうです。
by じろっち (2008-06-23 22:31) 

む〜さん

■ じろっち様: 軽便の気動車は全長11mくらいで80人は乗れたようです。それで足りなければ、10m級で40~60人は乗れる客車を1~2両、引っ張りました。一列車当りは結構乗れたようです。しかし、バスは、線路は要らないし、車輌は安い、地方の輸送量の少ない地域では、圧倒的にバスが優位だったようです。
鉄道の復活はファン的には嬉しい事ですが、難しそうな気も致します。あれだけ、ちやほやされた、第三セクターも、危機の鉄道も多いと聞きます。
この先、石油関連で、自家用車文化が崩壊したら話は別ですが、どうやら、この先の日本は、老人と年少者の足には冷たい社会が待っていそうです。
○| ̄|_・・・老人たる私、とほほ、です。
by む〜さん (2008-06-23 22:55) 

Cedar

都電のHP拝見いたしました。やはり空が広くって開放感のある街は人に優しい気がします。
路面電車の復活が取り沙汰されるようになって来たのはとりあえず喜ばしい事です、東京でも豊島区の計画や、荒川線の延長などウワサになっていますが、公共交通はやはり行政が資金面でのサポートをしなければ無理なんでしょうね。富山の成功例が各地に広がることを願います。
硬い話しとは別に、私も都電のネガを探し初めてしまいました、刺激されたって言うことですね。(笑い)

バスのページもとても良いですね。こういうところにカメラを向けていらっしゃる視野の広さに脱帽!

by Cedar (2008-06-23 23:59) 

む〜さん

■ Cedar: あの色が嫌いだった都電。若かった頃の、緑とクリームが好きでした。(金太郎、湘南形はヤだったけど)殆ど撮らないうちに、クリームに赤帯になりました。おまけに、吊り掛けばかりで、これもカメラを向けなかった原因です。資料として残すという、志向が無かった私は浅はかだったなあと思います。
 ネガの保管とチェック、整理は今のうちにやっておかないと、私みたいに撮影50年なんて経ってしまうと、もう完全に忘れていて、しかもネガに変質・傷みで、ほぼ完全にアウトです。10年前に使えたネガがいまや、使えなくなって居るのが多いのです。費用の関係で保管が理想的に行えないのです。目の前で、傷んでゆきます。ディジタル化と、そのデータのメンテナンスが必要だなあと・・・・これは実感。時間はあれど、根気と費用が無い。嗚呼!!
 バス・・・・まあ、これは、乗り物大好きの幼児時代の延長で、ろくに写真は無いのですよ。たまたまの、この二駒です。
by む〜さん (2008-06-24 05:39) 

なにわ

エンジンは日産ディーゼル、車体は富士重工です。一瞬にしてわかる理由は、楕円2つが富士重工の、赤丸UDが日産ディーゼルのメーカーズプレートです。
最初の文字がLなので江東営業所です。東京駅発着系統は何本かあったようですが、八重洲口や銀座経由がほとんどなので、室町三丁目から浅草橋、国道14号線経由で市川駅まで走っていた107系統ではないでしょうか。

東武バスは東京駅北口から、上野駅、国道4号線経由で草加まで走っていた106系統ではないでしょうか。
by なにわ (2008-06-26 13:53) 

む〜さん

■ なにわ様: 都バスはニッサンのシャーシーに富士重工の車体ですか・・・・赤丸に白文字のUDマークは知っていましたが、富士重工は判りませんでした。
 バスの手前、都電の安全地帯は、31系統三ノ輪橋行きです。
 会社一年生時代は、この系統に乗って、東京駅の乗車口ではなかった、丸の内南口まで行き、中央郵便局までお使いに行ったものです。三菱の赤レンガ、一丁倫敦健在の時代でした。
 あの当時のバスは、小さかったですね。
by む〜さん (2008-06-26 19:54) 

む〜さん

■ Cedar様: 御免なさい。この上、三つ目のコメント、『敬称を忘れました』。ついついの、うっかりミスで、申し訳ありませんでした。今朝になって・・・・二週間も経って・・・・気づきました。
by む〜さん (2008-07-08 07:46) 

Cedar

「敬称」の件、こちらはまったく気付いていませんでした、ご丁寧に恐縮です。

改めて返信拝読~ネガの保管・整理ですが古いものからやっていますが到底追いつきません。一方でデジタルアーカイブのCD/DVDといったハードの寿命についても確認されてない状況なんだそうで・・・・
「フジフィルムの百年プリントが一番さ」と嘯く御仁もいたりします。
そんなこともあり、某趣味誌にトロリー好きの父の写真を交えて現在連載させてもらっています。
結局趣味は自己満足と達成感(笑い)でしょうか・・
by Cedar (2008-07-08 12:38) 

む〜さん

■ Cedar様: いまさら悔やんでも遅いのですが、ネガの保管は、充分に気を使わねばなりませんね。ポリエステルベースになってからは良いのですが、セルロース時代は、湿度が決定的のようです。コンクリート作りの5階の部屋の天袋ですから、冬の燃焼系暖房の加湿、そして暖房を切ったときの乾燥・・・・・。ま、生活が最重要要件ですから置く場所も無かったのですが。
 1999年以来のホームページ製作が、せめてもの慰めですね。スキャンできるうちに、スキャンして発表してよかったと思っています。
 『私が死ねば残されたフィルムは、よほどの大家でなければゴミになる』というのが私の説です。これは、世間の鉄道ファンの多数に当てはまると思います。
 私としては、出版が一番と思うのですが、私の作品はゼッタイにコマーシャルベースに乗りません。と、なると自費出版で無料配布しかないわけで、そんな財力も編集の気力もありません。
 なるべく、考えないようにしています(笑)。笑って済ませられる話じゃあないんですけど・・・そ~するしかありません。
 今まで、そしてこれから先も、せっせとホームページとブログで発信し続けようと、思っているのです。
by む〜さん (2008-07-09 10:10) 

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