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桑名:日帰り親子旅1978(6終) [1970年代の旅]

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pencil-red.gif 今から
30年も昔、1978年・昭和53年1月29日・日曜日、私と、当時、小学校一年生の次男、三重県桑名までの日帰り二人旅の最終回です。

 色々電車を乗り継ぎ、三重県桑名まで、軌間762mmの近畿日本鉄道北勢線に、一寸だけ乗りに行きました。西桑名から三つ先の蓮花寺駅までしか行けませんでしたが、愉快な旅行で、このときは、親子というよりも、旅の道連れって感じでしたっけ。それも、あっという間の30年、彼も小学生の父になっています。・・・当然、私も歳をとり、70超、お爺さんで、お祖父さんです。(笑)

pencil-green.gif ・・・・・・では、続きをご覧下さい。

■ 東京~桑名 日帰り親子旅(6終) ■

(1) 当時の私は、大阪から帰って来るときでも、難波~近鉄特急~名古屋~名鉄特急~豊橋ルートが定食コースでありました。それで、今回も、名古屋から豊橋までは名鉄の特急。往路は5000だったけれど、帰り道では、待望のパノラマカーに乗れました。最前部に座れなかったと思われますが、最前部で、写真は撮っています。撮影場所は判りませんが、「岐阜 特」のヘッドマークのパノラマカーです。これは、7000ですね。
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(2) (1)の電車部分を拡大。この7000が、近いうちに無くなっちゃうんです。う~ん、寂しい。しかし、思い返せば、1961年の登場から47年か・・・・名鉄の顔でしたから。感慨です。
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(3) 「国府~豊川稲荷」「急行」の方向板をつけた、車体更新車3700ファミリーの2720が写っています。ま、普通に考えれば、ここは、国府駅でしょう。しかし、パノラマカーの特急に乗ってるんですよ。国府に特急は停まるとしても、わざわざホームに降りてる。停車時間があったんでしょうか・・・・今になっては、この辺りのデータは、記憶の底にだって存在していないでしょう。
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(4) (3)の次の駒です。シートの方向から見ても、パノラマカーの最後部でしょう。バックは山、右の線路が豊川線とすれば、辻褄は合うのですが、(3)と比べると、電車が多すぎる気がします。ま、一応、国府駅を出たところということに・・・・・しかし、少々、自信がありません。
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(5) その次の駒、自笑亭とくれば、此処は浜松。新幹線のホームですね。・・・・と、云う事は、豊橋から此処まで、東海道の在来線で来た事になります。まことに以って、電車汽車好きの私たちだったなあと思います。今だったら、少なくとも私は、体がもたない(笑)。
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(6) (5)のお弁当部分を拡大してみました。夕食時でありますが、何か買ったんでしょうか・・・。往路では左から6番目の「ひくまの弁当」でしたが、買ったとすれば「うなぎ飯」だったでしょうか・・・・800円もするんです。それにしても、流石に鰻どころ浜松で、「うなぎ蒲焼」と「うなぎ肝」がありますね。、ま、お弁当は買わなかった可能性もあります。
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(7) 夕暮れ時の新幹線浜松駅「ひかり」のお通りです。右のほうでコートのポケットに手を突っ込んで、電車を見ているのが息子ですが、お弁当を持って無いですね。食堂車で夕食って可能性はありますが、昭和53年、このころの「こだま」って食堂車ありましたっけ?右側の柱の向こう側に、『次の列車の表示機』がみえますが、真っ白な長方形は時計で、原画をフォトショップでいじったら、ぼんやりと『17時40分頃らしい影』が見えました。
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(8) 最後の駒が、コレでして・・・・何やら夜景が映っている。一齣分残ってなかったようで、端が切れてました。そして暗いので何処だか判らなかった。夕空の感じから、浜松駅の新幹線ホームからの筈です。
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(9) そこで、いろいろと画像をいじって見ました。フィルムをルーペで見たりして、矢印の左から「西武」~「松菱」~「丸井」~「たぶん大和銀行」~「スズキ」・・・・コレだけ揃えば、浜松は間違いの無いところ。長い跨線橋があったり、113?みたいな電車が暗闇にいたり・・・・たぶん、高架化工事進行中の在来線浜松駅を撮ったものなのでしょう。それにしても、ブレてるし、下手だなあ。
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pencil-blue.gif これで、この旅のフィルムは終わっています。浜松から新幹線で、新横浜まで乗ったのでしょう。まさか、いくら40歳、若いとはいえ、小田原から小田急の利用は無かったと思います。なにしろ、翌日は会社に行かねばなりません。


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 桑名駅の西の外れに「三種の軌間の踏切」があるお話を致しましたが、2001年6月3日に写した画像を追加いたします。ここは、全国的にも珍しいケースと思われますが、この写真は2001年・・・・7年経った現在、このままだと良いのですが、果たして・・・・。

(01) 東側から・・・・一番手前=1線の近鉄(現・三岐)北勢線の762mm、次=3線の関西本線の1076mm、一番向こう(架線鉄柱の向こう)=2線の近鉄名古屋線の1435mmです。
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(02) 西側から・・・・近鉄名古屋線(2線)~関西本線(柵・警報機の向こう)3線~近鉄北勢線(1線)。
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 上空から写せばいいのでしょうが、目の高さからだと、感じのつかめる写真は難しいですね。カメラが広角気味(単焦点130万画素オリンパスC-830L)の所為もありますが、分割撮影でわかりやすく描写なくてはならないかなあと思っています。


coffee.gif 6回にわたってお付き合い頂きました、桑名までの日帰り旅行は、これでお終いです。
 次の更新は、通常に戻って、明後日になる筈です。


タグ:新幹線 名鉄
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コメント 14

gop

おはようございます。
34年前の西桑名の写真、特急スキャンして載せてみました。
私も当時の記憶が余り無いのですが(笑)
む〜さんさんと全く同じ場所からも撮っておりました。
以前知り合いが北勢線、内部線車両の検収車庫に居たので、
時々話しを伺う機会もあったのですが、流石に古い車両は
保守が大変だった様です。今では貴重なナローですね。

最近パノラマは大人気の様で。浜松駅の0系写真、良いですね。
by gop (2008-07-01 04:57) 

む〜さん

■ gop様: 早速、貴ブログ、拝見させて頂きました。近鉄名古屋線・関西本線を、あの頼りない鉄橋で跨ぎ、築堤を下ってから、『新旧の西桑名駅に至り、桑名京橋へ続く感じ』が掴めました。旧・西桑名駅には車庫もあったのですね。
 しかし、現在の西桑名駅、費用問題・要地問題も大変でしょうが、JRと近鉄名古屋線からの乗換が、便利な位置に動かして欲しいものです。ホームなど、粗末なもので、雨露しのげれば良い程度の、屋根を付けるレベルでよろしいと思います。要は、利用客の利便性を重視すればこうなると思うのですが。

 新幹線・浜松駅の写真は、まあ、偶然の産物です。現用中の私のデジカメでは、こういう風には撮れない気がします。カメラは多分、ミノルタX-700(トキナーF4/25~50mm)だったと思われますが、ミノルタSR-1か、コーワのSETRだったかもしれません(記憶、アブナイですね)。
by む〜さん (2008-07-01 09:51) 

gop

34年前は旧西桑名駅含め、如何にもローカル線の風情でしたね>北勢線
駅構内の車庫は西桑名車庫と言った様です。
http://nekosuki.org/landscape/pieces/map-hokusei01.htm

西桑名駅は近い将来現在地より北側に移設され、桑名駅橋上駅舎化で
乗り換えも便利になる様ですが、何時に成る事やら。
http://www.pref.mie.jp/pdf/jh/jh06k/job20060000001822.htm

by gop (2008-07-01 12:58) 

Cedar

思いかけず西桑名で盛り上がりましたね。
私も古い写真を探してみたら、旧西桑名駅手前の踏み切りで撮った電装解除前の3連接車の写真が出てきました。qop様の写真の場所です。その写真では踏み切りで分岐せずに直進する線路があって貨車が止まっているのです。国鉄との貨物積み替え線があったようです。
by Cedar (2008-07-01 15:13) 

schnitzer

どの写真もすばらしいものばかりですね。
懐かしく楽しませていただきました。
それから、三種の軌道の踏切も珍しいですね。
このような踏切も実際にあったとは、貴重な写真です。
by schnitzer (2008-07-01 19:31) 

なにわ

この当時、行先板が幕になっていたのは、7045,47の八次車2本だけでした。ところが最後まで残らずにこの春に廃車になってしまいました。

パノラマカーが1961年製といいますが、一次が1961年、二次が1962年の後は7500の製造が続き、ほとんどが1967年以降の製造です。
もっとも二次車の7011の編成が今もなお残っています。
by なにわ (2008-07-01 20:18) 

む〜さん

■ gop様: 西桑名駅の資料、有難う御座います。沿線の住民さんも高齢化も進んでくる事でしょう。自家用車ばかり乗っているわけにも行きません。そんな方々へ、一日も早い、乗り換えやすさの提供を願いたいものです。鉄道会社、行政の、協力努力が望まれます。かく云う私も、後何年かすれば後期老齢者ですので、切実に思いますね。
■ Cedar様: 貨物の積み替え施設の写真、見てみたいですね。昭和30年代の初め頃に、静岡鉄道駿遠線の袋井駅、新藤枝駅、西大寺鉄道の西大寺(財田)駅でも見たことがあります。
垂直カルダンドライブの三連接しゃも実物を見てみたかったなあと思ったりしています。
■ schnizer様: 三種の軌間がみられる踏切は、おそらく日本で此処だけだと思います。先ほど、Googleの航空写真を見たのですが、この地域の画質が悪く、一旦、保存した後、フォトショップでコントラストを上げて、チェックしてみました。踏切らしきものが確認できましたが、件の写真が、何時頃のものか判らないので・・・・。
■ なにわ様: (1)(2)のパノラマカー7000は、稀少車なんですね。
 製造初年が昭和36年で、じつに長期間使っていると思います。保守も良くやっているのでしょう。
 考えてみると、新幹線の0系も結構永いですね。
by む〜さん (2008-07-01 23:04) 

うたに

パノラマカーも、0系新幹線も風前の灯ですね。。
異なる軌間が3つもある踏切とは、珍しい!
しかし、なかなか写真だと伝わりにくいのも事実。難しいですね。。
by うたに (2008-07-02 12:21) 

HIRO

名鉄の顔、パノラマカー、もし私鉄博物館があったら陳列して欲しいですね、半世紀経てもいまだに新しいすごいです。

3700形更新車、普通、急行に使用されましたが、当時冷房なく
この車輌は敬遠していました。
名古屋は日本でも有数の暑いところで避けたのです。
でも、つりかけ式のいい音のする電車でした。
by HIRO (2008-07-02 14:06) 

む〜さん

■ うたに様: もう、双方とも最後のチャンスと云うところでしょう。万難を排して行きたいと言うほどではないけれど、見てみたい気も致します。何しろ、若かったころの最新式新機軸のスターだったのですから・・・・。
三種の軌間を判別できるような写真と言うと、上空から、高解像度の撮影をしなければならないような気がしますが、如何でしょう?少なくとも、地上からは難しそうです。GoogleMapの航空写真は、この地域は解像度が低く、よく判りません。しかし、この場所は一見の価値はありますね。
■ HIRO様: この7000パノラマカーは、日本の鉄道史に残る画期的な電車と思います。高性能にして、展望車、高運転台、しかも、特別料金不要の通勤特急。
名鉄の車体更新のクロスシート車が多く、結構、憧れたものです。2ドアで大窓、小窓、片開き、両開きドア、エアコン付き・無し、等々、色々な形式、バリエーションがありました。吊り掛けの、如何見ても、特急車なんて、7300みたいなのまで有りました。
by む〜さん (2008-07-02 16:04) 

no

こんにちは。
初めて新幹線の浜松駅で降りた時は、新幹線ホームから在来線駅までの通路がだらだらだらだらと長くて、じっつに不便極まりない駅だなあと思いました。
当時は静岡駅も少し離れていましたねえ、たしか。
浜松駅が新幹線在来線一体の駅に変わった直後は、遠鉄浜松駅や松菱とか西武とかヤマハとか有楽街(繁華街)が馬鹿に遠くになっちゃったなあ、なんて思いました。疲れるよ~、なんてねえ(笑)。
あの素敵なホームも無くなって淋しかったでした。
遠い学生時代の思い出です。
by no (2008-07-02 20:05) 

G20

東急5200系、東急車輛にて永久保存が、決まりました。  読売新聞より。
by G20 (2008-07-02 20:56) 

じろっち

東急車輛は社内非公開なので、保存される車両の公開も今は考えていないそうですよ。
ずいぶんガードが堅い会社ですね。
部外者に見られると困ることでもしているのかな?
by じろっち (2008-07-02 21:38) 

む〜さん

■ no様: 浜松の新幹線~在来線の乗り換えの遠さの記憶がなくなっています。ですから、最初、(8)の写真を見たとき、何処か判りませんでした。
東海道本線の昼行急行で下った頃は、お昼時に浜松と言えば、鰻のお弁当でした。もっと前の、お弁当にご飯が出せなかった頃の記憶は、アイスクリームだったのです。煙草の箱を薄っぺらにしたような経木の箱に入って居りました。
■ G20様: 5200の保存・・・・新聞に出てましたね。日本のステンレスカーの嚆矢として、喜ばしい事です。
■ じろっち様: 大物の製造工場ですから危険だし、外部の人は入れたくないでしょう。年に何回か、公開して欲しいですね。
by む〜さん (2008-07-03 22:14) 

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