SSブログ

津と四日市:1980年?(2) [1980年代の旅]

icon-tsu-yokkaichi.gif
pencil-red.gif 1980年・昭和55年の春先
次男のと一緒に、三重県の津市と四日市市に行ったのです。津に住んでいた従兄弟に会うのが目的だったのですが、もちろん、電車も拝んできました。

 前回の、近鉄電車、通勤車編に引き続き、今回は特急車です。当時から早起きだった私、朝飯前に、電車見物に、近所の線路ぎわに、カメラ持参で行ったのです。

 三重県・津と四日市:1980年?(2) 

 近鉄名古屋線の津新町駅近く、向こうに、津新町の駅が見え、近鉄に並行して、国鉄紀勢本線の単線の線が並ぶ辺りです。

(1) スナックカー[Mc+Tc]×2の特急上本町行。このタイプのスナックカーは結構好きでしたが・・・・。
kintetsu002.jpg

(2) 踏み切りの標識。左は近鉄、右が国鉄でしょうか?
kintetsu003.jpg

(3) ビスタカーⅢ+スナックカー?4両の名古屋行特急
kintetsu006.jpg

(4) (3)のビスタ部分
kintetsu007.jpg

(5) スナックカーの賢島行特急が通り過ぎます。津新町駅の折り返しホームに、電車が入っています。
kintetsu009.jpg


coffee.gif このあと、泊めてもらった従兄弟の家に戻りまして朝食という段取り。その後、息子と従兄弟、そして私の三人で一緒に、四日市に向けて出発。
 さあ、四日市のケイベン、近鉄・八王子線と内部線だあ~♪♪
 続きは、また次回に!!!


nice!(4)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 4

コメント 7

京葉帝都

ビスタカーの2階席には天井にも斜めの窓が付いていますね。80年代に名阪間で乗りました。車両中央のドアと言い、当時の近鉄のアイデアとサービス精神が伝わってきます。
スナックカーの前面のデザインは重厚で個性的で私も気に入っています。行き先票が腰部分にあるのにも親近感がわいてきます。
by 京葉帝都 (2008-07-08 20:07) 

なにわ

名阪乙で4両とはずいぶん短いですが、これは朝ラッシュ時に難波に入れないときの上本町ゆき、とすると名古屋6時30分(このころは桑名始発だったかも)の特急ということは、7時20分ぐらいでしょうか。

伊勢から早朝に名古屋に行く観光客もいないでしょうから、本来は通勤客輸送の特急でしょう。

1600も5本目までいくときっちり番号が揃っていましたか。1650、1750は単車運用を考えていた電車で、80年代半ば、1651~54の4両が回送運転台をつけて新田辺-京都を走っていました。冷房が無いのですが、確実に座れるのでよく使いました。
by なにわ (2008-07-08 20:20) 

のりさん

30000系は「ニュービスタカー」と呼んだように記憶しております。登場時、新聞に「新幹線を凌ぐ豪華さ、一両1億円なり」という見出しが出ていたのを覚えています。二階席を広く取ったり、「あおぞら」のように、階下に機器を集めたため、階下席の通り抜けが出来なくなりましたが、その分、コンパートメントのようになりました。ただ、トイレと間違えて降りてこられるお客様が時々いらっしゃいましたね。10100系流線型ほどの強烈なインパクトはなかったですが、とてもよい電車だと思います。
by のりさん (2008-07-08 22:59) 

む〜さん

■ 京葉帝都様: ビスタカーⅢの二階部分には何回も乗っていますが、いいものですね~。大阪は難波の『虹の街]で押し寿司を買って、車内で食するのは格別でした。そのお寿司やサンは現在は無くなってしまいましたが・・・・。『スナックカー』のスナックコーナーの大窓付きの車体は大のお気に入りで、あそこから座席に運ばれるカレーを食べてみたかった。キングの17cmレコードで、車内放送音を聴く度に思いますね。
■ なにわ様: 乙特急で4連は珍しいとのお話。この列車、ネガをルーペで見ても、カーブの具合で、5両めが見えないのか、居ないのか判り辛いのです。4両と断言できないのですが・・・4両め車体の下部の白さが、5両目の無いのを感じさせます。
 7時半ごろだったのですか・・・・。若い人は寝ているので、ひとり、抜け出して電車見物でした。って云っても、当時の私、42歳ですから、若かったんですが・・・・。
 名古屋線の1600、京都線に転出したんですね。全線、1435mm、1500Vで統一されたご利益ですね。台車履き替え転出のケースもありますが。
■ のりさん様: 成る程、ニュービスタカーですか。やっぱり、10100~のビスタⅡがいいですね~。
 ニュービスタカーは、デビューの少し後に、名古屋~賢島間に、次男と一緒に乗りに行ったものです。名古屋の地下ホームに居たニュービスタカーは圧倒的な存在感がありました。仕上げも一級で、関東の国鉄私鉄車輌がやっと関西に追いついたと思っていた私を、ぶちのめしてくれました。
 あの頃・・・・1970~80年代・・・・小学生の次男を出汁にして、よく出かけました。次男も電車汽車が好きで、凸凹野次喜多コンビでした。寝台車、ビジネスホテル・・・・懐かしいです。そんな次男も、30代後半、当時の私に近いのです。
by む〜さん (2008-07-09 09:59) 

しおつ

スナックカー、ビスタカー、どういう意味なのでしょうか?
父からもらった写真に2階建ての車両が写っていました。


by しおつ (2008-07-09 21:30) 

じろっち

近鉄特急は、この色が良いですね。
昔の鉄道車両デザイナーは、センスが良かったということかな?
by じろっち (2008-07-09 21:32) 

む〜さん

■ しおつ様: 関西の私鉄さんは、よく『旬の電車』にニックネームを付けていましたね。阪神=ジェットカー、京阪=スーパーカー、近鉄=ラビットカー、ビスタカー、エースカー、スナックカー・・・・まだ有ったと思いますが。
 スナックカーは、調理可能なスナックコーナーがある電車で、座席にお料理を運んでくれたそうです。私は、未体験。
 ビスタカーは、米国の二階展望室ビスタドームカーの電車版(近鉄モ10000系は世界最初だったと思います)。
■ じろっち様: 名古屋に着いて、近鉄で大阪まで行く慣わしだったのですが、ちかのホームに入ると、この特急が居ましてね、『ああ、関西の電車だあ!!』と、かなりトキめいたものです。
by む〜さん (2008-07-10 00:19) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。