津と四日市:1980年?(3終) [1980年代の旅]
1980年・昭和55年の春先、次男と一緒に三重県、津と四日市への旅。そのときに会った、素敵な電車たちのお話です。
今回は、近鉄名古屋線・津新町駅から近鉄四日市へ、そこで遭遇した、八王子線・内部線の762mm軌間の電車たちを少々・・・・。
■ 三重県・津と四日市:1980年?(3終) ■
さて、この日は、私と息子、そして作や宿を提供してくれた従兄弟と三人で、近鉄名古屋線の津新町駅まで、やってきました。今日は、この従兄弟も、四日市まで付き合ってくれることになりました。
(1) 津新町駅の折り返し電車専用ホームには、ク1925が発車を待っていました。お相手はモ1800形なのでしょうが、よく判りません。ラインデリア車だそうで、薄べったい二重屋根状に見えます。こうやってじっくり見ると、この系統の車体って実に美しい。奈良線、モ800時代からの近畿車輛の『スイスっぽい』伝統のカタチと思います。
・・・・・(1)の位置から撮っていますので、たぶん、急行かなんかで四日市に移動したのでしょう。
(2) 近鉄四日市駅の『下のホーム』です。762mmの西日野、内部方面行き専用。名古屋線、湯ノ山線の高架の下にひっそりとありました。9番線では内部行の二両編成の電車が発車を待っています。荷物室の残るモニ212ですが、お相手は判りません。
(3) (2)のホームにある発車時刻表を拡大して見ました。行灯の部分の露出が過度になってイメージは飛んじゃっていますが、いくらかは判りそうです。
(4) お隣の10番線ホームに西日野行が来ました。モニ228。これに乗って八王子線の終点、西日野まで、行くのです。
(5) そのモニ228の車内風景。荷物室があります。
(6) 西日野駅まで来ました。駅前で親子の記念撮影。タイガース少年も今や、この時の私に近い年齢となりました。歳月の流れは速いねえ。伝言板があります。ここのは横書きですね。拡大して読んでみましたが、年月を確認できるような記述はありませんでした。残念。
(7) ホームで息子と従兄弟を並べてモニ228とともに記念写真。
(8) モ228のお顔。そろそろ、発車の時間らしい・・・・・。
(9) ・・・・・で、この写真が、このフィルムの最終の駒です。この場所なんですが、手持ちの電子地図、Netで、GoogleMap、YahooMapで調べてみました。(Googleにはこの地域の航空写真がありません。)向こうから来る電車は内部~四日市の方向板をつけています。交換施設の先が左に曲線を描き、正面にビル群が見える。
う~ん、困った????
どなたか、お教え下さいませんでしょうか。
そう云う訳で、(8)の写真で、この時の旅の写真は終わっています。従兄弟とは、四日市で別れたのか、名古屋まで行ったのか、私と息子は、何処を如何通って帰ってきたのか、綺麗サッパリ、記憶がありません。
まあ、無事に帰宅した事だけは間違いないんですが・・・・・・。
近鉄の一色塗装も過去のものとなって久しいですね。
子供のころラインデリア車を見て冷房車だと早とちりして
がっかりしたことを思い出します。当時は冷房車が貴重な
存在でしたから。
ご子息はタイガースバッグにキャップと重装備ですね。
今年の勢いは恐ろしいです。
by サットン (2008-07-09 23:30)
■ サットン様: 現在の白マスクの標準塗装は何時の頃からだったでしょうか・・・警戒色は安全上必須なのだという事は判るのですが。この頃の、マルーンというか赤というか、800以来の下降窓のスイス風の車体は、結構、好きだったのです。
このタイガースフリークの少年も40近い歳になりました。抱き合って大喜び、翌朝のスポーツ紙全種買ったあの日は、この5年後になるのです。
by む〜さん (2008-07-10 00:01)
津新町駅の折返しホーム。本当に懐かしいですね!高校通学当時(昭和38~41)から存在していました。又昭和38年頃は未だ津~江戸橋間が単線で複線化工事中であったと思います。内部線、八王子線も懐かしいです。最後の写真は確か四日市と赤堀の間にあった堀木信号所??と思います(名称は自信なし)。最盛期には八王子線、内部湯ノ山線がそれぞれ15分間隔で運転されており途中の交換所が必要だったのです。
by 中田安兵衛 (2008-07-10 10:39)
これも懐かしい光景です。
近鉄線で特急を除くかなりの本数が津新町どまりでした。
2両編成の名古屋ー津新町を往復する各停でした。
ついで多いのが平田町行きです。この電車は鈴鹿市に近く、準急か急行で4輌編成で運転されていました。
いちばん長い区間運転されるのが、宇治山田、大阪上本町行きで2ドア・クロスシートの古い車輌だったような気がします。
のちになって3ドアの6輌クロスシート鳥羽・大阪上本町行きが出てきたような気がします。
結構覚えてるのは、きっと近鉄特急を利用しての名古屋駅ホームでいつもたちどまりしばし電車を眺めていたせいかも知れません
ところで出発合図は「やしの実」がオルゴールで流れていましたが今はどうでしょうか
by HIRO (2008-07-10 11:52)
60年代に20m車が大量投入されたので、奈良線はラインデリア車か扇風機車ばかりでした。1973年7月のある日、8601の4両を見たときはホーム上をうろうろしていました。
1925ですから、お相手は1825でしょう。
そうかあ、信号所とは思いつかなかったです。
今は四日市あたりで切られてそこから先は2両ワンマンで伊勢方面に向かってますし、急行は中川まで走り大阪線と接続しています。
by なにわ (2008-07-10 15:03)
■ 中田安兵衛様: 名古屋線の単線といえば、木曽川の橋梁を思い出します。たしか関西鉄道のものだったようで、いかめしいトラス橋でした。関西本線と近鉄が絡むように走っていました。
信号場だったんですね。調べてみましたら、赤堀~四日市間に南浜町信号場が1989年まではあったとの事でした。Googleと、Yahooの航空写真を見てみましたら、Googleの方に、それらしき用地のふくらみが『見えるような』気がしました。ここなら、正面のビル群の存在が納得が行きます。
■ HIRO様: 特急でない2ドアクロスシートの長距離電車と聞きますと、真っ先に思うのがデ2200です。昭和30年代には、まだ緑色でした。カッコ良かったです。
昭和40年ごろ、近鉄名古屋駅のホームに居ると、電車が入ってくるのですが、ホーンを鳴らします。ブワ~ン・・・・という、豪壮なダブルタイフォンで、興奮したものです。
■ なにわ様: 奈良線の20m化は1960年代中ごろからだったのですね。8000形の大量投入で600形あたりの小型路線から大変革を遂げました。エアコンの無かったのは普通だった時代でしたが、8600が出てきたのは1973年でしたか・・・・エアコン付きでお客さんは喜ばれた事でしょう。いまでは、エアコンは常識ですが、当時は、大変なことだったようですね。
現在の名古屋線のローカルは、四日市から先はワンマンですか・・・・合理化っていうんでしょうが。う~む!変わったものです。
by む〜さん (2008-07-10 18:41)
内部線・八王子線も訪問したいですね。たしか、八王子線は、西日野・伊勢八王子間が、水害のため、復旧せずにそのまま廃線になり、現在の西日野止まりになったと記憶しています。ニブロクのかわいい車内も趣がありますね。
近鉄名古屋駅の特急ホームでの音楽は、私の記憶の頃は、「ドナウ川の漣」でした。時代によって違うのでしょうか。興味あるところです。
by のりさん (2008-07-10 22:45)
近鉄の762ミリには一度も乗ったことは無いですね。
今年は長女の受験も終わったので、伊勢の友人のところに行くついでに、夏休みに乗りに行きたいと思います。
明日は会社休んで、↓の写真展見に行こうかと思っています。
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000150807100001
今朝の朝日新聞で知ったので、ちょうど良かったです。
by たらこっち (2008-07-10 22:49)
■ のりさん様: ここ四日市のケイベンは何時の間にかスマートな、ライトレールと呼んだ方がよさそうなラインナップに変わりました。乗り心地は似たようなものですので、ぜひ、ナローの乗り心地を楽しみにおいで下さい。
この写真を撮った頃の、旧・三重交通の電車たちは、思いっきり軽便の雰囲気に溢れた電車たちでした。
■ たらこっち様: 伊勢へ行かれるのでしたら、三重県下の二箇所のナロー線区、桑名と四日市にお寄り下さい。
朝日の写真展の頁、見ました。現在の相模鉄道は20m車の長大編成なはしる通勤路線ですが、昔は、『味のある』電車たちが、のんびり走っていたローカル私鉄でした。
by む〜さん (2008-07-10 23:42)
先週、四日市まで出張に行ったので、内部線に寄り道しました・・・。むろんナイショです。(笑)
電車はパステルカラーで色とりどりになってました。
何だかな〜?
(+_+)
by まぢ3号 (2008-07-11 01:14)
■ まぢ3号様: 電車は綺麗になって快適で良いんですが、軽便ファンの私としては、少々・・・・。しかし、乗って頂く為には仕方ないなあと思っています。三岐北勢線の終点あたりで、この古い電車を保存するとの動きがあるので、それに期待するしかないようです。もう、軽便らしい軽便は、乗るのではなくて、見る事だけで我慢の時代になったのでしょう。
by む〜さん (2008-07-11 06:12)
津新町の折り返しホームの配置は本線の外側に独立してるのが珍しいですね、同じような形が大阪線の榛原(だったかな?)にもありますね。
四日市の軽便は西日野~伊勢八王子感が無くなる寸前に撮影でき、古い倉庫の並ぶ川沿いの区間はなかなか絵になる場所で感激したものです。
当時はM+T+Tなんていう編成で終点で機回し(電回し!)していました、今じゃそんな効率の悪い事出来ませんよね。
by Cedar (2008-07-11 13:23)
■ Cedar様: 津新町駅は島式ホームでしたっけ?それで、始発ホーム後付でこうなったのかもしれません。榛原町・・・と、つい書いてしまいますが、今は榛原ですね・・・・ここも始発ホームの記憶があります。こんな事をキーインしながら無性に近鉄特急に乗りたくなっている私です。
八王子まで行ったんですか・・・・羨ましいですね。1959年に行った三重交通時代、湯ノ山まで行く線も762mmだったのに、そのときは、ひと駅も乗らずに写真撮影だけでした。その次が、この1980年だったのです。
軽便では、機回し、電車回し、気動車回しは、日常でしたね。のどかな、時間がゆったり流れる時代だったのですね。良かったのか、悪かったのか、判りませんけど・・・・。
by む〜さん (2008-07-11 19:01)
調べてみました。毎時3本の各駅停車は、1本が伊勢中川、2本は白塚行きで、白塚で接続しています。ですからワンマンは白塚以南としておくべきでした。
本来は水害で廃止されるはずだった八王子線ですが、沿線の反対で西日野まで残っていますが、乗ってるんでしょうかね。
by なにわ (2008-07-12 21:28)
■ なにわ様: お調べ下さって有難う御座いました。白塚から先、普通電車はワンマンですか・・・・。津もついにワンマン区間。
八王子線、内部線、列車は長大化しているようですが、市内交通として有効なのは、フリークェンシィだと思うのです。駅に行けば直ぐに来る。『待たずに乗れるXX電車』でなくてはいけないと思います。時刻表を見ながら出かけるのでは日常の乗り物としては、自動車に勝てないでしょう。
by む〜さん (2008-07-13 21:21)
検索していてここにたどり着きました。
最後のお写真は、南浜田信号所でしょうね。
当時四日市〜日永間を交換無しでは走行できなかったために存在したそうですが、車両近代化(モ260導入)でスピードアップしたために必要なくなり廃止になったとのことです。
by たけぽん (2013-09-13 12:20)
■■ たけぽん様:
南浜田信号所ですか・・・・お教え下さって有難う御座います。向こうのビル群は四日市なんですね。
このナロー線も色とりどりの電車が走るようになって居ますね。まだ、暫くは存続する方向になったようですが、なるたけ、早い機会に乗りに行きたいなあと思う今日この頃なのです。
by む〜さん (2013-09-13 23:19)