暑中お見舞い:草軽電鉄1958年 [軽便鉄道]
■■■ 今日は、2008年8月2日・土曜日、旧暦7月2日、ニ黒友引、きのえ いぬ・・・・・なんだそうす。
そして、学制発布記念日、パンツの日、ホコ天記念日、ハーブの日、博多人形の日、8月第1土曜日:ゆかたの日・・・・と、こう云う日なんだそうな。『今日は何の日』というHPに出て居りました。・・・・で、如何って訳ではないんですけれど。
今年は、ことのほか暑い様です。今までも、結構暑かったのですが、これから更に暑くなるなんてお話もあります。皆様には、お体には充分にお気をつけ下さい。
■■■ ・・・・と云うわけで、涼しい写真をと云う事で、今日は、雪景色。1958年・昭和33年12月、冬の草軽電鉄の全線乗車に行きました。そのときの写真を少々・・・・・。
(1) 草津温泉駅から折り返してきました。ここは、吾妻駅です。列車交換待ちのひととき。私たちの乗った列車は、デキ19+ホトXXX+ホハ15。
(2) 草津温泉行の列車が来ました。デキ16+コワフ104+ホハ31でした。
(3) ここは、国境平駅。貨物列車と交換しました。
・・・・というところで、多少は、涼しくなって頂けたでしょうか??
この時の、旅の様子と、写真は、下のアイコンをクリックすると、ホームページ「む~さんの鉄道風景」の、この時の旅行記にリンクいたします。
ネタが切れてきたので、探し出す前の間、一寸の間、軽便鉄道特集で行こうかなあと思っています。昭和20~30年代のお話です。ホームページ、既出で気が引けますが。
・・・・・では、また!!!!
厳寒だけれど雪の少ない北海道、豪雪だけれど以外に暖かい北陸、どちらが寒さをより感じるでしょうか。
というぐらい、このあたりにはうといのです。
このタイトルからでてくるのはやはりキャンディーズですね。
by なにわ (2008-08-02 12:27)
素晴らしい光景です。沿線をレンタカーで通ったことがありますが、急勾配もかなりあったのではないかと想像されます。機関車は軽井沢駅の北口に展示されていました。かわいい列車が走る沿線に住んでみたいものです。ホームが低くてバリアフリーです。
by 京葉帝都 (2008-08-02 13:11)
<くさかるでんてつ>という名称がいかにも軽便鉄道という感じですね。この線は僕が鉄道に興味を持ち出した頃には消える寸前でこの目では見ていません。
しばらく前にCSで見た映画『カルメン故郷に帰る』で高峰秀子が無蓋貨車に座って浅間山のふもとを行くシーンは印象的でした。
by Cedar (2008-08-02 19:11)
草軽電鉄は自然の地形を受け入れながらの経路設定だったので、かなり無理があったようですね。
当然、悪天候や地震にも弱いわけで・・・
弱小民鉄は、こういった事情で無くなったものも有るようで・・・
by じろっち (2008-08-02 21:33)
ネタ切れですか?
ならば、東海道新幹線誕生以前の東海道線は、どうでしょう?
by じろっち (2008-08-02 21:45)
こんばんは。
草軽電鉄は写真でしか見たことがなく、あの独特な機関車のメカニズムがどのようになっているのか、気になったままでした。このころの機関車の制御といえば、抵抗制御だったと思うのですが、あの形のどこに入っているのか、とても不思議です。制御段数も少なくして、DC 600Vor750Vでは、それほどたくさんの抵抗は不要なのかも知れませんね。
それにしても花巻電鉄、静鉄駿遠線などなど、ユニークな車両が多くて楽しいです。むーさん、軽便たくさん教えてください。
失礼します。
by mymeな大家 (2008-08-02 22:22)
■ なにわ様: おおキャンディーズ。70爺のわたしでも、キャンディーズの歌には惹かれますね。(スーちゃんのファンです)
もう、50年も昔の事なのですが、車内は寒く(暖房なんて無かったかなあ?)、下り坂では、車掌さんが客車の手ブレーキを操作していました。
■ 京葉帝都様: この路線、残っていたとして、日常生活には少々不便そうだし、観光鉄道として、生きて行かれるのかなあ、とも思います。いい時期に回り逢わせた幸せを感じています。
カルメン・・・・は、今でも時々ビデオを見ます。木下恵介監督でしたっけ?高峰秀子、小林トシ子、バックをベテランで固め、ほのぼのとした、いかにも松竹って作品でした。
■ じろっち様: 等高線に沿って走っていたようですね。東海道本線・・・・・じつは・・・・あんまり撮ってないのです。ゴメンナサイ。真面目に撮ったのは、このブログの初期に出した『東海道本線・東京~袋井間の全駅写真』くらいかな?これは、ホームページに移設して展示してあります。
■ mymeな大家様: 草軽のジェフリー社の機関車は元々が工事用のものだったようですね。当時でも、昭和28年に初対面のときは、ブッ魂消たものです。あんまり驚いたので、現像のときに、最初に定着液を入れてしまい、そのフィルムは、無色透明になりました。(笑)(笑)
私は狭い意味の軽便鉄道が大好きです。軽便鉄道法にのっとっている鉄道という、意味ではなく、軌間が1067mm未満という、私独自の定義ですが。
そして、好きなわりには、訪問社数が、超少ない。花巻も、九十九里も行ってない。今度こんどで、あっという間に消えてしまいました。
まともに通ったのは、静岡鉄道駿遠線だけです。いまでも、地元では、駿遠線研究者さん愛好者さんが、講演会や展覧会を開いて、後世に伝える活動をされております。
by む〜さん (2008-08-03 10:54)
草軽鉄道は、一種の聖地でしたね。
この不真面目な電気機関車の形といい、大きなパンタといい、そして長大な路線といい、鉄道ファンにとってはひとつの信仰の客体でしたね。
カルメン故郷へ帰るのフイルムで総天然色のそれが楽しめるというのは永遠の命をもらったのと同じのような気もしますが・・・
現役のときに遭遇できなかったのは、つくづく残念な鉄道です。
by ファジー (2008-08-03 21:35)
■ ファジー様: 草軽電鉄は、第一に路線環境が良かった。高原、浅間山、スイッチバック、草津温泉・・・・。機関車はユニークでしたが、客車は新しく、私の好みでは有りませんでした。のんびりと、車窓風景を楽しむには最高でしたね。硫黄の輸送もやっていて、駅には硫黄の粉が落ちて居りました。道路が整備されていない時代でしたから、貨物輸送も多かったようです。
2002年に、草津温泉駅の跡に立った時には、かなり感動しましたっけ・・・・・。そのときのルポは下記のURLで。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link241.html
by む〜さん (2008-08-04 00:05)
うわー、草軽ですか。
カルメンでしか動いているシーンを観たことが無いのですが、何という(へんてこな)形の機関車だろう、というよりも、なんでこんなに架線が高いのだろうと、不思議で仕方ありませんでした。
今も良くわからないのですが(笑)。
雪のせいですかねえ。
by no (2008-08-06 22:18)
■ no様: 高原から温泉まで、のんびり走る観光鉄道・・・・等高線に沿って、ゆっくりと高度を上げてゆきました。
寡占が高いと言うよりも、機関車が低いんですね。もっとも、電車のパンタグラフも、櫓に乗っかって居りました。
『カルメン故郷に帰る』・・・最近見て無いなあ。たまには見よう・・・・暖かなつくりの映画ですね。
by む〜さん (2008-08-06 22:35)