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軽便鉄道:井笠鉄道1957年 [軽便鉄道]

signal-blink.gif 今朝は、最初にお知らせです。

ani-014-spin.gif 新刊書の御案内

 友人の宮田道一さんが、JTB Can Books シリーズから、「東急の駅 今昔・昭和の面影」という、写真満載の本を出されました。
 「80余年に存在した120駅を徹底紹介」と、うたっているように、鉄道線の全駅について、「昭和30年代の写真と、現在の写真」に「電車風景と、各駅のデータ、丁寧なコメント」がつけてあります。
 早速、読んだのですが、東急沿線で育った私、あの頃に、想いが飛び、嬉しかったり、しんみりしたり、すっかり青春時代に気持ちが戻りました。
 素晴らしい本だと思います。そろそろ、書店に出ている頃と思います。お勧めの一冊です。

 書名: 東急の駅 今昔・昭和の面影
 著者: 宮田道一
 
定価: 本体1,900円(税別)です。
 発行: JTBパブリッシング

◆ 表紙
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◆ 裏表紙
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◆ 内容見本ページです。こんな構成になっています・・・・・。
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◆ 田中 稔さんの素敵なイラストも有ります。
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pencil-blue.gif すべて、著者のご了解を得て掲載しました。他へのご利用はしないで下さいます様、御願い致します。


pen-pc.gif ・・・・・さて、お話は変わります。
 連日、暑いですね。町田市の我が家の周辺、夏のお約束の蝉の声。ニイニイゼミから始まって、今は、アブラゼミが凄い。それに、ミンミンゼミが混じる。さらに、数日前から、クマゼミの声も聞こえます。クマゼミはここ10年ですね。30年くらい昔は、小田原、三浦半島にはいましたが、この辺りには居なかったのです。クマゼミの生息地域の北上・・・・これが、温暖化というヤツでしょうか・・・・。

 さて、鉄道の話題です。今日も、昔噺・・・・それも、前回に引き続き軽便鉄道の話題です。軽便鉄道法に拠った・・・との意ではなく、所謂、ケイベン・・・・軌間1067mm未満の鉄道ってことですので、あまり厳密に考えていませんので、あまり、追求しないでくださいね。

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さて、話は変わって、今日の軽便鉄道・・・・・「井笠鉄道」
 山陽本線の笠岡駅から、井原に至る非電化の軌間762mmの軽便で、矢掛、神辺への二つの支線も有って、かなり規模の大きな、軽便鉄道でありました。私は珍しく、二度、訪問しております。よほど気に入ったのでしょう。

 井笠鉄道1957年 

 1957年・昭和32年8月、九州旅行の帰りに、山陽本線の朝の笠岡駅に下車いたしました。そして、ひと駅だけですが、井笠鉄道に乗りました。

(1) ひと駅乗って下車したのが、車庫、工場のある「鬮場(くじば)駅」。文字が小さいとわかりませんが、門構えみたいなのの中に、亀の字。
 拡大すると・・・・・鬮場(くじば)駅。なんだか、良く判りませんが、大きな漢和辞典だったら出ているかもしれませんが、面倒なので調べては居ません。
 入れ替わりに、笠岡行きの列車が出て行きます。
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(2) (1)を拡大してみました。如何にも、昭和初期の雰囲気ですね。右に分岐しているのが工場への引込み線です。真夏でエアコンなんか無いのですから、ドア全開、満員のお客さんぶら下がりは普通の風景。それが、昭和30年前後。
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(3) 次の笠岡行きで折り返しました。荷台のついた少々ゴツめの気動車(たぶんホジ7)が、ダブルルーフの客車・・・・もちろん木造・・・・を引いています。この列車に乗ったようです。
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(4) 笠岡に戻り、朝の街など少し歩いたのち駅に戻りましたら、井笠の列車が到着。ホジ1形が客車を二両引いて・・・・。(三両目の客車が見える気もするけれど、フィルムを見ても良くわからない)
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 これで、くじば駅のお隣の工場を見て来なかったってぇんですから、む~さんは、かなりマヌケだったんですね。前夜の夜行列車、真夜中に腹痛でろくに寝てなかったので、ボケていたのでしょう。


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 この時の旅行記は、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に有りますので、お時間が御座いましたら、ご覧ください。
 下の、アイコンをクリックしますと、直接該当ページにジャンプします

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coffee.gif では、また!!!!次回に・・・・。


タグ:井笠鉄道
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コメント 14

TH

井笠鉄道は比較的規模の大きな軽便鉄道ですね。
ホジ1(か100?)を客車数両の前後に連結して6両くらいの軽便としては長編成で走っているラッシュ時の写真を見たことがあります。
勿論総括制御ではないでしょうから、前後の気動車の運転士が協調して操作していたのでしょう。
私は残念ながら軽便ではない鉄道においてもそういう協調運転の列車に乗ったことはありません。
井笠鉄道は一時期急行列車もあったらしいですね。
越後交通栃尾線や、静岡鉄道駿遠線でも快速や、準急があったようですが、軽便鉄道の優等列車というのも興味深いです。

by TH (2008-08-08 11:26) 

no

こんにちは。浦和でも、ニイニイゼミは小さいけれど一番ゼミだからちょっと価値あり(ハルゼミはいなかったですね)、アブラゼミは価値なし(笑)、ミンミンは価値大(アブラゼミより高いところにいたしきれいなので)、ホウシゼミは採らず、ただひたすら夏休みが終わるので悲しいだけ、プライスレス(笑)というレート。母の田舎に行ってヒグラシを聴いたときは、子供ながらなんともいい声だと思いました。その頃には浦和の真ん中にはヒグラシはいなかったですからねえ。親父の話にヒグラシがよく出てきて、それは一体なんですか、と思ったものでした。
長じて20年以上前の学生の頃、遠州に遊びに行ったら町中の街路樹にさえクマゼミがたくさんいてやかましいのなんの、これじゃ暑さが3倍になるなと辟易しました。
案外温暖化の影響ではなくて、こいつらが温暖化を進めているのではないかと(アホです)。
今じゃ川口でも鳴いています。いや、ありゃ鳴くじゃなくて泣く、ですねえ、人間様が(笑)。
うはー、井笠について何もコメントできなくてごめんなさい、というか残念です(泣)。
by no (2008-08-08 11:42) 

うたに

東急の駅の本には、東横線の並木橋駅は出ているのかなぁ。。
山手通りには"並木橋"というバス停や交差点があるのですが、電車で通る度に「どの辺が駅だったのかな~」と想像するも、全く分からないので、どんな駅だったのか気になっています。
by うたに (2008-08-08 12:32) 

はーさん

軽便鉄道は全国にたくさんありましたが、大型化したバスとの競争に敗れ、昭和40年代までに殆ど姿を消してしまいました。
井笠鉄道は比較的大きな気動車を新製してバスに対抗しようとしたようですが、敵いませんでした。
総括制御でない車の連結運転は軽便鉄道だけでなく、富山地鉄笹津線などでも見られました。
デ5010形が直接制御でしたので!ラッシュ時など3両連結し各々に運転手が乗っていました。
運転手相互の連絡など全く無く、後の車の運転手は連結器(自連)の隙間を見て運転するのだと言っていました。
by はーさん (2008-08-08 18:15) 

なにわ

非電化軽便鉄道は消え去ってしまいました。わずかに近鉄と三岐(もとは近鉄ですが)のみになってしまいました。

宮田さんが東急の車両保存に努めたものの、後任との折り合いが悪く、5001は切断され渋谷にさらされ、5201は東急車輛の奥深くで非公開になってしまったというので正しかったでしょうか。

>800
やっぱり、820のほうがいいですね。820が発売されなかったは切り離した線路でまだ現役というのもあるのでしょうか。それとも2セットかってくれないからでしょうか。
by なにわ (2008-08-08 19:07) 

じろっち

軽便鉄道は、日本中にあったんですね。
仮に、政府が国内自動車メーカーを育てる政策を採らなかったら、昭和30年代に姿を消した軽便鉄道が半分くらいは生き残っていたかもしれませんね。
湘南軽便鉄道の復活もあったかもしれませんね。
by じろっち (2008-08-08 21:37) 

む〜さん

■ TH様: 国鉄でも蒸気機関車、機械式気動車は、協調運転でした。汽笛やブザーで合図をし合って居りましたね。
軽便鉄道の急行、快速運転に就いては、私のホームページに、静岡鉄道駿遠線の研究者のNさんのレポートが出ています。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link230-10.html
■ no様: 私のガキ時代の仲間内の評価は、ニイニイゼミは蝉ではなく、アブラゼミは普通の蝉、ミンミンゼミは評価が大きかったので、やっと、お兄ちゃんたちの仲間に入れてもらえるようになるのでした。(笑)
井笠は良かったですよ。車輌、シーナリィともに素晴らしいケイベンでした。しかし、東京から遠く、訪問したのはたったの二回っきりでした。
■ うたに様: 並木橋の名前は知っているのですが、停車して電車の記憶がありません。昭和20年休止なので、無理もありません。この本『東急の駅・・・・』には簡単な記述がありますが、駅の写真は出ておりませんでした。昭和30年ごろ、ホームだか階段の名残を見た気もしますが、はっきりした記憶は有りません。
■ はーさん様: ケイベンの気動車の総括制御は、静岡鉄道駿遠線でやっていました。静岡鉄道は、電車、気動車の自社製造の技術を持っている凄い会社でした。
しかし、連結器の遊びを見ながらの協調運転なんて、もう『名人芸、職人芸』とか、『芸術』の世界ですね。
■ なにわ様: デハ5000、デハ5200の保存の経緯については、良く判りません。会社の事情というのは、外部の趣味人には解らないものですね。まあ、問題は置き場所なんでしょうが・・。デハ3450の復原保存はありがたいことですね。
近鉄所モ820は実に良い電車ですね。モ800の前面デザインは、こなれていない気がします。
■ じろっち様: 自動車の普及は道路の質的向上が条件でした。米国か何処かの人に、日本には『道路は無く、道路予定地があるだけ』といわれて、我々は怒りましたが、今考えると、核心を突いていましたね。
ナローの鉄道も、今のような燃料不足高騰時代まで、続いていれば、それなりに存在価値もあったかもしれません。湘南軌道は、改軌され、通勤路線になって居たかもしれません。
by む〜さん (2008-08-08 23:03) 

のりさん

クマゼミもいよいよ関東地方席捲ですか・・・大阪では、クマゼミの大合唱で、賑やかなこと賑やかなこと!!!他のセミの鳴き声なんか聞こえません!凄いですよ。
井笠鉄道も素敵な軽便鉄道ですね。各地にあった軽便は、猛烈なスピードで姿を消しましたね。長閑な時代が想像できてとても素晴らしいです。
by のりさん (2008-08-08 23:04) 

mymeな大家

こんばんは。
軽便鉄道、今あったらどんなにすばらしいでしょう。鉄道に興味のない人には理解しにくいのでしょうけれど・・・最近、昨今の鉄道ブームや女性の鉄道界への進出のおかげで、「実は鉄道が好き。」という人が意外に多いことに気がつきました。日本もいい意味でオタクが認められてきているのはいいことですね。
宮田さんの本、近所の本屋には置いてありませんでした。残念!宮田さんの本は「ありし日の玉電」しか持っていないのですが、私にとってうれしい内容が多く、買い揃えていこうと思っています。むーさんがお友達だったとは、うらやましいです!!
むーさん、デハ510、見に来てください。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2008-08-08 23:18) 

む〜さん

■ のりさん様: 来ましたよ!・・・クマゼミ。関東征服に。ワシワシワシとか、ガシガシガシとか、鳴いてますが、まだ数は少数派です。先行きが心配ですね。
電車では有りますが、三重県下の近鉄の2路線、三岐の1路線が貴重ですね。乗り心地は、昔のケイベンそのものですから・・・・。
■ mymeな大家様: この本、まだ書店店頭に無かったですか・・・・。そろそろ、並ぶはずです。1,900円は高いみたいですが、それだけの価値は有ると思います。
『電車とバスの博物館』にデハ510と、デハ200を見に行きたくなっています。高津に博物館があった時代に行ったっきりですから・・・・・。
by む〜さん (2008-08-08 23:30) 

TH

軽便鉄道の優等列車のご教示ありがとうございました。
「東急の駅 今昔・昭和の面影」早速購入して読みました。
中々、読み応えがありました。
特に東横線の神奈川駅跡の写真は初めて見ました。

先日、自動車でこの付近を通ったら線路跡は遊歩道になっていました。
反町側は整備が済んだのかは分りませんでしたがこの間までトラス橋が残っていたのになんて感慨にふけってしまいました。


by TH (2008-08-09 00:51) 

む〜さん

■ TH様: 軽便鉄道の優等列車の件。お役に立てて嬉しいです。Nさんは、忙しいお仕事の傍ら、静岡鉄道駿遠線の研究をなさっております。私のホームページに、論文をご提供いただいており、駿遠線関係の著作も何冊かあります。
『東急の駅 今昔』、良い本でしょう?!現存の駅のみでなく、消えた駅も含めて書かれており、写真もたっぷり有って、じつに面白い。
幼い日、池上線に育てられたような私、懐かしさに、目が潤んじゃうところもあります。

by む〜さん (2008-08-09 09:21) 

服部光之 

軽便鉄道は全くの経験がありません。
ただ、小学生の時に、宮城の親戚のところへ行った時に、瀬峰駅に、軽便の駅があって、確か登米の方へはあったような気がするのですが、よく覚えていません。
私の行った築館方面は、終戦後でしょうか、台風で軽便区間が流されてしまい、その後復旧できないまま、バス路線に転換し、今はどうか分かりませんが、バス専用道路となっていました。子供心に覚えているのが、駅と思われるところで、バスが交換停車をしたことでした。冷房なんてなく、小さいバスで暑苦しかったことが思い出されます。それから、バス停とはいっても、駅舎があったことに驚いたのでした。田んぼの中をひたすら走るバス旅でした。

by 服部光之  (2008-08-09 11:05) 

む〜さん

■ 服部光之様: 仙北鉄道ですね。この線がバス化したとき、映画館のニュース映画で見ました。汽車の効果音とともに、ホームにバスが入ってきました。
仙北鉄道については、私のホームページ『む~さんの鉄道風景』のなかの『宮さんの幻燈懐古館』に、出ていますので、ご覧下さい。下記URLをクリック下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link902.html
by む〜さん (2008-08-13 22:20) 

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