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バス窓気動車デビュー1954年 [昔写真国鉄]

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pen-para.gif 昨日、2008年9月5日付けの当ブログに書いた御殿場線の列車の写真・・・・気動車9連の写真で、バス窓気動車についてのコメントをいくつか頂きましたので、私が始めて。バス窓気動車に出会った頃の話を少々。
 私は、バス窓という表現はあまり使いませんが、如何やら、この用語が定着しているようなので・・・・・。

 バス窓の気動車が本格的に出てきたのは、何と言っても、昭和28年にデビューした、液体式駆動のキハ45000形気動車だと思っています。それ以前、キハ44000形という、電気式気動車があり、それが嚆矢のようですが、よく判りません。44500と言う形式もありました。確か、前面が湘南形だった記憶がありますし、サイドの窓が一段上昇形のものもあった記憶があります。
 しかし、全国的に活躍した事、大量に製造された事などを考えに入れると、キハ45000形・・・・後のキハ17形が、バス窓気動車の代表的形式と言えると思います。なんと、全部で約400両が製造されたのだそうです。
 サイドの窓が、上1/3程が固定型となっており、その支持方式が、「所謂Hゴム」で固定されているのです。昭和30年前後の、バスの車体構造が、モノコック構造で、固定窓部分の硝子がHゴムで固定されていた所為で、その様に言われるのでしょう。

 この形式以降、国鉄の気動車は、液体式が主体になりました。デビュー間もない頃の写真がありましたので、ご覧下さい。 

 デビュー直後のキハ45000形(キハ17形)  

(1) 昭和29年の3月の事でした。当時、高校生だった私は、同級の、鉄道趣味の友人と、大宮駅周辺を歩いた事があるのです。そのときに、大宮駅付近に居た、キハ45000形です。車体や、台車の黒のペイントが光り輝いて居り、新車が配属されて来た直後の姿のようです。係員の方が下回りを覗き込んで居る様で、ひょっとすると、試運転中だったかもしれません。
 多分、川越線で運転されるのでしょう。当時の川越線では、キハ42600形(後のキハ07形)とか、キハ44000(44500?)が、活躍していた記憶があります。このときは、残念ながら車内を見ることが出来ませんでした。
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(2) 少し後の、昭和29年8月、関西旅行の時に、宝塚から大阪まで、国鉄福知山線に乗ったのですが、このとき乗ったのが、各停運用のキハ45000形でした。Hゴム支持の窓から見る前面の眺めです。場内信号機が見えています。何処だか判りませんが、宝塚駅~川西池田駅間であることは確実です。車内は、ビニール張りの、背摺りの低いクロスシート(対向式)で、広々と見えました。
5408kansai53-fukuchiyama1.jpg

(3) 大阪駅に着いて、回送されて行く、キハ45000形の5連です。このお顔は、このあと、全国制覇。ただ、台車は、枕バネがゴムのブロックで、乗り心地は硬かった記憶があります。
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pen-pc.gif 「1967年8月の御殿場線」は只今編集中ですので、もう少々・・・・・・。


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服部光之 

福知山線の先頭車両からの眺め、そうなんですよね。
私も、40年前に福知山から大阪までDCに乗りました。
それが、つい先年の尼崎事故になるようなすごい線区になるなんて信じられないでした。
それこそ、阪急に白旗を揚げているような路線で、山陰線へ入る優等列車のための路線みたいなものでしたから。
そんな車窓光景を思い出させていただきました。
by 服部光之  (2008-09-06 20:35) 

む〜さん

■ 服部光之様: 国鉄の宝塚線は、東海道から尼崎で分岐すると、じきに田園風景となりました。もちろん単線です。新車のキハ45000が配属されていたことは、おそらく事前に雑誌で知っていたのでしょう。それで、私は宝塚~大阪間を福知山線を選んだのでしょう。古いものにはあまり興味を示さず、最新式を追い求める少年時代の、む~さんでありました。
そういえば、急行『いずも』は福知山線経由でしたね。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link814shunkan.html
・・・・私の兄の作品ですが。
by む〜さん (2008-09-06 22:18) 

なにわ

尼崎から、上下2本の線路が東海道線をオーバークロスして尼崎港からの線路と合流して塚口まで至っていました。この合流点が事故現場なのです。
東西線開通時に上り線を下り線に引っ付けたときに急カーブが生まれて、事故の萌芽になりました。このあたりはマスコミがあまり言わずにヒステリックに批判するだけです。

さて、「いずも」は戦前あった大阪-大社の急行を復活させたもので、この客車の一部を「せと」あたりに連結させていました。京都から山陰線経由になったのは1961年10月の改正からです。
もとの「いずも」は大阪からの昼行急行になり、1986年10月まで走っていました。
奇しくも現在の「出雲」も「瀬戸」と連結して走っています。
by なにわ (2008-09-06 22:53) 

モハメイドペーパー楠居

 10系気動車は走っている時はそこそこの乗り心地なんですが、ブレーキを掛けると軸バネが殺され、急にゴツゴツしてきました。

 枕バネはゴムブロックなんですが、軸バネにはすべてオイルダンパが入っていて(1台車に8本)、本当に安く作れたのかなとも思います。

 あるいはオイルダンパのメーカーを保護するという国策的な意味合いがあったのでしょうか。
by モハメイドペーパー楠居 (2008-09-06 22:54) 

manamana

10系は茨城交通で乗ったのが最後になりました。
ローカル線の花形だったんですね。
by manamana (2008-09-07 00:00) 

mymeな大家

こんにちは。
キハ45000、格好いいですね!
枕ばねがゴムだったのですね。気動車が好きなくせに良く分かっておりませんでした。凄く古いピクトリアルに10系気動車特集というのがあり、読み込んでいたつもりだったのですが・・・DT19台車も格好がいいです。
でも、残念ながら乗った記憶がありません。小さい頃に千葉に海水浴に行っているので、もしかしたら乗っているのかも知れません。
今もいいのがありますが、国鉄時代の車両はデザイン的にシンプルな印象があります。
では、続き楽しみにしております。
失礼します。
by mymeな大家 (2008-09-07 00:04) 

じろっち

きのう、横須賀線北鎌倉~大船で、西武風の電車を見ました。
(社章は分からなかった)

数秒、電車の側面を見ただけなので、詳細は分かりませんが、車体とドアの色が違っていたので、JR車ではないと思いますよ。

先頭も最後尾も見ていないので、甲種輸送か乗り入れかも分かりませんが、遅かったし乗客の姿もなかった気がするので、甲種輸送だと思います。
by じろっち (2008-09-07 05:14) 

亀甲デザイン研究所

子供の頃、このバス窓は嫌いでした。
それは、バス窓→バス→ディーゼルの排気ガスの匂い→乗り物酔い
という連想です。
小学校の遠足はバスがほとんどでしたが、いつも酔いに悩まされていました。
でも、今ではこのキハのバス窓はノスタルジーですね。
by 亀甲デザイン研究所 (2008-09-07 08:23) 

む〜さん

■ なにわ様: 尼崎の福知山線分岐点、大昔の線形(更にプラス・尼崎港)の記憶があるものですから、改めてGoogleの航空写真を見て、概要が掴めました。まるっきり変わっていた吃驚しました。
■ モハメイドペーパー楠居様: キハ20は、最初バス窓・旧型台車でデビューし、途中から、二段完全上昇窓・枕バネつき台車になりました。乗り比べて、余りの改善に吃驚したものです。
■ manamana様: 茨城交通湊線は、国鉄からの気動車が、動けないものも含めて沢山、見られましたね。現在、組織が変わりましたが、那珂湊駅や阿字ヶ浦駅に留置されていた廃車群は、今でも居るのかしら・・・・?
■ mymeな大家様: キハ42000や、キハ41000を見慣れていた私は、1953年版のTMS・スタイルブックで図面を見て、『これが、近代的気動車なんだぁ~!』と思っていました。実際に(1)の写真を撮ったとき初対面だったのですが、さらに感動したものです。そんなわけで、未だに『キハ10系』、『キハ17』というちょりも『キハ45000』が出て来てしまいます。
■ じろっち様: 西武の可能性はありますね。西武は所沢工場で新車を造ると言うイメージがあるし、西部VS東急の昔風のイメージがあるので、ついつい???と
思ってしまう私です。しかし、最近では、こういう感じになっているのですね。
■ 亀甲デザイン研究所様: バス窓気動車は車内が思ったよりも、暗く感じました。シートの背摺りが低く、シートはモケットでなくビニール張り、しかも小さめで、如何にも近距離輸送用でした。
by む〜さん (2008-09-07 10:22) 

のりさん

学生時代の福知山線は、まだDD51が客車を牽いた普通列車が健在でした。東海道線を跨ぐ尼崎港行も見えました。大阪のすぐ近くなのに、ローカルな雰囲気を湛えた不思議な路線でしたね。片福連絡線(東西線とはいわなかった)が、現実のものとなり、電車がひっきりなしに往き来するようになるとは、夢にも思いませんでした。おそらく大阪近郊で、一番化けてしまった路線ではないでしょうか。
by のりさん (2008-09-07 12:04) 

服部光之 

高校生の時だったでしょうか。ものすごいDCに乗りました。
今でも思い出すとぞくぞくとします。
確か、盛岡から乗って、常磐周りで上野までです。
このDC急行のすごいのは、たしか12両ぐらいに最後にはなるんですが、上野に向かうにつれ、連結車両が増えていくのです。
最後に連結するのが、小牛田だったでしょうか。
名前は三陸です。
乗っていて、あのエンジン音の爽快さは忘れられません。
しかも、キハ56でしたか、速いんですね。
盛岡を朝11時ごろ出て、途中連結を繰り返していって、上野に夜7時前についたと思いました。
あの、エンジン音の豪快さを思い出しました。
もうひとつ、学生時代に、霧島神宮から指宿枕崎線山川まで乗った急行錦江です。これもやはりキハ58だったでしょうか。錦江湾の海岸沿いに、桜島を眺めながら走ったことありました。
これぞ、鹿児島という光景でした。
by 服部光之  (2008-09-07 15:10) 

ファジー

私にとってはキハ17は、関西本線、片町線、和歌山線、山陰本線というイメージなんですが、昔は大阪駅にも堂々の進入をしていたんですね。
また朱色とベージュの国鉄色しか見たことないので、佐久間レールパークのブルーと土壁色の車両などを見ると不思議に思えてしまいます。
by ファジー (2008-09-07 21:10) 

む〜さん

■ のりさん様: そうですね、福知山線沿線が何故開けなかったか不思議ですね。人家の多い地域は阪急のサービスエリアだったからでしょうか。尼崎港への線は不思議な線区でしたね。
■ 服部光之様: キハ56は北海道仕様、キハ57は碓氷峠でしたから、キハ58かキハ28ではなかったでしょうか・・・・。当時は、気動車の機動性を有効に使い、分割併合の複雑な運用が各地で見られたようです。キハ58は180PSを二台載せていましたが、中央線や土讃線の25パーミルが少々辛そうでした。現在の土讃線のキハ2000は、振り子だし、エンジンは330PS×2で、上り勾配でも、ぐいぐい登ります。気動車も進歩したものだなあと思います。
■ ファジー様: 私の場合、昭和30年以前、気動車はブルーに灰色みたいなクリームでした。これが、刷り込まれているんで、オレンジの赤にベージュは、馴染めませんでした。まして、オレンジの赤一色には、付いて行けませんでしたっけ・・・・・。
by む〜さん (2008-09-07 23:06) 

HIROOJI

忘れもしません
このキハ17、当時の鉄道雑誌見てあっと驚きました
それまで運転制御方式が単独方式で馬力も弱くせいぜい
2輌編成だったのですが雑誌では堂々6輌編成の総括制御
方式、よく記事を見てみると国鉄が非電化区間大都市近郊都市区間に通勤輸送の改善ということで、しばらく立って千葉県に重点投入した気動車を見に両国駅に見に行きました。
なのに今となっては貴重なキハ17写真一枚もなし
はじめてみる長編製のキハ17がエンジン音をさせて出発して行く
鉄道ファンが感じる背中のぞくぞく感
そんな感じのキハ17です。
by HIROOJI (2008-09-10 15:40) 

む〜さん

■ HIROOJI様: なにしろ総括制御が出来るんですから、凄いです。液体式変速機の試作的キハ44500から、貫通型・・・という事は長大編成考慮でしょうか?・・・の気動車として大量生産されました。高校生の私には、近代国鉄の最先端車輌に見えました。
by む〜さん (2008-09-11 06:05) 

高二

川越線は首都圏近郊ながら非電化で沿線に大宮工場があったので故障時の修理も容易な事から試作型気動車が続々と投入され、かなり早くに旅客列車が無煙化されたと聞いております。
話題の湘南窓の気動車も新製配置は川越線(大宮か高崎)と記憶しております。湘南窓で側面がバス窓というと定山渓の電車も確かそうだったかなとも思いますが、記憶だけなので何ともはや。
by 高二 (2008-09-15 23:30) 

む〜さん

■ 高二様: 昭和29年に訪問したときの川越線の夕方の通勤輸送には、客車列車がありました。機械式気動車のキハ42600もいたのです。最新式と、旧型、いろいろとりまぜて、大宮は面白いところでした。工場を見学させてもらったら、ED14、ED42、DD10、ED54、まあ、びっくりするくらいの多彩な顔ぶれでした。
湘南形のキハ44500はたしか、大宮だったと思います。
私のホームページにこの関係の写真が出してありますので、ご覧下さい。
 (1)昭和29年:大宮周辺
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link107-omiya5403.html
 (2)昭和31年:川越線など
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link13.html
by む〜さん (2008-09-16 00:15) 

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