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続・御殿場線1967年8月(5終) [国鉄1960年代]

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pencil-red.gif 1967年・昭和42年8月12日・土曜日、鉄道好きの友人たちと電化間近の国鉄御殿場線の撮影に来ています。松田~国府津~東山北~山北と撮影しながら廻って来ましたが、山北駅で、9時49分発の沼津行気動車に乗車したのです。

 次の谷峨駅で下車、徒歩で約2km西へ、第三相澤川橋梁に向かいます。

 続・御殿場線1967年8月(5終) 

(1) 谷峨駅までは4.1kmですから10分も掛かりません。9時55分、下車して谷峨駅駅舎を撮ったんですが、いい加減だったのか、斜めに写っています。回転させてトリミングしたんですが、右下が欠けました。谷峨の駅名看板が、なんとなく手作り風です。
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(2) 今日の最終目的地の第三相澤川橋梁に向かいます。最初は国道を歩き、脇道に入りました。この辺りは、単線だったところへ複線化で一本貼り付けたので、地形の関係で上下線が離れています。廃止された上り線が、道路となり、トンネルが残っていました。短いもので、トンネルではなく、中央線で良く見かけた水路橋かもしれませんが、いまは無くなったようで、当時の地形図も処分してしまいましたので、検証のし様もありません。友人たちが写っています。皆さん、同世代な訳で、40年昔の若い姿・・・・嗚呼、30歳か・・・・に感慨を覚えます。
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(3) 第三相澤川橋梁(この写真の左側で写っていません)に到着。北側には廃止された上り線の鉄橋の橋台が残っていました。石積みの見事なものですが、現在はどうなっているのでしょう。この川、地図を見ると、「鮎沢川」と表記されており、この辺りはよく判りません。
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(4) (3)の橋台まわりのクロースアップ。
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(5) 沼津を9時26分に出てきた国府津行普通926列車。下り坂なので軽い走りです。
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(6) (5)の部分拡大。牽引機D52はネガをルーペで覗いたのですが、少々被写体ブレ、D52XXと読めます。D5270の様な気もします。
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(7) 上り小田急経由新宿行の準急銀嶺号が坂を下ってきました。11時を少し過ぎた辺りの筈で、前からキハ5002+キハ5102。新宿駅到着は12時20分。
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signal-blink.gif このあと、更に、此処での撮影は続くのですが、その時の写真などは7月19日付の「御殿場線1967年8月(1)と(2)」にありますので、ご覧になっておられないようでしたら、下記URLでジャンプいたしますので、ご覧いただけます。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2008-07-19

coffee.gif 5回に亘って書いて参りました「続・御殿場線1967年8月」は、これでお終いです。次回の企画を何か探さねばなりません。う~む!如何しましょう・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・では、また!!!!


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コメント 19

ファジー

貴重な写真の数々とても興味深く拝見いたしました。
遂道前のお仲間の中には、女性の姿もうかがえますが、当時から鉄道好きの女性はいらっしゃったんですね。
by ファジー (2008-09-17 10:16) 

む〜さん

■ ファジー様: 御殿場線は開けていなかった分、旧・東海道本線の遺構が沢山残っておりました。時々乗ったときには、窓の外の風景を眺めていますが、年々、その遺構が無くなってゆくような気がします。
 女性は、鉄道ファンというよりも、我々の趣味に理解ある方でありました。
by む〜さん (2008-09-17 14:00) 

鈴木光太郎

当時は富士山麓鉄道も大月~新宿乗り入れ用気動車を持っていた気がします。
この小田急気動車ですが、今見ると室内中央にディゼル用煙突が立ち上がってます。
かなり無様な感じなんですが、この煙突のために座席2人分を撤去してるので、煙突と向かい合わせ席の客は、逆に足元がぐんと広がり、座席指定の穴場ですね。
トイレが在ったのかどうか今、確認できないのですが、新車時の形式図(鉄道車両401集下巻)では無しになってます。
by 鈴木光太郎 (2008-09-17 16:31) 

あーちゃん&父

お久しぶりです♪
おぉ、谷峨駅、、
木造ですね^^まだ木造駅舎が当たり前の時代だったんですかね?

平成生まれの僕には分かりません^^;
by あーちゃん&父 (2008-09-17 18:01) 

しおつ

廃線の跡も好きであちこち撮影に行ったりしました。
現在は、模型も復活しD51、9600など集めてます。


by しおつ (2008-09-17 19:33) 

鈴木光太郎

谷峨は東海道線開通初期時代は信号所でしかも待避線無しだった、
とレイルNo28(エリエイ出版)P124に投稿記事がありました。

by 鈴木光太郎 (2008-09-17 22:13) 

のりさん

複線の遺構は、何かしら一抹の寂しさを感じますね。複線→単線になったところは、以外にあちこちに見られますね。関西でも、JR奈良線京都口や阪急嵐山線・近鉄長野線などです。とくに、遠い昔に撤去されてしまったものは、草生して自然に帰りつつあります。なおさら「過ぎ去った栄光」という感じがしますね。
昨今、廃線跡を訪ねるのが流行っているということですが、眺めていますと、やはり感傷的になってしまいます。
by のりさん (2008-09-17 22:40) 

なにわ

JR奈良線は京都~藤森が複線化されていますので、京都口の複線遺構は、線路に復元されて存在しないのでは?
by なにわ (2008-09-18 00:06) 

mymeな大家

こんにちは。
鉄道遺構といえども、人間が作ったものであることには変わらず、自然の前では消えていってしまうのですね。自分が生きた時代にあったものがなくなるということは寂しいものです。とついつい感傷的になってしまいますが、昔を知る貴重な写真であることには代わりがありませんね。
ちょっと寂しくなってしまいましたが、失礼します。
by mymeな大家 (2008-09-18 00:15) 

じろっち

鮎沢川の橋梁は、国道246号線バイパスができた辺りではないでしょうか。

バイパスに歩道が無いので、歩いて見ることは出来ませんが、御殿場線のそばを通っていますよ。
by じろっち (2008-09-18 21:31) 

のびた

20年近く前に(7)の場所でこの気動車の後継車、3000系SSE車を撮った記憶があります。その当時、新型だった115系も過去のものになってしまいました。自分の年齢を感じる瞬間ですね。
鉄道遺構は飯田線旧型国電なきあとにしばらくハマッたことがありましたが、私も感傷的な気分になり「鉄道は走ってナンボである」と気付き、やめました。
by のびた (2008-09-18 23:29) 

のりさん

なにわ様  そうですね。複線化されたのをコロっと忘れておりました。申し訳ありません。
by のりさん (2008-09-18 23:53) 

む〜さん

■ 鈴木光太郎様: 富士急の気動車はキハ58001、002、003の三両ありました。大月から中央線の急行アルプスに併結されて新宿まで来ておりました。国鉄のキハ58とは同じ仕様でしたが、キハ58003だけは両運で、トイレなし。1962年後らから1975年まで新宿まで来ていたらしいです。
そんなわけで、小田急のキハは、20m両運、180HP×2でトイレは無いらしいのですが、ピクのアーカイブスシリーズ小田急に載っている車内写真は、トイレのあるようなショットもあります。果たして如何なのでしょうね。
 御殿場線の写真集で『箱根越え』と言うのが、プレスアイゼンバーンから出てましたが、黒岩保美さんの編集で、開通時から戦後まで、素晴らしい写真が数多くあります。その本で、眺めているのですが、谷峨駅の配線はよくわかりません。
■ あーちゃん&父様: 昭和30年ごろまで、木造の駅舎は建てられていたようですね。特に地方では木造が当たり前のようでした。
■ しおつ様: 廃線といえば、以前、貴方様のブログにコメントさせていただいたと思いますが、中央線の、鳥沢駅~猿橋駅間が印象に残っています。あの『猿橋』のお隣に、いきなりトンネルから出てきた中央線が並行するなんて、凄い事ですよね。鳥沢からトンネル~築堤~トンネルで猿橋、いまでも、あの築堤はあるのでしょうか?
■ のりさん様: 東京の青梅線の立川~拝島間に五日市鉄道の配線跡がありまして、車でたどった事があります。道路になったり、してましたが、幅とかカーブの具合とか、鉄道の匂いがしました。段々、家が建ち、訳が分からなくなってきています。
■ なにわ様: 奈良線も京都付近は複線化されているのですね。稲荷から山科までの、旧東海道は、なにか遺構が残っているのでしょうか?昔、鉄道ファンだったかで、この稲荷経由の東海道とか、奈良の大仏線とかの記事と写真が出ていたのを覚えております。
■ mymeな大家様: 人工の物が使われなくなると、だんだんと消えてなくなってゆくわけで、それは自然のことですから、私たちが、写真や文章で残すのも意義あることだと思っています。こういうことこそ、趣味人の出る幕だと思います。
■ じろっち様: 第三相澤川の鉄橋は地図で計測すると、線路距離(こんなコトバあるのでしょうか・・・・)で、1.7kmのところです。246号が谷峨駅を過ぎ、丹沢湖への分岐を過ぎ、最初のトンネルに入る手前を左に折れた辺りです。
■ のびた様: SSEもRSEや371系に変わって、もう何年になるでしょう。115も313となり、御殿場線も随分変わりました。ただ、山北~御殿場間は未だに、鉄道唱歌に歌われた雰囲気が残っておりますね。そんな辺りを、小田急のRSE20000で行くときなど、私が見たことも無い、蒸気機関車が黒煙を上げて勾配区間に挑む東海道本線だった時代に思いをはせる私です。
by む〜さん (2008-09-19 00:03) 

鈴木光太郎

どこかに関東大震災で脱線した米国製マレーのネット写真があったはずなのですが、どうしても見つかりません。 仕方なく
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/card/04_image/large/0401401.jpg
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/card/04_image_thum1.html
東海道本線谷峨付近の古い写真です。
水害とあるので、関東大震災より昔の写真じゃないかと思います。
B6の引く列車はここまでで、「この先は歩いて下さい」の図ですね。

by 鈴木光太郎 (2008-09-19 00:40) 

む〜さん

■ 鈴木光太郎様: 水害の写真見ました。トンネルから徒歩でで来る、髭の異人さんが印象的です。画像メディアとしてのエハガキの威力を感じますね。
by む〜さん (2008-09-19 05:47) 

manamana

小田急のディーゼルカーが活躍していた頃ですね。
安易に国鉄のコピーでなくて、
オリジナルデザインなのがいいですね。
by manamana (2008-09-21 07:07) 

む〜さん

■ manamana様: 20m級車体に180HPを二台載せ、両運にするのに苦労したらしいですね。あえて、国鉄顔にしないで、丸っこい小田急顔にしたところに、小田急の心意気を感じます。ブルーと黄色の小田急カラーに塗り分けた、キハ5000・・・・ずっとこの色で行って欲しかったです。
by む〜さん (2008-09-21 09:05) 

青木一郎

貴重な写真をいろいろとありがとうございました。
皆さんが写っている旧上り線の「トンネル」は見たいものの一つでした。
D52の写真を撮りに行った際(昭和37年11月)、国道から線路までのアクセスはこの「トンネル」上の小道を歩き、川にかかっているつり橋を渡りました。山もないのに"短くて変なトンネル"と思ったことが当時から記憶の片隅にいつまでも残っておりました。
水路も一緒にあったかどうかは思い出せませんが国道と集落をつなぐトンネル風の"陸橋"ではないかと思えます。この近辺のトンネルや橋脚が建設時代的に石積みですので今、見せていただくと上半分がレンガ積みであることがわかり、新たなナゾになってしまいました。この短い「トンネル」の東側に箱根6号丙の隧道があったのですネ。
by 青木一郎 (2008-10-11 21:35) 

む〜さん

■ 青木一郎様: この短いトンネルは気になりますよね。『黒岩保美編:箱根越え』(P.アイゼンバーン)を、ざっと見てみましたけれど、上り線で下り勾配区間の所為か、写真も記事も見当たりませんでした。車・人の通行だけだったら、建設時代に、無理してトンネルにする必要も無かったと思うのです。現地の二万五千分の1の近い図でもあれば、多少はわかるかもしれないのですが、以前は持っていた五万分の1も、探しても出てきませんでしたので、結局は、謎のままです。
by む〜さん (2008-10-13 06:09) 

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