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雑談:大昔の電球 [雑談(1)]

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pen-sleep.gif 今日は、次の更新の準備が整わず、ちょっと雑談。

 数日前にを沢山頂きました。茹でて、食べたのですが、実に美味い。秋の味。残った分は、冷凍保存ということに・・・・・。
 で、今朝、自然解凍で食してみました。少々、パサつきますが、かなり美味しく頂けました。新発見だあっ!!!。

(1) この写真は、茹でた栗です。
00kuri.jpg

pen-para.gif 話題が無いので、如何しようと思ったんですが、昔々の電球のお話にしましょう。

(2) こんな箱がある。オーディオ装置のラックに、もっともらしく置いてあるのです。真空管の箱ですね。昭和30年代のマツダ真空管と言えば、他社製品よりも一回り高かった。学生風情のバイト収入では中々買えない。私は、もっぱら、NECとか、TENとか、ぐっとマイナーなSUN、DON,JINなんてのを使いました。あとは、アメ球といわれた、RCAとか、シルバニア、レイセオンなんていう米国製の、古いヤツ。
 ま、これは、東芝のマツダブランド、蓋には「80 400円」と書いてあります。ラーメン35円の時代です。80は、双二極整流管。
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(3) ・・・・で、この真空管の箱に何が入っているかと云いますと、こんなのが・・・・・。古い電球。空気を抜いたところは、現代の白熱電球ではベースの中に隠れていますがこの電球はてっぺんにある。メーカーは判りません。ベースの絶縁物は陶器です。はたして、昭和何年ごろのものなのでしょう?
 昭和30年代の終わり頃、親戚の家に遊びに行き、厠に入りましたら頭上で薄暗く輝いておりました。欲しくて堪らず、その家のオバサンにお願いしましたら、二つ返事でOK・・・・・で、我が家に飾られていると言うわけ。
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(4) 透かして見ると、フィラメントが螺旋を描いて、かすかに揺れます。フィラメントの材質は、炭素でしょうか?タングステンでしょうか?
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5) 大きさは、こんな感じ。規格は何ワットかわかりません。この時代は何ワットって言うのかな?何燭なんて言ったかも知れません。何CPなんて書いてあるのもありました。
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 ・・・・・何処製の、どの位の規格なんだか、良く判らないけれど、見つめていると何となくのんびりした気持ちになります。




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pen-pc.gif いま、次回の準備をしています。こんな画像があります。かなり頑張っても、こんな程度の色にしか出来ませんが、あと数日お待ち下さい。1979年・昭和54年の近鉄ビスタカーⅢで御座います。

(6) 賢島駅です。1979年初頭ですから、出来立てホヤホヤのビスタカーⅢ/30000です。
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coffee_doutor.gif ・・・・・と、言う事で今日はお終いです。また、次回に!!!


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じろっち

マツダランプが日本(世界)初?の白熱灯らしいでうね。
東芝はこの白熱灯に愛着があるものの、電力消費が多い・寿命が短い白熱灯の製造を打ち切ったそうです。
もう白熱灯の出番じゃない、ということです。
価格が安いのは良いんですけどね。
by じろっち (2008-09-27 21:49) 

のりさん

なんとすごいものをお持ちですね。むーさん様のお写真の中に、阪急梅田駅付近の大きな「マツダランプ」の広告塔があったのを思い出しました。
近鉄30000の写真、楽しみにしております。私も、登場直後に30000の写真を何枚か撮影しておりますが、なにせ白黒ですので、色気のないのが残念です。
by のりさん (2008-09-27 22:14) 

モハメイドペーパー楠居

 マツダというのはギリシャ神話(だったと思う)の光を司る神様の名前だそうです。
 阪急嵐山線の嵐山駅から渡月橋に行く道の街路灯の柱に、マツダのマークが付いていました。今でも残っているのでしょうか。
by モハメイドペーパー楠居 (2008-09-28 00:13) 

鈴木光太郎

今晩は。「マツダランプ」の元祖? を紹介させて下さい。
http://lh4.ggpht.com/suzukikotaro02/SN5ZszdCa6I/AAAAAAAAE_Q/T9mQtt4HHyI/s400/img062.jpg
↑1914年の鉄道業界雑誌向けの宣伝っぽい記事ですが、
メーカーは British Thomson-Houston 社。
drawn wire tungsten フィラメント
真空バルブでなく、窒素ガス封入バルブ、と書いてます。

by 鈴木光太郎 (2008-09-28 01:23) 

gop

我家も昨日は栗御飯でした。今年は出来が良いみたいです。

マツダランプ、東芝ライテックの前身ですね。
http://www.nora.to/VT/Hayashi.html#Mazda
東洋工業(現マツダ)の海外進出時、既に「MAZDA=電球」の
イメージが定着しており、苦労したと聞いた事があります。
by gop (2008-09-28 04:45) 

manamana

電球をみるとレトロな気分になります。
ビスタカー30000系は、関東に住んでいたので、
とても憧れていたものです。
まさか、四日市勤務で通勤で使うことになるとは、
当時思いも寄らなかったです。
by manamana (2008-09-28 07:43) 

ファジー

いいコレクションをお持ちですね。
厠の天井にあるのをもらってきた・・・と興味あるものに対して常々アンテナを張り巡らせている若きむ~さんを想像してしまいました。
あの当時でも希少なものだったんでしょう。
by ファジー (2008-09-28 07:54) 

リックディアス

栗ご飯好きデース。
今年は、まだ食べていません。
by リックディアス (2008-09-28 09:20) 

Cedar

マツダランプの名前の由来が思いがけず判明しました、ブログを見るといろいろ勉強になります、皆様に感謝!
さて、白熱電球が製造打ち切りになっていく趨勢意外なところで実感している最中であります。模型店の店頭から麦球(学校工作用の2個120円位のです)が急速に姿を消してるんですよ、我が家の電車模型の室内灯は麦球3個直列が標準方式=明るさもちょうど良いし、何たって安上がり!=なんです。補充のために街の小さな模型屋・文具屋さんめぐりするっきゃない(笑)。
LEDはコスト高いですし、極性に関係なく点灯してくれないし、何よりも麦球のあの暖かい色味がなかなか捨てがたいので。(電球色LEDってのもあるにはあるんですが)
いささか脱線しましてすみません。


by Cedar (2008-09-28 09:47) 

む〜さん

■ じろっち様: 東芝さんは、世界初の二重コイルフィラメント形電球と、内面つや消し電球を発明したんだそうです。
■ にりさん様: 幼い日から汽車の旅の沿線各所で、マツダランプ、頭痛にノーシン、45ウイスキー、酒は源氏・力正宗の屋外広告が見られました。昭和30年代になると、ナショナルテレビとか・・・・。地方によって、広告のスポンサーは色々と地方色がありました。
■ モハメイドペーパー楠居様: アウラマツダはゾロアスター教の神様だそうですね。嵐山の電柱は見てみたい気がします。
■ 鈴木光太郎様: マツダのブランドは色々な国で電球のブランドになって居たようですね。商標登録も各国宛に出願するようなことはしていなかったのでしょうかしら。貿易とか、商標権売買とか、考えなかった時代だったのでしょうか。
■ gop様: 我が家では、栗の皮むき担当は、専ら私で、家伝の果物ナイフが、この時だけ登場します。昭和一桁の製品です。刃が随分、痩せ細っています。(笑)
東芝ライテックのリンク、上手くつながらずエラーとなりましたので、別ルートで見に行きました。
エジソンさんの電球、1879年から、今年で129年、随分、超寿命のシステムだなあと、改めて感心してしまいました。現用のエジソンベースも、この頃からのものなのでしょうか?
■ manamana様: ビスタカーはやはり『Ⅲ』よりは『Ⅱ』が好きなのですが、1979年、近鉄名古屋駅のホームで初見参の『Ⅲ』の工作の美しさには参りました。やっと、東京の電車も関西並みになったと、安堵していたのが、再び、差を付けられた気がしました。
■ ファジー様: 好奇心がへんな部分にシャープなだけですね、私は。本筋とはずれた部分に首を突っ込むのは、世間では、どっちかと言うと、良いほうでは無いようです。(笑)
■ リックディアス様: 栗ご飯、お好きですか・・・・。美味しい居ですよね。お味は、塩味系と、お醤油味系のどちらがお好きですか?
■ Cedar様: 現在の鉄道模型界では、麦球って言うんですね。模型造りから手を引いて以来、はや50年近く、昔は、米粒球って言ってましたっけ・・・・。
LEDになっちゃうんですか。価格も高くなり、困ったことですね。高周波点灯なんて、電車は止まっても灯りは消えないと言われる方法もあった気がします。
by む〜さん (2008-09-28 10:54) 

あびる

先日はありがとうございました。
電球ですね。
たしか大井町の工場で作っていたような記憶があります。
映画にも出ていたきがしますが思い出せません。
by あびる (2008-09-28 14:18) 

鈴木光太郎

私の実家は大井町の西のはずれですが、1960年代まで電球を作る工場がありました。
従業員は20名以内の零細工場なので、どこかの大企業の下請けで最終工程をやっていたんじゃないかと思います。
私の母もパートで一時働いてました。子供達は勉強嫌いなのを知ってるのにその学費でも稼いでいたのでしょう。
その場所は現在は住宅とマンションで埋まってますが、当時は100mも歩けば2軒くらいは町工場が有り、ウナリを上げてモノ作りしてました。
by 鈴木光太郎 (2008-09-28 14:52) 

mymeな大家

こんにちは。
凄いものをお持ちですね。
フィラメントをお切りにならないよう。
上から順に読ませて頂きますと、エジソン効果が発見されてすぐの頃の電球型真空管が出てくるのかと思いました。
2~3年前に初めて真空管のアンプを作りました。久しぶりに秋葉原でパーツ探しをして楽しかったですよ。ちなみに真空管はイギリスののムラードというブランドです。
近鉄30000系、30年近くたっているんですね。いやいや、子供の頃のことはつい最近と思っているものですね。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2008-09-28 15:07) 

ぽんた

む~さん様家の栗キターーっ!
え?え?栗って冷凍できるんですか!?
わ~い一つ勉強になりました。
見たことない電球です。
オシャレなデザインですね。

by ぽんた (2008-09-28 21:13) 

む〜さん

■ あびる様: 昭和20年代には、所謂、町工場が、そこら中にあったものです。よく覗きに行きました。従業員さんの、お兄さん、おじさん、おばさんたちは、一心不乱で、仕事に集中しており、ギャラリーの子供たちなど、眼中に無さそうでした。
■ 鈴木光太郎様: 昭和20年代後半、大田区の雪ヶ谷とか、田園調布あたり、小さな町工場で『輸出用二眼レフカメラ』とか『真空管(ST管)』などを作っているところがありました。旋盤数台で『何か』を作っているところもあったのです。科学少年の私は学校帰りに窓から眺めていました。
■ mymeな大家様: いきなり100Vを掛けたら危ないですね。もっぱら目視観賞用ですね。 
ド・フォレストの三極管とかがあったりしたら・・・・・ま、そうは行きません(笑)。
あれは、もう40年ほど昔ですが、最後の真空管アンプを作りました。東芝の出力用三極GT管で6G-A4と言うのがありましたが、そのシングルアンプでした。三菱のP-610かなんかを鳴らして喜んでおりました。懐かしい思い出です。
近鉄のビスタカーⅢは次男と乗りに行きましたが、やっぱり関西の私鉄は違うなあと、痛感しました。
■ ぽんた様: そうなんです!茹でた栗は冷凍保存可能であることを、実験で実証しました!!大袈裟だね~(笑)
私は『茹で栗を果物ナイフで真っ二つに切り、ティースプーンで、掘る様にして食べます』。完全に食べきれて、残った殻も綺麗です。あまりお洒落な食べ方ではない気もしますが、食べ残しが出ないのは、気分がよろしい。
面白い電球でしょう?!大昔はみんなコレだったようですよ。昭和10年代以前生まれの方なら皆さんご存知です。
by む〜さん (2008-09-28 21:30) 

keroro

普通に栗がおいしそうだ。
私は毎年買っちゃいます。
近鉄はあまり乗ったことがないんですが、
2年前に賢島に行ったことを思い出しましたー。次回楽しみです。
by keroro (2008-09-28 23:34) 

HIROOUJI

懐かしい電球のお話ですね。
5級スーパーのラジオ、真空管の隣にIFTという電波を拾い感度を上げるものですが調整ねじを回すと感度が良くなるというので
ラジオ雑誌を頼りにドライバーで盛んに回したことがあります。
すると昼、東京でも名古屋のCBC、大阪の新日本放送が聞こえるようになったり、しかし感電ショート、真空管もおしゃかになってよく変えたものです。
危ないし無謀なことやってました。
電球たしかにフィラメントでした、せっかく買ってきてゆすってフィラメント切れたり弱かったこと覚えています。
まだ日本がようやく戦後の痛手から回復中の出来事です。
by HIROOUJI (2008-09-29 00:17) 

む〜さん

■ keroro様: 賢島には二回行きました。二度目には舟で移動もしたし、志摩観光ホテルには泊まらなかったけれど、昼食もとったりしました。海は素敵な風景で、いい想い出となっています。
二度目にいったとき、大阪・難波から近鉄特急で賢島に到着したときには少々感動しました。
■ HIROOUJI様: 私も自作した5球、4球スーパーの中間周波トランスのトリーマやコアを回しまくりました。オシレータも無いのに無謀でしたが、それが、ラジオ少年・科学少年だったんですね。勉強不足、努力不足で、科学者・技術者にはなれなかったけれど、良い思い出です。
東京に居ながら、関西の電車への憧れで、大阪のラジオ放送を一心に聞きました。阪急提供の『漫才学校』、近鉄提供の『放送劇・あこちゃん(人物がみんな近鉄沿線の地名!!)』、阪神提供の歌謡番組・・・・昭和20年代後半、中高生の時代です。
切れた電球をゆすって、くっつけて使うなんて、みんなやってましたね。つや消し電球でなかったので出来た芸当です。
by む〜さん (2008-09-29 06:11) 

no

こんにちは。
中学か高校か忘れましたが、世界史の授業でマツダランプの由来を教わりましてねえ。アフラマツダ。
マツダが東芝、ナショナルが松下、どうもあの時分の私にはピンとこない関係でした(笑)。

今朝未明というのでしょうか、クルマ半日帰りの強行軍で名古屋から帰着し、交替で運転するために気付け剤を多めに飲んだら眠れなくなってしまい、カラーブックスの『私鉄特急』をめくっていました。
あの小さな本にもビスタカー3世代の写真が載っていて、それからこちらにお邪魔したらビスタカーが!
エントリーが楽しみです。
by no (2008-09-29 09:09) 

む〜さん

■ no様: 世界史でアフラマツダ=マツダランプを教えてくれるなんて、良い先生ですね~、中々、こうは行きません。ゾロアスター教って中東から印度でしたっけ?拝火教、教義は良く判りませんが。
このマツダと、東洋工業のマツダが違うマツダだというのも、込入ってて面白いですね。
名古屋から徹夜で走行、ご苦労様でした。ビスタカーは三代ともに、インパクトありました。一番好きだったのは、二代目です。三代目は、二階席の天井の高さには感心しました。下の席は、ちょっと、未完成感がありました。
8歳半の子供と一緒の旅だったので、記念写真ばっかり、あんまり期待しないように・・・・(笑)。
by む〜さん (2008-09-29 16:32) 

そうこばん

電球も貴重品ですが、マツダ真空管の元箱も貴重ですね。
両方とも大事になさってくださいね。

6G-A4は生産数が少ないこともあり、
今日では非常に高価なタマとなっております。
もしお持ちでしたら、大事になさってください。

ここ数年、真空管アンプつくりはお休みしていますが、
またはじめたくなってきましたぞ(笑)。


by そうこばん (2008-09-30 15:20) 

む〜さん

■ そうこばん様: 残念っ!!6G-A4のシングルアンプは、最後の手作りアンプだったんですが、モノラルだったので、友人に譲ってしまいました。少年時代からの憧れだったLUXの出力トランス付きでした。百瀬了介さんお本を参考にして設計したのが懐かしいです。
ホントは、LUXの6R-A8PPのステレオアンプキットが欲しかったんですが、手元不如意で、Kenwoodの7189A(あれ、違うかな?)のPPステレオアンプキット+FMチューナーキットで我慢しました。
その後、LUXの石のアンプ完成品になり、球のアンプは、売られてゆきました。狭い家に住んでいると、貴重品も残せませんね。残っているのは、学生時代に作った鉄道模型が10両足らずだけです。(笑)
by む〜さん (2008-09-30 23:08) 

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