近鉄ビスタカーⅢ日帰り旅1979(4終) [1970年代の旅]
1978年の暮れから営業運転を開始したばかりの近鉄特急ビスタカーⅢに乗りにゆきました。東京から日帰り、小学校二年生の次男を連れて「東京~名古屋~賢島の日帰りツアー」だったのです。今日で最終回・・・・帰り道です。
1979年・昭和54年1月21日・日曜日・・・・・13時30分頃に。ビスタカーⅢの二階席で賢島着。駅前散策、海を眺め、名古屋へ向けて出発の時間となりました。
■ 近鉄ビスタカーⅢ日帰り旅:1979年(3) ■
(1) 指定券を良く良く見れば、鳥羽で乗換となっています。難波行の特急で、鳥羽まで行く事になったらしい。そのあたりの事情は全く覚えていません。
(2) これは、フィルムの駒ナンバーから見ると、賢島駅で発車待ちの時に写したものらしく思われます。スナックカーでしょうか・・・・。
(3) 並行した道路橋を地図で調べたら、賢島駅を発車して直ぐ、賢島橋という橋らしい。『海苔ひび』らしく思われるものの多い入り江の向こう正面の集落は神明というところらしく思われます。
(4) 鳥羽駅・・・・向こうが名古屋・大阪方面。乗り換えるためにホームに居ます。お隣のホームには、2610系4連の名古屋行急行。このころの、後付みたいな方向幕は結構好きでしたね。カラーもこの車体に似合って居ると思うのです。
(5) (4)の左側を拡大してみました。国鉄の鳥羽駅ホームが見え、その向こうに、キハ17とおぼしき気動車が休んでおります。
(6) (4)の右側をクロースアップ。特急車が停まっています。ひょっとしたら、鳥羽から名古屋までは、この列車に乗ったのかもしれません。
途中、何事もなく名古屋に着いたのでしょう・・・・たぶん。
・・・・・さて、近畿日本名古屋駅です。
(7) 特急車を撮影もせずに通勤車を撮っています。
(8) これは、何処のお土産屋さんでしょうか?近鉄の構内?新幹線?名鉄系?ま、ともかく、名古屋であることは間違いないラインナップです。
さて、もう帰り道になりました。今日は、名古屋から、小田原まで新幹線利用と言う事に・・・・・。
(9) 新幹線0系の広窓車。息子はチャンピオンかなんか読んでます。窓下テーブルのユーハイム(?)の箱にはたしかミルフィーユかなんかだったと思うのですが、独逸菓子屋さんに似合いませんので、他のケーキだったような気もする。
(10) 夕食は二度目の駅弁。私は、車内売りのお弁当は買わないのが普通でしたから、名古屋辺りで買ったものでしょうが、記憶は、当然ありません。
・・・・・・・で、小田原で下車する。と、いうことは「こだま」だったわけで。
(11) 小田原からは特急ロマンスカー。発車間際の乗車だったようで、車内での切符ですね。アルバムに貼ってあった切符です。
(12) こっちは、私のキップ。現在600円ですから倍になってますね。
(13) NSE3100の車内です。何処だろう?先頭車、小田原かなあ・・・・・・ポイントたくさん、左カーブ、左側には信号関係の箱が見えます。何方かお判りの方、いらっしゃいませんでしょうか?
(14) ・・・・そんなこんなで、無事に小田急特急ロマンスカーNSE3100は、町田駅に到着致しました。
これで、近鉄ビスタカーⅢに乗りに行った日帰りの旅はお終いです。
では、次回・・・・・は、何にしましょう?と、考えては居ますが、ネタは決まっていません。ホームページの更新をサボって居るので、気になって仕方がありません。暫くは、「小ネタ」をつないで、ホームページ作成にパワーを入れようかなあとも思っています。もっとも、気まぐれな私、如何なってゆくのか、判りませんが・・・・・・・・。
お子さん連れて伊勢まで電車乗りの旅なんていいですね。
で、お子さんはそれでも鉄ッチャンにならなかったのですか?
私は父がいつも出張で、母子家庭のような家に育ったものですからこういう話を伺うととてもうらやましく思います。
by 野良猫次郎 (2008-10-09 11:44)
■ 野良猫次郎様: 就学前から、二人の子供を代わる代わる旅行に連れてゆきました。電車汽車に乗り、お弁当を食べ、いい景色を眺めました。親子の会話が弾み、連帯感も生まれました。
・・・・・が、鉄道は好きですけれど、鉄道ファンと迄は言えない旅行好きになりました。ま、これはこれで、良いのですけれど。(笑)
by む〜さん (2008-10-09 17:14)
この当時、国鉄鳥羽駅にバス窓のキハがずらりと一休車輛として放置されていたように記憶しています。
私も写真に撮ったと思います。また探してみます。
Jr.の日ハムの帽子niceです。
by ファジー (2008-10-09 17:50)
うちの子も、小学校中学年くらいになったら、
一緒に遠くまで旅行に行けるかな。
楽しみです。
切符がちゃんと保管してあるところが偉いですね。
by manamana (2008-10-09 19:34)
難波ゆき、6両編成でしょうから、二階建ては2,3号車か4,5号車になります。モケットの色や、テーブルのへたり具合からすると12200あたりになりますが、その割りにカーテンが新しいんですよね。
鳥羽まで10両入れたはずですが、(6)に写る電車が名古屋行きの特急ではないでしょうか。
(7)のサボの急行の下の文字、大阪、伊勢連絡なんでしょうか。
(8)の売店、名古屋駅の改札を入ったところの売店です。青柳ういろうの板で近鉄だとわかります。左へ向かうと国鉄への連絡改札、右に向かうと、地下街への改札、もっと右に名鉄への改札があります。
(13)、他のサイトを見ましたが、左カーブで線路が収束していくので、小田原ではないでしょうか。
さあ、古い回の書き込みに行ってきます。
by なにわ (2008-10-09 20:53)
何故かお子様の帽子は近鉄ではなく「日ハム」ですね(笑)
鳥羽は水族館でウミガメ見て、ミキモト真珠島でネックレス
買わされました。今もパンフ送って来るので迷惑してます(^^
by gop (2008-10-09 20:57)
■ ファジー様: 向こうに見えるキハは休車だったんですね。ブルーとクリーム時代のキハ45000→キハ17、スタイルは好きでしたね。乗るならキハ20(枕バネがコイルバネの車)でした。
次男は大体、『TH』か『nh』の野球帽でした。YGはゼッタイにかぶりませんでしたね。(笑)
■ manamana様: 私は、幼稚園の頃から連れ歩いておりました、幼稚園だったら、運賃=0ですから(笑)。上野から寝台急行天の川で余目まで行き、各停で新庄・山形・仙台~上野なんて旅をやってました。
切符は、たまたま、アルバムに貼ってあっただけで、ごくいい加減な私なんです。
■ なにわ様: (6)の右端に居るのが名古屋行ですか・・・・私たちはこれに乗ったんですね。
(7)のサボは、ネガをルーペで見ましたら『急行 大阪・宇治山田連絡 中川』でした。
(8)の売店は近鉄の改札内の土産店だったんですね。
■ gop様: 次男は私の影響か、セは阪神、パは日ハムのファンでした。この頃の日ハムは大沢監督で背番号が86でしたっけ。そういえば、阪神、風前の灯・・・・ヤキモキします。優勝したら道頓堀のタイガースユニホームを着たグリコランナーを見に行くつもりですが・・・・・。
by む〜さん (2008-10-09 21:37)
特急車内の様子、シートの色合いからしてサニーカー12400かな?それにしてはシートにガタがきているような・・・・。
ご子息の帽子が変わったと思ったらセ・パで使い分けていらっしゃったんですね。てっきり詰めの甘い虎に見限りをつけられたのかと。
by サットン (2008-10-10 09:02)
■ サットン様: 形式は如何なんでしょうね・・・当時は(今でもですが・・・)形式とかあんまりこだわらなかったのでしょうね。おお、近鉄特急、ワンダフルッ!!ってぇんで、喜んじゃった居ましたから。スナックカーだあ、と気軽に思っていたのでしょう。今だったら、デジカメの一齣に、室内妻面のナンバーかなんか写して居るのでしょうが。
息子はタイガースファンにして、地元、東京の日ハムもご贔屓ってところだったようです。
by む〜さん (2008-10-10 09:38)
新幹線のグレーとブルーのシート。数回しか乗った覚えはないですが、懐かしいです。
by えびび (2008-10-10 10:30)
お久さしぶりです。
近鉄とても懐かしいです。
特急鳥羽ー名古屋間の特急はデラックスで僕もずいぶん乗りましたが、同じ2600形の鳥羽ー名古屋間の急行、一応クロスシートと聞いていますが4ドアでは、長距離区間なのでサービス低下ではないかと思うのですが。
やはり近郊区間の併用でそうなったのでしょうか
JR湘南新宿ライン小田原ー高崎間と同じ扱いですね。
このところ鉄道ブログはお休みの状況です。
もっぱら、Amebaブログで小説、テレビドラマシナリオ書いてNTVに応募予定だった「愛は時を越えて」があるまだ若い劇団の女優さんからぜひ頑張っていいシナリオ書いてくださいということで柄にもなく10月中旬から青山のシナリオセンターに通学することにしました。
74歳にして色気充分で何とかものにならぬかと思う今日この頃です。
今回のノーベル賞受賞者に82歳の物理学者がおられたので僕も
ともがいているんですよ。
いつも本当に貴重な写真ありがとうございます。
by HIRO (2008-10-10 12:19)
■ えびび様: あのシートは、転換式だし、今、考えるとそんなに良い物ではなかったのですが、当時の私には、想像を絶する素敵なものでした。一番インパクトがあったのは、車輌と、駅のトイレでした。特に駅のトイレは、大小ともに清掃・清潔を重点としており、使う側から見たら、非常に使いにくかったです。いまでは、使い易い、感じの良いものになっています。
■ HIRO様: 4扉でクロスシートと言うのはやはり少々無理がありますね。せめて3扉・・・・しかし、それでは、通勤輸送には苦しい。会社としても辛いところです。関東では、通勤重点となって仕舞っています。
HIRO様は、創作活動をされており、私にはとても出来ない分野で、凄いと思います。私は、古い写真に思いつくままのコメントつけて、日々、更新といった事しか出来ません。
今後も、頑張って欲しいと思っております。
by む〜さん (2008-10-10 20:05)
こんにちは。
どなたかも書かれていましたが、昔の特急のシートが懐かしいですね。新幹線のシートも当時はなかなかでしたが、今の新幹線と比べてしまうと、どうしても見劣りしてしまいます。
やはりロマンスカーの塗りわけはこちらの方がしっくりします。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2008-10-10 23:47)
■ mymeな大家様: 新幹線の一般車のシートは、転換式から、一時、固定式の時もありましたが、回転式のリクライニング機能付きになり、随分、立派になりました。しかし、デビュー当時は、凄いモノが出来たと思ったものです。確か、人間工学なんてコトバが取り上げられていた時代だった気もしますが、記憶はぼやけています。
小田急のロマンスカーの色は、やっぱりコレです。LSEも最初はコレで出場しましたね。やっぱりホワイトにレッド塗装は似合わないと思っています。復元車は、健在なのでしょうか・・・・最近、見かけないけれど。SE3000、NSE3100、LSE7000と続いた、この塗分けは、小田急沿線に縁があり、小田急の観光ポスターを手がけていた、宮永岳彦さんのデザインだったと聞いたことがあります。鶴巻温泉駅近くに、彼の記念館がりますね。ぺんてるのくれよんに、現在も彼の描いた懐かしいキャラクターが居ます。
http://www.pentel.co.jp/news/2008/080709_06.html
by む〜さん (2008-10-11 07:00)