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#237:宇都宮&黒磯(2) [お出かけ通信201~250]

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栃木県那須郡那須町の那須高原へ行ったときの事を書いています。宇都宮で東武電車を眺め、餃子で昼食。お腹も満足したので、宇都宮ICから再び、東北道。那須のICで降りたんですが、時間もたっぷり余っている。黒磯駅に行ってJR電車、運がよければ貨物列車も眺めて来よう。これが正解で、風邪だかアレルギーだかの症状(鼻水ね・・・)もひどくなり、翌朝は黒磯駅まで来られなかった・・・・・。
 2008年・平成20年11月6日・木曜日、軽自動車、スバル・プレオで、家内と二人の旅の途中のお話です。

 お出かけ通信(237) 

 宇都宮&黒磯(2) 

(1) 那須ICから両側に、森林公園みたいに赤松が見事に植えられた道路を経由、5kmほど走るとJR黒磯駅。御用邸があるので宮廷専用の玄関がある・・・・写真の左の部分。駅の上は東北新幹線だけれど、見事に無視されて、新幹線停車はお隣の那須塩原駅。到着時刻は14時30分頃でありました。駅に入って15時半頃までの約一時間、電車・電気機関車・貨物列車を眺めておりました。我ながら、好きだねえ!と、思います。(笑)
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(2) 入場券を券売機で買いまして中に入ります。二時過ぎの駅構内は静かなものです。
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(3) 「巻狩の里・くろいそ」だそうです。掲出したのは「黒磯市・黒磯観光協会・黒磯駅・黒磯市勤労青少年ホーム利用者会」です。このあたり、2005年1月1日付で「那須塩原市(黒磯市+西那須野町+塩原町)」になりました。巻狩りについては、調べれば色々出てくるんだろうなあとは思うけれど、何となく億劫で調べてません。我ながら、俺って怠慢なヤツだなあと思う。
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(4) 跨線橋を渡って次のホーム、2番線3番線ホームから、1番線から出て行く14時36分発の宇都宮行きを眺めました。時刻表をチラッと見ただけですが、黒磯駅発の電車は、朝二本の東京方面直通と、新宿行特急一本を除くと、皆、宇都宮か小山行みたいです。
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(5) この駅から北は、ご存知の通り、交流電化区間。北の方から交流専用電車が着ており、211も231も入れません。列車の本数も少ない。がらんとした長いホームは、人影も無く・・・・発車時間は随分先ですから・・・・東北本線に特急、急行が往来した頃は、必ず停車した駅で、お弁当屋さんの売り声も響いて賑やかな駅だったらしい。そんな賑わいも消えて、ひっそりとしております。
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(6) 14時55分発の宇都宮行各停211の5連が発車を待っています。
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(7) 南から見た黒磯駅ホーム。私の居るところが一番線、右が2・3番線ホームで、北へずれて(5)の写真の4・5番線ホームがある。
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(8) 一に一本発車する東京への直通特急・朝7時52分発・新宿行おはようとちぎ号の扉位置を示す標識が足元に貼ってありました。去年見た「おはようとちぎ号」は185でしたが、現在もたぶん185でしょう。
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(9) 3番線に15時15分発・宇都宮行になる各停211が到着
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(10) 15時13分、そろそろ帰る潮時と改札を出ようと精算所のところで、こんな手作りの看板を発見。
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coffee.gif こんなところで、電車編を終わり、次回の黒磯駅・貨物列車編に続きます・・・・・。


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サットン

黒磯駅懐かしいです。今から二十数年前の学生時代、初めて北海道に渡るべく乗った急行八甲田。もちろんこの駅で長時間停車です。公衆電話で自宅へ定時連絡を入れたのを思い出します。
by サットン (2008-11-10 10:17) 

服部光之

東北線が黒磯から先電化したばかりのころは、交直の切り替えが地上しか出来なくて、運転停車で、ドアも閉めたまま、電気が消えて、車内が一瞬どよめくようなことがありました。
それから、数年後、下り列車は黒磯駅手前、上り列車は黒磯駅手前でデッドセクションに入り、車上切り替えになりました。
それとともに、黒磯停車が少なくなっていったのでした。
そして、新幹線の開通で、旅客は激減、お弁当屋さんも少なくなったようです。
でも、今でも、夏の麦茶、秋冬のなめこ汁、そして九尾寿司は忘れられません。
by 服部光之 (2008-11-10 18:09) 

のり

かつて、時刻表のみで旅への思いを馳せていた頃、東北本線は憧れでした。特急・急行がわんさか・・・!。主役が新幹線に移り、静まり返っているとのこと。時代の流れとはいえ、何か寂しいですね。
by のり (2008-11-10 20:28) 

ぽんた

同じJR東日本内なのに、走れない線路があるんですか!?
交流電化?・・・え~っと何でしたっけ? 
電圧などが違うんでしたっけ? 勉強不足ですみません。
手作り看板がステキです。


by ぽんた (2008-11-10 20:41) 

じろっち

黒磯駅は、東北新幹線が出来るまでは東北鉄道旅行の楽しみの一つでしたね。

一瞬灯りが消える。
今ではほとんど体験出来ない瞬間です。

最近は鉄道会社も、鉄道を単なる移動手段と取らない人々が居ると意識するようになりました。
週末限定1日1往復で良いので、上野発仙台行き急行とかが欲しいですね。
今ならやってくれるんじゃないかな。
by じろっち (2008-11-10 21:08) 

しおつ

撮影に行ったのはもうずいぶん前です。
青森まで普通列車を乗り継いで行った時に
黒磯で撮影しました。
学生の頃は自転車で一度ここまで行き、
さらに那須湯本温泉まで行きました。
もうそんな元気はないです。
by しおつ (2008-11-10 21:30) 

mymeな大家

こんにちは。
皆さん書かれているように、電車の中での交直切り替えの時は、一瞬どよめいていましたね。父の実家である仙台に帰る「ひばり」の中で初めて体験したことを思い出しました。それももう30年近く前のことです。
新幹線というのはビジネスにはいいのかも知れませんが、旅情はあまりかきたてられませんね。でも、鉄道ができる前の方たちが、「鉄道ができて早くなりすぎた。」と言っていたような気もしますから、感覚と言うのは難しいですね。
日本も、もうそろそろゆっくり歩いてもいいのではないでしょうか。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2008-11-11 00:02) 

京葉帝都

9月に訪問した時は黒磯駅前は寂れていましたがかつての那須の玄関口の風情を漂わせていました。お召し列車も発着したのでしょう。
by 京葉帝都 (2008-11-11 09:37) 

む〜さん

■ サットン様: 実は私は東京に住みながら東北方面に弱く1980年ごろに始めて乗ったという有様でした。ですから黒いその賑わいを知らないのです。なんという、勿体無い事をしたのだろうと、今頃思っています。
■ 服部光之様: 交流直流の切替は常磐線の取手・藤代間の走行中切替は何度も体験して居りましたが、黒磯は一回しかありません。そのときも、あまり注意していなかったので、よく判らないうちに終わってしまいました。お弁当屋さんの記憶も無く、改めて黒磯駅を見に行ったのは、ここ数年です。15時ともなると、お弁当屋さんは居ませんでしたが、時分時には出店しているらしく、小さなカートが置いてありました。
■ のり様: 栄枯衰勢なんて四文字熟語が思い浮かぶような黒磯駅でした。新幹線の音と、車体上部が見え、豪華特急カシオペアも通るのですが、みんな停まりません。あれだけの駅が、お役目終われば、こんな寂しい姿。ホームに立って、そんなことを思いました。
■ ぽんた様: 違う電気:交流と直流、違う電圧:2万ボルトと1500ボルト・・・・大雑把に言えばその位違うのです。当然、普通は各々の専用電車ですから、相互に行き来できません。
 それでは、不便なので、ちゃんと『両用機種』もあるのです。
■ じろっち様: 旅の途中を楽しまないで、寝てる方、多いように思えます。移動中も旅なんだと、私は思っています。
 常磐線のスーパーひたち7号は上野~仙台ですが、常磐線と東北本線では車窓風景から違いますものね。
■ しおつ様: 黒磯まで自転車ですか・・・・更に那須湯本まで、あの長い上り坂を制覇されたんですね。凄いですね。
■ mymeな大家様: こんど東北新幹線は青森開業のときには320km/hを目指すと聞きました。なにも其処まで・・・・と、思うのが私です。余裕で250km/hで安全第一と思うのですが、老人の取り越し苦労、杞憂でしょうか・・・・。
■ 京葉帝都様: お久し振りです。駅から伸びる道路の右側に温泉饅頭のお店があって、観光地の入口って雰囲気がありますね。
by む〜さん (2008-11-11 13:43) 

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