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小ネタ:此処は何処? 関西系 [昔写真関西]

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pen-para.gif こんばんわ~、いや全く、寒くなったものです。暖房機器必須の季節になって来ました。そんなに始終、お出掛けって訳には行かないってのは当たり前なんですが、今回は、小ネタの昔写真・・・・・そして、関西系の写真です。ネガは二駒、それを部分拡大で「6枚」にしました。

 小ネタ:此処は何処? 関西系 

quiz-1sec.gif いきなりクイズです。此処は何処でしょう???? 

 撮影したのは、1954年・昭和29年8月関西の、とある駅

(1) 広い構内入替用の小さな2軸の内燃機関車・・・・私は、こっちは詳しくないので、ガソリン機関か、ディーゼル機関か、判らない。とほほ・・・・。
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(2) 機関車のところを拡大。昔は、何処ででも見ることが出来た機関車ですね。背後には、でっかいお寺とおぼしき屋根が見えます。その左がわの煙突は断面が四角形のようです。
5408kansai77-jnrnishinomiya1-02.jpg

pen-pc.gif ・・・・・答えは、下の方にありますので、スクロールしてご覧下さい。


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pen-para.gif ・・・・・で、回答

(3) 京阪神を結ぶ急電が走るこの駅は・・・・・・・・。
5408kansai78-jnrnishinomiya2-01.jpg

(4) 写真の真ん中、駅名標識をご覧下さい。そう、国鉄東海道本線・西宮駅です。貨物の扱いも多いらしく、トラックで賑わっております。背後の煙突の文字は、読めそうで読めない。片仮名らしいんですが。酒造会社でしょうか、はたまた・・・・・。
5408kansai78-jnrnishinomiya2-02.jpg

(5) 普段見られた急行電車は、80系のクハ86とか、モハ80とかが担当するんですが、この編成はどんな形式だったのでしょう。一部では「ニセ急電」って呼ばれていたと、聞いた事は有りますが、確かなところは知りません。私は、関西系の国電については、疎いので・・・・・。
5408kansai78-jnrnishinomiya2-03.jpg

(6) 遥か向こうには、阪急今津線の鉄橋の大トラスが見えています。
5408kansai78-jnrnishinomiya2-04.jpg

 ・・・・そうそう、(1)、(2)の写真にある大きな屋根は・・・・地図を見ましたら、どうやら「西福寺」と言うお寺らしいです。


coffee.gif ・・・・・こんなところで、今日はお終いです。では、また!!!


タグ:東海道 急電
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ほへほへ

お寺の「西福寺」は昔「はりのてら」で有名でした。
私は祖母に連れられてよく行きました。
「小児針」といって、体に刺したりしないんですが、先のあまり尖っていない針を手足に刺激を与えるような感じで突き当てることをしてもらっていました。
その治療の後にはいつも、はりのてらの絵が入った「瓦せんべい」を貰って境内にある池の鯉にちぎって与えたり、自分で食べたりしてました。
30数年前の懐かしい思い出です。
阪神沿線に住んでるので、そのお寺までは、今は亡き「西宮東口」駅を降りて、国鉄西ノ宮駅の地下通路を「電車に乗らない人のための横断券」を貰い、北側の出口まで出て行った記憶が鮮明に残っています。
by ほへほへ (2008-11-21 21:30) 

じろっち

いまだにJR沼津駅は、自由通路が無いんですよねえ。
横断券なんてサービスも無いし。
橋上駅舎でなかった頃の大船駅は、顔パスだったようです。
時代の違いかな?
当時の大船~北鎌倉にはSLが出番待ちで待機していたとか。
(むーさんの東海道線特急写真に写っていたヤツかも)
ソコは踏切ではなかったんですが、地元民は横断していました!
待機中の機関士らも、注意するどころか、いつも同じ時間に線路を渡る私らに話しかけてきたとか・・・
良い時代でした。
昭和39年ころの話です。
by じろっち (2008-11-21 21:57) 

む〜さん

■ ほへほへ様: 西福寺は、お煎餅もあるくらい有名なお寺さんだったんですね。ほへほへ様なら、(1)の画像で一発で何処の駅だかお判りだった事でしょう。
構内横断のための切符って、JRになった今でもあるのでしょうか?定期券も有った気がします。
■ じろっち様: 沼津駅は地図で見てみると最近出来たとおぼしき地下道路があり、600mと言うところでしょう。向こう側へ行くのが一苦労でしょうね。構内抜けて200m。橋上駅でまとめたら、随分変わりそうですが、駅付近の商店関係に大きく響きそうです。
踏切以外の場所での横断は、昭和30年代までは普通でしたね。でも、事故っても当然全て自己責任、皆、それを自覚していた、そういう時代でした。
by む〜さん (2008-11-22 08:43) 

ファジー

おはようございます。
関西急電色といえば、モハ52の流電以降茶色とベージュの二色でしたが、この車両も同様の色合いだったのでしょうね。
「ニセ急電」の言葉は、当時を体験している人であれば、ご存知かもしれません。
by ファジー (2008-11-22 09:39) 

manamana

かわいい機関車ですね。
連結器が異様に大きく見えるのは、
車体が小さいからでしょう。
運転席の窓が、家の出窓みたいです。
大きな二つの赤い(たぶん)丸が似合っています。
by manamana (2008-11-22 12:53) 

のり

最初の写真、とても阪神間とは思えない写真ですね。急行電車もなかなかの編成です。
国鉄西ノ宮駅は、私の学生時代には、快速も止まらず、まだ、むーさん様のお写真のような雰囲気はありました。この駅名票も現役だったように思います。今では、再開発され風景が激変しています。この頃の面影は、全くといっていいほど、ないと思います。
(6)の写真、保線作業でしょうか、線路上に人影が沢山見えますね。
by のり (2008-11-22 12:54) 

デトニ2300

 代用急電の先頭車はクハ67、電動車はモハ51でしょうね。私の知っている急電は86系の宮殿でした。代用にもつけられている急行サボは覚えています。51系の急電色は聞いたことがありますが、残念ながら見たことはありません。普段神戸に行くときは阪神、京都に行くときは京阪か近鉄、奈良電を利用していたので、よほどのことがない限り国鉄を利用することは無く私には影の薄い存在でした。
by デトニ2300 (2008-11-22 19:05) 

ほへほへ

先頭はクハ68で、次の電動車は屋根がグロベンなんで、モハ70ではないかと・・・・。
その後ろがサハかクハ、その次の4両目もモハ70では??
車体すその位置が気になります。
by ほへほへ (2008-11-22 21:28) 

しおつ

入れ換え機の写真が興味深いです。
KATOでしょうか?SAKAIでしょうか?

by しおつ (2008-11-22 22:10) 

青木一郎

小さくてかわいい機関車ですね、手でつまんで隣の線路に移したくなります。
このクハの塗り分け、初めて見ました。よほど86に似せたかったのでしょうか。雨樋を越え、屋根の一部まで正面色を塗っていますね。でも、"急行"ヘッドマークに隠れた部分の塗り分けはストレート(?)。遠~くから見ればまさに"86"。このようなのが走っていたとは。楽しかったです。
by 青木一郎 (2008-11-22 23:01) 

hajime

ハエタタキのような電柱がすごくいいです!見たことないです。今でも見られる所があるのでしょうか?
by hajime (2008-11-23 00:04) 

じろっち

タカラトミーが発売したQトレインを走行させてみました。
個体差があるのかもしれないけど、2両目と3両目の連結がプラレール仕様なので、勝手に分割してしまいます・・・

1両は激短で、バンダイのBトレインショーティーが長く見えます!

走行は同社のQステアと同じなので、面白いですよ!
線路が無い場所を走り回る姿は、銀河鉄道999の様です。

2,000円程度で購入できるので、1編成くらい投資してみませんか?
私は113系を買いました。


L型DLは、旧大船工場にも居ましたよ。
引込み線で頑張っていました。

ハエタタキの様な電柱は、横浜市栄区の瀬上沢に、まだ有りますよ!(神奈川県立上郷高校のそば)
by じろっち (2008-11-23 05:52) 

む〜さん

■ ファジー様: 昭和29年頃の急電は専らモハ80の一党が働いていました。グリーンとオレンジの塗分けを見慣れた私には、茶色とベージュのツートンカラーは、落ち着いた素敵なカラーに見えました。この、所謂国電タイプの急電は、きっとモハ80ファミリーが不足していたのでしょう。私には、かえって素晴らしい電車に見えたものです。
■ manamana様: 可愛いでしょう?!このサイズの機関車は、工事などでトロッコを引く為のものだったのではないかと思います。小規模な入れ替え用途に、軌間を1,067mmとし、国鉄規格の自連を取り付けたものなのでしょう。こういった、入替機はいろいろなタイプのものが、一寸した駅には必ずといっていいくらい、居たものです。
■ のり様: 西宮駅周辺も随分変わってしまったのでしょうね。昭和30年ごろから現在への50年は、変わりようが激しく、付いて行けない感じです。ちょっと目を離すと、まるで、別の街になっています。
■ デトニ2300様: 私は京阪神の電車は詳しく知りませんが、昭和30年ごろの国鉄は、私鉄に比べて、陰が薄かったような気がします。しかし、国鉄私鉄ともに、沿線人口が増え、都市間連絡というよりも、沿線の住民輸送へ、形態が変わってきた様に思えます。
この電車は、先頭はクハ68と思ったんですが、窓を数えると、『d1D5D5D2』で、クハ55ではないかと思ったりしました。二両目は、2D6D6D2で、モハ70と見たのですが、全く自信がありません。3両目になるとさっぱりです。
■ ほへほへ様: 前項でも書きましたように、先頭はクハ55かなあと思うのです。d1D5D5D2のクハ68が居なかった葉断言できませんので、クイハ68かもしれません。飯田線には居ましたが、時代が違う気もします。
モハ70系といえば、茶色のクハ76なんか居ましたね。なんだか、海坊主風の風貌でした。
■ しおつ様: 入替機は、根拠はありませんが加藤製作所では無いかと思います。そのくらい、加藤は方々で見かけたものです。何処製か判りませんが、貧弱なロッド駆動のものも居ましたね。
■ 青木一郎様: この、入替機は、DD13やDE10みたいな、大袈裟なものでなく、貨車をちょっと動かすって感じの軽快な移動機械でした。
■ hajime様: この電柱は、通信用で、のちにはケーブルとなり、建て替えられてゆきました。鉄道線路の風物詩でしたが・・・・・。電柱は、大体は木製で、腐食予防のため、コールタールが塗られ、触ると、衣服が汚れたりして、母親に叱られたものです。当時の子供って、そんな場所で日常的に遊んでいたんですね(笑)。
■ じろっち様: QトレインはJR系が何種類かあるだけなので、小田急か京浜急行が出たら、考えます。トレインショーティでも、私の卓上に飾るには大きすぎるのです。
ハエタタキ電柱、地図を見てみました。上郷高校、瀬上市民の森など、見つかりました。件の電柱、どの辺りで、何に用いる電柱なのでしょう?
by む〜さん (2008-11-23 23:13) 

なにわ

関西旧型国電のバイブル、「関西国電50年」で調べてきました。
これは第二次代用急電でして、編成は
 68099-70115-68060-70116-68078
(55087)       (55013)       (55039)
( )内は1953年の改番以前の番号です。
おっしゃるとおり、3両のクハ68はいずれもクハ55のクロスシート設置車です。68099、70115、70116は第一次代用急電にも使用されていました。

この編成は1953年9月、急行電車終日20分間隔運転に対して車両不足を生じたため、塗り替えて誕生したもので、この後も関東から
 76061-71013-71014-71015-76062
も投入されていました。1954年12月に
 86067-80099-80100-80101-86068
の投入で代用急電は終了しています。
by なにわ (2008-11-27 12:09) 

む〜さん

■ なにわ様: おお、こんな編成だったんですね。ちゃんと調べて下さったおかげで、編すぃの全容がわかりました。有難う御座居ました。クハ55→くは968は飯田線にいたのは知っていましたが、こんな昔、に関西に同様なケースがあったんですね。
 前に書きましたように、スカ形の70系のチョコ色塗装があり、写真を見ただけですが、結構、好感を持ったものです。
by む〜さん (2008-11-27 19:36) 

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